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薄暗い部屋の中、蓮は一人放送開始から現在まで配信されている獅子レンジャーの過去の映像を真剣に観ていた。
目を閉じても浮かんでくる撮影所の裏側。 初めて与えられたスーツに袖を通した時の緊張感。
大勢のスタッフ達が忙しなく動き回る様子や、真剣な眼差しでモニターを見つめる凛達の姿。時には長時間にも及んだアクションシーン。 引っ込み思案で空気みたいな存在だった雪之丞がCGを担当してくれると言い出した時は本気で驚いたし、美月は動画配信において色々な提案をしてくれた。
そのお陰もあって、獅子レンジャーの人気はうなぎ登り。その全ての思い出が蓮の脳内に焼き付いている。だからこそ、今こんな辛い状況になっている事が悔しくて仕方なかった。
(どうして……どうしてこんな事に……)
一体誰がこんな事を? 作品に対する恨みだろうか? それとも蓮個人の問題?
雑誌が発売されてあの記事が公になれば、ナギの俳優生命に傷を付けてしまうかもしれない。
兄から貰った原稿と同封されている写真を手に、思わず深い溜息が洩れる。
「――あれ?」
ふと、何か違和感を覚えて蓮は首を傾げた。
写真には肩を寄せ合ってベンチに座り、談笑している自分たちの姿が映っている。背景にあるホテルも如何わしい見た目ではなく、何処にでもあるビルだ。
こんな写真を撮られた覚えはないのだが……、一体誰が撮影していたのだろうか?
記事の内容は、自分とナギが深い関係にあるのではないかと匂わせるような言い回しだった。それはまぁ、仕方のない事だとしても、この写真だけで関係を疑われると言うのは聊か無理があるように思える。
恐らく、他にも大胆な写真を持っていると思われるが、この写真に限って言えば反論の余地は十分にありそうだ。
それに、この写真は恐らく、背景などから見ても山に遠征に行った時のモノに違いない。
あの時、出会ったのは確か莉音だった筈。
「……この写真の提供者はアイツ……か?」
憶測でものを言ってはいけないとは思うものの、そうでもなければこんな写真が撮影できるわけがない。
昔からアイツとは反りが合わなかったし、蓮がゲイであることも知っていた。だけど、だからと言ってこんな写真を撮るなんて……。いくら嫌いな相手と言えどこんな事をしていい筈がない。蓮は頭を抱えて深く溜息を吐いた。
と、その時不意に、テーブルに置いていたスマホが着信を告げる。
画面を見てみれば、そこには『弓弦』の文字。
彼から電話が掛かって来るなんて、珍しい。――嫌な予感と、妙な期待が同時に胸をざわつかせた。
『すみません。突然。今、大丈夫ですか?』
スマホから流れる本当に高校生か? と、疑いたくなるような落ち着いた声色に苦笑しつつ、蓮は口を開いた。
「大丈夫だよ、どうしたんだい?」
『単刀直入に言います。実は、私の知り合いに、今回の週刊誌を刊行している編集長が居たのを思い出したんです。あの記事が実際に市場に出回るまでまだ少し時間があると思うので、何か今回のネタよりもっと凄いネタを持ち込んでみてはどうでしょう? と言う提案なんですが』
「え?」
弓弦の提案に、蓮は思わず素っ頓狂な声を上げる。
確かに一理あるかもしれないが……、自分はそんなに芸能界に精通しているわけではないし、ホイホイとそんなビックなネタが懐から出て来るわけもない。
「例えば? どんなネタだい?」
『そうですね……、週刊誌が喜びそうなのは……過激な性行為の現場が撮られたとか、実は整形をしていて素顔が別人だったとか……。大物芸能人の闇取引の現場とか』
「そんなのあるわけないだろ!」
あまりにも突拍子のない提案に、蓮は思わず大声を上げた。だけど弓弦は怯むことなく言葉を続ける。
