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再び距離が詰められて、真っ直ぐで強い視線が真衣香を射抜く。
「あ、あの……」
あたふたする真衣香の毛先に指先で触れる。
くるくると感触を確かめるように遊び、次に首筋を撫で、やがて流れるような八木の指先がサイドの髪にたどり着く。
それを隠れていた耳にかけ、露わにさせた。
「俺は、お前を気に入ってる」
真衣香の、その、耳元に囁く。
確かに声が届くように。
「んで、可愛い奴だと思ってる。 それをあんな身勝手な行動で振り回されたくないし、ついでに泣かされてんの見るのも癪に障る」
怒りが滲んでいる言葉とは裏腹。八木は、優しく真衣香の目元に触れた。まだ止まってはくれない涙が溢れ出す前に拭う。
「さっきの、アレ。 お前のこと好きだって、坪井の言葉信じるのか? 信じねぇのか?」
その二択を迫られるならば、今の真衣香の答えは決まっていた。
「信じない……信じられて、いないと、思います」
「だったらそれでいい、使えるもん使って過去にしろ」
「つ、使えるものって……」
戸惑う真衣香に「わかるだろが、流れ的に」と、穏やかな声が返ってくる。
「もっとズルくなって要領良く生きろって」
「要領良く?」
聞き返すと八木は「ああ、そうだ」と、大きく首を縦に動かした。
「少しでも気が紛れるなら、あのくだらん噂なんて関係なく、ずっと俺といればいい」
「ずっとって……そ、そんなに、頼れません……」
手をキツく握ると湿り気を感じる。
緊張続きで汗ばんでしまっているみたいだ。
「っと、待て待て。 力むなって、別に俺を好きになれって言ってんじゃねぇぞ」
「だって……や、八木さんまで意味のわからないこと言うんですか……」
「違う、簡単な話だろが」
八木は肩に触れ、グイッと真衣香を胸元に押し付けた。
目の前にサックスブルーのネクタイが映る。
「俺はお前を好き勝手されるのが気分悪い、お前は坪井と関係戻す気はない。 だろ? だったらギブアンドテイク、一緒にいることに俺にもメリットはある」
「え……。意味が、よく……」
「あー、伝わんねぇか、お前には」と、優しい声が頭上で響いて。
「俺、多分お前に惚れてるわ。 んな訳だからいいように使えって」
「は……?」と、驚きのあまりマヌケな声を出すことしかできない。
そんな真衣香の状態を見透かしているように、ポンポンっと背中を撫でられる。
「別に坪井と張り合って言ってねぇぞ、さすがに。こいつすげぇなって思ったから。 あの日、あんなボロボロでも人を気遣える奴がいんのかってな」
「……な、何のことです……か?」
「いや、こっちの話」
優しい声が真衣香を包み込むようにして、響き渡る。
「とりあえずお前いい女だから、自信と自覚しっかり持て。 しょーもねぇ男に振り回されんな」
優しさに甘えてしまいたくなる。
抱きしめられていたら、胸が痛くなるような、あの夜の記憶を薄れさせることもきっと叶うんだろう。
(でも、そんなのダメだよ、おかしい)
ぱちぱちと何度も瞬いて、目に溜まった涙を無理やりに落とす。
次の涙は溢れさせまいと、唇を噛んで。
声を振り絞る。
「……八木さん、悔しいんですけど私ね、今頭の中……まだまだ坪井くんのことでいっぱいなんです」
「おー、そりゃな」
「だから、八木さんを使うとか……そんな、そんなこと絶対できません」
真衣香は、八木を押し返すようにして距離を取った。
「言うと思ったわ」
「……ごめんなさい」
「いや謝るなって、俺も今言うのどーよって思うしな。ま、とりあえず当分はこのままだ。 それくらいは許せよ、あの噂も相当胸糞悪りぃんだからな」
何でもないように言って、笑う。
優しい人に弱さを見せて、巻き込んで。
(八木さんの”好き”はきっと、違いますよ。 だって、優しいんだもん……捨て犬とか放っておけない人だと思うもん)
だからこそ、だ。
強くならなきゃいけない。そう思った。
自分の力で立ち上がって、歩き出して。
ひとりでも、あの腕を、あのキスを振り解けるように。
過去にしたい。
忘れてしまいたい。
そして、ちゃんと、嫌いになりたい。
次に恋をするならば、きっとその後じゃなきゃいけないと思うから。