< pnside >
診察室に入った瞬間。
空気がやわらかく揺れた。
光が静かで、 俺の足音が吸い込まれていく。
視線を上げると 机の向こうに 白衣の影があった。
ゆっくり顔を向けたその人を見た瞬間、 息が深いところで固まった気がした。
らっだぁ先生だった。
三年という時間なんて ここまで一瞬で潰れるんだなと思った。
髪は少し伸びていて 大人っぽくなった気もした。
それでもどこか若返っているような気もした。
でも目の奥の静かな光は、 あの夜俺に寄り添ってくれたときと同じだった。
らっだぁ先生
その名前が胸の奥で震える。
言葉が出ない。
声を出そうと口が動いても何も出なかった。
心臓の鼓動が静かな部屋に大きく響くみたいだった。
そんな様子を見兼ねた先生は椅子から立ち上がった。
片手で机をそっと押して俺の方に向かってくる。
歩く音が近づくたびに、 胸の奥が焦げるみたいに熱くなったを
近くで見る先生は記憶よりずっと綺麗だった。
落ち着いた目、
静かに落ちた前髪、
指先の形。
全部が懐かしくて、 全部が新しかった。
rd「久しぶり」
低い声が落ちてきた。
それだけで喉の奥が震える。
泣いてはいけないのに。
涙が勝手に滲んで視界が揺れた。
先生が俺に一歩近づく。
手を伸ばしそうで、 でも触れない距離で止まる。
あの頃と同じ。
患者と医者の線をぎりぎりのところで守ってくれたあの感じ。
忘れてなかった。
rd「元気だった?」
そう言われてやっと少し呼吸が動いた。
俺はうなずく。
声はまだ出なかった。
先生の目は優しかった。
あの夜に何度も助けられたあの目。
俺を壊れ物みたいに扱うんじゃなくて、 静かに受け止めてくれる目。
rd「座れる?」
その声に導かれるように、 俺は椅子に腰を下ろした。
足が震えていた。
再会なんてもっと軽いものだと思っていた。
こんなに胸が痛いなんて予想してなかった。
先生が元の席に戻る。
だけど前より少し近い気がした。
距離なんて変わってないはずなのに。
rd「20歳…ついに成人したんだね」
柔らかく言われたその言葉だけで 胸がきゅっと締まる。
うん、
俺は大人になった。
大人になったけど
この人の前に立つと三年前の弱いままの俺がまだ心の奥で息をしてた。
喉の奥から言葉が漏れた。
pn「……ひさしぶり」
それだけでやっとだった。
先生はほんの少し笑った。
その笑い方にも 俺は何回も救われた。
診察が始まる気配はなくて、2 人ともただそこに座っていた。
間に流れる時間が昔と同じ速さに戻っていくのを感じた。
三年。
何も変わってないのは気持ちだけかもしれない。
だけど、 変わらなくてよかったとさえ思えた。
このあと少し沈黙が落ちて、 その沈黙の中で 三年分の時間が何度も胸を通り過ぎた。
先生が手元のカルテを軽く閉じた。
rd「担当医を変える必要があるって書いてあったけど」
pn「うん」
rd「……それでここに戻ってきてくれたんだ」
視線が絡む。
とてもゆっくりで、 まっすぐで、 逃げられなかった。
嘘は言えなかった。
嘘が似合う再会じゃなかった。
先生に見抜かれない嘘をつけるほど器用ではなかった。
pn「……先生に会いたかったから、」
その言葉が落ちた瞬間、 部屋の空気が静かに揺れた。
先生の瞳がほんの少しだけ震えた気がした。
俺の呼吸が熱くなる。
胸が痛い。
言ったあとで逃げたくなるくらいだった。
でも言わなかったらきっとまた三年置き去りにするところだった。
先生はすぐに返事をしなかった。
でも、 沈黙よりもその目の奥の光の方が 全部伝えてくれた気がした。
< rdside >
扉が開いた瞬間、 時間が止まった。
三年なんて 医者として過ごす毎日では本当に一瞬のこと。
何十人の患者の顔が流れて、
何度も新しい名前を覚えて、
何度も治療計画を組んで、
何度も失敗して、
何度も救えなくて。
それでも朝が来るたび仕事は続く。
そんな日々の中で 忘れられなかった名前が一つだけあった。
ぺいんと
扉の隙間から見えたその顔は、 あのときの少年じゃなかった。
線が少し細く長くなって、
目の奥の影が薄くなって、
歩けるようになったその姿は 三年前の夜に何度も願った景色だった。
だけど、 胸の奥がきしむくらい苦しかった。
安堵の痛み。
俺が言葉をかける前に彼が泣きそうなのが分かった。
頬が少し震えて、 視線が揺れて、 俺を見るのがやっとみたいだった。
三年。
俺は医者としての距離を守るために一度も探さなかった。
探したら壊れてしまう気がした。
患者と主治医を越える瞬間を俺は知らなかったから。
でも、 彼が大人になってこの部屋に自分の意志で来て、 目の前に座っている。
胸の奥で、 医者ではなくただの俺が静かに息をした。
話す内容なんてどうでもよかった。
症状より
精神状態より
診療の枠より。
ただ そこに彼がいることだけが俺には重くて静かな現実だった。
名前
声
存在
全部が懐かしい。
全部が愛しい。
全部が三年分強くなって戻ってきた。
pn「会いたかったから」
彼がそう言ったとき、 胸の奥にあった何かが ゆっくりほどけて 痛いほど温かくなった。
ずっと言いたかったのは こっちの方だった。
三年の間、 何度も夜風に触れながら思った。
彼はどうしてるんだろうって
俺のことは忘れただろうかって
幸せでいてほしいって
それでも声が聞きたいって思った夜がいくつもあった。
目の前のぺいんとは もう患者じゃない。
俺の前で恐れずに自分の気持ちを出してくれる人になっていた。
言葉にするべきじゃない感情が胸の奥でゆっくり浮かぶ。
rd「……俺も」
そこで言葉が止まる。
続ければ一線を越えてしまう。
越えたら戻れない。
でも、 もう戻る必要もない気もした。
ぺいんとはまっすぐ俺を見ていた。
昔はできなかった目の合わせ方。
その視線に 三年の強さが全部つまっていた。
静かに息を吸って、 ゆっくり吐く。
医者じゃなくて ただ俺として目の前の人間を見る。
それがこんなにも苦しくてこんなにも嬉しいとは思わなかった。
rd「……話せる?大丈夫?」
声が少し震えた。
隠しきれなかった。
ぺいんとは静かにゆっくりうなずいた。
その小さな動きだけで三年分の夜が全部報われた気がした。
コメント
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3年ぶりの再開に対するお二方の感情がどこか儚く表されていて最高でした!