『でも、このままでは貴方達二人の熱愛報道が世に出回ることになるんですよ? あの写真だけじゃ判断は付きにくいですが、恐らくもっと確信を突いた写真を持っている筈ですし……』
「確かに、そうだけど……残念ながらそんなネタ持ってないんだ」
『そうですか。顔が広いあなたの事だからやばいネタ持ってそうな気がしたんですが』
弓弦は自分の事を何だと思っているのだろうか。
『やっぱり、腕のいい探偵とか地道に探ししかないですかね』
「探偵……あ……!」
弓弦の言葉に、蓮はとある人物の事を思い出した。腕がいいかはわからないが、過去に一度だけ協力してもらった事がある。
情報屋をやっていると言う、ナオミの店に時々現れる元探偵の東雲薫。
「ありがとう。このままジッとしているわけにもいかないし、彼の事、当たってみるよ」
『そうですか。私の方でも何かないか探ってみます。きっと、道は開けるはずだから……諦めないで下さい。今、姉さんや棗さん達とみんなで打開策を考えているので』
そう言って、弓弦は電話を切った。その心強い言葉に思わず目頭が熱くなるが、今はそんな場合じゃないと雑念を払いのける様に頭を振る。
自分が迷惑をかけているのに、皆が諦めていないのだから、感傷に浸っている場合では無いじゃないか。
「よし! やろう!」
頬を叩いて気合を入れなおすと、蓮はスマホのフォルダーから東雲の名前を探し出し、迷うことなく通話ボタンを押した。
これが、事態を動かす一歩になることを願いながら。
薄暗い部屋の中、パソコンのモニター上に沢山のファイルが映し出される。
『取り敢えず、御堂さんがおっしゃってた資料集めてみました』
「相変わらず仕事が早いね。東雲君。助かるよ」
画面越しに、人好きのしそうな顔立ちをした黒髪の青年、東雲が疲れ切った顔のまま少し照れたように笑う。
年の頃は24,5歳位だろうか。Tシャツにジーンズと言うラフな恰好が、彼の見た目の若さを際立たせている。
『それはいいんですけど、毎度毎度人遣いが荒いの何とかなりません? 突然連絡くれたと思ったら2日でニュースのネタになりそうな何処にも出回ってない有名人カップルを調べてくれって……鬼かと思いましたよ』
「ハハッ、まぁちょっと急ぎだったから……」
『もう慣れましたけど……。結構いい値段払ってくれるし。 もし、もっと詳しく調べて欲しい人が居たら教えて下さい』
以前から噂のあったカップルもいれば、全くノーマークであろう新人女優の熱愛報道など、ざっと見ただけでも複数名の名前が挙がっている。
自分で頼んでおいてなんだが、短い期間によくここ迄調べたものだと改めて感心してしまう。
ZOOMでの話を終え、改めて貰った資料を真剣にチェックしていると、不意に一枚の写真に目が留まった。
「あれ……この二人……」
そこには、莉音とMISAの二人がお忍びで大阪デートを楽しんでいたらしいと言う噂があると言う文言と、二人が笑い合っている写真が載っていた。
デートをしていたとされる日付けは、蓮とナギが初めて出会ったあの日。
「……――」
もし、自分たちの情報を編集部に売ったのがあの二人だとするのなら……。
自分達よりも圧倒的に知名度が高いあの二人の記事の方が、世間の食い付きはいいんじゃないだろうか。
そうなれば、当然大きな話題となりワイドショーや週刊誌がそれを取り上げるのは容易に想像できる。
ただ、問題は……決定的な証拠となる写真が無いと言う事だろうか。
いや、でも……自分が助かるためとはいえ、あの二人をダシに使ってもいいのだろうか?
もっと全然知らないような女優とかの方がいいのでは?
そんな良心の呵責に苛まれていると、スマホのディスプレイにナギの名が表示された。
――救いを求めるような、責められるような気持ちで、胸がざわついた。
そう言えば、最近まともにナギと話すら出来ていない。最後に話したのはいつだっただろうか?
