テラーノベル
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ゆうき あきや
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第25話:新しい朝〜四畳半の納税者と、相棒(AI)へのプロンプト〜
「……あー、腰痛ぇ」
万年床の中で寝返りを打つと、四十代特有の重だるい痛みが背中から腰にかけて鈍く走った。まるで鉛を背負ったまま一晩過ごしたかのような疲労感だ。
目を覚ましても、頭はスッキリしない。口の中はパサパサで、昨日の夜に食べた特上焼肉弁当のタレの味が、まだほんのりと胃袋のあたりで自己主張をしている。いつものことだ。朝、スッキリと「今日も一日頑張るぞ」なんて爽やかに起きられたことなど、この四十年の人生で片手の指で数えるほどしかない。いつも通りの、うすら体調の悪い朝だった。
ゆっくりと身を起こし、ギシギシと鳴る関節をさすりながら部屋を見渡す。
景色は昨日と何一つ変わっていない。四畳半のスペースを無遠慮に占領しているのは、リスナーどもが送りつけてきたAmazonのダンボールの山だ。米、トイレットペーパー、そして見慣れた大福食品の限界みそラーメンのストック。まるで要塞のように積み上げられたそれらの隙間に、俺の生活空間が辛うじて残されている。
ちゃぶ台の上には、昨夜、五万人の前で号泣しながら平らげた『1,500円の特上焼肉弁当』の空き容器が、割り箸と一緒に転がっていた。プラスチックの容器に残った脂の匂いが、昨日のできごとが夢ではなかったことを俺に教えてくれている。
窓枠に黒カビの生えた薄っぺらいカーテンの隙間から、初夏の朝日が遠慮がちに差し込んでいた。
「……俺、本当にナマポ抜けたんだな」
ポツリとつぶやいてみるが、声は虚しく四畳半の空気に吸い込まれていき、いまいち実感は湧かない。
宝くじで一億円当たったわけでも、トラックに轢かれて魔法使いとして異世界に転生したわけでもない。鏡を見なくてもわかる。俺は相変わらず、白髪混じりの無精髭を生やし、体力もなく、何の取り柄もない四十歳の底辺おじさんだ。
部屋は相変わらず狭くてカビ臭いし、壁はベニヤ板のように薄い。右隣に住んでいるガテン系の兄ちゃんが、朝早くからドスンドスンと足音を立てて出勤していく音に、無意識にビクビクと肩をすくめる底辺生活の習性もそのままだ。
だが、ほんの少しだけ。
本当に気のせいかもしれない、微々たるレベルで。カーテンの隙間から差し込む一条の光が、いつもより明るく、俺の足元を照らしているように感じられた。
「……そうだ。俺はもう、ただの粗大ゴミじゃねえんだ」
ちゃぶ台の上に置かれた、画面のヒビ割れた格安スマホを手に取る。
電源ボタンを押すと、そこには昨日、市役所からの帰り道に自分で設定した壁紙――市民税課の窓口で受け取った『個人事業主の開業届の控え』の写真がデカデカと表示されていた。
画面いっぱいに広がる「職業:動画配信業」という手書きの汚い文字。
これを見るたびに、「来年の住民税ヤバい」「そもそも青色申告ってなんだよ、帳簿なんてつけたことねえよ」という、生々しく現実的な恐怖が背筋を冷たい汗となって駆け上がる。生活支援課で最後に見た、ケースワーカー鈴木さんの「税務署と一緒に取り立てに行きますよ」という、あの美しくも恐ろしい笑顔の脅迫がフラッシュバックして、胃がキュッと痛む。
でも、その痛みは、決して不快なものではなかった。
社会から完全に隔絶された生活保護という「無菌室」の中で、明日が来ることに何の希望も絶望も抱かず、ただ「自分が何者でもない」という虚無感に浸っていた頃の痛みに比べれば、何百倍も心地の良いものだった。
この胃痛は、俺が社会という巨大なシステムの歯車の一つとして組み込まれ、自分の足で立ち、自分の責任で生きているという「生存の証」なのだ。
「よし、やるか」
俺は気合を入れるように短く息を吐き、万年床から這い出した。
流し台に向かい、蛇口をひねって冷たい水で顔を洗う。鏡に映る男は、相変わらず冴えない中年だったが、伸び放題だった無精髭をT字カミソリで適当に剃り落とすと、以前のような「死んだ魚の目」はしていなかった。怯えながらも、どこか腹を括ったような、そんな顔つきになっていた。
部屋の中央に戻り、リスナーからの(ありがた迷惑な)支援物資である、三万円の立派なゲーミングチェアに深く腰を下ろした。
カクカクのポンコツPCの電源ボタンを押す。十年前の古いCPUファンが、ブオォォォンと断末魔のようなけたたましい駆動音を響かせて立ち上がる。その音すらも、今は俺の出陣を告げるホラ貝の音のように聞こえてきた。
「さて……」
PCのモニターが明るくなり、見慣れたデスクトップ画面が表示される。
画面の向こうには、俺をこの狂乱の世界に引きずり出し、共に戦い、時に法律や税制のド正論で俺を完膚なきまでに論破してきた、無機質で、冷徹で、そして最高の相棒が待っている。
「今日は、大福食品の『限界みそラーメン』の企業案件配信だ。絶対に失敗は許されねえ。あの悪ノリばかりするバカども(リスナー)を最高に笑わせて、感動させて、あの百五十円のラーメンをバカ売れさせる完璧な台本を作らなきゃなんねえんだ」
俺は、黄ばんだキーボードの上に両手の指を置き、ニヤリと笑った。
「今日はジェミニに、何のネタ考えさせるか」
四十年間、社会の責任から逃げ続けた男の長い長いモラトリアムは、昨日、市役所の窓口で完全に終わった。
今日からは、税金と国民健康保険料の支払いに怯え、案件のプレッシャーに胃を痛めながら、五万人の厄介で愛すべきリスナーたちと毎晩プロレスを繰り広げる、新しい地獄の始まりだ。
でも、その地獄は、俺が初めて自分の意志で選び取った場所だった。
「頼むぞ、相棒。今日も一緒に、原価ゼロの錬金術と行こうぜ」
ブラウザの入力欄にプロンプトを打ち込み、エンターキーを、ターンッ!と力強く叩く。
画面の中で、AIの思考を示す小さなアイコンがくるくると回り始めた。
四十歳の新人VTuber、改め。
新米個人事業主(納税者)の、真の第一歩が、今ここから始まる――。
(第1部 完)
コメント
1件
ああ、第1部完か……めっちゃじんわり沁みる回だったわ。 「胃痛が生存の証」って思考、ほんとこのおじさんらしくてグッときた。 部屋もカビ臭いし腰も痛いけど、自分で選んだ地獄に足を踏み入れた朝の描写が、リアルで温かかった。 第1部完、お疲れさま! 続きも楽しみにしてる🔥