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美住みすみさん、先日の笹尾ささおくんとの件でみんなとギクシャクしてるみたいだけど……平気?」


てっきり噂のことについて責められるんだと思っていた杏子あんずは、いたわわるように投げかけられた中村課長の言葉に、逆に戸惑って反応が遅れてしまった。


落ちた段数は笹尾ささお雄介ゆうすけの方が多かったが、「笹尾くんは背中や腕、脚などに青あざが出来た程度だったみたいだよ。だからそこに関してはそんなに気を病まなくてもいい」と課長から聞かされて、杏子はぼんやりと思ったのだ。(結局は歩くのもままならない自分の方が、身も心も痛手を負ってしまっているのかな?)と。


「あ、あの……」


世渡り上手で人気者の笹尾雄介と、その彼女で美人の安井やすい亜矢奈あやなに敵視された杏子は、ハッキリ言って針のむしろ状態。杏子の必死の訴えを信じてくれるような人は一人もいなかったし、今まで仲良くしてくれていた同僚たちも、安井たちに睨まれることを恐れてか、話しかけてくれなくなった。


杏子は、今日のランチも一人寂しく食べたのだ。


だから、だったのかも知れない。

不意に投げかけられた自分を気遣ってくれるような言葉に、杏子がついすがるような視線を投げかけてしまったのは。


「ねぇ、美住さん。キミがなら、私も便宜べんぎをはかってあげられるんだけど、どうかな?」


いきなり距離を縮められて、不意に肩へ手を載せられた杏子は、捻挫ねんざした足の痛みも手伝ってふらりとよろけた。

そんな杏子の腰を、「おっと危ない」と言いながらグイッと引き寄せてきた中村課長に、杏子は訳が分からず瞳を見開いた。


「あ、あの……課長? 私、もう大丈夫……なので」

言って、そっと中村課長から離れようとしたのに、腕を緩めてくれる気配がないのは何故だろう?


「……課長?」


戸惑いに揺れる瞳で中村課長を見上げたら「魚心あれば水心って言葉、賢い美住さんになら分かるよね?」とにっこり微笑まれた。


中村課長は妻帯者で、今奥様は三人目のお子さんを妊娠中のはずだ。それに、もし課長がフリーだったとしても、恋人でもない相手からこんな風にされるのは杏子の本意ではない。

杏子は、「おっしゃられている言葉の意味が分かりません!」と言って中村課長を睨みつけた。


「これ以上変なことをなさるようなら、セクハラで訴えます!」


言いながら、杏子はポケットへ入れたままにしていたスマートフォンにそっと触れる。


「ここには私と美住さんの二人きりだ。何の証拠もないよ?」


杏子の勤め先会議室では、社内の重要な機密事項を話し合うこともあるため防犯カメラのたぐいは設置されていない。発表前の新製品などの画像流出を防ぐための措置そちらしく、議事録に必要な場合はボイスレコーダーを持ち込んだりして音声を録音する形を取っている。会議室は普段施錠されているということもあり、それ以外で録画などは行われていないのだ。


そのことを示唆しさしてきた中村課長に、杏子はポケットの中のスマートフォンをギュッと握り締めた。

笹尾に酷いことをされて懲りたばかりだ。(失礼かも?)と思いはしたが、中村課長から個室へ呼び出された時点で、大事を取って対策は講じている。


「しょ、証拠ならあります!」


杏子あんずは録音中になっているスマートフォンを中村課長に見せつけて、腕を放してくれるようこいねがった。


だが、「バカだな、わざわざそんなのものを私に見せるなんて……」という言葉とともにスマートフォンを取り上げられそうになって、杏子は本気で慌てたのだ。

正直、録ったデータをどうこうするつもりなんてさらさらなかったのに、追い詰められた結果、『録音されたデータを転送する』ボタンをタップしてしまい、メッセンジャーアプリで一番最後にメッセージをやり取りしていた相手――倍相ばいしょう岳斗がくと――に転送してしまった。

不測の事態ではあったけれど、ここで慌てる素振りを見せては不利になる。そう思った杏子は、『送信完了』の文字を見せながら、「たったいま、ここでのやり取りを録音したデータを信頼の出来る人へ送りました」と強がったのだが、どうやらそれが功を奏したらしい。


「じょ、冗談だよ、美住さん。真に受けないで?」

慌てたように課長の手が離れて、杏子はその場に座り込んでしまいそうになった。でも、ここで弱っているところを見せるわけにはいかないと、痛くない方の足に力を入れてグッとこらえた。


それと同時――。


手にしていたスマートフォンが着信を知らせて震えるから、杏子はビクッと肩を跳ねさせて画面を見やる。


「で、電話だね? 私は先に仕事へ戻るから……その、相手の方には上手く言っておいてもらえるかな? あ、足も痛そうだし……そうだ。必要なら早退しても構わないからね? わ、私がうまく取り計らっておくから」


これ幸いと、そそくさと小会議室をあとにしていく中村課長の背中を呆然と見遣りながら、杏子は手にしたままのスマートフォンを見詰めた。

(岳斗……さん?)

そこでさっき、変なデータを岳斗宛に送信してしまったことを思い出して、慌てて通話ボタンを押した。

「もしも……」

杏子が「もしもし」という間を惜しむみたいに、電話先の相手――倍相ばいしょう岳斗がくとの『杏子あんずちゃん、大丈夫!?』と言う声が被さってくる。


「あ、あの……すみません、私……岳斗さんに変なデータ……」

『うん。聴いた。で、今どこ? 会社の中? 〝課長〟とやらはまだそこにいるの?』

「え? あ、……はい。……いえ! もう一人です……」

『分かった、すぐ行く』

「あ、あの……岳斗さんっ!?」


杏子が、『すぐ行くってどういうことですか?』と問い掛ける前に、通話は切れてしまっていた。


すぐに折り返してみたけれど、コールするばかりで繋がらなくて。


杏子は小会議室の中、一人呆然と立ち尽くした。

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