そう遠くない筈なのに、もう何年も前のような気がした。
「ごめん。そこまで気が回らなかったんだ。兄さんがツテを頼って例の記事の発表を何とか遅らせてくれてはいるけど……、それも長くはもたないから早めに対応策を考えたくてさ……」
『……別に、隠す事ないのに』
「馬鹿言わないでくれ。キミはこれから有名になれる素質を持ってるんだ。こんなトコで変なレッテルを付けさせたくない! 公表するのは簡単だけど、これから先の芸能人生、いつかきっとその事実が足枷になる時が来る。そんなの……僕が嫌なんだよ」
それは本心だった。だからこそ簡単に済ませられる問題じゃない。ナギにはこれから先もずっと笑っていて欲しい。
だけど、事態は急を要する。もしバレたら……自分はどうなっても構わないが、ナギの事を考えると慎重にならざるを得ないだろう。それに、これが公になったら他の仲間達にも火の粉が飛んでしまう可能性だって充分にあり得る。
折角、いい雰囲気になりかけている雪之丞達の事を思えば、今ここで鎮静化させておかなければいけないと言うのは明白だ。
「だから、その記事が世に出る前に絶対に何とかして見せるから。ナギも協力してくれ」
「……うん……。わかった、でも具体的に俺は何をすればいい……?」
渋々だが、納得してくれたらしいナギがそう尋ねて来るので、蓮はさっき東雲から得た情報を包み隠さず彼に話した。
「……せめて、MISA達のネタになりそうなスクープ写真か何かがあればいいんだけど」
『そっか、俺も過去の写真フォルダから漁ってみるよ。あ、あとさ……使えるかはわからないんだけど……、ウチのマネージャーから聞いた話なんだけどさ、あの二人……子役の子に暴言吐いたり、突き飛ばしたりするんだって』
「は!? なんだよ、それ。大問題じゃないか」
『大人がいない時にやるみたいで、証拠が全然残ってないらしいんだ』
ナギの声には怒りよりも悔しさが滲んでいた。
子供番組を支えるはずの主演が、未来ある子供を傷付けている――その理不尽さに、蓮の胸もギリリと痛む。
「……もしそれが事実なら、あの二人を守る価値なんてない。証拠さえ掴めれば……」
ぎゅっと拳を握りしめ、蓮は強い決意を込めて言った。
「もしかしたら、その事がネタになれば……。いやでも、そんな写真を撮れるチャンスなんて……」
『そうだね。多分二人のマネージャーが裏で手を回してると思うから公になる
のは中々……難しいかも』
「……っ、わかった。取り敢えず明日もう一度東雲君に連絡取ってみるよ」
そうこうしているうちに時刻は既に22時を過ぎていた。そろそろ電話を切らなければ、兄が戻ってくるかもしれない。
別に悪い事をしているわけでは無いのだから、気にしなくてもいいのだろうが何となく、兄の前でナギの話題を出すのは良くないような気がして避けている。
『……お兄さん』
「ん?」
『好きだよ、凄く。大好き』
「……うん」
ああ、今すぐナギに会いたいな。会って抱きしめて、彼が自分の恋人なのだと実感したい。
「僕も大好きだよ」
『あ! そこは好きじゃなくて、愛してるって言って欲しいんだけどな』
「……っ、それは、実際に会ってからだよ」
『ちぇ。……早く会いたいな』
「僕もだよ」
相手の些細な言葉に一喜一憂してしまう自分が、少し可笑しい。
今まで誰かの気持ちなんてどうでもよかったはずなのに――今は違う。
ナギを悲しませたくない。笑っていて欲しい。
その想いが胸いっぱいに広がって、苦しいほどに会いたい。
おやすみ、と告げて切られた電話がやけに愛しくて。
画面の照明が消えるまで見つめ続け、名残惜しく指先で撫でてから、そっと閉じた。
「……蓮、ちょっといいか」
蓮へと割り当てられていた部屋で美月が立ち上げた公式動画を眺めていると、戻って来た兄が神妙な面持ちでそう声を掛けて来た。
例の件があってからと言うもの、兄はいつも以上に帰りが遅く、酷く疲れた顔をするようになった。
