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次の日の朝、教室の机で頬杖をついて、ぼんやりしていると、後ろのほうから、数人の女子たちの会話が耳に入って来た。
「それホント?」
「うん。ママが近所のおばさんに聞いたの。見た人がいるって」
「えっ、不倫相手と一緒のところ?」
「しっ、声が大きいよ。……でも、松園くんのお父さんって有名じゃん」
「それはそうだけど」
「違うよ、女癖の話」
「あぁ、そっち?」
「気持ち悪い! もしも、うちのパパが……」
急に会話が途切れたと思ったら、松園が、子分を従えて教室に入って来た。教室の中が、変に静まり返る。
何か察したのか、それとも、もう噂が広まっていることを知っているのか、松園は、仏頂面をしたまま自分の席まで行き、机の上に叩きつけるように鞄を置いた。
松園の父は、地元の名士ではあるが、その一方で、女に手が早いという噂も有名だ。実際のところはどうなのか、伸は知らないが、親密な関係になった女性に金銭的な援助をするなどとも言われている。
今さらだが、松園が自分を目の敵にする理由の一端が、なんとなくわかった気がした。今まで、結び付けて考えたことはなかったが、もしや松園は、伸の母も、そういう女性の一人だと思っているのではないか。
伸に父親がいないことから、まさか、松園の父が産ませた子だと思っている、とか? さすがに、それはないと思うし、そうであってほしくないと思うが、にわかに心配になる。
松園と異母兄弟だなんて、ぞっとする。考えたくもない。いや、絶対にあり得ない。
だが、そんなことは、今はどうでもいい。松園の父が誰と付き合っていようが興味はない。
伸はただ、夜が来るのを心待ちにしている。自分は、やはり行彦に惹かれているのだと思う。
それが、恋愛感情のようなものなのかどうかは、自分でもよくわからない。同性に対して、そういう気持ちになるのは、おかしいと思うが、行彦は中性的で美しく、とてもいい香りがする。
あの香りを思い出すたび、なぜか胸の奥が疼くのだ。
噂のせいで苛立っていたのか、放課後、伸は、有無を言わさず植物園に連れて行かれ、松園に口汚く罵られながら、古川に何度も殴られた。突き飛ばされて手を着き、塞がりかけていた手のひらの傷が再び開く。
「もういいだろう」
地面に寝転がったまま起き上がれない伸を見て、松園が、えらそうに言った。ふんと鼻を鳴らし、肩で息をしながら、古川が立ち上がる。
滋田が、いつもの小馬鹿にした口調で言った。
「あーあ、情けない姿だねぇ」
気づいたときには、三人の姿は植物園から消えていた。
ここから洋館までは、それほど離れていない。出来ることならば、今すぐにでも洋館の行彦の部屋に行き、彼の顔が見たい。
だが、約束の時間は夜だ。今行って、行彦に迷惑がられるのは嫌だと思った。実際に迷惑がられるかどうかはともかく、そういう約束なのだから。
伸は、痛みをこらえて立ち上がる。あぁ、泥だらけだ。
それに、汗だくだし、やっぱり、このままでは行彦に会えない。行彦に嫌われてしまう……。
今夜も、行彦は笑顔で迎え入れてくれた。だが、いつものように腕を取られたとき、伸は、思わず顔をしかめてしまった。
古川の拳を受けた二の腕に、青あざが出来ているのだ。行彦が、立ち止まってこちらを見た。
「伸くん?」
伸は、曖昧な笑顔で答える。だが、行彦は、受け流してはくれない。
「怪我しているの?」
それで、仕方なく口を開いた。
「まぁ、ちょっと」
行彦が、いつになく厳しい表情で言う。
「松園ってやつらにやられたんだね? ひどい……」
一瞬、何が起こったのか、わからなかった。気がつくと、伸は、行彦に抱きしめられていた。怪我にひびかないように、そっと、優しく。
ふわりと甘い香りに包まれ、不意に気が遠くなる。
ふと目を開けると、伸は、ベッドにあお向けに横たわっていた。かたわらで、行彦が見下ろしているのがわかったが、シャンデリアの灯りが逆光になって、その表情は見えない。
伸が身じろぎすると、行彦が体勢を変え、それで、顔が見えた。ぼんやりとしたまま、その顔を見つめる。
やっぱりきれいな顔だ。でも、なんで俺は……。
「伸くん?」
ひんやりとした手で頬に触れられ、一気に目が覚めて飛び起きる。
「駄目だよ! 急に起きちゃ」
行彦が、あわてたように、伸の背中に手を置く。
「大丈夫だよ。でも俺、いつの間に」
……いつの間に、こんなところで寝ていたんだろう。首をひねって考えていると、行彦が言った。
「急に倒れるから驚いたよ」
「えっ?」
そんなことがあったのか。別に気分が悪くなった覚えもないが、そう言えば、行彦に抱きしめられて、その後……。
顔を上げると、行彦が、切なげな目をして言った。
「伸くんのことが心配だよ。どうして、こんなひどいことを……」
伸は、学校での出来事を思い出しながら言う。
「あいつにも、いろいろ抱えているものがあるらしい」
「そんなこと関係ないよ! 」
激しい口調に呆気に取られていると、行彦が、狼狽したように目を伏せた。
「あ……ごめん」
「いや」