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『無事に帰国しました』
数日後。
待ちに待った大河からのメッセージに、瞳子はパッと顔を輝かせる。
『お帰りなさい!お疲れ様でした』
『ただいま。お土産を渡したいんだけど、明日仕事が終わる頃に、事務所に迎えに行ってもいいかな?』
『はい、大丈夫です』
『分かった。じゃあ明日』
『はい。よろしくお願いします』
返信すると、瞳子は思わず胸にスマートフォンを抱きしめる。
(やっと会えるんだ!)
どうしてこんな気持ちになるのか、考えようともせずに、瞳子はただ大河に会える喜びに満面の笑みを浮かべていた。
「大河さん!」
事務所があるビルのエントランスから、顔をほころばせた瞳子が、タタッと近づいて来た。
「お帰りなさい!」
「あ、ああ。ただいま」
大河は、弾けるような瞳子の笑顔に面食らう。
こんなにも感情を露わにして、嬉しそうに自分のもとに駆け寄って来てくれるなんて…。
(いったいどうしたんだ?いや、その前に、とにかく可愛すぎる)
大河は咳払いをして顔を引き締めると、まずは瞳子を車に乗せた。
瞳子のマンションへと向かう車中、早速あれこれと質問される。
「それで、どうでしたか?展覧会は」
「うん、観客の反応も良かったよ。やっぱり和のテイストは、外国の人に喜ばれるな。主催者も、大げさなくらい褒めてくれた」
「そうなんですね!良かったです。あー、私も早く見たいな」
「そうか、まだちゃんと見せてなかったね。ブラッシュアップしたら、東京でも展覧会を開催する予定なんだ。パリでの様子もドキュメンタリーとして編集して、合わせて公開する」
「わあー、楽しみ!」
瞳子は大河の顔を覗き込むように、無邪気に笑いかける。
大河はハンドルを握りながら、胸がバクバクするのを感じていた。
(な、なんでこんなに無防備に笑いかけてくれるんだ?いったい、俺をどうしようと…)
必死に平常心を保ち、前方を凝視しながらハンドルを握る。
なんとか瞳子のマンションまでたどり着くと、いつものように路肩に止めた。
「じゃあこれ、お土産ね。千秋さんや事務所の人と食べて。お菓子の詰め合わせと紅茶なんだ。君には他にも、えっと色々あるんだけど…」
ガサゴソと紙袋を探る。
「ポストカードやレターセットに文房具。キャンドルや、小物入れ。あとこれは、デザイン画の本」
「えー、こんなにたくさん?」
「ごめん。女の子ならもっと、コスメやアクセサリーとか、バッグとかがいいかなと思ったんだけど、俺にはどれがいいのかさっぱりで」
「ううん、こっちの方が嬉しいです!日本では見かけないような物ばかりで。どれもとっても素敵!」
「そう?良かった」
一つ一つじっくりと手に取りながら眺めていた瞳子は、ふいに顔を上げて大河に尋ねた。
「大河さん、お茶飲んで行きませんか?」
「はっ、お茶?どこで?」
「私の部屋です。お土産話も聞きたいし、写真も見せてもらいたくて。あ、ひょっとして時差ボケでお疲れですか?」
「いえ、そのようなことはございませんが…」
「それならどうぞ。あ、ゲストパーキングがあるので、車あちらに移動してください」
「はい、かしこまりました」
大河はギクシャクと車を運転して、来客用の区画に停めた。
運転席から降り、助手席のドアを開けて瞳子に手を差し伸べる。
「ありがとうございます」
瞳子が柔らかく綺麗な手を重ねた瞬間、大河は思わずビクッとしてしまう。
(ち、ちょっと待て。とにかく落ち着け)
自分に言い聞かせていると、こっちです、と瞳子が先を歩き始めた。
エレベーターで3階に上がる間、大河の心拍数も上がっていく。
「ここです。どうぞ」
玄関の鍵を開けた瞳子が、大河を振り返って促す。
「お、お邪魔します」
大河はガチガチになって中に足を踏み入れた。
(どうしてこうなったんだ?いいのか、俺)
瞳子がキッチンで紅茶を淹れるのを、大河はソファに座って緊張しながら待つ。
ワンルームマンションの瞳子の部屋は、シンプルな家具が柔らかいベージュの色合いでまとめられ、ソファの前のローテーブルには花が1輪飾ってあった。
「はい、どうぞ」
その花の横に、瞳子は二人分のティーカップを並べる。
「ミルクとお砂糖も良かったら」
「ありがとう」
大河は上品なデザインのティーカップを持ち上げて紅茶を口にする。
