白の騎士団――。
カナンにある五つの王立騎士団の最上位とされ、王室問題の解決や王宮警護を任務とする。
希少で秀逸な光の精霊の加護を得た、輝色の髪を持つ貴族令息のみで構成されているため、精鋭として扱われていた。
「しかし……団員が貴族ばかりだからって、ここまで豪華な建物にしなくてもいいと思わない? 他の騎士団の団舎なんて、試験で合格した一般人が多いせいか、かなり質素だってお父様が言っていたけれど、格差がありすぎよ」
白の騎士団の白亜の団舎を見上げているのは、軍服を着て男装しているルクレシアだ。
長かった銀髪は短くなり、左耳からは淡青色の石がついた耳飾りがぶら下がっている。
外見からはどう見ても、彼女の双子の弟……ローラントそのもので、この人物が〝艶麗なる銀薔薇〟と噂される、麗しの辺境伯令嬢の方とは誰もが気づかないだろう。
「この中に、わたしのローを殺した奴がいるのね」
細めた碧眼に宿るのは、天真爛漫に育った令嬢らしからぬ、不穏な殺気。
「お嬢様、殺気を抑えて。ローラント様として来ているんですから」
隣に立つヴァンが苦笑すると、左耳にある異民族風のデザインの青い石が揺れた。
ルクレシアは小さく笑うと深呼吸をして、記憶のローラントを辿る。
「怒りはあるが、わくわくもする。不安がないのは、ヴァン……お前がいるからかもな」
超然と笑うその顔には、愛らしい笑みをこぼす令嬢の面影はない。
どこか冷ややかな、凜々しい騎士の姿があるだけだ。
元々ローラントの物真似が得意だった上に、二週間、言葉使いも態度も男らしく見えるよう特訓した。記憶を無くしていることにすれば、誤魔化しもきくし、護衛役のヴァンのフォローがあれば完璧だ――そう両親からも太鼓判を押されている。
『白の騎士団に入団してまだ半年の見習い騎士、ローラント・カスダールは、休暇中に何者かに襲われ深手を負った。本人がいまだ命の危険を感じて怯えていることから、ヴァンという護衛をつけたいとする要請を特別に許可する』――そんな特例が騎士団に認められたのは、カスダール家の力が働いたからだ。
「そろそろ行きますか」
「……ああ」
(ロー、姉様があなたの仇をとるからね。ヴァンとともに)
堅く心を決めて、ルクレシアは団舎の中へと足を進めた。
大理石でできたエントランスの壁には、騎士団の紋章がついたタペストリーと剣が飾られている。休憩スペースも兼ねているためにかなり広く、置かれているソファには数人の団員が雑談をしている。彼らは、怯えるどころか堂々と闊歩してきたルクレシアたちに奇異なる眼差しを向けた。
「不審者扱いをされているな。どこからどうみてもローだと思うが……。そうか、ヴァンが目立っているのか。やはり騎士団に入るには、護衛でも軍服を着るべきだったんだ」
「軍服以前に、普通〝色なし〟はどの騎士団にも入ることすらできませんから!」
「色なしって……お前の髪は真っ黒じゃないだろう。光が差せば、ほんの少し青みがかっているようにも見えなくもないな……程度で」
「それはもう十分色なしです。そんな奴が、きらきら頭ばかりの白の騎士団の軍服を着ていたら、詐称罪で即逮捕されますって」
カナンの民は、生まれながら髪に守護する精霊の色が現れ、その精霊の特質を受け継ぐ。
眩しい銀髪を持つルクレシアは光の精霊の強い加護があり、そうした輝色を持つ民が生まれるのは数少ない。
光の精霊の加護がある者は貴族に生まれやすく、容姿や才能に抜きん出ている人物が多いことから、四大精霊の加護者よりも上位とみなされてきた。
それに対し、黒い髪色で生まれる民は、精霊の守護がない〝色なし〟とされ、出自が貴族でも庶民でも下層の賤民に落とされ虐げられている。
黒は穢れを引き起こす災厄の色であることから、黒だけに関しては、髪の色だけではなく瞳の色も対象にされることが多い。
そんな色なしの中で、八年前に災厄に穢れて滅びたアルマ人も黒い色をまとっていたことから、その生き残りは「生きる災厄」として、虐待してもいいという風潮があった。
