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「話は聞いたで。仁 人、大丈夫やったか」
翌日、最後のレッスンを終えた仁 人のダンススタジオに現れたのは太 智と舜 太だった。
二人とも珍しく険しい顔つきをしている。太 智の声は硬かった。
仁 人は後片付けをしていた手を止め、安心させるように笑いかける。
「大丈夫だよ。今日だって問題なくレッスン終えられたし」
「強いαやってんてな。しかも、芸能人」
「佐野 勇 斗、俺も知ってる。めちゃめちゃ有名やん。そんな人に仁ちゃんが会ってしまうなんて。俺、聞いたとき心臓が止まるかと思ったわ」
舜 太が目に涙を湛え、両拳をぎゅっと握った。
太 智の視線が、仁 人の背後に立つ柔 太朗へと向けられる。
「柔 太朗、お前がおってどういうことや」
「ごめん、大ちゃん。俺がよっしーの水を取りに離れた隙だった」
普段の太 智はみんなの仲介役でその場を明るく盛り上げるタイプだ。しかし、今はその温和さはなりを潜め、怒りの眼差しを柔 太朗に向けていた。
柔 太朗は床磨きのモップを握りしめて悔しさを滲ませる。
「みんな大袈裟すぎ。αに会うことだってあるし、今回のことだって事故みたいなもんだよ」
「その事故を防ぐために柔 太朗がおるんやんか」
「そうだよ。俺、もう絶対によっしーから離れないから」
「事故って、チューのことも含めて言ってるん? そんなん事故にせんといて! 俺イヤや!」
駄々っ子のように舜 太が叫ぶ。
「仁ちゃん、正直に答えて。佐野 勇 斗にキスされてどう思ったん?」
「なっ、そんなこと聞くなよ! 恥ずっ、センシティブ!」
「大事なことやん。答えによっては、俺、佐野 勇 斗とか関係ない。全力で戦うで」
舜 太の勢いに気圧され、仁 人は口をパクパクと開閉した。
そして、気恥ずかしげに睫毛を震わせ視線を伏せる。
「……悪い気は、しなかった」
じっくりと考えるように仁 人は答えた。思い出したのか、口元を押さえながら、頬も耳殼も見る間に桃色に染まっていく。
「はあぁぁぁあ!? 悪い気しなかったぁ!?」
太 智がスタジオの天井が震えるほどの爆音で叫ぶ。
「初対面でいきなりキスしてくるとか、ただのチャラ男やんけ!! 100億パー遊ばれたんや! 信用ならん、絶対反対! 俺は認めんぞ!」
「ほらぁあーーっっ!! 仁ちゃん完全に毒されてるやん!! もうそれ乙女の顔やん!!」
気持ちが昂った舜 太の目からとうとう涙がポロリと転がり落ちた。
「乙女じゃないわ! お前が聞くから答えたんだろうが! てか泣くな。今ので泣くとこあった?」
「仁ちゃんが無事で良かったっていうのと、好きになっちゃってるやん! ていう複雑な心境でもういっぱいいっぱいなんよっ、……ぐすっ、100回言ったら結婚する話は覚えてるやんね。ついこないだの話やで」
「するとは言ってない。そこはハッキリさせとく」
びしっと言い切る仁 人の後ろで、柔 太朗はモップの柄を握り締めながら、激しい後悔のエラーを発生させていた。
……俺が、止めるべきだった。
急遽頼まれた代行レッスン。いつもお世話になっているインストラクターからの頼みだったとはいえ、「ドラマ主演の俳優が相手」だと仁 人から聞いた時点で、どんな理由があろうと自分が全力で止めるべきだったのだ。
普段なら芸能関係というだけで即座に断っていた。しかし今回は、一回限りだからという油断と、自分の危機管理の甘さが、佐野 勇 斗という強力なαを引き寄せてしまったのだ。
「仁 人、分かってるやろ。あの業界は信用ならん」
「……うん、分かってる」
太 智の静かだが通る声に、仁 人はゆっくりと頷いた。
芸能人。華やかな世界。そして、そこには才能溢れるαが数多く存在する。
仁 人たちにとって、それは思い出すだけでも胸が締め付けられる激しい後悔と恐怖の記憶そのものだった。
昔、幼馴染の仁 人、太 智、舜 太の三人は、ジャンルは違うが同じダンススクールに通っていた。特にダンスに魅了された仁 人は幾つかのジャンルを掛け持ちするくらいダンスに夢中になった。スクールを通じてとあるイベントのステージに立ち、眩いばかりのスポットライトと客席からの歓声を浴びたあの瞬間の高揚感が忘れられず、三人で「一緒に芸能界を目指そう」と夢を語り合ったことがあったのだ。
だが、その輝かしい未来の予感は、とある事件で一瞬で打ち砕かれることになった。
