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a rainy day

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a rainy day

6 - ―――

♥

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2024年03月21日

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Side 桃


ふと走行音が近づいてきて、顔を上げる。いつの間にか電車が来ていた。

前の人に続いて乗り込むと、彼が「どうぞ」と振り返る。その手の先には優先座席。

「いや、僕は大丈夫です」

首を振ったけど、

「でも、さっき立ってましたし」

優しい彼に少しだけ甘えることにして、「どうも」と席に座った。

さっきよりわずかに雨音が小さくなった。でも彼の高い肩越しに見える窓には、流れる雫が跡をつくっている。

「お勤め先まで、歩くの長いですか?」

ふいに彼が訊いてくる。目を瞬かせて、

「まあ、それなりには」とうなずいた。

彼はおもむろに鞄をまさぐってから、手に持っているビニール傘を差し出してきた。

「よかったら使ってください。声をかけてくれたお礼です」

俺が傘を持っていないということに気づいてくれたんだろう。あまりにも図星で、逆にびっくりする。

「そんな、別に何もしてないのに」

辞そうとしたけど、彼は微笑んでいる。

「濡れて風邪引いても危ないですから。特に」

確かに、俺は、いやどちらも風邪なんか引いちゃったらもうほぼ病院行きだ。これまでも何度かこじらせて肺炎になったことがある。

だからその気遣いは、心に真っ直ぐ届く。

「そうやってわかってくれるのが、何より嬉しいです」

そう言ってありがたく受け取ったけど、彼のほうこそ心配だ。

「でも…いいんですか? そちらこそ濡れちゃいますよ」

すると、彼は鞄の中から折り畳み傘をのぞかせて「大丈夫です」と言う。ああ、それなら安心だ。

「ならよかった。ありがとうございます」

ふいに電車がゆっくりになった。駅につき、乗っていた人が出ていって、入れ替わりにまた乗ってくる。

杖をついた高齢の人がゆっくりと乗車してきた。俺は代わろうかと思ったけど、ほかの席に座っていた若い人が立ち上がって場所を譲る。

俺は視線を前に戻す。目の前に立つ彼のしわのない綺麗なスーツからは、白く細い手がのぞいている。

俺と同じような手。快適な環境を強いられ、守られてきた手だ。

そんなことを考えて視線を落とすと、受け取ったばかりの傘に目が留まる。彼のものを、今持っている。

「お返ししたほうがいいですよね?」

彼は、え、とつぶやいた。

「この傘です」

いやいや、と彼は言う。「ただのコンビニの安物です。持って帰っちゃってください」

「でも…」

そうは言っても、これは俺の所有物じゃない。だけど彼は、にこやかに笑う。いいんですよ、とでも言うように柔らかく。

「じゃあ、お名前教えてください。もし次どこかで会ったら、お礼を言いたいですから。僕は京本大我です」

彼はちょっとびっくりしたように目を見開く。

「僕…ジェシーっていいます。カタカナでジェシー」

「そうなんですね」

最初から感じていた爽やかなハンサムさは、どうやら外国の血のようだった。

すると、「次は品川に止まります」というアナウンスが耳に届く。

「あ、行かなきゃ。じゃあ僕はここで」

立ち上がって、ジェシーさんに会釈する。彼は出張にどこまで行くのだろうか。

「ありがとうございました」

その声に、俺は振り返る。

「またどこかで。…ジェシーさん」

電車から降り立ち、改札を抜けるともらった真っ透明な傘を開く。

五月雨とビル街の匂いを吸い込む。苦しさはもうない。

躍るような雨音の中、また電車が走り抜けていく音がした。


終わり

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