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空太が杏葉と出会ったのは、小学校の入学式の日のことだった。
桜の花びらも大半は散ってしまい、葉桜が新入生を迎えてくれた、心地よい温かさの春の日。
両親とはぐれてしまったところ、ぶつかってしまった。
ちょっとした衝突だったため、尻もちをつくこともなく、お互いに「ごめんね」と口にする。
空太は、すぐに相手もひとりであることに気づき、どうしたのかたずねた。
すると、女の子は両親とはぐれてしまったと泣きそうな顔になったから、
「それなら、ぼくといっしょだね」
と、空太は、本当は自分だって泣きたかった思いを隠し、笑みを浮かべた。
女の子を守らなくちゃといけないと、子どもながら男としての使命を感じたのだ。
「きっとちかくにいるはずだよ。いっしょにさがそ」
女の子に向かって手を差し伸べる空太。女の子はキョロキョロと戸惑いながらも、頼れるのは空太しかいないと手を重ねた。
その後、先に女の子の両親が見つかり、またねと手を振ると空太の両親がやってきて、迷子の肩書を消すことができたのだった。
恋愛*スクランブル
3話 あの日、あの場所で
お互いのことはウワサや遠くから見ているだけで、学校生活は過ぎていった。
そして5年生に進級して、空太は女の子と同じクラスになった。
すでにオトナの体にもなりつつある成長で、入学したころの愛らしさは失っていたものの、しっかりとお互いが誰なのか認識していた。
だから、最初に交わした言葉は「ひさしぶり」だった。
クラスメイトにからかわれることはありつつも、大切な人として過ごしていた空太と杏葉。
あくまでも大切であって、それ以上でもそれ以下でもない。
すでに「恋人」の意味や「性」の知識については、いつどこから広まったのかわからないが、少なからずとも持っていた。
だけど、その知識の中に当てはまる相手ではない。
放課後をふたりだけで過ごす日も多く、ただこんな日がずっと続けばいいのにと願う相手。
大きくなって、進む道が別々になっても、社会人になっても、笑いあっていると想像する相手。
だからこそ、深く考えることもなく温かな時間を過ごし、季節は秋になった。
つるべ落としと表現される、日が傾いたかと思えば、あっという間に夜がやってくる季節。
給食付きの午前授業で終わったある日、空太は杏葉を誘って小学校から少し離れた神社にやってきていた。
「キレイだね……」
「誰が?」
「なんで人になるのさ」
「私のことを言ってるのかなぁって」
杏葉はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
12段の階段のてっぺんに座っているふたり。丘にあるこの神社からは町を一望できる。
空がオレンジ色に染まり、横顔が夕焼けに照らされていた。
石けりをしたり、鬼ごっこをしたり、遊び終わってあとは帰るだけ。
だけど、空太は今日は帰りたくない気分で、「ちょっと休憩しようか」なんて適当な理由をつけて一緒にいる時間を増やした。
「どうして一緒にいるんだろうね」
「誰が?」
「今度は正しい反応だね」
「そりゃ、どうも。で、誰が?」
「僕と杏葉がだよ。こんなにも一緒にいたら、ふつうは飽きると思わない?」
「そんなこと言ったら、パパやママはどうなるの。ずーっと一緒にいたいから結婚して私たちを産んだんでしょ?」
「そうだけどさ。僕たちは結婚してるわけでも恋人でもないじゃん……好きだけど」
「私を?」
「どうしてそこで聞き返すのかな。サラッと受け止めてよ、サラッと」
「もう1度聞きたかったからだよ。それくらいわかってくれないとダメだぞ、男の子」
杏葉はツンと空太をつついた。
「杏葉はどうなんだよ。僕のこと、好きなの?」
「好きじゃなかったら、空太と一緒にいないよ」
当然、とでもいうように、歯を見せて笑う杏葉。
かわいいはずの笑顔は、夕焼けに照らされて、どこか 果敢無(はかな)げで美しく見えた。
「どうしたの? そんなにジロジロ見られると恥ずかしいんだけど」
「…………」
「空太?」
「僕、杏葉が好きだよ」
「うん、さっき聞いた」
「だから、その……キス、してもいいかな?」
オレンジ色に照らされている顔にある大きな 瞳(ひとみ)が、まんまるになる。
でも、それはほんの1秒だけ。
「いいよ、空太となら」
しっとりとした声は胸の奥まで染み入り、緊張していた空太の心が和らいでいく。
遠くで聞こえるカラスの鳴き声が消えるほど速く脈打つ 鼓動(こどう)。今の空太にはそれさえも心地よく感じられる。
「杏葉……」
思い浮かべるのはテレビの中のキスシーン。
数秒間、しっかりと相手の瞳を見つめて……ゆっくりと顔を近づけていく。
杏葉が目を閉じる。
空太は鼻がぶつからないように顔を傾ける。
そして、目を閉じ、優しく唇を合わせる。
柔らかさと熱さが、相手の体温をわけ与えてくる。
静寂だった。
感じるぬくもりだけが世界のすべてだった。
この世界にはふたりしかいない。自分と相手だけ。
それでよかった。それがよかった。
どれくらい世界を共有していたのだろうか。
どちらかともなく離れ、ゆっくりとまぶたをあける。
「えっ?」
「えっ?」
空太の前にいたのは空太だった。間違いなく、それは空太で、杏葉じゃない。
「杏葉!?」
空太は、自身に響く声に違和感を覚えた。
