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第62話:四十歳の心肺停止(寸前)〜医療費スパチャと、全国に晒される老いの現実〜
「あいたたたたっ……! 腕が、上がらねえ……ッ!」
六月下旬。
肉体改造配信を始めてから三日目の夜。
帯広市のボロアパートに、四十歳のおっさんの悲鳴が響き渡っていた。
三万円のゲーミングチェアから立ち上がるだけで、太ももから腰にかけて、電撃のような痛みが走る。
いわゆる『遅れてやってくる筋肉痛』というやつだ。
若い頃は翌日に来ていた痛みが、二日後、三日後になってから容赦なく牙を剥く。これが『老い』のリアルである。
「くそっ……。だが、今日こそは……あの最初のボスを倒さなきゃならねえ……!」
俺は痛む体に鞭を打ち、ジャージ姿で配信ソフトを立ち上げた。
タイトルは『【リングサバイバル3日目】今日こそボス討伐。負けたら引退(※一時的な休養)』。
配信を開始した瞬間、待機していた五万人のリスナーが、まるで闘技場の観客のようにチャット欄を埋め尽くした。
『おっさん生きてたかww』
『すでに声が限界で草』
『今日も極上の悲鳴(ASMR)を聞きに来ました』
『ジェミニ先生、AEDの準備はよろしいですか?』
『今日は何分持つかな?ww』
「うるせえ! お前ら、俺を完全に『見世物小屋の熊』扱いしてやがるな!」
俺はマイクに向かって吠えながら、手に持ったリング状のコントローラーを構えた。
「いいか! 俺だって三日もやれば学習するんだ! 昨日はペース配分を間違えただけだ! 今日は効率よく、無駄な動きを省いてボスを倒す!」
『フラグ建築乙』
『絶対無理ww』
『おっさんの関節が砕けるのに全財産賭けるわ』
リスナーの煽りを無視して、俺はゲームをスタートさせた。
画面の中のインストラクターが「今日も頑張りましょう!」と爽やかに微笑みかけてくる。
「おうよ! やってやらぁ! 行くぞお前ら!!」
俺は四畳半の畳の上で、気合の入った足踏み(ジョギング)を開始した。
最初の三分間は、驚くほど順調だった。
筋肉痛の痛みも、体が温まってくると不思議と和らいでくる。
「なんだ、いけるじゃねえか」と、俺の心に油断が生じた、まさにその時。
画面にデカデカと『BOSS』の文字が表示され、筋骨隆々の巨大なモンスターが立ちはだかった。
「出たなボス! 今日こそその首取ってやる!」
俺が息巻いた直後、画面に表示された『攻撃ターン』のフィットネスメニューを見て、俺の動きがピタリと止まった。
『マウンテンクライマー:両手を床につき、足を交互に胸に引き寄せる運動です』
「…………は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
マウンテンクライマー。
それは、数あるフィットネスメニューの中でも、全身の筋肉と心肺機能を極限まで追い込む『最凶の有酸素運動』として名高いトレーニングだ。
『で、出たァァァァwwww』
『マウンテンクライマーwwおっさん殺しww』
『終わったな』
『ちーん(合掌)』
『四畳半で遭難する男』
「ふ、ふざけんな! 四十歳にやらせていい動きじゃねえだろ!! 膝の軟骨がすり減るわ!!」
だが、これをクリアしなければボスにダメージを与えられない。
星乃宮アリスとの3Dコラボ本番を成功させるためには、こんなところで立ち止まっているわけにはいかないのだ。
「うおおおおお!! やってやるよ!! 俺の四十年の人生の重み、見せてやらぁぁぁ!!」
俺は覚悟を決め、畳の上に両手をつき、腕立て伏せのような体勢になった。
「いちっ、にっ! いちっ、にっ! はぁっ! ぜぇっ!」
足を交互に、胸の高さまで必死に引き寄せる。
一回、二回、三回……。
「……ぐっ、おぉぉ……! 足が、足が上がらねえ……ッ!」
十回を超えたあたりで、俺の肉体は完全に悲鳴を上げた。
心臓が、まるで肋骨を突き破って飛び出してきそうなほど、バクバクと狂ったようなドラムソロを刻み始める。
肺が酸素を求め、喉の奥からヒュー、ヒューという乾いた音が鳴る。
「はぁ……っ! はぁ……っ! ぜぇぇ……っ!!」
『おっさんの息遣いがヤバいww』
『ガチの呼吸困難で草』
『顔(アバター)はイケメンなのに中身は瀕死のジジイww』
『ペース早い! もっとゆっくり!』
リスナーのコメントなんて、もう読む余裕はない。
視界がチカチカと点滅し、部屋の天井がぐるぐると回り始めた。
「む、無理……っ! もう、無理ぃぃ……ッ!」
