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一方、ユージーンはというと。
帰りの馬車の中で記憶を総動員し、魔術学園の卒業生やミアの職場である魔道具研究所の同僚の男たちを思い出していた。
「フィリップ……フィリップ……。くそ、大勢いすぎて絞りきれないぞ……。一体どのフィリップなんだ……」
ざっと思い出せるだけでも10人以上はいる。
詳しく調べれば、その倍の数はいるだろう。
「そういえば、浮気者で有名な “フィリップ” もいたな……」
どこの馬の骨とも知れない男が、軽薄な笑顔を浮かべながらミアに近づくのを思い浮かべるだけでむかむかしてくる。
さらに、もしミアが自分に愛想を尽かして、その男を選んでしまったらと考えると、不安と焦燥感で居ても立っても居られない。
ユージーンは頭を抱えながら大きな溜め息をひとつ吐くと、ポケットから通信用の魔道具を取り出した。
「……こうなったら、本人に聞くしかないか」
◇◇◇
「ユージーン様、どうしたんですか? 急に呼び出されるからビックリしたんですけど」
レストランの個室で向かい合って座りながら、ミアがユージーンを問いただす。
「いや、なんとなく急に会いたくなったというか……」
「えっ……?」
ミアが驚いたように目を丸くし、いつも血色のいい頬がさらに赤みを増した。
「そ、それって──」
「フィリップという男のことで悩んでるんだろう? そんなの、断ってしまえばいいじゃないか」
本当はもっとさりげなく尋ねるつもりだったのに、焦る気持ちが抑えきれず、つい単刀直入に切り出してしまった。
すると、ミアはどこかがっかりしたような表情を見せ、小さく溜め息をついた。
「ルシンダかクリス様に聞いたんですね?」
「ああ、たまたま偶然そんな話になったから、君が騙されてるんじゃないか心配になって……」
「それで急に会おうだなんて言い出したんですか」
何かに苛立ったように、ミアがごくごくとグラスの水をあおる。
「それで、フィリップっていうのはどいつなんだ? 僕が知っている奴か?」
前のめりで尋ねるユージーンをミアがちらりと一瞥する。
「さあ。ユージーン様はご存知ないと思いますよ。そもそも、フィリップって名前も偽名だと思いますし」
「はあ!? 偽名!?」
ミアの返事に、ユージーンが素っ頓狂な声を上げる。
(おいおい、偽名を使って口説くなんて、完全に事故物件じゃないか)
ミアはもっと思慮深い女性だと思っていたのに、なぜすぐ断らずに悩んだりなどしているのだろう。
そのフィリップ(仮)という男に、それだけの魅力があるということなのだろうか。
ユージーンが心を落ち着けるために、水をひと口飲む。
「……偽名のことは、ひとまず置いておこう。ちなみに、彼とはどこで知り合ったんだ?」
震えそうになる手を握りしめ、努めて穏やかに尋ねる。
「知り合ったというか……向こうがわたしの噂を聞いて興味を持ったみたいで、声をかけてくれたんです。なんかいろいろ褒めちぎってくれるから照れちゃいました」
二人の出会いを思い出して、ミアがはにかむように笑う。
その表情を目にした瞬間、ユージーンは胸にぽっかりと穴が空いてしまったように感じた。
ミアが他の男を思い出して、こんな風に恥ずかしそうな笑顔を浮かべるなんて。
ショックすぎて言葉が出ないが、なんとか次の質問を絞り出す。
「……もう何度か会ったのか?」
自分でも分かるくらい暗い声での問いかけに、ミアは苦笑して肩をすくめた。
「実はまだ2回しか会っていないんです。彼も忙しい人だし、あまり外では会いたくないみたいなので」
ユージーンが別の意味で絶句する。
2回しか会っていないのに口説いてきて、忙しいことをアピールし、外では会いたがらない……?
明らかに怪しい。
最悪の可能性が頭をよぎる。
(まさか既婚者とかじゃないよな……?)
