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「……ふぅ。今日はお休み……うん、ちゃんと休み。シフトの心配もなし」(外、いい天気。蝉の声がにぎやかだけど、風は涼しくて、歩くにはちょうどいいかも)
「パーカー一枚で十分だね。これ、ポケットが深くて便利なんだ。しっぽ、しまいやすいし……って、何言ってんだろ、私。ふふっ」
(街を歩くたびに思う。この世界の空気って、ほんと不思議。いろんな匂いがあって、いろんな声がして、どれも全部、ちゃんと生きてる匂いと音だ)
「……さて、パン屋さん行ってみようかな。たしか駅の裏って言ってたけど……あ、こっちで合って――」
(ふと、すすり泣く声が耳に入る。立ち止まると、道の端に小さな背中が丸まってる)
「……あの、大丈夫? どうかしたの?」
(くしゃくしゃの涙顔。まだちっちゃい……5歳か6歳くらいかな。目を合わせると、怯えたように顔を伏せる)
「……もしかして、迷子? お母さんとはぐれちゃった?」
(こくん……って、小さくうなずく)
「そっか……じゃあ、一緒に交番行こうか。おまわりさんに言えば、お母さんきっと見つかるよ。ね、大丈夫。怖くないよ」
(そっと手を差し出すと、ちいさな手が遠慮がちに、でも確かに握り返してきた)
(……あったかい。私の手なんかよりずっと、やわらかくて、頼りなくて、それでも一生懸命に“つながろう”としてる)
「……寒くない? パーカーの袖、ちょっと貸してあげるね。ほら、こうやって包んで……うん、よし。歩ける?」
(うなずいた。小さな歩幅に合わせて、ゆっくり歩き出す。交番は、商店街の先……いつもは気にも留めなかった場所)
「……名前、教えてくれる?」
(彼は小さな声で答えた)
「“はるき”くん? ……うん、いい名前。あったかい光って書くのかな。ほんと、君みたいだね」
「私の名前? ……ふふ、それはまだ秘密。今日だけの通りすがり、ってことにしておいて。ヒーロー……って言ったら言いすぎかな」
(少しだけ笑ってくれた。……よかった。怖がってた顔が、ちょっと和らいだ)
(小さな影が、私の隣に寄り添って伸びてる。誰かと並んで歩くって、こんな感じなんだ。ちゃんと、“一緒にいる”って感じる)
「……ねえ、はるきくん。君のこと、誰かがちゃんと探してる。だから、安心して。お母さん、絶対に迎えにくるよ」
(交番が見えた。中にいたおまわりさんが、すぐにこちらに気づいて、優しく声をかけてくれる)
「……じゃあ、ここまでだね。えらかったね、ちゃんと泣かずに歩けた。すごいよ、はるきくん」
(手が離れると、少しだけ名残惜しい。でも、それでいい。私はただの“通りすがりの誰か”でいい)
(心の奥に、ほんのり灯ったあたたかさだけを残して、私はまた歩き出す)
「……うん、これでよかった。こういうことのひとつひとつが、私を“人間”に近づけてくれてる気がする」
「誰かと触れ合って、何かを伝えて、少しでも心に残る……それって、たぶん、“生きてる”ってことなんだよね」
(風がやさしく吹き抜ける。袖の中の手のぬくもりが、まだほんのり残ってる)
「……さて、パン屋、もうちょっと先だったかな。今のうちに行っておかないと、売り切れちゃうかも」
「今日もいい日。……きっと、ね」