流転砂漠の終着点。 砂に埋もれた古代門の奥へと進んだ三人の前に、思いもよらぬ光景が広がっていた。
「……なにこれ、森……? 花、いっぱい咲いてる……!」
アイビーの声が思わず震える。そこには、枯れ木ひとつない翠の森。色とりどりの花々が咲き乱れ、空気は甘く、どこか懐かしい香りがする。鳥のさえずりや小川のせせらぎさえ聞こえてくる。
しかし、それが“作られた夢”であることに気づくのに、そう時間はかからなかった。
「これは……異常だ。ここはドリームコアだぞ。こんな自然があるわけがない」
リクは眉をひそめ、慎重に歩を進める。
そして気づいた――木々の幹が金属でできている。葉はプラスチックのように光を反射していた。
「見せかけの楽園か……」
ロビンがぼそりと呟いた瞬間だった。
──カシャリ。
咲き乱れる花の中央。巨大な花の蕾が、何かを捕らえるように動いた。
「避けてっ!」
リクの叫びとともに、地面が爆ぜるように開いた。無数の“美しい”罠と、何かの気配。
ここは、人を惑わせ、試すための楽園。
花の甘い香りが、空気に混じって濃くなっていく。
ふと、リクが立ち止まった。
「……ん、なんか……」
言いかけた瞬間だった。
ズシャッ! 背後から鋭い茨のような蔓が音もなく伸び、リクの背をかすめた。
「リクっ!!」
アイビーが叫び、リクは反射的に飛び退く。が、避けきれず左肩をざっくり切られた。
「ぐっ……くそ……なんだ今の……!」
傷口から染み出すのは血ではなく、淡い緑色の液体――毒のようにも見える。リクの視界が一瞬、ぶれて歪んだ。
ふらり……
「リク!? ちょっと、ダメだよ、そんなの……!」
駆け寄るアイビーに、リクは手を上げて制止しようとするが、その手も震えていた。
「変な……匂いがする……さっきから……なんか……ねむ……」
「眠っちゃだめ! リク!!」
これはただの自然じゃない。敵意を持って作られた“庭”だ。
ロビンが矢をつがえ、周囲の花に鋭い視線を投げる。
「コノ……花、敵、カモ……油断……すルナ」
そして、リクの足元に根を伸ばしていた小さな白い花が、静かに口を開けた――。
リクの肩から流れる緑がかった血の中に、白い花弁がふわりと落ちた。
「……?」
その花は、血に染まってもなお白く、綺麗なままだった。
まるで――意思を持っているように、花弁がぬるりと傷口の中に滑り込んでいく。
「っ……あああっ!!」
リクが苦痛に顔をゆがめ、膝をついた。
アイビーが慌てて駆け寄ろうとするが、周囲の植物たちがざわめき、彼女の行く手を塞ぐように蔓が伸びてくる。
「ダメ! リクに……何かが……っ!」
リクの体が震え、肩から背中にかけて白い花の模様が浮かび上がる。
それはタトゥーのように見えたが、よく見ると皮膚の下で“咲こう”としているようだった。
「これ……中に、入ってきてる……!?」
心臓の鼓動が乱れ、視界の端で何かが揺れる。
幻覚か、記憶か、それとも“誰か”の意識か。
そして――
「リク……リク……」
耳元で囁くのは、アイビーの声に似た何かだった。
けれど、それは決して“アイビー”ではないと、本能が告げている。
「これは……やばい……」
リクの手が、花の根に侵食されていくのを、ロビンが睨みつけていた。
彼の矢が、花を射抜くタイミングを静かに計っている。
肩の傷は浅いように見えた。しかしその内部で、白く細い根が神経を伝い、ゆっくりと脳へと向かっていた。
──ぶぅん、と耳鳴り。
「リク、大丈夫?」
アイビーが振り返って声をかける。
リクは少し笑って「うん、大丈夫」と返すが、その目はどこか焦点が合っていなかった。
「……(なんか、視界がぼやける……色が……反転して見える?)」