ミアはフィリップにそうした疑いを抱いている様子はなさそうだ。これが、恋は盲目というやつなのだろうか。
「君は……どう思ってるんだ? 彼を選ぶつもりなのか?」
僕を捨てて──という言葉は、あまりにも情けなくて言えなかった。
でも、どうか奴を選ばないでほしいと願うユージーンの気持ちも虚しく、ミアは胸をえぐるような返事をよこした。
「うーん……まだ2回会っただけですけど、なんだかすごく熱心で、正直心が揺れてるんですよね……。今ってほら、ちょっと行き詰まっているというか、慣れもあってマンネリ気味な感じじゃないですか」
「……そ、そんなことは……」
これはおそらく、今のミアとユージーンの関係のことだろう。否定したいが、しきれないところが悔しい。
「だから、もしかしたら向こうのほうが相性がいいんじゃないかって思ったりもして」
「……いやいや、まさか……」
「いっそのこと、一回お試しさせてもらうのもアリかな、なんて」
ミアの返事を聞くたびに、真正面からぶん殴られるようなダメージに倒れそうだったが、最後の発言はさすがに聞き流すことはできなかった。
「ダメだ! ダメに決まってる!!」
ユージーンの突然の大声に、ミアが驚いて肩を跳ねさせる。
「な、なんでですか? 別にちょっと試すくらい……。というか、どうしてそんなに怖い顔してるんですか?」
「どうしてって……」
ユージーンがこれほど強く反対している理由が、本当に分からないのだろうか。
ということは、ミアとは両想いのはずと思っていたのは、自分の恥ずかしい思い上がりで、彼女はユージーンのことなど、ただの仲のいい友人程度にしか思っていなかったということだろうか。
それだけでも途轍もなくショックだが、そのことを差し置いても、「ちょっとだけ試しに付き合う」だなんてことは言ってほしくなかった。
たとえユージーンを選ぶことはないとしても、ミアには自分を大切にしてほしい。
彼女は、自分を安売りするどころか、大勢から憧れられても仕方ないほど魅力的で素晴らしい女性なのだから。
(ああ、でもそれも僕のせいなのかもしれない……)
ミアと一緒にいると楽しくて心地がいい。
だから、つい頻繁に連絡を取って、外出にも誘うようになってしまった。
そのうち、二人でいることが当たり前に感じられてきて、つい互いに想い合っているような錯覚に陥ってしまっていた。
しかし、ミアはユージーンがルシンダの兄で転生者仲間だから親しくしていただけで、恋愛相手としては見ていなかったのかもしれない。
(身分的にも、公爵令息である僕からの誘いは断りにくいだろうし)
でも、本人の気持ちとは別に、ユージーンとよく一緒にいることで、周囲からは恋人関係と見なされてしまったのだろう。
他の貴族令息たちは公爵家を敵に回したくないと、ミアへのアプローチをやめてしまい、彼女はユージーン以外の男性との縁がなくなってしまった。
だから、熱烈に言い寄ってきたフィリップに揺らいでしまっているのかもしれない。
だから、こうなったのもユージーンの自業自得だ。
だが……。
(──ちゃんと気持ちを伝えないまま諦めるなんてできない)
ユージーンはスッと椅子から立ち上がると、ミアの席まで移動して跪いた。
「えっ、ユージーン様!? いきなりどうしたんですか!?」
予想外の出来事に口をあんぐりと開けて驚くミア。
そんな彼女を見上げながら、ユージーンが胸に手を当てて懇願した。
「ミア、お願いだからフィリップなんて選ばないでくれ。偽名を使うような怪しい男に弄ばれて、傷つく君を見たくない。僕なら、君をずっと……一生大切にする。だから、僕を選んでくれないか?」
ユージーンの熱を帯びた赤い瞳と、ミアの澄んだ水色の瞳が見つめ合う。
そして──。
「…………えっ? なんで今、そんな話を……?」
ミアが訳が分からないといった顔で呟いた。
「…………へっ?」
一世一代の告白をしたつもりが、なぜか空振りに終わり、ユージーンの口から間の抜けた声が漏れる。
「えっ、だって、フィリップとかいう怪しい男に口説かれてるんだろう……?」