味わう余裕はないが、美味しい…、に違いない。
「明日はお休みなんですか?」
「え?あ、わたくしですか?」
「はい、大河さんです」
「ああ、お休みです。他の3人も休みにしました」
「そうなんですね。じゃあ、ゆっくり休んでくださいね」
ありがとうございます」
大河は小さくなって頭を下げる。
「ふふっ、大河さん、フランスに行ってなんだか変わっちゃいましたか?」
「いえ、それはこちらのセリフかと…」
「ん?どうしてですか?」
「いや、だって、その…」
なぜいきなり部屋に異性を上げるなんてことを?と聞きたいが、それを意識して欲しくなくて言葉を濁す。
(とにかく彼女には、ごく自然に異性に慣れていって欲しい。気づいたら平気になっていた、みたいに)
そう思いながら黙っていると、瞳子が隣から顔を覗き込んできた。
「大河さん、パリの写真ありますか?」
「え?ああ、うん。あるよ」
大河はスマートフォンを取り出して、アルバムを表示する。
「たくさん撮ったから、自由に見ていいよ」
「ありがとうございます」
瞳子は両手でスマートフォンを受け取ると、長い指先で画面をスクロールする。
「わあ、とっても素敵!」
目を細めて微笑みながら写真を見つめる横顔に、大河は釘付けになった。
パリにいる間、忙しくて毎日バタバタしていたが、綺麗な景色を見る度に、瞳子にも見せてあげたいと何度も思った。
迷惑だと思われたくなくて、極力メッセージは控えていたが、本当は毎日電話したかったし、会いたくて堪らなかった。
だが、瞳子が嫌がることは絶対にしないと決めている。
少しずつ瞳子の心の傷が癒えるのを願いながら、自分はリハビリの役割をするのだと、己を自制していた。
穏やかな笑みを浮かべて写真を眺めていた瞳子が、次の写真をめくってふと真顔になる。
どうしたのかと横から覗いてみると、大河達4人が並ぶオープニングセレモニーの写真だった。
「この写真がどうかした?」
「あ、はい。大河さんが、とってもかっこよくて」
………は?と、思わず間抜けな声を上げてしまう。
「ど、どういうこと?」
「だってこんなにビシッとタキシードを着こなして、スタイルもいいし。なんだか私の知らない大河さんみたい。もう気軽に話しかけたり出来ないような…」
「ま、まさか!何を言ってるの?」
軽く笑い飛ばそうとしたが、瞳子はじっと写真を見つめたままだ。
「私、大河さんがパリにいる間、ずっとメッセージを待ってたんです。今日は届くかな?あー、やっぱり来なかったってガッカリして。そしたらだんだん寂しくなってきたんです。もう会えないのかな?会いたいなって、気がつけば毎日そう考えていて…。だから今日、大河さんの姿を見た時、私、嬉しくて!」
そう言って瞳子は、まるで可憐な花が咲いたような笑みを浮かべて大河を振り返った。
その瞬間、何も考えられなくなった大河は、いつの間にか瞳子をギュッと抱きしめていた。
柔らかい身体を腕に感じ、ふわっと鼻をくすぐる良い香りに胸が切なく痛む。
だがハッと我に返り、慌てて手を離した。
「ごめん!俺、つい…」
後ずさって謝ろうとしたが、なぜだか身体が離れない。
え?と、不思議な感覚に戸惑っていると、背中に温もりを感じた。
瞳子が自分を抱きしめている、と分かったのは、数秒経ったあとだった。
(ど、どうして…)
にわかには信じ難い。
瞳子が自分の胸に頬を寄せ、背中に両腕を回して抱きついているなんて…
大河はされるがままになり、しばし呆然とする。
やがて瞳子は小さく、あったかい…と呟くと、そっと腕を解いてから、照れたように大河に微笑んだ。
驚きすぎて身体が動かない。
いや、動かなくて良かった。
でなければ、頭の中で何かがプツンと切れて、瞳子を押し倒してしまったかもしれないから。
ゴクリと唾を飲み込むと、大河はスマートフォンをポケットに入れて立ち上がった。
とにかく、一刻も早くここから出なければ。
心を無にすると、
「そろそろ帰る。おやすみ」
と言い残してそそくさと部屋を出る。
玄関のドアがパタンと閉まると、大河はその場にヘナヘナとしゃがみ込んだ。
(はあ、マジでやばかった)
瞳子の部屋に上がり、二人切りになるシチュエーションがそもそも想定外だったのだが、その上にまさかあんな事態になるとは。
リハビリとして自分と二人で過ごしてくれればと思っていたが、そんなに簡単な話ではないということを、大河はようやく身に染みて感じていた。