ヴァンの髪色は、ほぼ黒色と言ってもいい藍黒色だ。
災厄とされるアルマの色にも似て、色なしという忌むべきものに部類される色であり、ヴァンが着ている服や、小さい頃からずっとつけている耳飾りも、そうしたアルマの影響を受けた異民族風のものだ。
――色なしが、カナンの民と同じものを身につけるわけにはいかないので。
輝色の髪ばかりの団員たちの中では、ヴァンの髪色は異質すぎた。
賑やかなふたりを見つめる団員たちの目は冷ややかで、悪意にざわつき始める。
「ローラントのくせに、特別扱いを受けて護衛をつけるなんて生意気な」
「色なししか護衛がいなかったなんて笑える。さすがは貧弱ローラント!」
ローラントは、誰かに殺害されて死亡したことは伏せられている。
犯人は白の騎士団の記章がない、かなり手練れな団員仲間である。
殺したはずの男が元気に生きていると知れば、怪しい動きをする団員を見つけられると思っていたが、こうもあちこちから悪意が放たれていれば簡単にはいかないようだ。
(ローはこの騎士団に歓迎されていなかったの? 人の懐に入るのがうまく、わたしより要領がいいと思っていたのに。しかもこんな状況を放置する性格でもない。なぜ?)
団長と副団長を抜かして他の騎士団は百名ほどの団員がいるが、白の騎士団員は二十名しかいないという。それだけ、光の精霊の加護を得て生まれつく者は稀なのだ。
選民意識が高い貴族ばかりだから、劣っている者を標的にしたいのかもしれない。
(ローのどこが劣っているというのよ。わたしやヴァンよりは弱いけど、腕は立つわ)
団員は私服姿が多いから、この場からは記章の有無は確かめられない。 だが見た限りでは、ローラントが手こずりそうな頑強な肉体を持つ団員はいなかった。
「これならヴァンの方が、よほどそそられる身体をしているな」
思わず本音がこぼれてしまうと、ヴァンがぶーっと噴き出した。
「な、なにを言い出すんですか。そ、そられるって……」
なにかを期待するかのようにヴァンの声が上擦るが、はたと我に返って彼は頭を横に振り、こほんと咳払いをする。
「よろしいですか。カスダール家のご令息として、もっとちゃんと……」
途中でヴァンが言葉を切り、剣呑に目を細めてルクレシアの前に立つ。
ふたりの金髪頭の団員がやってきたからだ。
「よう、ローラント。帰ってきたのなら、まずは挨拶をするのが筋じゃないか?」
その声に呼応したように、にやにやと笑う団員たちがふたりを取り巻いた。
光の精霊の加護を得ているのだから美形だが、ルクレシアが見惚れるほどのものではない。ヴァンの方がよほどいい男だと再確認しつつ、ローラントがどのような態度で団員たちに接していたのかわからない彼女は、怪しまれぬよう先手を打った。
「それは悪かったな。知っての通り休暇中に死に損なったせいで、休暇前の記憶が飛んでいるんだ。これが今の素のローラントとして、新たに受け入れてもらえると助かる」
するとげらげらと下卑た笑いがあたりから聞こえてくる。
「受け入れろではなく、思い出させてください……だろう?」
「どうだ、皆。思い出させてやろうじゃないか、ローラントが〝犬〟だったこと」
光の精霊の加護を受けているのに、品位も高尚さもない低俗な笑い声が響く。
ルクレシアがその目に殺気を過らせた時である。
「お前たち、なにをしている!」
怒声が響くと、団員たちは直立不動の姿勢で敬礼をする。
やってきたのは、茶色味がかったダークブロンドの髪をした男だ。
ルクレシアと同じく髪の煌めきが強いため、光の精霊の強い加護があるのだろう。
強面の顔でしかめっ面をしているために凄みがあり、放たれる威圧感が半端ない。
そんな男を一瞥して、ルクレシアの目がカッと見開く。
彼女の目は、チュニック越しからでもよくわかる、隆起した身体の線に釘付けだった。
しかし目の前にヴァンが立ち、視界を遮られてしまったルクレシアが背伸びをしようとすると、怒声が飛んだ。
「なぜ部外者が混ざっている!」
