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第69話:コラボ直前、楽屋の胃痛〜同接二十万の重圧と、逃げ場のない消費税〜
「……うぇぇ。吐く。マジで吐きそう……」
七月上旬、午後七時。
港区の超高層ビルにあるスタプロ東京本社、その一角に設けられた『VIP専用控室』。
俺は、ピチピチの黒い全身タイツ(モーションキャプチャースーツ)に身を包んだまま、高級な革張りソファの上で、エビのように丸くなっていた。
胃袋の奥底で、昨夜高級ホテルでやけ食いした『百五十円の限界みそラーメン』と『ストロングチューハイ』が、今になってドロドロと自己主張を始めている。
だが、この激烈な吐き気の本当の原因が、安酒と化調のせいではないことくらい、俺自身が一番よく分かっていた。
俺は震える手でスマートフォンを握りしめ、画面に表示された『星乃宮アリス』のYouTubeチャンネルの配信待機所を見つめた。
『【3D生配信】重大発表あり! スペシャルゲスト・ルシフェル和尚襲来!【星乃宮アリス/スタプロ】』
開始まで、まだ一時間もあるというのに。
待機している視聴者の数は、すでに『五万人』を突破していた。
「ご、ごまんにん……っ。帯広市の人口の三分の一が、すでに待機してるってことかよ……っ」
五万人。
俺の普段の配信でも、多くて数万人が同接の限界だ。
だが今日は、トップアイドルであるアリスのチャンネルが舞台。
神崎プロデューサーの事前の予想では、「同接二十万人は余裕で超えるでしょう!」と、笑顔で言い放っていた。
二十万人。
帯広市の総人口(約十六万人)を遥かに超える人間が、俺の一挙手一投足を、モニター越しに監視するのだ。
「冗談じゃねえ……。そんな大観衆の前で、もし俺が昨日のリハーサルみたいに、関節鳴らして変なポーズで固まったりしたら……」
俺の脳裏に、最悪のシミュレーションが展開される。
アリスの純粋なファン(騎士団)たちからの、無慈悲な大ブーイング。
『なんだこの気持ち悪いおっさん』
『アリスちゃんの横に並ぶな』
『さっさと帯広に帰れ』
という、チャット欄を埋め尽くす罵詈雑言。
そして、その炎上が原因でコラボ企画が頓挫し、スタプロが投資した数千万のプロジェクトが大赤字を叩き出す。
俺は責任を問われ、自己負担した二百五十万はパー。スタプロの顧問弁護士から莫大な損害賠償を請求され、帯広の四畳半すら追い出され、最後は多摩川の河川敷でダンボール生活……。
「ひぃぃぃぃぃっ!! 嫌だ!! 河川敷は嫌だぁぁぁ!!」
俺がソファの上で頭を抱えてのたうち回っていると。
「失礼しまーす!」と、軽いノックと共に控室のドアが開いた。
「ルシフェルさん、調子はどうですかー? って、うわっ、ソファの上で黒い幼虫が丸まってるみたいになってますよ」
現れたのは、ダボダボのパーカー姿の星乃宮アリス(の中の人)だった。
彼女もまた、これから別室で自分のモーションキャプチャースーツに着替える前なのだろう。
首にはヘッドホンをかけ、手にはエナジードリンクの缶を持っている。
「ア、アリス……。だ、ダメだ。俺、逃げていいか? 帯広に帰りたい。今ならまだ、最終便に間に合う……」
俺が涙目で懇願すると、アリスは呆れたようにため息をついた。
「何言ってるんですか。もう待機所五万人超えてるんですよ? 今から逃げたら、ルシフェルさん、ネットの歴史に一生残る『伝説のバックレ野郎』として語り継がれますよ」
「語り継がれてもいい! 命には代えられねえ!! だいたいな、このプレッシャーは異常だ! 二十万人だぞ!? ドーム球場四つ分が満杯になる人数が、俺の黒タイツ姿(3Dアバター)をジロジロ見るんだぞ! 緊張で胃がちぎれそうなんだよ!」
俺が喚き散らすと、アリスはソファの隣に腰を下ろし、エナドリの缶をプシュッと開けた。
「ルシフェルさん。トップアイドル舐めないでください」
彼女の声のトーンが、スッと低くなった。
「二十万人なんて、私にとっては日常です。毎日毎日、その人数の視線を浴びながら、絶対に失敗の許されない完璧なパフォーマンスを要求される。それが、スタプロの看板を背負うってことなんです」
「…………」