景色の輪郭が、にじむ。色彩が妙に鮮やかに、そしてどこか現実味を失っていた。
ふと、風が吹く。リクの肩口の傷から、白い小さな蕾が顔を覗かせた。
それはまるで、誰かに気づかれるのを楽しみにしているかのように、ゆっくりと──確かに開き始めていた。
その様子を、すぐ背後からロビンが目を細めて見ていた。
彼は無言で矢を手にしながら、ぼそりと呟く。
「……あれは、マズイ……たぶん、寄生……進んでる、カモ」
だが、矢はまだ放たない。リクの身体が、まだ“リク”であるうちに、なんとか助けなければならなかった。
──頭の奥に、ひび割れるような音が響いた。
「……っ、が……!」
リクは膝をつく。
意識の深淵に、誰かの声が囁いていた。
『──咲かせよう。あなたの中に、白い、永遠を──』
リクはいつの間にか、白い霧が立ち込める庭園に立っていた。石畳、噴水、整えられた植栽……けれど、それらの色は全て、白と黒のグラデーションで構成されている。まるでセピア色の夢の中。
風が吹いた。甘く、花のような香り。
どこからか声が聞こえる。
『リク。ここは、君の心の奥だよ。
もう疲れたでしょ? 戻らなくていいんだよ』
リクは顔を上げた。
目の前には、自分そっくりの“もう一人のリク”が立っていた。
表情は笑っていたが、どこかおかしい。目だけが、笑っていない。濁っている。
「……誰だよ、お前」
『僕は君さ。
君がずっと抑え込んでた不安、怒り、後悔……そういうのを全部詰め込んだ、本当の“君”だよ』
「ふざけんな……こんなの、俺じゃない……!」
リクは一歩引く。足元がぐにゃりと沈んだ。地面は土じゃなかった。白い花弁が敷き詰められている。
『もう抵抗しなくていいんだ。
君はもう、疲れた。
誰にも頼れない。誰も守れない。
だったらいっそ、花になって、楽になろうよ。
そのほうが、綺麗だよ』
「うるさい……うるさいっ!」
“偽リク”がにやりと口角を上げる。
その身体が、花弁と根に包まれて、どんどん巨大化していく。
──そして気づいた。自分の身体にも、根が巻きついている。白い、冷たい、まるで血の通っていない“命”が。
『さあ、咲こう。
脳に、心に、花を咲かせて──永遠になろう』
リクは、もがいた。
だが、身体は重く、足も腕も動かない。
「……俺は……まだ……!」
その瞬間、頭の中で、誰かの声が響いた。
『リクッ! 返事してよ! あんた、まだ……!』
アイビーの叫び。
ロビンの怒鳴り声。
現実の声が、遠くから、確かに響いていた。
リクは目を見開いた。
「俺は、まだ……ここにいたいんだよ……!」
その言葉と同時に、精神世界の“偽リク”が裂けるように崩れていった。
空が割れ、白い花が一斉に散る。
──リクの中で、何かが弾けた。
リクの叫びが響くと同時に、身体を縛り付けていた白い根が一気に枯れ始めた。
根は黒く変色し、花びらも萎れてポロポロと崩れ落ちていく。
リクが意識を取り戻したその時、仲間たちの目が茨に刺された手足に釘付けになった。
「なっ……!こいつらの刺さった茨が動いてる……!?」
茨の先端から白い根が蠢き、まるで意思を持つかのようにじわじわと体内へ侵入し始めた。
「まだ本体がここにいるんだ……!」
ロビンが慌ててナイフを抜くも、茨は硬く簡単には切り取れない。
「早く切らないと……でも間に合わないかもしれない!」
アイビーが焦りながらもパイプを構える。
「絶対守るよ、みんな!」
ブリリオンの脅威は、まだ終わっていなかった。
これから来るさらなる試練に、仲間たちは覚悟を決めるのだった。
第五エリア 虚構庭園
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