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Side.緑
ハンドルを握りながら、後部座席のチャイルドシートに座る北斗に話しかける。
「美術館は初めてだね。いっぱい絵が飾ってあって、静かに観るところだよ。北斗も気に入るといいな」
足をぶらぶらさせて、聞いている様子はないけれど。
早速画材屋さんの店主にチラシをもらって、向かっている途中だ。
「でも、北斗の画風とは違うかもな…」
興味のないことにはとことん無頓着だから、絵も少し違えば興味を示さないかもしれない。
どっちにしろ、未知の場所だから少しだけわくわくしている。……のはたぶん自分だけだ。
しばらくナビ通りに車を走らせていると、無事に美術館に着いた。
「行くよー」
シートから下ろし、右手をしっかりと繋ぐ。
美術館の入口には、特別展のお知らせの看板が出ている。名前は知らないが、フランスの画家らしい。
「好みに合うかどうか…」
とりあえず観てみよう、と足を踏み入れる。
週末ということもあり、人出はそれなりに多い。怖がらないかと心配になった。
「大丈夫?」
うるさくはないからか、その表情はやや落ち着いている。
未就学児は無料だから大人一人分の料金を払い、順路を辿る。
展示部屋に入った途端、少しだけ薄暗くなる。無論、絵画を際立たせるためだろう。
やはり怖くなったのか、北斗が脚に抱きついてきた。
「よしよし、大丈夫だから」
抱き上げて背中をなでる。目線が高くなり、北斗でも見やすくなった。
並んでいる絵に描かれているのは、ドレスを着た女性や豪華な建物、フルーツなどいかにも西洋っぽいものばかり。
「わかるかなぁ……でも綺麗だね」
その視線は、しっかりと絵に向けられている。年齢に似つかわしくない真剣な眼差しに、ああやっぱり好きなんだな、と感心する。
「見て、この子北斗みたいにちっちゃいね」
きっと家族を描いたものだろう。
みんな華やかな服を着ているな、などと思っていると、北斗が急に足をじたばたさせた。
どうした、とそっと下ろすと北斗は駆け出す。慌てて追いかけた。
立ち止まったところにあったのは、北斗の何倍もある大きな額縁に入った絵だった。
「走っちゃダメなんだよ、北斗」
言っても、聞く耳を持たずにそれを眺めている。
こういうルールも教えなきゃな、と思う。
「これが気になるの?」
別にメインの展示物でもないし、ただ大きいだけだ。
被写体は、暗い森の中にいる鹿。木漏れ日の下でじっとこちらを見つめている。
確かに美しいものだが、特に突出した魅力があるようには思えない。
でもこんなに熱心に見上げているということは、彼なりに感銘を受けているのかもしれない。
北斗は絵を指さし、俺を振り返った。その小さな唇が動く。
「これ…」
思わずはっと息を呑んだ。
全くといっていいほど発語のない北斗の、珍しすぎる自己表現。その2文字に続く言葉はなかったものの、「これが好き」というのは表情から見て取れた。
なんせ、目の色が違っている。
嬉しくて北斗を抱き寄せる。場を謹んで小声で褒めた。
「すごいね、言えたね」
腕を離すと、なおも北斗はその作品を穴が開かんばかりに見つめる。
何が気に入ったのかはわからない。
なぜほかの絵にはこれほど興味を示さなかったのかも、わからない。
でも、ただ「これがいいんだ」という北斗の中の世界をのぞき見できたというだけで、心に喜びが溢れた。
だが、そこから次の部屋に進ませるのに手こずったのはまた後の話。
終わり