きっと、蓮を庇うために色々と奔走してくれているのだろう。その事は凄く嬉しいし感謝もしている。だが……そのせいで兄が倒れてしまったら意味がない。
「兄さん、本当に大丈夫? 顔色が良くないみたいだけど……」
「問題ない。それより、少し困ったことになったんだ」
「困った事?」
蓮の問い掛けに、凛が深い溜息で返す。
「例のお前たちの記事だが、明後日発売の雑誌に載る事になるそうだ」
「え!? そんな急に?」
いくらなんでも急過ぎる。正式に抗議文を送ってからそんなに日は経っていない。なのにもう記事にされてしまうなんて。
「これでもだいぶ融通を利かせて貰った方だ。いくら俺でもこれ以上は対処しきれん」
「そんな……」
「お前たちに矛先が向く前になんとかしたかったんだが……。どうしたものか……」
そう呟いた凛の表情があまりに苦渋に満ちていて、蓮はそれ以上何も言えなかった。
インパクトのある情報を売り込むにしても、時間が無さ過ぎる。それに今、不用意に動けば、余計に自分たちの首を絞める事になりかねない。
「いっそ、付き合うのをやめたらどうだ? 最初から無かったことにすれば事実無根だと誤魔化せ――」
「兄さん!」
思わず声を上げて兄の言葉を遮った。兄が冗談を言うようなタイプでは無いのはわかっている。だからこそ、その言葉を聞き流す事なんて出来なかった。
「僕は何があってもナギと別れるつもりはないよ。一瞬、そうした方がいいんじゃないかって不安に思った事もあったけど、ナギも僕と同じ気持ちだって確信したから」
「……そうか……」
凛はハッとしたような顔でそう呟くと、唇をきゅっと引き結んで苦虫を嚙みつぶしたような表情をした。それ以上は何も言わず、蓮に背を向けてドアの方へと歩き出す。
「兄さん?」
「……どうして俺は、お前の兄貴なんだろうな……」
「え?」
ボソリと早口でこぼれた言葉は、掴みきれないほど脆くて。
蓮が聞き返した時には、もう凛は視線を逸らし、返事もせずにドアへ向かっていた。
疲れ切った背中が、やけに遠く感じる。
そのまま静かに部屋を出て行く兄を、蓮はただ呆然と見送るしかなかった。
追いかけた方がいいだろうか――そう思って立ち上がりかけた、その瞬間。
ポケットのスマホが震えた。
画面を覗くと、送信主はナギ。
添付されていたのは、莉音とMISAが恋人つなぎで歩く姿を切り取った写真だった。
『発見!』
短いコメントが添えられている。どうやら過去の大阪ロケの写真を見返していて偶然見つけたらしい。
(……助かった。でも、これだけじゃ弱いかもしれない)
頼みの綱の東雲からはまだ連絡がない。
自分を狙っている犯人の正体すら掴めていない状況で、時間だけが過ぎていく。
「問題は山積み……だな」
溜息を吐き、スマホをベッドに投げ出すと、そのまま電気を消して横になった。
翌日はどんよりとした曇り空だった。 幸い、雨は降っていないものの重苦しい天気はまるで自分の心をそのまま表しているかのようで、沈んだ気分に拍車をかける。
だがそんな事を言っている暇はない。今日中に何とかしなければ、例の記事が世間一般に晒されてしまう。
結局兄とは昨夜から口を利いていない。何故か避けられているようで、朝起きたら既に凛の姿はなかった。
その事実が余計に蓮の表情を暗くさせた。
「おはようございます御堂さん。大丈夫ですか?」
重苦しい息を吐き、項垂れていると背後から爽やかな声が掛かり、振り返る。
そこには、きっちりと学校の制服を身に纏った弓弦が心配そうに眉を寄せながら佇んでいた。
昨夜のうちに、弓弦にだけは例の記事が明日発売の週刊誌に載ることが決定したと連絡を入れておいたのだ。
それから数十分も経たないうちに、彼は編集長へと直接掛け合ってくれて今日、話し合いの場を設ける約束を取り付けてくれたらしい。
「先方には無理言って30分だけ時間を作ってもらいました。私も同席すると言う条件付きですが、頑張りましょう」
