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大学の講義が終わり、バイト先へ向かう。
バイト帰りに今日あの人と出会った駅前を通ったけれど、もちろん会うことはなかった。
自宅へ帰り、ベッドの上に横になる。
「はぁ。疲れた」
誰もいない部屋で一人、声を出す。
「明日、また会えないかな」
実際に想いを声を出すことで、願いが叶うような気がした。
次の日ーー。
昨日と同じ時間、彼と会ったところを歩く。
スーツを着ていたし、会社員だったら、同じくらいの時間帯で出勤するはず。
講義が間に合うギリギリまで、駅前で彼を待っていた。
私は何をしているんだろう。一歩間違えれば、ストーカーになっちゃうのかな。
自分の行動に不安を覚えたが、彼に再び会うことができたら、もう一度お礼を伝え、この気持ちを諦めようと決めた。
数日間、いつもと変らない日々を送る。
朝は少し早めに家を出て、彼に会えた場所周辺で時間を潰し、大学へ向かう。
優菜はそんな私を見て
「会えるといいね。会えたら教えてね!」
応援してくれた。
彼に会いたい。
けれど、そんなに上手くいくわけない。
朝早く起きて、彼と会っても恥ずかしくないように自分なりにオシャレをする。
服装も毎日悩むようになり、化粧も以前より気を遣った。
そのため
「愛。最近、なんだか可愛くなったんじゃない?あの人のおかげだね」
優菜に褒められた。
恋をすると、変わることができるのかな。
そんな日々を繰り返していた日、奇跡が起きた。
いつもと同じように彼と会った場所で時間を潰していた。
今日も会えなかったな。
大学へ向かおうとしていた時、スーツに身を包んだ<あの彼>が向こうから歩いて来るのが見えた。
遠くにいたがすぐわかった。
私は近付こうと歩き出したが、緊張で足が動かない。
やっぱり自分から話しかけることなんてできないよ。
<私なんか>、気持ちが負けてしまった。
彼がこちらに向かって歩いて来るのに、目で追うことしかできない。
この前のお礼を言うだけなのに。
諦めかけていた時、彼は私の前でなぜか立ち止まってくれた。
頑張れ、目の前にいるんだから。
「あの、この間はありがとうございました」
そう伝え、頭を下げた。
返事、してくれるかな。
そもそも私のことなんて覚えているの?
不安が過ぎる。
「いえ。困った時は、お互い様ですから」
低い声。だけど、彼の声は聞きやすかった。
私のこと、覚えていてくれたんだ。このままじゃ会話が終わっちゃう。
焦ってしまった私は
「あの!お名前、教えてください!」
こんな言葉が出てしまった。
この間のお礼を伝えられれば良かったんじゃないの?
なんてこと言っちゃったんだろう。
これでは好意があると伝えているようなものだ。
やっぱり大丈夫です、すみませんと訂正をしようか悩んでいると――。
「黒崎です。黒崎 蓮《くろさき れん》」
彼は自分の名前を教えてくれた。
自分で名前を聞いておいて、戸惑っている私に彼は
「あなたの名前は?」
そう聞いてくれた。
「東条です。東条 愛《とうじょう あい》と申します」
彼は気を遣って私の名前を聞いてくれたんだ。
普通だったら自分から名乗らなきゃいけないよね。
「愛ちゃんって言うんですね」
えっ。今、名前を呼んでくれた?
私の不安を一気に吹き飛ばしてくれる、優しいほほ笑み。
私の顔はきっと真っ赤だ。
自分でも予想外の言葉をかけてしまったが、そのおかげで彼の名前を聞けた。十分だ。
これで彼への気持ちを諦めよう。
頭の中で黒崎さんへの想いを断ち切ろうとしていた時――。
「良かったら、連絡先を交換しませんか?」
黒崎さんがそう言ってくれた。
連絡先を交換?
「私で良かったら。喜んで!」
あまりの緊張で声が大きくなる。
震える手でスマホを取り出し、LINNの画面を開いた。
※LINNとは、この作品の中だけの無料通話アプリのこと。
普段はアプリを開き、お互いのQRコードを読み取るといった簡単な作業であるのに、あまりの緊張で操作方法がわからなくなる。頭の中は真っ白だ。
そんな私に黒崎さんは優しく
「俺が読み取っていいですか?」
声をかけてくれた。
「はい」
私の画面を彼に見せる。
「今、愛ちゃんにメッセージを送りました。見てください」
アプリを開くと、彼の名前が表示された。
メッセージ画面を開く。
<これからよろしくお願いします>
ドクンドクンと大きく鳴る鼓動が止まらない。
これから……という言葉に期待を抱いてしまう。
「仕事で返信が遅くなるかもしれませんが、何かあったら連絡してください」
黒崎さんは私にそう伝え、去って行った。
彼がこの場にいなくなった後も、しばらく動けなかった。
これは夢じゃないよね?