ある日、ジャンル別に分かれて出演したダンスイベントの舞台裏。
「なんだお前、Ωか」
メンバーとはぐれ一人になった仁 人が、芸能界の力を持つαの関係者たちに無理やり襲われかけたのだ。
「この業界でやっていきたいなら、Ωは俺たちの庇護下にいた方が得だよ」
「可愛い顔してるし、俺たちなら売り出せるけど」
「意味、分かるよな?」
この先の記憶はあまり無い。
無我夢中で抵抗し、間一髪で逃げ延びたものの、別行動をとっていた太 智と舜 太、そして関係者以外は立ち入ることが出来なかった柔 太朗は、仁 人の異変にすぐ気づけず、即座に助け出すことができなかった。
当時、仁 人はまだΩとしてフェロモンの抑制がかなり不安定だった。その花開く前の危ういフェロモンがαの支配欲を刺激してしまったのかもしれない。
大人のαに囲まれ、恐怖で声をあげることもできなかった。それでもひりつく喉から絞り出した、掠れるような小さな小さな叫び。
それを拾い上げた柔 太朗が駆けつけた時には、仁 人は一人暗い倉庫室の片隅で震えていた。白い衣装は破れ、埃に塗れて汚れている。柔 太朗に続いて、出番間近で姿を消した仁 人を捜索していた太 智と舜 太も、探し当てた仁 人の変わり果てた姿に絶句した。
あの時、守れなかった。
あの出来事は全員にとってトラウマとして深く傷を負うことになる。
太 智はずっと仁 人の傍にいれば良かったと自らを責めた。出番が違えど、ギリギリまで一緒にいることはできた。
大人になってから遅れてβからαへと転換した舜 太は、あの日の無力さを今も拭えずにいる。あの時αだったなら守れたかもしれないのに。とずっと後悔しているのだ。
そして柔 太朗にとっても、主であり守るべき存在である仁 人を危険に晒した過去は、絶対に繰り返してはならない事項として防御プロトコルに刻まれた。
あの時みたいな思いは、二度とさせない。
「仁ちゃんお願いやから、俺と番ろうよ。もうこんな危険な目に遭わせたくない」
「舜 太……」
「な、仁ちゃん……」
「やめっ、」
舜 太が仁 人の肩に手をかけた次の瞬間、その身体が放物線を描いて宙を飛んだ。
太 智が目を大きく見開き「あ」の口の形をしたまま固まる。
床に叩きつけられる前に舜 太が咄嗟に受け身を取るが、かなりの衝撃に大きく呻いた。
「……っったぁあーーーっっ! 何すんねん柔ちゃん!」
「ごめん舜 太。今の柔 太朗、防御モードが最大値に設定されちゃってて」
涙目で転がる舜 太に仁 人が謝る。
投げ飛ばした柔 太朗は冷酷な視線で舜 太を見下ろしている。
「舜 太といえども、よっしーに不用意に近づくαは排除対象とする」
「はぁ、もう柔ちゃん、酷いわ〜。……まあ、こんだけ警戒してたら仁ちゃんも暫くは安心かな」
「……舜 太、お前。ほんと良い奴だな」
ふっと呆れたように笑い、仁 人は舜 太へと歩み寄り立ち上がらせる。近すぎる距離にビクリと緊張する舜 太に「俺から近づくのは大丈夫だから」と安心させ、そして、両腕を伸ばして長身で細身の身体を抱きしめた。労わるようにポンポンと背中を叩く。
「仁ちゃん……っ!」
「安心して。もう会うことないから」
向こうは煌めく芸能界の一時代を築いてるスター、最上級のα。
こちらは一介のダンスインストラクター。
何かが間違って、一瞬交差しただけ。あれだけ魅力的なαなのだ。番うΩ候補なんて山ほどいる。それに、あんな手酷い扱いを受けて、わざわざ接触してくることもないだろう。
ああ、でも一瞬でも勘違いできたのは幸せだったかも。
俺にぴったりの、運命の番じゃないか。なんて夢を見てしまった自分に顔が熱くなる。
悔しいけれど、あんな風に迫られてときめかないΩがどこにいるっていうのか。
仁 人は唇を指でなぞる。熱が、まだ残っている気がした。
あんな美形、間近で見ることなんて、そうそうない。
本当にいるんだな。あんな王子様みたいな人。
レッスン中の、真剣な眼差しが蘇る。
チャラいと太 智は言うけれど、あの時、彼は真摯に取り組んでいた。そして、格好良かった。
というか。
思い返せば返すほど、かなり、もの凄く。良かった。ド直球でタイプすぎた。アプリでマッチングしてたら、即会いに行ってた絶対。
いつもぼやいている、αの条件。
顔が良くて、包容力あって、生活力あって。
包容力と生活力は知らないけれど、顔はこれ以上望むことなんて出来ないくらい天元突破して銀河を突き抜けている。
はぁ、くそっ、芸能人でさえ無ければ……!!
