その次の日、マイは普通だった。いつもと同じように、たくさんの友達に囲まれていた。
いつものように3人で帰るとき、ウミが言った。
「今日、うちに来ない?」
珍しかった。ウミから誘うことは本当にない。いつも私やマイが誘っている。あまり、ではなく本当に。多分初めてだ。私は驚きながらもうなずいた。
マイも、
「ウミが言ってくれるなんて!」
とでも言いたげな表情で笑った。マイの笑い方ははいつも通りのかわいい無邪気な笑い方だったのに、それでも私は昨日のマイが忘れられない。奥の奥には昨日のマイがまだ閉じ籠っている。
分厚い殻のなかに。
怖かった。
ウミの家でオレンジジュースをもらって飲む。いつもウミのお母さんが出してくれる。
小さいときからずっとそうだ。
やることもなく、話す気にもならず、私たちは黙っていた。みんな無言でジュースを飲んでいた。
マイは話すことを考えていると思う。
ウミは目を閉じて深呼吸を繰り返している。
私はそんな2人を見ている。
重苦しい。息がしにくかった。
沈黙を破ったのはウミだった。パッと目が開いて、いつも通り艶々の瞳がマイを捉える。
「早く、全部話せよ。」
とても低い声。いつものウミからは考えられない。
でも優しくて、溶けそうな。ゆっくり、ねっとりとした。そして表情は、緊迫していた。
そんな表情に、私は黙るしかなかったし、マイも少し躊躇うような表情を見せながら口を開いた。
すごく言いにくいだろう。幼馴染みの私たちに辛いことを言う。それがどんなに辛いかは嫌でもわかってしまう。
私だってまだなにも言えてない。
だけど、ウミのその表情には誰も抗えないだろう。
そのウミは全てを知っている、悟っている気がした。
私の目には凛々しく映った。
そしてマイのその口を開く姿にも、少しだけ胸が波打つ。
どっちもかっこいいんだなぁ。
この2人は私の自慢だ。
「俺は、ハーフだから。『仲良くなっておこう』『ハーフって珍しいし、話してみたい』って、ハーフだから、周りが話してくれる。」
マイはそこで少しだけ、自嘲的に笑った。私は既に、泣きそうだった。
「結構前から気づいてたけど、俺はハーフじゃなきゃ価値がないみたいだなって思うんだ。でもそんなの重いよなって、みんなが話しかけてくらるんだからいいよなって、隠してた。」
私の心はそこですごく痛んだ。ぎゅうっと、小さくなっていくような感じだった。
「でも、うんざりだよ。ハーフっていうとこしか見られてない。それだったら、ウミみたいに。1人でいたい。」
ウミはサッと俯いた。
額の横に垂れる真っ黒な髪の間に、脂汗がしみている。だけど、私はそんなウミをきにする余裕もなく、マイを見つめていた。
ウミには気づかない振りをした。
それでないとどうしようもなく不安で、私は私でなくなってしまいそうだった。
「俺は、ハーフだからなんて理由で好かれたくないよ。もちろん小さいころはそれでも嬉しかったけど。今は、俺自身が、好かれたいんだ。…っ、ごめん。重い話聞かせちゃった。どうでもいいって言うか、困るよね。」
マイは眉を下げて笑ってこちらを見た。
頬がキラリと筋になって光った。
心はさらにひどく痛くなった。息が詰まる。汗が出る。泣きそうになるのをこらえる。
もっと苦しい人の前で泣いたら駄目だ。
ウミは顔を上げて、真っ黒いその眼差しでマイを見つめ、口を開いた。目にはまだ新しい光が灯っている。
キラリとした、その光が綺麗だった。
「でも俺たちは、ハーフだからなんて思ってないよ。マイ自身のことが好きだ。」
ウミは手を握りしめて言う。ウミも苦しそうに顔を歪めながら。
「わかってるよ。でも他の人は、そうじゃない。俺に話しかけてくる人とは仲良くしないといけないし。」
マイは眉を寄せてそう言う。相当に気づついているような顔に、もっと苦しくなる。
もう私が逃げ出したくなるくらいに。
「…あのね、付き合う友達って、自分で決めていいんだよ。自分で、一緒にいたい人といればいいんだよ。だから、この人といたくないって思ったら、関わらなくてもいいんだ。」
ウミはさらに真剣な目付きで言った。
真剣で、優しい。
ウミは笑った。マイは驚いたような瞳で私たちを見つめて、鼻をすすってゆっくり口角をあげた。
「そっか。そんな、単純なことでよかったんだな。」
私たちは、更に話を続けた。
もう、マイの辛い話じゃない。
いつもの楽しいお話タイムだ。その日はそのままみんなでウミの家に泊まった。
次の日、学校でマイは、珍しく私たちとしか話さなかった。
他の人に話しかけられても短く答えるだけだった。他の人は少し不思議そうにしながら、他の友達と話していた。
でも十分に楽しかった。マイもとても楽しそうだった。
みんなに仲良くしなくたっていい。
それは本当にそうだなと思った。付き合う友達くらい自分で選んでもいい。
ウミも笑っていた。
グループワークで私たちとはなれたときだけはいつもと変わらず俯いたままだった。
今日も私とウミとマイはずっと一緒だ。
だけど私はそれがほんの少しだけ辛かった。
いつかくる、別れの時が怖かった。
私はその別れの時を想いながら、新しい英語の参考書を開いた。
表紙についた折れ目は、大きくずれてしまった。
私とあの2人みたいに。
やっぱり、やる気がでない。
棚に並んだ参考書の中に、その参考書も入れておいた。
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