聞いたことのある、でも、知らないそれに、混乱してしまいそうになる。
「空太……ねぇ、おかしいよ? どうして私が目の前にいるの?」
腕を握ってくる目の前にいる自分。
まだ声変わりもしていない少年らしい声を出しながら混乱しているようで、激しく体を揺らしてくる。
「私が空太で空太が私なんでしょ!?」
「ちょっと、落ち着いてよ。こんなトコでそんなに揺らしたら――」
あっ、と思った時には、もう遅かった。
フワリと浮き、重力から解放されたような自由な感覚が全身を包む。
「杏葉!」
「空太!」
宙に浮きながら名前を呼びあった。
空太は……いや、杏葉は相手の頭を包み込むように手を伸ばす。
そして、天地もわからず、痛みを伴いながら、ふたりは最下段まで転がり落ちるのだった。
「あれから、もう4年半になるんだね」
ぽつりと杏葉はつぶやいた。
前方右側の壁に貼られているプログラムは順番通りにこなされて、残るは生徒会長のあいさつと退場のみ。
「目が覚めたら病院のベッドの上で驚いたね。夢じゃないし、自分が自分じゃなくなってたし」
「うん……全然受け入れられなくて、しばらくはみんなに迷惑かけちゃったよ」
「そんなもんでしょ。それよりも、隣に杏葉がいないことのほうが驚いたよ」
「私が転校すること知ってたはずでしょ?」
「あの次の週にするってことだったし、目が覚めたら、すでに引っ越した後だったからさ」
「空太は、ずっと意識を失ってたの?」
「みたいだね。日付を見たら、半月くらい経ってたし」
「そうだったんだ……」
杏葉はしみじみと、何度か小さくうなずいた。
心が入れかわり、杏葉が目を覚ましたのは、別の県にある病院。つまり、転校先の町であった。
ただ、心が入れかわる前に杏葉(今の空太)から、そのようなことを聞いたことはない。
ふたりの体に起こった異変もそうだが、転校のことを話してくれなかったことのほうが、杏葉にとってはショックだった。
(でも、こうして再会したってことは、きっとなにかがあるってことだよね……)
まだ再会できた気持ちに整理はできていないものの、不思議な縁を感じた杏葉。
きっとこれは、元通りになるチャンスなのではないのだろうか。
「ねぇ、これからのことだけど――」
「ちょっと、何をするんですか」
杏葉が体のことを話そうとすると、弥奈の声が聞こえた。
そっと振り返ると、弥奈が、いかにも好きな女の子にイジワルしそうな男子生徒に、ヒジでつつかれている。
「ねぇ、いいでしょ。同じクラスなんだから、LIME交換してくれたっていいじゃん」
「やめてください。というか触れないでください。いくらクラスメイトでもセクハラで訴えますよ、気持ち悪い」
「まったく、 宗次郎(そうじろう)のやつ、なにやってんだか……」
「友達?」
「いや、あかの他人」
「でも、名前……」
「キミと校門で別れてから、声をかけられたから」
(そういえば、教室に入ってきたとき、空太はひとりじゃなかったっけ……)
「あいつ、かなりチャラいから、気をつけたほうがいいよ」
「それ、空太が言う? 話しかけてきたとき、すっごい危険な人だったけど」
「僕は……別にいいでしょ」
「よくない。というか、もともとは私なんだから、あまりイメージが悪くなるようなことしないでね」
「……善処しておく」
しばらく杏葉は不安そうに空太の横顔を見て、それから顔を前に向けるのだった。
「ねぇ、杏葉ちゃん、あの 藤堂(とうどう)宗次郎(そうじろう)という人物には気をつけてね」
「うん、空太からも言われた」
帰り道、地元の駅に到着してから弥奈と一緒に歩いている杏葉はサラッと答える。
ふたりの両親は中学の卒業式のときから意気投合していて、子どもを放ったらかしてランチに行ってしまった。
このあと、杏葉と弥奈は地元の中学の友達と一緒に、制服のお 披露目(ひろめ)をかねたランチがある。
「空太って、安藤くんのことだよね」
「そうだよ」
「む~」
「空太の名前だしただけでそんなコワい顔しないの」
「だって~」
甘えた声を出しながら、弥奈は杏葉の腕に絡まってくる。
「空太はヘンな人間じゃないし、害はないから……多分」
「そうやって心を許していると、なにされるかわからないよ」
「警戒しすぎだよ」
「杏葉ちゃん、中学時代に男子に襲われそうになったじゃん」
「うっ、それはそうだけど……全員が全員そういうわけじゃないでしょ?」
「いいの。あんなチャラい男は杏葉ちゃんに似合わないの。杏葉ちゃんには私がいるけど」
「あははははは……」
杏葉は苦笑いを浮かべる。
「それで、藤堂くんだっけ? 彼は、どんな感じの人だったの?」
「最悪な人だよ。藤堂宗次郎、許すまじ」
「その割には、楽しそうにしてたじゃん」
「してないよ! 私が女だからってちょっかい出してきて……本気でイヤって言ってるのにツンデレとか勝手に解釈して……あれは将来、絶対 痴漢(ちかん)で捕まる。痴漢じゃなくても、セクハラで訴えられて社会から 抹消(まっしょう)されるの。ううん、されるべき!」
「そこまで目の敵(かたき)にする必要なんてないでしょ」
「ううん、ダメ。あれはダメ。女の敵。野放しにしていたら、絶対被害者がでてくる!」
「わかったよ。弥奈がそういうなら、ちゃんと注意するよ」
「うん、絶対だよ。なにかあったら、私が守るからね!」
「ありがと」
弥奈に心強さを感じながらも、杏葉の頭の中は別のことでいっぱいだった。
第4話へ続く