大学で優菜に会うと、黒崎さんと会えてお礼を伝えたこと、彼から連絡先を交換しようと言われたことを全て話をした。
「えっ、そんなことある!?良かったじゃん!!」
優菜も驚いていた。
「夢じゃないかと思ってる」
まだ私も信じられない。
「夢じゃないよ」
優菜は私の顔を思いっきり引っ張った。
お約束の方法で、夢ではないことを確かめられる。
「いいなぁ。で、返事を送ったの?」
そうだ。
連絡先を交換できたことに満足しちゃって、何も送ってない。
「まだしてない。でも、なんて送ったらいいの?」
彼から送られてきた一文を見て、悩む。
もちろん、LINNの返事でこんなに悩んだことはない。
「普通に送ったらいいんじゃないの?今度ご飯に行きましょう?とか」
優菜のアドバイスは参考にならなかった。
「いきなりそんなこと言えないよ!」
積極的になれない。
黒崎さんに嫌われるようなことはしたくない。
嫌われるくらいなら、友達でいい。
まだ友達にもなれていないけど……。
「でもさ、返事くらいしてみれば?」
きっと家で返事を送ったら、一人でずっと悩むことになる。
優菜が近くにいてくれるうちに、黒崎さんに連絡をしてみよう。
<今日は、LINNを交換してくれてありがとうございました。嬉しかったです>
そう彼に送ることにした。
嬉しかったのは事実だから。
私は送信ボタンをタップした。
大学の講義が終わり、アルバイト先へ向かう。
いつもは億劫に感じてしまうアルバイトも、今日は最高に嬉しかったことがあったためか、積極的に取り組めた。
私は、個人経営のカフェでアルバイトをしている。
大学に入学をしてからすぐ雇ってもらうことができたので、働いて二年は過ぎた。
特に苦手な従業員はいないし、個人経営のためそもそもそんなにスタッフがいない。
お店もそれほど広くはなく、コーヒーを専門に取り扱っているため、コーヒー好きの常連客が多かった。
お店の雰囲気もゆったりとしているため、長時間利用するお客様も多い。
バイトが最近億劫に感じてしまうのは、苦手がお客さんが来るからだ。
毎日来店するわけではないが、週に二回から三回程は顔を合わせる。
五十代くらいの男性、仕事をしているのかいつもスーツであるが、注文時や近くを通りすぎる時、身体を軽く触ってくることがある。
しかし故意にやっているのかたまたまなのかというくらいの触れ方なので、強いことは言えず店長にも相談ができていない。
触れられたと思われる箇所に違和感が残る。
常連客のため機嫌を損ねるような態度はとれないと、愛想は良くしているつもりだが、最近エスカレートしてきているように感じていた。
「もしまたあのお客さんが来たら……」そう考えると足取りが重くなる。
「お疲れ様です」
店長に挨拶をし、フロアに入る。
私はキッチンスタッフではなく、フロア担当をしている。
客席を見渡すと、苦手なお客さんの姿が見えた。
気にしないように、新規のお客様のオーダーを聞きに行く。
するとその後、苦手なお客さんに話しかけられた。
「東条ちゃん。最近、綺麗になったね」
ニコニコ笑っているところが少し怖い。
「ありがとうございます」
名前は制服のプレートに書いてあるため、覚えられても仕方がない。
社交辞令のお礼を伝え、その場から通りすぎようとすると
「ちょっと!これ後で見ておいて」
一枚のメモを渡された。
「かしこまりました」
ポケットにしまい、その場を去る。
えっ。なんだろう?
今は仕事中のため、休憩時間に見ることにした。
休憩時間になり、先ほど渡されたメモを見る。
川口という苗字、電話番号、メールアドレスが記入されていた。
これはさすがに店長に報告をしなければと思い、勤務後、店長に相談をした。
「たまにいるんだよね、こういうお客さん。困るよね。もちろん、連絡なんてしなくていいから。みんなに事情を話しておくからさ、あのお客さんが来たら、東条ちゃんはオーダーとかとらなくていいよ」
何かあったらまた相談してと言ってくれた。
せっかく黒崎さんから連絡先を教えてもらった良い日だったのに。
なんだか嫌な予感がする。