本当に、頼もしい男だと蓮は思った。幼いころから第一線で活躍し、様々な実績を積み重ねて来た彼だからこそ、ある程度の我儘も許されるのだろう。
――この状況で迷わず動いてくれる仲間がいる。それだけで、少し心が救われた。
「そうだね。本当にキミが居てくれてよかった」
「安心するのは無事に交渉が成立してからですよ、御堂さん」
「勿論だよ。それはわかってる……」
蓮は弓弦の言葉に小さく頷いた。
頭ではわかっている。だが、その瞬間を目前にすると胸の奥がきりきりと痛み、今にも押し潰されそうになる。
東雲には既に場所と時間を伝えてある。
間に合わなければ――自分一人で、どうにか交渉を有利に進めなければならない。
重苦しい思いを胸に抱きながら、雑誌編集部の入ったビルの前へと歩みを進めると、そこに予想外の人影が三つ。
「も~、遅いよ、二人とも!」
「な……っ、美月君!? ……それに雪之丞とはるみんも……どうしてここに」
思いもよらぬ顔ぶれに、蓮は思わず足を止めた。
「ボク達に何が出来るって訳じゃないけど……美月さんから話を聞いて、もう居ても立ってもいられなくって」
雪之丞が申し訳なさそうに視線を伏せる。
「ごめん。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど、ゆづ達の会話をたまたま聞いちゃったの」
「姉さん……」
「たく、今さらオレ達だけ除け者なんて酷くね? 今までだって、どんな困難も全員で立ち向かってきただろ。……流石にナギには言えなかったけどな」
「……みんな……ありがとう。でもナギには言わないでくれ。自宅謹慎中で出られないし……あの子には、いい知らせを持って会いに行きたいからね」
「うん。それがいいと思う」
三人は笑って頷いた。その顔を見た瞬間、胸の奥が熱くなる。
弓弦も安堵したように表情を緩め、蓮の肩からも力が抜けていった。
――この仲間たちに、どれだけ支えられてきただろう。
こんなに良い友人に恵まれた自分は幸せ者だ。だからこそ、守らなければならない。
今度は自分が、彼らを守る番だ。
絶対に、この仲間たちの未来に傷をつけさせてはならない。
ざわざわと騒がしい編集部では沢山の職員たちが記事作りのため慌ただしく動き回っている。受付を済ませ応接室に通された一行を笑顔で出迎えたのは、編集長である犬飼だった。
「やぁ、草薙君。それに皆さんも、よく来たね」
ドアを開けた瞬間、人好きのしそうな柔らかい声が響く。その声に、俯いていた視線が吸い寄せられた。
コイツが、犬飼?
そこに居たのは、端整な顔立ちをした、初老の人物だった。きちんと伸ばした背筋が美しい長身に切れ長の涼やかな目元が特徴的だ。白髪こそ所々に混じってはいるものの、若かりし頃は相当モテていたのではないかと思われるほどの美形。
「すみません。お忙しいのにわざわざお時間を作っていただいて」
「なに、構わんよ。それより、例の件だが……」
犬飼はそう言って室内に設置されたコーヒーサーバーから紙コップにコーヒーを注いで机に置いた。座ってくれと促されたので全員がソファーに腰掛ける。犬飼は蓮と対面するように反対側に腰を下ろした。
「草薙君からおおよその話は聞いている。キミのお兄さんからも散々記事を出すのは待って欲しいと釘を刺されていたんだがね、こっちも商売が掛かっているんで、これ以上待つのは厳しい」
「犬飼さん。そこを何とか出来ませんか? ご存じかと思いますが、彼と僕らが出演している獅子レンジャーは飛ぶ鳥を落とす勢いで高視聴率を叩きだしているんです。歴代の戦隊ものの中でも一位、2位を争う人気だと自負しております。それを、根も葉もない噂で潰されてしまうのは到底納得できるものではありません」
「ふむ……」
弓弦の言葉に、犬飼は顎に手を当てて考え込む振りをしているようだった。やはり、弓弦が言うとうりもっと売れるネタを提供しなければ、自分達の要求は通らないのだろうか?