「ルシフェルさんは今日、その『スタプロの看板』の隣に立つんです。私たちがどれだけの重圧(プレッシャー)の中で数字を稼いでいるか、その身をもって味わってください」
アリスの言葉には、二十代の女の子とは思えないほどの、プロとしての凄みと覚悟がこもっていた。
俺は、自分の情けなさに唇を噛んだ。
彼女は毎日、このプレッシャーと戦っているのだ。胃薬を飲み、裏でアイコスをふかして自律神経を保ちながら、表では笑顔を振りまいている。
それに比べて俺は、たった一回のコラボでビビり散らし、帯広に逃げ帰ろうとしている。
四十歳の大人として、あまりにも情けない。
「……わかったよ。腹は括った。……やってやるよ」
俺は、ソファから重い体を起こした。
「俺は、お前たちみたいなキラキラしたアイドルにはなれねえ。だが、底辺には底辺の戦い方がある。俺の泥臭い生き様で、お前のリスナーどもを全員笑い死にさせてやる」
俺が覚悟を決めたように宣言すると、アリスはパァッと顔を輝かせた。
「その意気です、ルシフェルさん! 絶対に成功させましょうね!」
「おう。任せとけ。……ただ」
俺は、ズキズキと痛み出したこめかみを押さえながら、重々しい口調で付け加えた。
「俺の胃痛の原因は、プレッシャーだけじゃないんだ」
「え?」
「……俺は今日、この配信で、死ぬほどスパチャを稼ぐつもりだ。二百五十万の自己負担金を取り戻すために。そして、スタプロの顔に泥を塗らないために」
「はい! もちろんです! いっぱい稼ぎましょう!」
アリスが無邪気に頷くのを見て、俺は血走った目をカッと見開いた。
「だがな!! 稼げば稼ぐほど……俺の来年の『消費税』が、雪だるま式に増えていくんだよォォォ!!」
「……あっ」
アリスが、しまったという顔をした。
「今日の配信で一千万稼いだとしよう! そうすれば、俺は来年、国に百万円の消費税を現金で納付しなきゃならなくなるんだぞ!! 失敗すれば炎上して借金! 成功しても税金で借金! どっちに転んでも地獄じゃねえか!! なんでこの国は、頑張って稼いだ人間に新しい罰ゲーム(インボイス)を与えやがるんだよ!!」
俺の控室に、税金に対する絶望の絶叫が響き渡る。
失敗への恐怖と、成功した先にある『消費税地獄』への恐怖。
二つの巨大なプレッシャーが、俺の四十歳の貧弱な胃袋を、巨大なミキサーにかけて粉々に粉砕していく。
「だ、大丈夫ですよルシフェルさん! 消費税の分まで、もっともっと稼げばいいんですから! ねっ!」
「アホか! 稼げば稼ぐほど税率が上がってくんだよ日本の累進課税は!! お前、本当にスタプロの経理に任せっきりで税金の仕組み分かってねえな!!」
「あははははっ! さーて、私も着替えてきまーす!」
俺の悲痛な叫びを無視して、アリスは笑いながら控室から逃げていった。
「待て! 消費税の仕組みを教えろ! いや教えてください!! 鈴木さーーん!!」
帯広の天敵(ケースワーカー)の名前を叫んでも、ここは港区の超高層ビル。助けは来ない。
時計の針は、無情にも配信開始時刻へと近づいていく。
「……行くしか、ねえ」
俺は、ピチピチの黒タイツの腹をバンッと叩き、気合を入れた。
背水の陣。
いや、前は同接二十万人の大炎上の海、後ろは国税庁(インボイス)の火の海だ。
「どっちもぶっ飛ばして、俺は生き残る!! 見とけよ、資本主義!!」
胃薬を水なしでボリボリと噛み砕き、俺は決死の覚悟で、地獄の3Dスタジオへと足を踏み出すのであった。
コメント
1件
うわああ待ってこの回めっちゃ笑ったんだけど!!😂😂😂 同接二十万のプレッシャーで胃がちぎれそうになりながら、成功しても消費税地獄に怯えるルシフェルさん、完全に追い詰められてて草生えたwww 「稼げば稼ぐほど税率が上がる」って絶叫するところ、なんか現実の厳しさが滲み出てて泣けるし笑えるし…複雑な気持ちになるよ〜😭 でもアリス(中)の「トップアイドル舐めないで」からのプロの重圧語るシーン、めっちゃカッコよかった!! 二人の温度差が最高すぎる💕 そして最後の「どっちもぶっ飛ばせ」で決意固める流れ、めっちゃ好き!! 続き、ルシフェルさん生き残ってほしい…応援してる📣🔥
らむ
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ゆうき あきや
1,642
#ドズル社