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あとちょっとでfinalだね
中原家での朝は、太宰にとって「奇跡」の連続だった。 隣に中也の体温があること。使用人たちが自分を「治様」と呼び、慈しみの眼差しを向けること。そして何より、今日という日が、誰に怯えることもなく始まったこと。 だが、その平穏を切り裂くように、中原家の私設軍隊から緊急の報告が入った。
「――中也様! 拘束していた太宰信治が、異能犯罪組織『鴉』の残党によって奪還されました。現在、太宰家の本邸に立てこもり、治様の返還を要求しています。……彼らは、禁忌の異能増幅装置を起動させた模様です!」
その報告を聞いた瞬間、中也の周囲の空気が、発火せんばかりの熱量で渦巻いた。 「……懲りねぇ連中だな。……俺の許可なく、俺の『宝』に指一本触れられると思ってんのか」
中也は、傍らで青ざめる太宰の肩を抱き寄せた。 「治。……一緒に行くか。……あいつらが、どうやって消えていくか、その目で見届けてぇだろ」
太宰は、一瞬だけ身体を震わせたが、すぐに中也の瞳を真っ直ぐに見返した。 「……うん。……中也と一緒なら、私は、もう逃げない」
太宰家の本邸。かつて太宰が地獄の日々を過ごしたその場所は、今や異能の暴走による禍々しい紫色の光に包まれていた。 正治と信治は、犯罪組織から供与された装置により、身の丈に合わない異能を強制的に引き出され、理性を失った怪物のように咆哮していた。
「治を出せ! あの『無効化』の盾さえあれば、中原中也の攻撃も防げるはずだ! 治は我が家の所有物だ、返せ!」 正治の醜い叫びが、屋敷の庭に響き渡る。
その時、天空から巨大な「影」が降りてきた。
「――誰が、誰の所有物だって?」
轟音と共に、中也が太宰を横抱きにしたまま着地した。 その衝撃だけで、太宰家の豪奢な外壁は蜘蛛の巣状に亀裂が入り、立ち並ぶ木々が根こそぎへし折れる。
「ち、中也様……! 治! ほら、早くこちらへ来い! お前を育ててやった恩を忘れたのか!」
信治が、異能で肥大化した腕を治へと伸ばす。
太宰は、中也の腕の中から一歩前へと踏み出し、冷徹なまでの静寂を纏って言い放った。
「……恩なんて、一度も感じたことはないよ。……あなたたちが私にくれたのは、冷たい風と、暗い蔵と、消えない傷だけだった」
太宰の手が、そっと空をなぞる。
「……さようなら。……私の、大嫌いな過去」
「治、お前――!」
「――喋るな」 中也が、太宰の前に立ち塞がった。 「こいつの耳に、その汚ぇ声を届かせるんじゃねぇ。……手前らの『罪』の重さ、その身体で存分に味わえ」
中也が指先を天へと向ける。 「――《高密度重力崩壊・極》」
次の瞬間、太宰家の本邸を中心とした半径百メートル以内の重力が、数千倍へと跳ね上がった。
「ぎ……あ、ああぁぁぁっ!?」 正治も、信治も、そして彼らを取り囲んでいた犯罪組織の男たちも、悲鳴を上げる間もなく地面へとめり込んだ。 彼らが誇っていた攻撃的な異能も、増幅装置のエネルギーも、中也の絶対的な重力の圧倒的質量の前には、紙切れほどの価値もなかった。
ミリ、ミリ、と骨が軋み、精神が削られていく音が響く。 中也は、一歩ずつ、這いつくばる正治へと近づいた。
「……治の身体に刻んだ傷の数だけ、骨を砕いてやる。……治が独りで泣いた夜の数だけ、絶望の中に沈めてやる」
中也の瞳には、一切の慈悲はなかった。 彼は、太宰の十年の苦しみを、その瞬間の「質量」へと変換し、太宰家に叩きつけたのだ。
「中也……もう、いいんだよ」 太宰が、背後から中也の服の裾を掴んだ。
「……彼らを殺しても、私の傷が消えるわけじゃない。……でも、中也が私を抱きしめてくれたら、その傷はもう、痛まないから」
中也は、怒りに燃えていた瞳を、ゆっくりと太宰へと向けた。
「…………治」
「……あんな場所、もういらない。……全部、消して」
太宰の願いは、呪いではなく、決別だった。 中也は深く息を吐くと、掌を太宰家の方角へと向けた。 「……了解だ、相棒。……手前らの居場所、塵一つ残さず消し飛ばしてやる」
中也の掌から放たれた黒紅色の重力弾が、太宰家の本邸を、その歴史を、そしてそこに巣食っていた醜悪な野心の全てを、一点へと凝縮し――。 直後、光と共に、全てが「無」へと還った。
爆風が治の髪を揺らし、舞い上がる火の粉が、夜空に消えていく。 かつて彼を縛り付けていた地獄の象徴は、跡形もなく消え去り、そこにはただ、月明かりに照らされた平坦な土地だけが残されていた。
「……終わったんだね」
太宰が、力なく笑った。 その頬を、熱い涙が伝い落ちる。 それは悲しみの涙ではなく、ようやく「自分」という存在が、誰の所有物でもなくなったことを悟った、解放の涙だった。
中也は、崩れ落ちそうになる太宰を、世界で一番大切なものを扱うように抱きしめた。
「……ああ。……お前を縛るもんは、もうこの世に一つもねぇ。……これからは、俺の愛だけが、お前をこの世界に繋ぎ止める鎖だ」
中也は、太宰の耳元で囁いた。
「……逃げたいなら、今だぜ。……今なら、俺の重力から逃げられるかもしれねぇよ?」
太宰は、中也の首に、今までで一番強く腕を回した。
「……逃げるわけ、ないじゃないか。……私は、一生かけて、中也に溶かされたいんだ」
「歪んだ私を、」 太宰が、中也の胸の中で呟く。
「……あなたの愛と重力で、満たして」
「ああ。……死ぬまで、離さねぇ」
二人は、燃え殻となった太宰家の跡地を背に、ゆっくりと歩き出した。 向かう先は、もう「隠れ家」ではない。 二人が愛し合い、共に生きていくための、光り輝く未来だ。
帝都の夜空には、雲一つない満月が浮かんでいた。 かつて泥の中で欠けていた月は、今、太陽のような男の隣で、最も美しい円を描いて輝いていた。