すると団員のひとりが、冷や汗を流しながら説明した。
「団長。ローラントが戻ってきたんですが、休暇前の記憶がないらしく。我が騎士団の品位を損なうような不遜な態度をとり、怪しげな護衛を連れてきたもので……」
腕組みをした男は団長らしい。紫の瞳で見つめ、唸るようにして言った。
「ローラント、記憶がないというのは本当か」
返事をすると、男の眉間の皺が深く刻まれた。
「……なるほど、一過性の記憶障害があるとの伝令書通りのようだ。私はジルベクト・グスタフ。白の騎士団の団長だ。そこにいるのは護衛の……ヴァンという名だったか」
ジルベクトはヴァンをじろじろと見つめて言った。
「光の精霊の加護ある騎士団に、色なしが来たとは。団員が警戒するのも無理はない。私としてもたとえ特例だろうと、精霊の加護がない無能者をこの誉れある白の騎士団に出入りさせられん」
(……伝令書が来ているくせに、それに従わないつもり? この団長は愚かなのか、それともただ堅物なだけか。もしくはヴァンの力を見極めようとしているのか)
「どうしてもというのなら、団員たちを相手に力を示せ。力があれば我が騎士団の出入りを認めよう。力なければ即刻退去だ」
ルクレシアはジルベクトの提案に、超然と笑って同意した。
「では。てっとり早く模擬戦形式にて、このヴァンと団員全員を戦わせましょう」
「いいだろう」
ジルベクトは愉快そうに口端を吊り上げた後、背を向けて団員たちに告げた。
「任務がない者は全員、軍服着用にて鍛錬場に集合!」
◇・◇・◇
屋外鍛錬場――。
五名の団員は副団長が指揮する任務の遂行中ということで、ヴァンは十四人と戦うことになった。ジルベクトは参加せず、ヴァンの力の見極めに傍観しているつもりのようだ。
(やったわ。模擬戦形式にしたから、思った通り団員たちは軍服を着てきた)
これで記章の有無を、調べることができる。
記章の紛失届は提出されていないことは、辺境伯である父を通じて調査済みだ。
(ただ……妙に威圧感がある団長は私服のままなのね)
この団長は強いのだろう。ルクレシアの好戦的な血が騒いでいる。
ローラントを殺したのは団員か、団長か、それともこの場にいない者か。
鍛錬場には何種類もの武器が置いてある。
団長に好きな武器を選べと言われて、団員たちは鋭い長剣を手に、ヴァンは木製の長棒を手にする。明らかに殺傷能力は剣の方が上だ。
「どちらかが戦闘不能状態になるまで続けよ。では、始め!」
ジルベクトの声を合図に、団員たちは剣を繰り出してヴァンに襲いかかる。
踏み込みや剣捌きはとても速い。貧弱そうな体格に反してきちんと基礎訓練はされているようだ。迷いなく急所目がけて剣を振るえるところを見ると、実戦経験もあるのだろう。
しかしヴァンの動きの方が俊敏だった。剣が彼に到達する前に、長棒で相手の剣先を払って刃筋をそらすと、そのまま棒先で団員たちの鳩尾や背に打ち込み、地に沈めていく。
ヴァンが操る棒はまるで彼のもうひとつの手のように自由自在に動くため、団員たちは近づくことができず、ひとり、またひとりと倒れていった。
残りの団員たちが協力し合い、ヴァンを取り囲んで一斉に剣を突き出すが、剣の先にヴァンはいない。
ひらりと真上に飛んでいたヴァンは、そのままくるりと回転して、交差したままの刃の上を片足で跳ねた反動で、豪快に団員たちを蹴り飛ばしていく。
ヴァンの圧倒的な強さにルクレシアが平然としているのは、思った通りの展開だからであり、彼女は冷静に観察していた。
(いないわ、この中にローを殺せるほどの手練れは。そして全員が記章をつけている)
ルクレシアは軍服の下に首からぶら下げている、鎖を通した指輪を鷲掴んだ。
(誰の記章を取ったの、ロー)
その指輪は、死んだローラントの指につけられていたものだ。
ヴァン好みの指輪だったため、彼への贈り物だったのだろうとヴァンに渡した。
ヴァンは驚いた顔をして指輪を見ると震える手で握りしめていたが――。