「なぁ、仁ちゃん。もしかして未練あるの?」
「ないない」
舜 太の問いかけに仁 人はスンと真顔で首を振った。
「何かが始まるかもって思ったら秒で終わったの! ハイこの話はおしまい!」
パンパンと手を叩いて仁 人は止めていた片付けを再開する。
「仁ちゃん……」
「もう退出時間過ぎてるから、二人とも片付けるの手伝って。手伝わないなら帰れよ〜」
「はぁ、手伝ったるわ。今度奢れよ」
「なんで貸しみたいな流れになるんだよ」
ふはっと笑う仁 人に太 智も笑う。慌てて舜 太も機材をスタジオの隅へと集め出し、撤収作業はスムーズに終了した。
二人をスタジオで見送り、仁 人は息をついた。
「帰ろっか。柔 太朗」
「だね。忘れ物はない?」
「うん、行ける」
バッグを肩にかけ、スタジオ内を見渡したその時。
扉を開ける音がして、二人は顔を見合わせた。しかし、瞬時に柔 太朗が仁 人を背に隠すように立ち塞がる。
「どうしたの?」
「よっしー、離れないで」
「失礼します」
扉の影から姿を現したのは佐野 勇 斗だった。
「え、まっ、佐野さん?!」
まさかの再会に驚く仁 人に歩み寄ろうとした勇 斗を、柔 太朗がピシャリと制止する。
「近寄るな。それ以上の接近は許さない」
「柔 太朗……」
緊迫した雰囲気に仁 人が思わず声を漏らした、その直後だった。
「たいっへん、申し訳ございませんでしたー―!!!!」
間髪入れず、その場できれいな土下座を決める大人気若手俳優、佐野 勇 斗の奇行に仁 人はその場でフリーズした。
「え、えっ? どういう……」
「昨日は初対面にも関わらず、不躾に距離を詰めすぎてしまったこと、お詫びするしかありません! 申し訳ありませんでした!」
「お詫び……ですか」
「そうです! あまりにも吉田さんが可愛い過ぎて頭がパーンて弾けちゃって気づいたら腕掴んで抱きしめてキスしちゃいました柔らかかったです有難うございます違うすみませんでした!」
澱みなく一気に言い切ったのはさすが俳優といったところだが、内容の九割がただのセクハラ告白だ。
「あの、どうやってここを?」
「はい、調べました。事務所経由で吉田さんのレッスン継続をお願いしたのですが断られたと聞いたので、スマホで『吉田 仁 人 ダンス』て検索したらここのスタジオレッスンが出てきました」
随分早い検索方法である。
別に隠してはないから、検索したらヒットはするだろう。
このスタジオは月間スケジュールと講師の名前と写真もバッチリ出ている。フルネームで登録するのやめておこうかな。JINTOとかにしようかな。
「突然押しかけるのはまた驚かせてしまうかもとは思ったのですが、でも事務所経由での連絡手段も取れず、どうしても謝りたくて、直接来てしまいました」
「……そうですか」
あ、佐野 勇 斗の中では、俺はまだ繊細なうさぎメンタル継続中だ。
もう会うことはないだろうからと、昨日は訂正せずにスルーしてしまったのだが、ちゃんと否定しておけば良かった。完全にタイミングを失ってしまっている。
仁 人の前に立つ柔 太朗は、絶対零度の冷ややかさで勇 斗を直視している。目を合わせたら凍結させる勢いだ。そんな機能はないけれど。
見下ろす美青年ときっちり土下座する美丈夫。
ドラマでも見てるようだと、仁 人は柔 太朗の肩越しから二人を交互に眺めた。仁 人が一番の当事者なのだが。
「あの、それについては、俺も自制が足りなかった所があって、佐野さんのせいってだけでは……」
「よっしーは悪くないでしょ。αとΩ、力の差があるのは分かってるよね。力が強い方が制御しないといけないでしょ」
「仰るとおりです」
