< pnside >
受診の日の朝。薄い光の中で目が覚めた。
アパートの1部屋は静かで少し肌寒い。
シーツの柔らかい感触と暖かい毛布の中がまだ眠気を引きずっていて、 起き上がるまでに時間がかかった。
元々寝起きは悪かったけど、精神病を患ってからは更に悪くなったような気がする。
カーテンの隙間から差し込んだ光が、 ぼんやりとした頭の中を少しだけ明るくしていく。
今日が受診日だって思い出した瞬間、 胸の奥が少しだけざわっとした。
病院なんて特別でもなんでもないのに。
足を運ぶのは三年ぶりだった。
支度をしながらも なるべく余計なことを考えないようにしていた。
会えるなんて思うのは勝手だし。
そんな期待を持つほど子どもじゃなくなった。
でも名前だけは何度もしつこく浮かんでくる。
消そうとすると逆にくっきりと鮮明に浮かび上がった。
今日の図書館の勤務は休みにしていた。
体調が理由って伝えたから。
変に心配されることもない。
鏡の前に立つと、 三年前の弱った俺とは少し違う顔をしていた。
少しは大人になったんだろうか。
前より呼吸だけはずっと楽だった。
外に出ると風がやわらかかった。
空気は冷たいけど、 頬に当たる感じが落ち着く。
歩きながら病院の方向をずっと目で追っていた。
自分でも意地みたいなものを感じていた。
怖くはなかった。
ただ、 会いたいという気持ちを正しく抱えたまま 俺はまた病院へ向かおうとしていた。
足取りはゆっくりだった。
焦ると変な期待が混ざる。
だから呼吸を整えて、 一歩ずつ地面を感じながら進んだ。
駅前を抜けると人が少なくなる。
信号の手前で一度立ち止まって深く息を吸った。
胸の奥が静かに揺れていた。
どこか懐かしい建物が見えた。
三年経ったはずなのにほとんど変わっていなかった。
入り口の自動ドアの反射に自分の姿が細く映る。
そのまま吸い寄せられるように中へ入った。
受付に番号札を出すと、 職員の人が丁寧に頷いた。
改装されたのか、 待合室の雰囲気が前より柔らかい。
壁の色も少し明るくなってる気がした。
でも、 ここで俺が座っていた日々だけは鮮明に残っていた。
呼ばれるまで少し時間がある。
椅子に腰を下ろすと、 背中がすとんと落ち着いたみたいに沈んだ。
ここに座ることはもうないと思っていた。
遠ざかるように生きてきた気がしてた。
でも気づけばまた戻ってきてる。
その事実に苦笑しそうになる。
ふと周りの音が薄く感じた。
人の話し声、
スタッフが動く足音、
たくさんの機械音。
その全部が遠くの出来事みたいで、 自分だけ時間がゆっくり進んでる気がした。
視線を落としたとき、 胸の奥でひっそり熱が広がる。
もし 名前が呼ばれたら。
もし 扉を開けた先にあの人がいたら。
そんなことを考えるたびに心臓の音が変なテンポで跳ねる。
あの人は変に笑顔を取り繕っていた事がない。
俺が飛び降りにすら失敗して人生のどん底だった入院当初、体調が悪くても一言も声を発しなかったから毎日大変そうだったな。
看「ぺいんとさん」
看護師さんに俺の名前が呼ばれた。
一瞬だけ息が止まる。
反射的に顔を上げると、 受付の方が微笑んで軽く手で合図した。
pn「はい」
立ち上がると足が少し熱い。
緊張なのか期待なのかは自分でも判別がつかない。
ただ、 診察室までの短い距離がやけに遠く感じた。
歩くたびに胸の真ん中が静かに揺れる。
心臓の鼓動はこの静かな病院で響いてしまうんじゃないかと思うほど大きく激しかった。
診察室の番号。
三年前と同じ札。
ノックをしようとして手が一度止まる。
深呼吸をする。
心の奥にある名前をそっと抱きしめるように息を吐く。
それから静かに扉を叩いた。
扉の声から聞こえる声は女の人の声だった。
扉に手をかけるとゆっくり押し開く。
中の空気が一歩こちらに流れてきて、 三年前の夜を胸にそっと持ち上げた。
視界の奥で、誰かが俺の方を向いた気がした。
でもまだはっきりは見えない。
光が滲んでいるせいなのか。
心がざわついているせいなのか分からなかった。
それでも扉の先にいるその影を見た瞬間、
胸の奥で何かが静かにほどけていった。
鮮明には見えていないのに、本当に彼かは分からないのに。
長年読まなかった小説の続きのページを開くみたいに俺は深呼吸をした後ゆっくりと診察室の中へ踏み出した。
コメント
4件
前作と繋がってるのですね。次回が楽しみです!!!
うわぁ,,私の心臓高鳴り超えてバックバクなんですけど!?あそこに3年前と変わらない様子の先生おるかな,,(妄想 ♡爆速で1000超えちゃいました!続き待っます🍀*゜