マスコミ他雑誌の編集部だって、子供番組の主役二人による熱愛報道は格好のネタだろう。
「草薙君。キミの熱意は充分にわかった。だがね、私たちは慈善事業で雑誌を作ってるわけじゃない。売れる記事こそが正義だ。
――御堂蓮君と小鳥遊ナギ君。子供番組の主役二人が裏で恋人関係にあるかもしれない。これ以上に売れるネタがあると思うかね? ……まぁ、今や超が付くほどの人気俳優に成長した草薙君自身の熱愛報道とかだったら、今すぐにでも変更する所だけどねぇ」
犬飼の切れ長の目が細められる。その目は氷のように冷たく、蓮たちを値踏みするようだった。
「……酷い……」
美月の低い声が落ちた。
膝の上の手がわなわなと震え、堪え切れず立ち上がりそうになる。
「私たちはモノじゃありません!」
思わず声を荒らげた美月を、蓮がそっと肩に手を置いて制した。
「美月、落ち着いて……」
怒りに震える仲間をなだめながら、蓮は唇を噛み締める。
――駄目だ。感情をぶつけても犬飼には届かない。違う切り口を試してみなければ。
東雲に貰った莉音とMISAのお忍びデートのネタは持って来ている。だが、これだけじゃ恐らくまだ弱い。
せめて、東雲に頼んだ例の情報を裏付ける資料があれば……。
弓弦がほんの一瞬、雪之丞を見た気がした。一旦目を伏せ小さく息を吐くと、ゆっくりと何かとんでもない事を口にしそうな気配がして慌てて蓮がそれを遮った。
「犬飼さん。根も葉もない噂を載せて、もしも僕と小鳥遊君が名誉棄損だと訴えたらどうするつもりです?」
「御堂さん!」
「大丈夫……。此処は僕に任せて」
「……ッ」
弓弦の事だ。将来的な自分のスキャンダルと引き換えに記事を取り下げてくれなんて事も言い出しかねない。
そんな事、絶対にさせたくないしナギだってきっとそんなの望んでいない。
「事実無根……ねぇ? キミは我々が他に情報を掴んでいないと本気で思っているのかい?」
嫌な言い方をする男だ。恐らく、こんなやり取りは日常茶飯事なのだろう。
その証拠に犬飼の表情は余裕そのもので、焦る蓮を見て楽しんでいる様にも見える。
だが、此処で怯むわけにはいかない。
「さぁ? 僕にはわかりかねます……。が、事実ではない事を公表すると言われて僕らも大変迷惑しているんです。兄にも言われてませんか? あの記事はでっち上げだと。確かに僕は、人との距離感がちょっとおかしいと言われることが多々あるので、スキンシップの一環がそう言う風に見えたのかもしれませんが……」
「ほぅ? 小鳥遊君の寝室から君が上裸で出て来た動画が出回り、そこから一気に視聴率を伸ばして行ったようだが、それはどう説明する気だ?」
「あぁ、アレですか? 恥ずかしながら前日に少し飲みすぎてしまって……。べろべろに酔って盛大に服を汚してしまった僕を彼が介抱してくれただけです。いやぁ、前後不覚になるまで飲むなんて本当に情けない。きちんと動画内で小鳥遊君がそう説明していたのをご存じないのでしょうか?」
「……チッ」
犬飼の舌打ちが小さく響いた。
余裕の仮面に一瞬だけ走った亀裂を、蓮は見逃さなかった。
「もしかして、事実を捻じ曲げて記事にするつもりじゃないですよね? あ、証拠必要ですか?」
よくもまぁありもしない話がぺらぺらと出てくると自分でも驚く。昔から、表情が良く読み取れないと言われて来たこの顔と話術はこういう時にはとても便利だ。
「実はお恥ずかしながら、僕すごく酒癖が悪いんです。……酔うとキス魔になってしまうんですよ。だから、あんな写真撮られたんですかね?」
「ハッ、そんな見え透いた嘘を……」
