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皆さんは何歳で人生の選択または分岐点になりましたか?
また、まだ選択や分岐点になってないという方はこのお話を読んで頂けたらこんな方向に少しでもなってしまうのかなぁ?って参考にしてみて下さい。
私の家族は6人
父(元ヤクザ、元ラーメン店経営)昭和21年生
母(元水商売、元ラーメン店経営)昭和35年生
兄貴(10歳上)
兄貴(3歳上)
生まれて5日で死んでしまった姉
私の6人家族です。
まず幼少期の頃の話をします、私の記憶の中の小さな頃は父がまだヤクザだった頃に東京に通っていました
帰りにお土産で駅ビルの1階にある喫茶店で小さな動物の一口ケーキを買ってきてくれてそれを楽しみにしていました。
日に日にそのケーキの数が少なくなり
父は、売り切れだったんだごめんな
と言っていたのを覚えています…
その頃は何にも考えて居なかったのですが今考えると経済的に厳しくなってきたからだとおもいます。
(今になって父は子供達に心配させまいとした優しさだったのだと思っています)
昼間母と2人で家に居ると知らない男の人が玄関に座り込んでいて母が泣きながら帰ってくださいと言ったり体を両手で押したりしていたのも覚えて居ます…
夜になり家族が揃い夕食を食べ終わると日常茶飯事で起こる夫婦喧嘩を目の前で見ていました…
父は、職業柄なのか暴力的で私と2番目の兄貴の目の前で殴る蹴るは当たり、前ガラスの灰皿で母の事を殴ったり、母の顔面をタバコでヤキを入れたり、模擬刀を自分で刃を研いで切れるようにしそれで母の背中を切り付けたりしました、、、
2階で寝ている時父が布団に火を付けにきたりもしました
結局手当や片付けは私がして、お母さん大丈夫?の声しかかけられず小さな頃は何が喧嘩の原因かわからないのでお父さんがお母さんをいじめてる…可哀想としか思ってませんでした
母が夜、灯油をかぶって帰ってきた事もあり何で灯油の臭いがするの?と聞いたら転んじゃったんだよ、シャワー浴びなきゃねって言って脱衣所で灯油まみれの私の写真をエプロンのポケットから出し大丈夫だから寝なさいと言われた時もありました…小さいながらにお母さんが死のうとしたんだなって思いました…
寝る前の口癖でお父さんに今日はお父さんお母さん喧嘩しないでね?オヤスミ、グンナイが口癖でした
仲がいい時はいいのになぜかな?って思ってました。。。
小学一年生の時机を買ってもらった時もそうです…
買ってもらったその日の夜またいつもの様に喧嘩が始まり家の中の家具家電を父と母が投げ合いをして机の椅子に大きなキズを作ってくれました…
そのキズを見ると今でも鮮明に思い出します…
小学校に上がる頃には父も母もラーメン店を経営しだしていました
運動会の日に1番上の兄貴が体育館外にある女子トイレを覗きしました…
小さな村だったので噂は広まり本人はやってないと言っていたので父が覗かれた女性の家に兄貴を連れて行き本人かどうかを聞くとこの男の子が覗いていたと言われました…