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「高貴でお金持ちで豪快な人が派手に遊んだとき、勧誘が酷くてぶち切れた結果。このようなシステムが導入されたようじゃ」
「高貴じゃないお金持ちも喜んでいるから、ずっと継続しているシステムなんだよね。そうそう。この歓楽街に女性相手のお店は十軒あるんだけど、高級店はそのうち半分。全部の店から招待状は来てたよ。四軒は断ったけどね」
「四軒程度なら読んでも良かったかな?」
「どこも似たり寄ったりじゃぞ? その中でも一番上品なのが、夜蝶のよりどころじゃ。正直に言うなら、アリッサが読む価値はなかろうなぁ」
同じ条件でだされた差異を追求するのって、一人で楽しむ分にはありだろうと思うのだけれど、趣味は良くないかもしれないので、彩絲の言葉には頷いておいた。
「ふむ、到着したようじゃな」
時間にして三十分は経過していなそうだ。
雪華の手を借りて、馬車を降りる。
夜蝶のはばたきは、小さな城だった。
某夢の国にあった城を小型化した感じ、が一番近いだろうか。
どう見ても娼館には見えない。
見せないための、城なのかもしれない。
高貴な人ほど拘りは強いというしね。
「時空制御師最愛の御方様には、当館へ足をお運びいただきました栄誉を賜りましたこと、深く御礼申し上げます」
大きな扉の前で深々と頭を下げる、紫色のドレスを優美に着こなした女性が館の主らしい。
会釈を一つして案内を請おうとしたタイミングで、女性が一人転がり出てきた。
主の背後にある扉からではない。
併設されている教会の扉から出てきたのだ。
完全なノーマークだったらしく、誰もが反応できないでいる僅かな時間で、女性は私のベールを捲り上げた。
「気取ったベールなんかしやがって! どうせお前だって、男に股を開くだけの能なしに成り下がるんだろうがっ!」
握り締めたベールを床に投げ捨て、踏み躙る。
皆が怒りのまま行動しないようにと思案を巡らせている様子を勘違いしたらしい女性が、ふふんと鼻で笑って硬直した。
「あ、え? め、がみ、さま?」
女性が私を凝視する。
皆の手によって磨き上げられた私は、初対面の人間にも女神認定されるようだ。
「いえ、違います。私は神ではありません」
「え? あ? そのっ! あのっ! ああっ! ベール! 申し訳ありません。美し過ぎる尊顔を隠すためのベールだったのですね! も、申し訳、申し訳もございません!」
女性は自ら踏み躙り汚れてしまったベールを必死に叩いて、汚れを取ろうとした。
その必死さが災いして、ベールの一部が破れてしまう。
「あぁっ! ベールが破れて! こ、この不敬は、死してお詫び申し上げます!」
女性は自らの首に向かって爪先を突きつけた。
血が、滲む。
私は次の瞬間女性の首が飛ぶのを覚悟した。
が。
女性の暴走は、先行していたランディーニとノワールの手によって止められる。
ランディーニの羽ばたき一つで、女性が昏倒した。
ノワールは破れて汚れたベールを手に、何やら呟く。
一瞬でベールは元通りとなり、ノワールの手で被せられて、私の顔を覆い隠す役目を続行する。
女性が死ななかった状況に安堵した。
突っかかってきたときの狂気は、私の顔を見て瞬時に消えたのだ。
本来は女神を心から信仰する、信心深い女性だったのだろう
言い訳すらせずに繰り返し謝罪をして、不敬を重ねたと迷わず自死を選んだ。
この流れならば女性よりも、女性を追い込んだであろう背後にこそ、死をも選択肢に入れた罰を与えたかった。
「主よ。この不始末、どうやって贖うつもりじゃ? 返答如何によっては館の存続にもかかわってくるからのぅ。慎重に答えるがよいぞ?」
名を名乗る間もなく、館主は地面に伏して土下座をする。
「贖いでしたら、我が命でも、この館の取り潰しでも、御方様に御満足いただけますよう処分くださいませ」
「我が主人を愚弄するかっ!」
「……結果は明らかですが、経緯を知らず判断できるほどに、私は傲慢ではありませんの。御説明、くださいますか?」
「はい、当然でございます! 我が館に不審がございますのは重々承知でお願いいたします。中に高貴な方をお迎えする準備を整えております。まずは、そちらへおいでいただけないでしょうか?」