「嘘じゃないぜ! このオッサンマジで酒癖悪くてよ、酔っぱらうと誰彼構わずキスしだすんだ。流石にそんな危険人物とは飲みたくねーから、おれ達みんないつもナギにガードしてもらっててさ」
蓮の言葉に犬飼が鼻で笑った時だった。それまでずっと黙って成り行きを見守っていた東海が便乗して来た。
「じ、実はアタシも……」
「え? 姉さんにまで? ……実は私も一度……」
何だこの茶番は。思わず頬が引き攣りそうになったが、自分の手をギュッと抓って崩れそうになる表情を何とかもとに戻す。
流石に美月や弓弦にキスをした記憶はないが、今はそう言う事にしておいた良さそうだ。
「と言う事で、あの記事をどうしても出すというのならこちらも法的な措置に取り掛かろうと思いますが大丈夫ですか? 一時的に売り上げが上がったとしても、敗訴したら犬飼さんの雑誌の評判ガタ落ちになりますよね?」
蓮の言葉に、犬飼は顔を顰めて考え込んでいる。このまま押し切れそうな雰囲気に、この調子でもっと畳みかけようと口を開こうとした時だった。
「お客様、困ります! 今接客中で……」
「ごめんなさい! 中に居る人に急用があるんです!!」
なにやら廊下が騒がしいと思ったらノックもなしに応接室のドアが勢いよく開いた。
「何の騒ぎだ? 今は……」
苛立った犬飼の怒声と共に飛び込んできたのは息を切らした東雲だった。
「はぁ、はぁ……遅くなったけど、例の資料……。俺に出来るのは此処までだから……」
警備員に両腕を掴まれ、部屋から引きずり出される直前に東雲は封書を投げて寄越した。
後は頑張れ。と、言わんばかりの表情で親指を立て、警備員に連行されていった東雲に心の中で感謝の言葉を述べると、蓮は落ちた封書を拾って中身を確認し、犬飼に向き合った。
「すみません。彼、僕の古い友人なんです。どうしても今回の件が納得いかないって言ってて。……それより犬飼さん。僕と取引しませんか?」
「なんだと? 取引……?」
東雲のお陰で犬飼を丸め込む材料は揃った。後は、この男が乗ってくれるかどうかだ。
「あまり友人を売るような真似はしたくないんですが……」
出来る限り神妙な顔と声色で、躊躇いがちに此処に来る前にプリントアウトしたMISAと莉音の写真をそっと差し出す。
「僕と小鳥遊君の記事を取り消してくれたら、もっと面白い情報を提供して差し上げます」
「ハッ、彼らの噂はまことしやかにささやかれていたからね、今更インパクトは薄いだろう。バカにして貰っちゃぁ困るよ御堂君。何年この業界でやって来てると思ってるんだ、優先順位的には彼らは後だよ」
案の定、犬飼は写真を見ると難色を示した。寧ろ、馬鹿にするなとでも言いたげな態度に腹が立つ。それはそうだろう。普通の男女の恋愛なんて読者は見飽きている筈だ。MISAも人気女優の一人ではあるが国民的スターと言うほどではないし、莉音に至っては既婚者とはいえただのアクターだ。 蓮たちのお陰でアクターにもスポットが当たり始めたといっても、まだまだ知名度は低い。
もっとセンセーショナルな情報の方が食いつきがいいに決まっている。
だがそれも想定内だ。
「……そう、ですか……。では、この情報はご存じですか?」
残念そうに溜息を吐いて、改めて東雲が持ってきた資料を開いて提示する。
そこには、彼ら二人が現在放送中のドラゴンライダーの撮影中に演者の子供たちに暴言を奮ったという何人かの証言と、写真、莉音がスタッフの態度が気に入らないと高圧的な態度を取り、器物を破損している所、それと1本のUSBが添えられていた。
「……な、なんでこんなものを……」