ユージーンも訳が分からず、恐る恐る尋ねてみると、ミアは「とんでもない!」と勢いよく首を横に振った。
「フィリップさんはそういうのじゃなくて、仕事のスカウトですよ」
「は? 仕事のスカウト……?」
「はい。ここだけの話ですが、わたし、諜報員にならないかって声をかけられてるんです」
「ちょうほういん……?」
想像の斜め上をいくミアの返事に、ユージーンの思考が追いつかない。
「魔道具の研究も楽しいですけど、それを生かして諜報員になるのも刺激的で面白いかなって。前世ではスパイ映画とかもよく観てましたし」
ミアの説明を聞いて、ようやくすべてが繋がったユージーンが、溜め息をつきながらがっくりとうな垂れる。
つまり、ミアの悩みは恋愛のことではなく、仕事のことだったのだ。
フィリップとかいう男からは口説かれていた訳ではなく、ヘッドハンティングされていただけ。
それをユージーンが勝手に早とちりして、おかしなタイミングで告白してしまったと……。
(くそっ、クリスのやつ……わざと僕が誤解するように仕向けたな)
義理の弟の策略に、まんまと引っかかってしまったらしい。
急に気力が抜けて、へなへなと脱力してしまったユージーンをミアが心配そうに覗き込む。
「いきなりどうしたんですか? 大丈夫ですか?」
目の前でミアの薄桃色の髪が揺れている。
その綺麗で珍しい色の髪へ、ユージーンの手が無意識に伸びた。
「ユ、ユージーン様……!?」
突然、髪の毛を掬い取られて驚くミアに、ユージーンが言った。
「……ミア。格好がつかなくて申し訳ないけど、さっきの続きをさせてくれないか?」
「えっ? さっきの続きって何…………あっ」
先ほど、ユージーンから告白をされていたことを思い出して、ミアの頬がまた真っ赤になった。
その反応を嬉しく思いながら、ユージーンが春の空のような水色の瞳を見つめた。
「ミア、僕は君のことが好きみたいだ。たぶん、けっこう前から。君も同じ気持ちだったらいいと思ってるんだが……返事を聞かせてもらえないか?」
告白するなら、こんなグダグダな感じではなく、もっとロマンティックにしたかった。
でも、こういう勢いでもなければ、いつまで経っても気持ちを伝えられないままだったかもしれない。
ミアと視線を絡ませたまま返事を待っていると、突然、ユージーンの視界が淡い桃色で覆われた。
「うわっ!」
急にミアに抱きつかれて、ユージーンは危うく床に倒れそうになるのをなんとかこらえた。
そんなユージーンの耳元で、ミアがぷりぷりと文句を言う。
「もう! 遅いんですよ!」
「す、すまない」
「身分的にわたしから言ったら良くないかと思って、ずっと待ってたんですからね!」
「僕が悪かった」
「まったく、あと少し遅かったら自白剤でも作って飲ませようかと思っていたところでしたよ」
「じ、自白剤!?」
ミアの相変わらずとんでもない発想に肝を冷やしつつ、ユージーンが問いかける。
「……でも、ということはミアも……」
「はい、わたしもユージーン様が好きですよ」
少し怒ったような、照れたようなミアの返事。
いつもより緊張したような声音が、とてもいじらしくて愛おしい。
「……ありがとう、ミア」
ユージーンがミアの背中に手を伸ばして抱きしめる。
こんな風に彼女に触れるのは初めてかもしれない。
いつも元気な彼女だが、思っていたより華奢な体つきに心配になってしまう。
「君は諜報員はやめたほうがいいと思うな。やっぱり研究所のほうが……」
ついそんなことを呟くと、ミアがするりとユージーンの腕から抜け出して、頬っぺたを膨らませた。
「もう、こんなときに仕事の話なんてやめてください」
「す、すまない」
すぐ謝るユージーンを見て、ミアがくすりと笑う。
「じゃあ、このあとデートに連れてってください。ちょうど二人で行ってみたかった場所があるんです」
「ああ、もちろん」
「ふふっ、恋人として初めてのデートですね」
「そうだな」
見つめ合う赤と水色の瞳には、互いの幸せそうな笑顔が映っていた。
〈IF外伝に続く〉