館主の言葉が終わるのと同時に、沈黙していたノワールとランディーニが口を開く。
「すまなかったのぅ、奥方。教会までは気に留めておらなんだのじゃ」
「主様。中は制圧済みでございます。安心して足を運ばれてくださいませ」
訳がわからないままでも、ノワールの言葉に従う。
彩絲が私の手を取り、雪華がドレスの裾を持つ。
フェリシアは倒れたままの女性を担いで、その後に続いた。
後続の馬車から降りた皆も、何かあったようだと察知しながらも、質問などせず従順に中へと入った。
酒精の弱いホットワインが提供される。
ノワールが安全を保証するので、一口飲んだ。
不意の暴挙に波立っていた感情が緩やかに凪いでいく。
「先ほどの女性は、お預かりしておりました公爵令嬢を疎んだ者に偽りを吹き込まれ、我を忘れた者にございます」
「吹き込んだ者は止められなかったの?」
「止める間もなく手配されまして、誠に申し訳ございません」
「貴女自身は、公爵令嬢をどう捉えているのかしら?」
「高貴で尊敬できる御方でございます。王族よりも自分は、彼女を優先いたしましょう」
そこまで豪語するならば、吹き込んだ者がそれ程のやり手だったのか。
「吹き込んだ者の捕縛は完了しているのかしら?」
「……少々お待ちくださいませ」
「待たぬとも良いぞぇ。妾が眠らせておるわ。元公爵令嬢ヨーゼフィーネ・マルテンシュタイン。家と本人の資質が最悪で駆逐されたのを、逆恨みしたようじゃぞ」
ランディーニの調査はすっかり終わっており、確保も完了しているようだ。
だとしたら、女性の暴挙を許したのは何故だろう?
彩絲や雪華の腕を信じて、あえて私に不敬を働かせ、重罪を犯させる道を選んだのかもしれない。
娼館での贖いでなく、その命での贖いにすべきだと判断して。
己の全てを擲《なげう》ってでも、公爵令嬢への暴挙を許すまいとして。
「ローザリンデ様がこちらを仮住まいとされるまでは、当館一の売れっ子として相応しい振る舞いであったのですが。どんどん態度を悪化させまして、さらには他の子たちを洗脳する始末……先ほど御方様に無礼を働いた者は、ヨーゼフィーネに彼女を売ったのは最愛の婚約者であったと。その婚約者は御方様にそそのかされたのだと……そういった偽りを吹き込んだようでございます」
「ほぅ。主の訪れが、漏れておったと」
「重ねてお詫び申し上げます。ヨーゼフィーネの甘言に唆された者が、想像以上に多かったものですから……それらも証拠とともに特定はすんでございます。遅くなりまして、大変申し訳ございませんでした」
ヨーゼフィーネはそれなりの策士だったようだ。
家が腐っていたというのなら、策謀に長けた家系なのだろう。
案外娼館から再起を図っていて、私というある種の禁忌に触れたとも考えられる。
「今回の件にかかわった者は、ベールを剥いだ彼女以外、王都で一番待遇の悪い娼館への払い下げでどうかしら?」
「……殺さぬ道を選ぶとはまた……主らしいのぅ」
「でもあれよね。女でのし上がろう、蹴落とそうとするなら、最高の罰よね。女すら通じない場所だと思うから」
私の想像していたよりも遥かに辛い罰のようだ。
最高級の娼館から、最低級の娼館への移動は、心身を共に破壊してしまうだろう。
そうなれば再起は不可能になる。
ただでさえ荒れるだろう王宮に、駆除したはずの害虫が再び入り込むのも避けられそうで一安心した。
「意識のない彼女への罰は、彼女が本来の彼女に戻ってから、口頭での謝罪で十分よ」
「主! いくら何でもそれでは示しがつかないよ!」
「つきます。彼女の精神状態と状況には十分寛恕の余地がありますよ。館主もそれで問題ありませんね」
「夜蝶のはばたきが館主、ジークルーン・トゥルンヴァルト。御方様のお慈悲に感謝を申し上げますとともに、彼女の件、即時手配を整えたいと思います」
「ええ、それでいいわ。トゥルンヴァルト殿には引き続きこの館の健全な経営を望みます」
「は! 有り難く承りました」
顔を上げたトゥルンヴァルトの瞳には、知性が宿っている。
本来はできた女性なのだろう。
公爵令嬢への忠誠が暴走しかけただけで。
