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「いた、いた、いた、いた」

 囁くような声色でありながら、孕まれた怒気と、怒気が溢れすぎたがゆえのせせら笑いが天井から降り注ぐ。みしみしと悲鳴のように聞こえる音は、想定以上の重量がかかったことによって母屋と垂木が反り返り、軋む音だった。

 一目見ただけで巨大な異形。その姿を目にした途端、男はくぐもった声を上げて義手となっている腕を力の限り握りしめた。

「ぐっ……!」

 義手は木製で、神経が通っているわけもなく、当然動くわけもない。形だけを見栄えよく整えた模造品に過ぎず、日常生活においては箸を持つことさえできないガラクタだ。

 にもかかわらず、その腕が袖の内側で、まるで大きく波打つように蠢(うごめ)く。

 浜に打ち上げられた魚に似て跳ね回り、着物を裂かんばかりに膨張しては捻れるように収縮を繰り返している有様を目の当たりにして、村長は、息を吸い込むよりも甲高く、かすかな悲鳴をあげて目を見開いた。

「貸、貸本屋……! なんだ、そりゃあ……!!」

「ッ悪ぃが、今、うまく話せ、ねぇんだ……! 後にしてくんな……ッ!」

 脂汗を垂らしながら天井を睨み上げる男の姿に、村長はごくりと喉を上下させる。しかしその緊張も収まらぬ中、新たに天井の茅と母屋、垂木が力任せに引き剥がされた。

「おさ、いたぁあああああああ!」

「ひ、ひぃいい……!」

 木片や茅とともに、巨体が飛び降りる。全身が剛毛で覆われたそれは、猿というにはあまりにも逞(たくましい)しい体躯(たいく)をしていた。筋肉の盛り上がった体で、手足が異様に大きい。顔や手の平など、毛に覆われていない部分は異常なまでに赤く、ボコボコと不規則に腫れ上がっている。

 それがのっそりと村長を見、引き攣るように唇を吊り上げた。

「炭、炭猿さま……! 」

 炭猿と呼ばれたそれは、空になった炭俵の莚(むしろ)部分だけを投げて寄越す。

「すみ、たりない。うそついた。たくさんよこすと、やくそくした」

「嘘ではございません! たくさん、たくさん買ってお届けしたはずです!」

「たりない。たりない。どく、きえない。たくさんちがう」

「ど、毒? 消えないと申されましても、私どもにはこれ以上どうしようも……!」

「うそついた。うそ。うそ。うそ。うそ、うそ、うそうそうそうそ……!!」

 ぐんと伸びた大きな赤い手が、村長の体を鷲掴む。ただそれだけで、村長の体の一部から大きな音が響いた。

「あ゛っ、あ゛ぁア゛ああアア゛アッ!!」

 腕が外れたのか肋(あばら)が折れたのか、どちらにしろ患部に手すら添えられない状況に、悲鳴ばかりが村長の唇を割る。それを面白そうに眺め見て、炭猿は歯を見せて笑い声をあげた。

「にぎるとみんな、おおごえだす。おもしろい。おさ、いちばんこえがでた。すごい。すごい」

 生臭い息を吐き出しながら、邪悪な享楽に恍惚とした顔を見せる。

「だいじょうぶ、すぐはしなない。あしから。あしから」

「や、やめ……!!」

 片言で紡がれる言葉の意味を完璧には理解できないまでも、これから足になにかされるだろうことを察知し、村長の額が白くなっていく。痩せこけた臑(すね)は炭猿にとって箸ほどに細く、抓(つま)もうとするその動作だけで恐怖心を煽った。

 その鋭い爪が村長の足に届いた瞬間、視界の端に刹那の光が射し──噴き出した血が洪水のように村長を襲う。

「──あ?」

 間抜けな声を上げたのは、炭猿だった。

 村長の足を弄ぼうとしていた手が、手の平を横一線に両断され、切り落とされて床へと落ちる。噴出した血とその痛みに理解が追いついていないのか、炭猿はしばし呆然とした後、ゆっくりと目を見開いていった。

 先ほど村全体を襲った、不快な大音声。それをはるかに凌ぐ声量を室内に響き渡らせるために大きく息が吸われた時、行灯の光に照らされた刀が煌めいた。

「長(おさ)、炭猿の顎を見ろ」

 眼前に割り入った男の両手が、刀を握っていた。

 咄嗟のことに混乱しつつも、むしろ咄嗟だったからこそ、村長の目が反射的に炭猿の顎を注視する。その直後、太刀の峰が顎の下から跳ね上げる形で、炭猿の喉を強打した。

「がぁ……ッ!!」

 喉への攻撃で悲鳴もあげることができなくなるばかりか、吸い込んだ空気で膨張した肺が痛みすら発したらしく、たまらず炭猿は村長を放り投げる。肩から壁へ激突した村長は鋭い悲鳴をあげたものの、意識ははっきりとしているのか、床を這いずりながらも懸命に目蓋を押し上げた。

 背中を丸めたまま喉を押さえて転げ回る炭猿の前に立つ男。見知っているはずの彼を食い入るように凝視し、村長は震えた声を絞り出す。

「貸本屋……おめぇ、その腕は……」

 少なくとも男の右手は、義手であるはずだった。

 なによりつい先ほど茶を啜っていた時まで、確実に木製の義手だったことを村長は確認している。にもかかわらず、今その腕は棒きれとしてではなく、奇妙な肉となって刀を握っていた。


 形ばかりの木偶(でく)だったものの変貌を信じることもできず、村長の目が何度もまばたく。

 それを見返りもせず、男はちらちらと周囲に視線を尖らせていた。

「すまねぇな長、こいつが馴染むのがもうちっと早けりゃ、痛ぇ思いはさせずにすんだんだが。驚かしちまって申し訳ねぇが、こいつは人間にゃ悪さはしねぇ。見て見ぬフリをしてやってくんな」

「そ、そんなこたぁ」

 どうでもいいと言いかけた村長の言葉を遮り、男が再び口を開く。

「それより目が覚めてんならありがてぇ、一個頼まれてくれねぇか。そこから動かずできることだ」

「な、なんだ」

「炭猿とわしとの距離、目分量でいい。教えてくんな」

「は? な、なん」

「この腕と刀のおかげで斬れはするし、声も聞こえるんだがな。わし自身に炭猿は見えておらんのだ」

「なっ、あ……! い、一間(げん)と一尺ほどだ!」 ※およそ二メートル

「奴の身の丈は」

「二、二間近く……」

「そうかい。じゃあさっきのじゃあダメだな」

 唇をへの字に曲げて小さく唸った男は、一度左手に握った脇差を鞘に収める。部屋の広さと炭猿の大きさに考えを奪われている様子を見て、ようやく呼吸を取り戻したらしい炭猿が腕を振り上げた。

「ぁ゛にを゛っ! はな゛しでる゛っ゛!」

 掠れた声で無理やりに叫んだ炭猿の腕が鞭のように伸びる。それを風切り音で察したのか、男は瞬時に床に伏せてそれを躱(かわ)した。

 痛みはない。しかしほんのわずか、着物の背が掠れたのか、布が裂けた音が響く。

「おいおい、大事に使ってるボロキレになんて事をしやがる」

 思わず漏れた愚痴も、伸びた腕が雨戸ごと木戸を吹き飛ばした音で男以外の耳には聞こえない。ただしもたらされた状況そのものは男にとって願ってもなかったのか、薄い唇がニッと吊り上がった。

木偶の腕と、二振りの

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