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ある晴れた日の午後、ユージーン・フィールズは妹であるルシンダ・ランカスターのもとを訪れていた。
 「お兄ちゃん、いらっしゃい。今日はゆっくりしていってね」
 満面の笑顔で迎えてくれる妹は、今日も最高に可愛らしくて愛おしい。
久々に会えた嬉しさで、思わず近づいて抱きしめようとしたところで、斜め前からわざとらしい咳払いの音が聞こえてきた。
 「ユージーン、君は早く妹離れしたほうがいい」
 そんな余計な世話を言いながら、軽く睨むような視線を向けてくるのは、可愛いルシンダの夫となったクリス・ランカスター伯爵だ。
 頭脳明晰であらゆることに秀でている彼は、妹の伴侶として申し分のない男ではあるが、妻の兄であるユージーンをややぞんざいに扱いがちなところがある。
 今日も兄妹水入らずで過ごすべき時間に悪びれもせず割り込んできて、どうかしている。普通は遠慮するものではないだろうか。
 「僕とルーの絆は特別だから。それに、君はルーと毎日会えるからいいだろうけど、僕は久しぶりなんだ。抱擁の一つや二つ、いいだろう?」
「久しぶりと言っても、たった三日ぶりでしょう?」
「ぐっ……。でも、君だって三日もルーに会えないなんて耐えられないはずだ」
「僕は三年耐えました」
 クリスがそっけなく言い放ち、ユージーンはぐうの音も出ない。
たしかに、クリスは過去に三年間──彼の体感では五年もの間、ルシンダと離れて過ごしたという実績があった。
 自分はたった三日会えないだけでも恋しくてたまらなくなるというのに。
 クリスにとってルシンダは想い人であったのだから、辛さはユージーン以上だっただろう。それにもかかわらず、耐え難きを耐え、最終的にルシンダを手に入れたのだから、恐るべき精神力と執着心だ。
 義理の弟に感心と恐怖を覚えていると、ルシンダが苦笑しながら二人の間に入ってきた。
 「あの、立ち話もなんですから、そろそろお茶にしましょう?」
 