――お嬢様が持っていてください。俺には受け取る資格がないので。
ヴァンの顔には自責と後悔が強く滲んでいた。
『ヴァンは僕の兄上だ。この先もずっとだぞ』――そう懐いていた〝弟〟を、守ってやることができなかったのだから。
遠い彼の地ならまだしも、その日時、その場に向かっていたのに、ローラントの骸を手にすることしかできなかったこのやりきれなさは、ルクレシアには痛いほどわかった。
いくら身体を鍛えていても、犯人に一矢も報いることができなかった。
形見を受け取る価値もない――そう思っているのだろう。
だからルクレシアは、ローラントの仇をとった後、もう一度指輪をヴァンに渡そうと思っている。その時はきっと、ヴァンは受け取るだろうから。
それまではルクレシアが預かっておくだけだ。
……ローラントとして。
「勝負あり。やめ!」
ジルベクトの声が聞こえる。開始からわずか数秒、半分の実力も出していないヴァン相手に、立っている団員はいなかった。
ジルベクトは息も乱さずに立っているヴァンを見ると薄く笑い、頭を垂らす。
「無能な色なしと挑発してすまなかった。貴公に正式に謝罪する」
(へぇ。意外と殊勝ね。挑発……やはりヴァンの力を見定めようとしていたのね。色なしだろうと特例が出るくらいだもの、どれほどの腕前かと)
「――ヴァン、ローラントの護衛として白の騎士団の出入りを許可する」
◇・◇・◇
ヴァンの大勝利によって、力こそすべての騎士団におけるヒエラルキーは逆転し、団員たちは色なしのヴァンを畏怖して避けるようになった。
そして夜――。
「ねぇ、普通はそんな強い護衛を連れているわたしの扱いも、変わるわよね? なんでヴァンだけ恐れられるの? わたしの方がヴァンより強いのに」
憤慨するルクレシアは、ローラントの個室にいた。
ふたりきりでいるため、窮屈な言葉使いをやめている。
団舎と棟続きになっている宿舎は、貴族好みの豪華な内装で、小さめだが個風呂もついている。入浴時に女性だとばれる心配もない。
ただ、護衛用に用意されたふたつ目のベッドがあるために、少々息苦しさを感じる。
「……ヴァン、どうかした? 頭を抱えてぶつぶつと」
後ろを向いているヴァンの異変を感じて声をかけると、彼が振り返る。
「聞いてませんよ。俺とお嬢様がこんなに狭い部屋にふたりきりで寝るなんて!」
「わたしは構わないけど……。昔は一緒に寝たでしょう?」
するとヴァンは地団駄を踏んだ。
「何歳の時のことですか。それはローラント様も一緒で、俺のベッドでおねしょをした頃でしょうが!」
「おねしょはわたしではないわ!」
「俺でもないですよ。というか、そんなことどうでもいいんです! 健康この上ない男とともに夜を過ごすんですよ? 貞操の危機でしょうが!」
「なんだそんなこと。大丈夫、ヴァンとならそんなことにならないから。今さらよ。男だとか女だとか意識する仲ではないでしょう?」
信頼関係を匂わせた途端、ヴァンは片眉を跳ねあげて忌々しげな顔つきになった。
「俺を……男として、まるで意識してないということか」
その悔しげな独り言は小さすぎてルクレシアには聞こえなかった。
ヴァンは苛立たしげに前髪を掻き上げると、なぜヴァンが不機嫌になったのかわからないルクレシアに、冷たい笑みを見せて言う。
「では俺は、女だと意識できる馴染みの女と一緒に寝るので、とっとと先に寝ていてください」
「……は!? な、馴染みの女って……まさかあなた、娼館通いをしていたとか……」
わなわなと震える声に、ヴァンは否定しなかった。
「俺だってれっきとした大人の男です。そういう気分の時もあります」
「そ、そういう気分って……」
藍黒色の瞳の奥に揺らめいた感情を、混乱中のルクレシアは読み取れない。
「ま、お子ちゃまにはまだ理解しがたいでしょうが。ではいい夢を」
ヴァンはにこやかに退室した。
驚きのまま固まるルクレシアを部屋に残して。
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