開始から、ちょうど五分が経過した瞬間。
『ドサァァァァッ!!』
俺の腕の筋肉が限界を迎え、全身の力が抜け、畳の上に顔面から崩れ落ちた。
「あぁ……っ、酸素……。さんそ、くれぇ……っ」
俺は床に這いつくばったまま、ピクピクと痙攣する手足を動かすこともできず、ただパクパクと金魚のように口を開閉させた。
心肺機能が、完全に停止寸前まで追い込まれていた。
配信画面では、俺のイケメンアバターが、床に倒れ伏す主の動きと連動できず、中腰の変なポーズで固まったまま爽やかに微笑んでいる。
『wwwwwwwww』
『死んだwwww』
『開始5分でマウンテンクライマーに敗北ww』
『ジェミニ! 早く救急車を!!』
『息してないぞ!! 誰か背中さすってやれ!!』
大爆笑とパニックが入り混じるチャット欄。
すると、そのカオスな状況を切り裂くように、画面の右端から怒涛の勢いで『極彩色の爆撃』が始まった。
『スパチャ:10,000円(おっさん! 死ぬな! 医療費だ!)』
『スパチャ:50,000円(救急車呼んでおいたからな! 治療費にしろ!)』
『スパチャ:10,000円(AEDレンタル代です!)』
『スパチャ:5,000円(酸素カプセル入ってこい!!)』
『スパチャ:50,000円(騎士団より! 英雄の命、五万で買わせていただく!)』
「……はっ?」
薄れゆく意識の中で、ピコーン、ピコーンと鳴り響くスーパーチャットの通知音。
数万人のリスナーが、画面の向こうで倒れている四十歳のおっさんを救おうと(半分面白がって)、尋常ではない額の『医療費(という名の投げ銭)』を乱れ打ち始めたのだ。
「や、やめ……ろォォォ……ッ!!」
俺は、最後の力を振り絞って、這うようにしてマイクに口を近づけた。
「お前ら……! 人が、ガチで死にかけてる時に……スパチャ、投げるな……ッ!!」
『喋った!』
『おっさんが生き返ったぞ!』
『金の力すげえええええ!!』
「違う!! 蘇生したんじゃねえ!!」
俺は血走った目でカメラを睨みつけ、ゼェゼェと息を切らしながら叫んだ。
「いいか!? お前らが今投げてるその『医療費』はな、非課税のカンパじゃねえんだよ!! バッチリ『今年の事業所得』としてカウントされるんだよ!!」
『あっ』
『wwwwwwww』
『忘れてたwwww』
「俺は今! ボイスの売上で一千万円の壁を越えて、来年から『消費税の課税事業者』になることが確定してんだ!! お前らが医療費を投げれば投げるほど、俺の来年の税金が雪だるま式に増えていって、結局俺の首が締まるんだよォォォ!!」
四十歳の底辺個人事業主の、あまりにも生々しすぎる絶叫。
自分が死にかけているにも関わらず、税金の計算だけは瞬時にやってのけるその姿に、リスナーたちの腹筋は完全に崩壊した。
『死に際でも税金気にしてて草』
『最強の守銭奴ww』
『インボイスの呪い強すぎるだろww』
『スパチャ:10,000円(来年の消費税の足しにしてくれ!)』
『スパチャ:5,000円(おっさんの葬式代と税金代だ!)』
「だから投げるなって言ってんだろバカヤロウどもがァァァ!! 鈴木さんに殺されるぅぅぅ!!」
帯広の深夜。
四畳半のボロアパートに、心肺停止寸前の四十歳の喘ぎ声と、税金に対する血を吐くような怨嗟の声が響き渡る。
3D化という華やかなステージに立つための肉体改造。
だがそれは、全国のリスナーに「老いという残酷な現実」を晒し上げ、さらには「医療費スパチャによる税金地獄の加速」という、二重の苦しみを俺に与える最悪のエンターテインメントへと変貌を遂げていたのだった。
らむ
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ゆうき あきや
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コメント
1件
みぅです🤍🥀 第62話、読み終わりました……! もうね、笑いすぎてお腹が痛いのに、途中から「これ、ガチでヤバいやつだ」って心臓がギュッてなりました。マウンテンクライマーで心肺停止寸前の四十歳、そして「医療費スパチャ」のカオス…。でも一番やられたのは、意識が薄れる中で税金計算しちゃうところ。そこがもう、おっさん過ぎて愛おしいです(笑) 老いを晒すってすごく怖いことなのに、笑いに変えて届けてくれるから、読んでるこっちも「人間って、こんなに脆くて、でもたくましいんだな」って、じんわりしました。更新、いつもありがとうございます。次の話も、静かに楽しみにしてます🌙