 
 ◇◇◇
 
 
 ランカスター伯爵邸の客間は、フィールズ公爵邸と比べこじんまりとしていて、調度品や美術品もさほど目を引くものはない。けれど、落ち着いた穏やかな雰囲気が漂っていて居心地がよかった。
 ルシンダが選んでくれたという、素晴らしく美味しい紅茶を飲みながら、ユージーンがほうっと息をつく。
 「これでルシンダと二人きりだったら最高なんだが」
「未練がましいですね。僕がいるのがお気に召さないなら、日を改めてはいかがですか?」
「今日しか都合がつかなかったんだから仕方ないじゃないか」
 クリスはユージーンのために退席するつもりはないらしい上、いつになく辛辣だ。
 なぜこんな刺々しい態度を取られなければならないのかとムッとしていると、ルシンダが申し訳なさそうに弁解した。
 「お兄ちゃん、ごめんなさい。実は今日、本当はクリスと買い物に出かけるつもりだったのを、私がお願いして予定変更してもらったの……」
 なるほど、愛しい妻とのデートを邪魔されたせいで、こんなに分かりやすく苛立っているらしい。
 だからといって、客人に対する態度としてはどうかと思うが、ルシンダがクリスよりもユージーンを優先してくれたと考えると、顔がにやけずにはいられない。
 「ユージーン、だらしない顔を見せないでもらえますか」
 クリスがまた嫌味を言っているが、可愛い妹に優先してもらった兄として、ここは寛大に接してやろう。
 (それに、もしかするとクリスからいい助言がもらえるかもしれないしな)
 ユージーンは紅茶をごくりとひと口飲むと、にやけ顔を正して話を切り出した。
 「ところで……ルーとクリスから見て、僕とミアの関係ってどう思う?」
 ユージーンの質問に、ルシンダが目を真ん丸に見開き、クリスはわずかに眉をひそめる。
 少しの間、沈黙が続いたが、ルシンダが両手を頬にあてて声を上げた。
 「そ、そ、それって、恋愛相談ってこと……!?」
 ルシンダの瞳が、まるで星でも入っているかのようにキラキラと輝く。
 ユージーンは、指先でぽりぽりと頬をかく仕草をすると、「まあ、そういうことになるかな」と返事した。
 ルシンダの親友であり、転生者仲間でもあるミア・ブルックス伯爵令嬢は、ユージーンにとっても気の置けない存在となっていた。
 少し前までは「ミア嬢」と呼んでいたのが、今では「ミア」と呼び捨てになり、よく通信用の魔道具で連絡を取り合ったり、二人で街に出かけたりもしている。
 側から見たら、立派な恋人同士のように思えるかもしれない。
 しかし、実際はそうではないことをユージーンは悩んでいた。
 魔道具での連絡は、仕事の話やルシンダの近況報告など、甘さのかけらもない内容だし、二人での外出もデートというより視察か何かかと思うくらいの健全さだ。
 つまり、仲のいい友人という関係から進展できていない気がするのだ。
 ルシンダがわくわくした様子で質問する。
 「お兄ちゃんはミアのことが好きなんでしょ?」
「ま、まあ、そうだな」
「きゃあ〜! だったら、告白して気持ちを伝えてみたらいいじゃない。絶対にうまくいくと思うよ」
 ルシンダが両手をぎゅっと握って応援してくれる。
ミアの親友であるルシンダがそう言うのだから、勝算はあるのかもしれない。
 しかし、ユージーンは悩ましげに眉を寄せた。
 「そうだな。でも最近、彼女と話していると上の空みたいなときがあって、何か悩んでいそうなんだ。だから今はタイミングが悪いというか、あまり煩わせたくないというか……」
「そっか……」
 ユージーンの返事を聞いて、ルシンダがしょんぼりと眉を下げる。
ルシンダはユージーンとミアをくっつけたがっていたから、きっとすぐにでも告白してほしかったのだろう。
 ユージーン自身、こうして相談しておきながら、結局覚悟を決められなくて情けないと思う。
 しかし、ミアが大切で、失敗したくないと思うからこそ、いろいろなことが気になって二の足を踏んでしまうのだ。
 「……まあ、ルーから見ても僕たちの仲は悪くないみたいだし、もう少し様子を見てから──」
 へらりと笑って話を終えようとしたユージーンだったが……。
 「それは “逃げ” ですね」
 今まで黙っていたクリスがぴしゃりと言い放った。
 「……逃げだって?」
 聞き捨てならない言葉にユージーンが反応すると、クリスは呆れたように溜め息をひとつ吐いた。
 「今まで散々二人きりで出かけておきながら、まだ告白のひとつもできていないとは」
「うっ……」
「しかも、自分の勇気が無くて告白できないのをぐだぐだ言い訳するなんて」
「うぐっ……」
 クリスの言葉の切れ味がよすぎて、心が痛い。
しかも正論だから言い返すこともできない。
 致命傷を負わされる前に退散しようかと考え始めた矢先、クリスからさらなる追撃がやって来た。
 「それと、ミア嬢の悩みには心当たりがあります。どうやらフィリップという男から言い寄られているらしいですよ」
「クリス! それは言っちゃダメなんじゃ……!?」
 澄ました顔で紅茶を飲むクリスと、慌てた様子のルシンダ。
 そんな二人を呆然とした表情で眺めながら、ユージーンが震える声で呟いた。
 「他の男から言い寄られている、だって……?」
 
 
 ◇◇◇
 
 
 ユージーンが早々に帰っていったあとのこと。
 クリスは使用人たちにテーブルを片付けるよう言いつけると、ルシンダの手を取り、さっきまでとは大違いの優しい眼差しを向けた。
 「さあ、ルシンダ。ユージーンも帰ったことだし、今からでも買い物に出かけようか」
「ク、クリス……。フィリップさんのこと、言っても大丈夫だったんですか?」
「名前と、言い寄られているということしか言っていないから問題ないさ。それに、事実だしな」
「まあ、たしかに……。でも、お兄ちゃんはショックを受けてましたよ」
 ルシンダがユージーンを心配する様子を見せると、クリスが少しだけ面白くなさそうに眉を寄せた。
 「ユージーンは自業自得だ。ミア嬢との間には何も障害なんてないのに、のんびりしすぎだろう。あれではミア嬢が可哀想だからな」
「あ……だから発破をかけてくれたんですね」
 クリスの意図に気がついて、ルシンダが表情を明るくする。
妻の可憐な笑顔を見て、クリスは彼女の柔らかな亜麻色の髪を優しく撫でた。
 「ルシンダは早く二人にくっついてもらいたいんだろう?」
「ふふっ、クリスのおかげでそろそろちゃんとした関係になってもらえそうな気がします」
 ルシンダが頼もしい夫の胸にぎゅっと抱きつくと、クリスも大きな身体で包み込むように抱きしめてきた。
 「これから外出しようと思っていたんだが、今日はこのままくっついているのもいいかもしれないな」
「えっ……! い、いえ、やっぱりお出かけしましょう! 前に二人で行ったカフェの新作スイーツが食べたいです……!」
 耳まで赤くなったルシンダに、クリスが愛おしげに頬を寄せる。
 「そうだな、では買い物をして、カフェにも行こう」
「はい、楽しみです……!」
 夫婦二人きりの客間には、いつの間にか温かくて甘い空気が広がっていた。