「業界内では有名な話ですよ。彼、気性が荒いんです。それに、ここに居る草薙美月さんに確認したら、MISAさんは大の子供嫌いだというじゃないですか。実際に泣いている子役を見たこともあって、気になったのでたまたま探偵をやっている友人に調べて貰っていたんです」
チラリと東海と美月に視線を送れば、ハッと気が付いたように美月が前に進み出た。
「そうよ! MISAさんは子供が嫌いみたいで……オーディションで何度か会ったけど、小さい子供がいるのに歩きたばこしてたり、それを咎めたら暴言を吐いたりして怖かったのを覚えてる」
「莉音さんは確かにすげぇ人ですけど、怒らせるとヤバいって俺らの間じゃ暗黙のルールみたいなもんだあるんだよな……」
美月と東海が援護射撃をしてくれたおかげで、犬飼の顔色が変わった。その目は確実に写真に写っているUSBに向けられている。これはいけるかもしれないと蓮は次の一手に出ることにした。
「犬飼さん。子供番組に出演している女優とアクターの蜜月関係に加えて、この暴挙……どう思います? 彼らは狡賢いので今まで上手く掻い潜って来たみたいですが……。僕らの記事よりずっと話題になると思いませんか?」
神妙な面持ちで犬飼を見れば、ほんの一瞬の迷いが見て取れた。
「……私の一存では決められん。少し、考えさせてくれないか。その間だけ、君達の記事は保留にしておく」
「そうですか……。では、この資料は一旦持ち帰らせて貰いますので」
「なっ!?」
「当然ですよ。僕らの記事を取り下げてくれると確定したらお渡しします」
犬飼の手元から資料を奪い、流れるような仕草で封筒にしまい込む。ニッコリと悪魔のような笑みを浮かべた蓮に、犬飼は苦虫を嚙み潰したような顔で呻いた。
「あ、そうそう……。もう一枚入ってたみたいです。こちらは貴方に差し上げます」
「……な……ッ」
封書の中から、別の写真を取り出して犬飼に差し出す。それを見た途端、彼の顔色が一変した。
「編集長が浮気なんて、いけませんね」
犬飼にしか聞こえない低い声で耳元に囁く。そこに映っていたのは、犬飼と若い女がホテルから出てくる瞬間を収めたものだった。
「き、君は私を脅す気か!?」
「いやいや。人聞きが悪い事を言わないで下さい。僕は仲良くしたいと思ってるんですよ? ――貴方が記事を取り下げないというのならこの写真……あなたの奥様に送り付けようかと思いますが構わないですか?」
「……クッ。…………、わかった。少し、考えさせてくれ」
「そうですか。わかりました」
ニッコリと人好きのしそうな笑みでそう言うと、席を立つ。応接室の時計をチラリと見れば、もうじき30分になろうかというところだった。
「丁度時間になったみたいだし、そろそろ僕らは失礼します。いい返事を期待していますよ。犬飼さん」
恭しくお辞儀をして、部屋を出る。様子を伺っていた社員たちに人好きのしそうな笑みを返し、編集部を後にした。
念のため、犬飼の周辺情報も調べといてくれと頼んでおいてよかった。
東雲には人遣いが荒いだの、無茶ぶりばかりだのと散々文句を言われたが、きっちりいい仕事をしてくれるし、時間には必ず間に合わせてくれる。彼には本当に感謝しかない。
「やれることはやりましたし、あとは運を天に任せるしかなさそうですね」
「大丈夫。僕らのは記事にはならないよ」
蓮は確信をもってそう言った。屈辱に塗れたあの顔を思い出すと堪らない高揚感を覚える。
と同時に、上手く行ったという満足感も得られて気分がよかった。
「それにしても……相変わらず蓮君って結構いい性格してるよね」
「酷いな。僕はそんな冷徹じゃないよ」
「……ぜってぇ敵には回したくねぇ……」
ぼそりと呟く東海の言葉を聞いて、雪之丞は小さくため息を吐き、弓弦と美月は苦笑いするのだった。