一流娼館にはできれば、このまま一流で有り続けてほしいというのが、私の本音。
「奥方よ。一度ヨーゼフィーネに会っておくべきではないのかのぅ」
「あら、ランディーニは私に会ってほしいの?」
「ほれ、よく言うじゃろう。ざまぁは特等席で鑑賞するべきじゃと」
鑑賞と干渉は違うのだけれど。
ランディーニの逆鱗に、ヨーゼフィーネは触れてしまったらしい。
「ランディーニが言うのなら、会いましょう」
「うむ。よろしく頼むぞ。めくるめく、ざまぁじゃ!」
夫がラノベの知識でも流し込んだのかしら? と首を傾げれば、少しだけですけれど、流しました、と返答があった。
どうせ流し込むなら、もっとこう、健全な内容を流し込んでください! と、夫にお願いをしつつ、体はヨーゼフィーネが拘束されている場所へと移動を始めた。
トゥルンヴァルトの案内で地下へと降りていく。
玄関を通ったときに感じた、手入れの行き届いた城といった雰囲気は影を潜め、一階降りるごとに、古びた印象が強くなっていった。
階段が切れたのは五階。
地下が五階もあるのに驚かされる。
「ふむ。仕置き部屋かのぅ」
「業の深い客人が楽しまれる場所にございます」
ランディーニが可愛く首を傾げるのに、トゥルンヴァルトが淡々と答えた。
檻が並ぶ様子は、夫と一緒に見学した、今は閉鎖となった刑務所跡地によく似ている。
悪臭がしないのが不思議なほどの劣悪な環境なのは、そこはかとない気配から察せられた。
降りてきた者へ反応しないように、何らかの魔法でもかけられているのだろう。
それぞれの檻の中には女性が閉じ込められていたが、私たちの訪れに一切気がつかないのはおかしい。
ベール越しなので、くっきりはっきりは見えないが、それでも全ての女性たちが傷つき、疲弊しきっているのは見て取れた。
これが拷問部屋でなく、プレイルームの一つというのに、一流娼館の矜持を感じさせられる。
それこそ、どんな欲望にも応えるのだろう。
「こちらにございます」
檻の中でも一番小さな檻。
ベッドしかない檻の前でトゥルンヴァルトの足が止まった。
「これでは、話ができません。主様が寛げる場所を用意してください」
ノワールの無茶ぶりにも、トゥルンヴァルトは動じない。
「承りました。では、こちらへ」
奥まった場所へと案内されて、ここだけは浄化された気配が強い扉がゆっくりと開かれる。
上の階と同じ、丹念な掃除がほどこされた応接間が広がった。
彩絲が鋭い目で周囲を見回して、大きなソファへと先導する。
ドレスの裾を整えられたのに安心して、深く腰掛けた。
ノワールが手早くお茶の準備をする。
ベールを軽く持ち上げて一口、豊かな香りを楽しんだところで、ヨーゼフィーネが運ばれてきた。
ベッドごとだ。
紛れもない大量の血液で汚れたベッドの上に横たわる、ヨーゼフィーネの顔色は白い。
きんと金属的な音がして軽く首を傾げる。
「こいつが暴れても大丈夫なように、周囲に結界を張ったんだよ。館主が消臭効果の強い結界を張ってくれてるから、主に害が及ぶことはないけど念の為にねー」
雪華が笑顔で音の説明をしてくれた。
それはトゥルンヴァルトを信じないという意思表示だろうに、彼女は当たり前だというように深く頷いている。
「それでは、起こしてもよろしゅうございましょうか?」
「ええ、よろしくお願いしますわ」
トゥルンヴァルトはヨーゼフィーネの血にまみれている長い金髪を引っ掴むと、ベッドヘッドに頭を打ち付けた。
なかなかに過激な起こし方だった。
「痛っ!」
ヨーゼフィーネは即座に目を覚ましたようだ。
彩絲がひそりと私に耳打ちをする。
「アリッサは黙っておるのじゃぞ? ここは妾たちで対応するからの。どうしても話がしたいならば、手を挙げればよかろうて」
「わかりました」
夫とまではいかずとも、彼女たちの言うことを聞いていれば間違いはない。
その夫も沈黙を守っている。
もしかしたら、ヨーゼフィーネを知っているのかもしれない。
私は膝の上、手を重ね合わせた。
「いった! なにすんのよ。たかが娼館の館主の癖にっ!」
起きた途端の罵声。
元気がいいのは基本的に良いことだが、ヨーゼフィーネは今の状況を明確に理解しているのだろうか。