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「平日の十六時で空いている日ない? 一時間だけ私にくれない?」 あいつからの軽い一言で、始まった。
九月上旬、金曜日。真昼は過ぎたと言うのにネットリとした残暑が続く中、西に傾いた太陽の下を歩いてきた俺はスマホの時計を見て力無く溜息を吐く。
まだ十五時半。いくらなんでも早すぎだろ?
治療の関係で早く病室に行ったら迷惑だろうし、何より早く来たなんて知られたくねー。
病院の前でブラブラと歩き回る俺は、完全なる不審者だった。
八月下旬に行われた三次選考は四十九作から十二作へと絞られ、こいつはしぶとく残っている。次は最終選考者が残るとされ、発表は九月中旬となっている。
精神的に安定しないのだろうか?
まあ俺ですら落ち着かねーもんな。
そんな思いで俺は病院の外周をぐるぐると回っていた。
十六時過ぎ。よし、もう良いな。そう思い、俺は病室をノックする。
絶対、時間通りに行かねえ。だってよ、この時間を待ち望んでいただなんて勘違いさせたらあいつは引くだろうし、下手したらあいつの母親より面会を断られてしまう。
だから俺は興味ないように、返答のあった病室ドアをガラガラと開ける。ブスッとした不機嫌な顔付きで。
「……あ?」
しかし俺の顰めっ面は、見る見るうちに緩く締りがなくなっていく。
肩まである髪、血色の良い肌、唇に光る赤色。それらはウィッグと化粧のおかげなのだろう。いつもはパジャマ姿だが、今日は水色のワンピースに白いカーデガンを羽織っており、私服を見たのはこれが初めてだった。
内村みたいな気の利いた男なら、「可愛い」なり「似合ってる」と言うのだろう。
しかし俺は「何かのコスプレか?」と、言いながらプイッと顔を背け、そっちに顔をやらない。だめだ、顔がニヤける。
こいつは……。本当に分かってないから、困った奴なんだよな。
「どう?」
「あ? まあ、良いんじゃねーの?」
「良かった。あのね……、私を白浜の海に連れて行って欲しいの」
「……はあー?」
突然過ぎる申し出に、俺はその綺麗な瞳をただ見つめてしまった。
「お母さんと先生の許可は取ってあるの。一時間の約束で。車椅子も借りたから、お願い」
ベッドに座っている為、上目遣いでこっちを見つめてくる。
「……分かったよ。無理すんなよ?」
「ありがとう!」
手を合わせて、華を舞わすこいつ。
……これ、断れる奴居んのか? こいつの人たらし具合に振り回されてばかりだ。
「じゃあ、約束は一時間だからね?」
外出許可を病室に持ってきてくれた担当看護師に、グイグイと釘を打たれる。
病室から病棟、病院と出て白浜まで行くのか。片道で十五分はかかる。どうやら浜辺でゆっくり出来るのは、三十分程度のようだ。
「うーん、良い風。やっぱ良いな、外の空気は」
時刻は十六時十五分。まだまだ暑い空気が立ち込める中、俺はやたら周囲を見渡しながら浜辺へと向かっていく。
「わざわざ日陰探して、遠回りしなくて良いよ。体調、良いんだー」
「別に、そうゆうわけじゃねーし」
バカが、こいつは。後で体調崩したら、どーすんだ。
せっかくの外出だからこそ、友達や母親の方が良かったんじゃねーかと思いつつ、気付けば壮大に広がる白浜の海に辿り付いていた。
そこに広がるのはオレンジ色の夕日に、それに照らされて同色に染まる海。
波は穏やかで押しては引いてを繰り返し、俺達を優しく迎え入れてくれたようだった。
「綺麗……」
「ああ」
その景色を美しいと感じられるようになったのは、隣に居る奴のおかげなのだろう。車椅子にちょこんと座るこいつの。
「何?」
「別に、何でもねーし」
こっちに目を合わせて首を傾けてくるこいつから、プイッと目を逸らした俺の額から汗が滲んでくる。
バカじゃねーの。化粧なんてしやがって。
「志保と紗枝がしてくれたんだ。似合う?」
自分の顔を指差したこいつにまた目をやると、目元にはキラキラとしたピンクが光っていて、蒼白い肌は血色が良く見えて、頬なんかオレンジで健康的に見えて、唇は目元と同じピンクでリップか何か知らねーけど美しく輝いている。
……なかなか綺麗じゃねーかよ、こいつ。
「化粧なんかして良いのかよ?」
「先生が、直樹くんが来る時だけは良いよって」
「なんだそれ?」
「もー、鈍いんだからー」
「いやいや、お前にだけは言われたくねーよ」
行き交う軽口にまた目が合う。途端にこいつは花を舞わせ、俺の口元も自然と緩んでいく。
「……なあ」
「うん?」
「あの時は、一方的に怒鳴って悪かった……」
俺がその言葉を告げた途端、強く吹き付ける風。波は荒ぶり、先程までの穏やかさはどこかに去ってしまったようだ。
あの時。
それは一年前の夏。この浜辺にこいつを呼び出し、話の中で俺が一方的な勘違いを起こし怒鳴りつけてしまったことだ。
こいつを泣かせてしまった、俺の業だ。
「ずっとお前の才能に嫉妬してたんだ。読む者を魅了する文体、登場人物の心情描写、世界観。全てにおいて、勝てねぇなって。だけどよ、同時に俺の夢を託してた。こいつなら受賞すんじゃねぇか、書籍化すんじゃねぇか。俺たちが成せなかった夢を叶えていくんじゃねえかとか、勝手に色々期待して、託していたんだ。……だからこそ、ムリだと言われて裏切られた気持ちになった。身勝手過ぎるだろ? お前は何も悪くねぇ、ただの八つ当たりだったんだ」
小っせぇ男だと思われても構わねぇ。
このお人よしが、自分のせいだと思わなければ。
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