勇 斗が更に頭を下げた。ゴンと床に額を打ち付けて、そのままめり込みそうだ。
「佐野さんっ」
「よっしーっ!」
「柔 太朗いいから。大丈夫だから。防御解除して」
柔 太朗を制し、仁 人は横から飛び出て勇 斗の前に膝をついた。
「もう顔を上げてください。あれはお互い抑制出来なかっただけです。俺はもう何とも思ってないんで」
「それは困ります」
バッと顔を上げた勇 斗が真剣な瞳で仁 人を見つめる。
「ん?」
「何とも思わないなんてこと言わないで下さい。俺はもうめちゃくちゃ意識してるんで。吉田さんも意識はしてもらいたいです」
「……んぇ……」
「唇めっちゃ柔らかかったです。今度はもっと意識してキスしたいから、吉田さんも俺のこと意識してほしい」
この国宝級イケメン俳優、様子がおかしい。真っ直ぐに想いを伝えようとしているが、言ってる内容がおかしい。さっきから唇柔らかかったって二回も主張してくるのは何なんだ。強調しないで欲しい。
仁 人が振り返り助けを求めると、柔 太朗もさすがに首を傾げている。
「許して欲しいわけじゃないと?」
「昨日のことは許して欲しいけど、無かったことにはしたくないし、今後のお伺いも立てたいです。あ、今後というのは交際とレッスン両方です」
イケメン俳優が必死になって懇願している姿に、仁 人はふっと顔が綻んだ。
頑なに「芸能人だから」と警戒し過ぎていたのかもしれない。
「とりあえず立ってください。ほら、スタジオの床固いし痛いでしょ」
「……っ、天使!」
手を差し伸べ微笑みかける仁 人に、勇 斗は片手で口元を覆い打ち震えている。
なんか、ちょっと面倒くさいかも。
仁 人は強引に手を掴んで引っ張り上げた。
「時間ももう遅いですし、今日は一旦解散しましょう。佐野さんの気持ちは分かりましたから」
「ほんとですかっ? じゃあレッスン継続と今後のお付き合いの検討をして頂けるということですかっ?!」
「お付き合いの申請は許可できません。初対面でキスするような危険度の高いαは仁 人のパートナーとして認められません」
「はっ?! 許可できないっ? そこをなんとか、出会いからやり直すテイク2はアリですか!?」
「無しに決まってるでしょ」
柔 太朗の宣告に頭を抱える勇 斗を見つめながら、仁 人はゆるく息をついた。疲れた。一気に色んなことが起きて目眩がする。
「本日はお邪魔してしまい申し訳ありませんでした! 吉田さん、俺は本気ですので!」
勇 斗は深々と頭を下げると、何度も振り返りながら嵐のようにスタジオから去っていった。
あまりの熱量に呆然とする仁 人の横で、柔 太朗が勇 斗が遠ざかった後の痕跡を追うように視線を向けている。
「……帰ろっか、柔 太朗。なんか、すっごく疲れた……」
どっと押し寄せる疲労感に肩を落としながら、仁 人たちはスタジオを後にした。
盆と正月とクリスマスとハロウィンとあとそれに七夕にイースター、他何があったか、一年のイベントが全部凝縮され押し寄せてきた気分だった。
コメント
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コメント失礼致します。 とても面白くて、読んでいてとても楽しい気持ちにさせて頂きました! 続きを読ませて頂けるのを楽しみに待っています!
番うまで切ないオメガバース作品が多い中、こちらはコメディ要素も含まれていて可愛いα×2と可愛いΩと可愛いβと可愛いアンドロイドさんの5人なので続きをシンプルに楽しみという文字通りの言葉でお伝えできるのが嬉しいです。 もちろん一筋縄ではいかないと思いますが、みんなが幸せになってくれるよう祈ってます…🥲💓
最高におもしろいです