「ねぇ、セディ。なんか部屋の外が騒がしくない? 何かあったのかな」
ルーイ先生の指摘通り、先ほどから外の様子がおかしい。慌ただしく響く複数の足音……ざわめき声。レナードが退室してから1時間程度になるが、まさか奴が何かしでかしたんじゃないだろうな。ジェムラート公爵に礼儀を欠いた振る舞いを……いや、あいつは外面良いからそれは無いか。公爵に対して思うところがあったとしても露骨に態度に出すようなことはしないはずだ。
「……少し見て来ます。先生、姿勢は低くしたままで声は出さないで下さいね」
椅子から立ち上がると、廊下へ続く扉に近づいた。雑音がさっきよりも鮮明に聞こえる。ドアノブに手をかけて扉を開けようとしたその時だった。
「ルーイ先生、セドリックさん」
扉をノックするコンコンという音と共に、我々の名前を呼ぶ声が耳に飛び込んできた。声の主は馴染みのある少女のものだった。クレハ様のご友人、リズさんだ。訪問者が知り合いであったことで張っていた気が一瞬緩んだが、彼女の声が僅かに震えているのに気付く。緊張しているのか焦っているのか……とにかくただならぬ雰囲気を感じ取ったため、すぐに気持ちを引き締めて彼女の呼びかけに応答したのだ。
「リズさんですね。どうしたのですか?」
彼女とジェフェリーさんには休息を取るよう命じたはずだった。外の騒がしさといい、嫌な予感がする。
「あの、実は……」
「オードラン隊長、急ぎ伝えなければならない話があります。養生なさっているルーイ先生には申し訳ないですが、おふたりで一緒に聞いてくれませんか」
リズさんを制して別の人物が前に出てきた。これまた聞き覚えのある声だ。しかしこの声は――
「……ジェムラート公爵?」
リズさんと共に先生の部屋を訪れたのは、この屋敷の主、ダグラス・ジェムラートだった。公爵は少し前にカレン嬢の件で先生に直々に謝罪をなさったと聞いたが、このように立て続けにいらっしゃるとは……今度はどんな用向きなのだろう。レナードがレオン様の伝言を公爵にも伝えたはずだ。確認したいことでもあったのか。考えている暇はなかった。理由なんてすぐに分かる。それよりも公爵を扉の前で立たせたままにしているのが、目下対処しなければならない問題だ。
「……なかなかお休みになれませんね」
「セディ、俺は大丈夫だから公爵をお通しして」
「はい」
先生は寝転んでいた体を起こすと、軽く身だしなみを整えて公爵を迎え入れる体勢を取った。彼が我々の前で見せる、どこか気の抜けた心安い雰囲気は一瞬でどこかに消えてしまう。対外向けの表情……とでもいうのだろうか。先生は相手や状況に応じて、すぐさまそれに相応しいキャラクターを演じ分けている。柔軟性の高さには目を見張ってしまう。器用で要領が良いと感心する反面、神であるのに何故ここまで立ち回りが上手いのかと疑問を抱いてしまう時がある。
この方が伝えてくる好意を俺が素直に受け取ることができなかったのは、彼が神であるのとは別に、この妙なこなれ感が癪に触るというか……信じたいという気持ちよりも揶揄われているのではないかという不安の方が優ってしまうからではないかと思う。
また思考が脱線してしまった。俺と先生のことはどうでもいいだろ。今は公爵のことを考えなくては。
「お休みのところにすみません。ルーイ先生」
公爵は侍従も連れず、付き添っているのはリズさんだけだった。顔色が更に悪くなっている。表情からも疲れが見て取れた。とりあえずこの部屋にある唯一の椅子に座って頂いたが……我々が屋敷に来て最初に挨拶をした時よりも状態が悪化しているのは明白だ。娘の事で気を揉んでいたところへ使用人が次々と問題を起こしたのだから仕方ないだろう。これに加えて今度は何が起きたというのか。公爵の体調も心配だが、レオン様もまだいらしてないというのに、これ以上の厄介ごとは勘弁して貰いたい。
「我が屋敷内で先生に怪我をさせてしまったというだけでもとんでもない失態だというのに、更に不審人物の侵入を許してしまうなんて……なんと申し開きをしたら良いか。殿下の大切な先生にこのような……」
「え、あの……公爵殿。どういうことですか。不審人物とは」
先生も俺と同じ単語に反応している。不審人物だと。そんなものがいつ……外が騒がしかったのはそれが原因だったのか。
「すみません……私もついさっき報告を受けて……まだ動揺が治っていないようです。リズ、先生がたにもさっきあった事をお話しして差し上げて」
「はい」
公爵に促されリズさんが一歩前に出た。彼女はこの為に連れてこられたのか。説明役がリズさん……ということは、彼女が不審人物とやらに遭遇したのか? 部屋で大人しくしていたはずなのにどうして……
「……ルーイ先生、セドリックさん。つい今しがたの出来事です。カレンの仲間とおもしき若い男性と、使用人部屋の近くの廊下で接触しました」
「えっ……はっ!? ちょっとリズちゃん。それほんとに?」
先生がうっかり素に戻っている。俺も声こそ上げなかったが、同じくらい驚いた。カレン嬢の口から存在を示唆されていた彼女の仲間。恐らくそう遠くない場所にいて、連れの異変に気付けば行動を起こすと警戒はしていたが、まさかこんなに早く……
「ルーイ先生、大丈夫です。その者はすでに拘束されましたから」
驚く俺たちを安心させるため、公爵はすぐさま侵入者の顛末を教えてくれた。リズさんも怪我らしきものは見当たらない。ほっと胸を撫で下ろす。
「はい……空腹に負けて部屋から出たのが間違いでした。レナードさんが助けてくれたのです」
「レナードが……」
王宮に戻ろうとしていたレナードが偶然通りかかったのだそうだ。リズさんは厨房に食べものを貰いに行こうとした所でその男と鉢合わせをした。男はカレン嬢の監禁場所を探しており、リズさんからそれを聞き出そうとしたとのこと。しかもそいつは我が軍の隊服を身に付けていて、俺が要請した増援のフリをしたという衝撃の情報がもたらされた。
話を聞けば聞くほど、レナードがたまたまいて良かった。カレン嬢の仲間……話し合いが出来るかもと僅かに期待していたが、その男だけでも余罪がぽろぽろ出てきそうな現状に頭を抱えた。そんな期待はさっさと捨てるべきだな。
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