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耀と別れ、部屋の前まで戻ってきた和香は足を止め、ふと夜空を見上げてみた。
前のアパートの上ら辺に白く明るい星が見える。
耀には軽く、
「きっと、お母様のことが好きだからですね」
とまとめた和香だったが。
内心、いろいろ思うところはあった。
それで、夜空など眺めながら、ぼんやりしていると、カンカンと階段の音をさせ、エコバッグを手にした羽積が戻ってきた。
見張り見張られの関係なので。
ある意味、『自分のことをなんでも知っている、近しい人』のような気もしている。
それで、『こんばんは』もなく、訊いてみた
「羽積さん、恋って、なんですかね?」
「知るか」
……うむ。
羽積さんらしい答えだ。
和香はまた夜空を見上げたが。
羽積も中に入らずに、そのまま横に立っている。
「見張ってなくても、今日はもう何処にも行かないですよ。
それとも、ずっとそうしてないと、上の人に怒られるんですか?」
「……お前を見張れなんて命令は、とっくの昔に終わってる」
え? と和香は振り向いた。
「まあ、間で様子を見ろとは言われているが」
ほら、と羽積はビールを投げてきた。
「まあ、呑め」
「ありがとうございます」
と言って二人で街を眺めながら呑む。
だが、アパートの二階なので、遠くまでは見渡せなかった。
「そのエコバッグ、ビールと弁当が入ってそうだなと思って見てたんですが」
「当たりだ。
探偵になれよ」
と言いながら、羽積は和香の方を見もせずに呑んでいる。
「もう命令が解除されてたのなら、習慣で見張ってただけなんですか?」
「いや……
なんかこう、お前を見張ってると、時計代わりになってよかったんだ。
会社勤めの奴って、規則正しく動くからな」
なんですか、それは……と苦笑いしながら和香も呑む。
「そんな感じにずっと見たんで。
いつの間にか、お前の成長を妹を見守るように見守っていた――」
「……羽積さん」
「――と思いたい」
いや、思いたいってなんなんですか、と思っているうちに、
「じゃあな」
と和香を残し、羽積は部屋に入っていった。
恋にハマるとか、ごめんだ。
仕事の足を引っ張るから。
なんとなく入ったこの世界だが。
今の仕事が気に入っているので、問題を起こしてやめたりとかしたくない。
そんな風に、和香に、
「……なんとなくなんだ」
と苦笑いされそうなことを思いながら、朝、羽積は身支度を整えていた。
今日の自分は、コピー機の会社で営業をやっている、感じのいい羽積だ。
スーツを着て、にこ、と鏡に向かい、微笑みかけてみる。
ゴミを手に下に下りると、同じアパートの主婦の人に出会った。
「おはようございます」
と頭を下げると、
「おはようございます、羽積さん。
普通にお勤めするようになられたんですね。
バンドはやめちゃったんですか?」
と言われた。
……いや、バンドをやっているという設定ではなかったのだが、と思いながらも、
「はい」
と言う。
「そうなんですかー。
今度、聴きに行きたかったのに。
羽積さんの歌」
……バンドやってるうえに、何故か勝手にボーカルになっている、と思いながらも、
「ありがとうございます。
また機会がありましたら」
と言って、主婦の人のゴミも一緒に捨ててやり、その場を去った。
ご近所さんとは仲良くしておかねばな。
なにかトラブルになったら、仕事に支障が出るから、と羽積は思っていたが。
主婦の人にモテすぎて、支障が出ることは想定していなかった。
おのれを過小評価しすぎるという理由により、羽積はこの仕事のプロフェッショナルとなるには、まだまだだった。
羽積が昼前に和香の会社を訪ねると、辻井が、
「今日、社食で昼おごりますよ。
この間、急いで融通してくれて、助かったんで」
と言ってくる。
この会社の社食は味も美味しく、品揃えもいい。
ガラス張りの明るい社食に行くと、和香が友人たちとしゃべりながら、食べているのが見えた。
和香は、
「この間、友だちが、
『シャイニングマスカットのゼリーいる?』
って、電話してきてくれて。
なんかそれ食べたら、変身しそうだなって思ったんですよね」
とかいう、しょうもない話をしている。
そして、今、目の前では辻井が、
「この前、エコバッグを振るたび、飴が出てきちゃって~」
と負けじと(?) しょうもない話をしていた。
この会社は大丈夫なのだろうか……と思いながら、
「金曜日が一番美味しい」
と辻井が主張するカレーを金曜でないのに食べる。
そんな辻井がトレーを戻しに行く途中、目の前で、つまづいた。
自分が手を出す前に、辻井の横に、たまたまいた和香が、さっと辻井の首根っこを、猫の子のようにつまんで助け起こす。
うむ。
いい腕だ。
いろんなところで訓練を受けているとはいえ、確か和香の専門は経理。
電卓の達人と聞いたが。
こういうときの動きも機敏なようだった。
「それでさー。
和香が王子様みたいに助けてくれたんだよー」
ロビーで缶コーヒー飲みながら辻井が言うのを和香の同期のみんなが聞いていて。
そこに羽積と耀も混ざっていた。
「和香は俺の王子様だよー」
さっと和香が助けてくれたのが、余程魂に響いたらしく、辻井はそう言っている。
「いや、なんで王子……」
と苦笑いした和香が耀をチラと見た。
こいつの王子はこの課長なのだろうな、と羽積は思ったが。
その耀はチラと羽積を見た。
耀の王子は羽積だったからだ。
王子の連鎖に気づかないまま、それぞれがそれぞれをチラチラ見ていた。