コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
小さな田舎町で穏やかに過ごしていた幼少期から一転、私は中学に上がると同時に、大きな変化に直面することとなった。両親が長い間計画していたことだったが、私には急な出来事のように感じた。両親は教育に力を入れたいという思いから、私を都会の中学校へ進学させることを決めたのだ。それは、電車で1時間ほどの小さな町にある中高一貫の進学校だった。そこには、ほとんどが都市部出身の生徒たちが集まる場所だった。
田舎ののどかな環境で育った私にとって、都会の雑然とした生活は異世界のように感じた。街は人々のざわめきで溢れ、車や電車の音が四六時中鳴り響いていた。建物は高くそびえ、遠くまで見渡せた田舎の広々とした風景とは対照的に、視界はいつもコンクリートに囲まれていた。
中学に入学してから、私は両親と離れ、一人で都会のアパートに住むことになった。アパートの部屋はとても狭く、6畳ほどの一間に、机とベッドが置かれていた。都会の生活に慣れていない私は、数ヶ月は新しい環境に戸惑いながらも、孤独感に押しつぶされそうになった。母の作った温かいご飯や、父の畑仕事を眺めながらのんびりと過ごしていた日々が、遠い夢のように感じられた。
学校では、都会の同級生たちとの違いを痛感した。彼らは都会育ちで、電車やバスに乗ることも当たり前、流行のファッションや最新の音楽にも詳しかった。私が着ていたのは、田舎町の商店で買った地味な服で、都会の中学生の洗練されたスタイルとは程遠かった。初めて顔を合わせたとき、私のぎこちない様子や訛りを馬鹿にされたことも何度かあった。
学校生活そのものも小学校とは全く異なっていた。授業は進むのが早く、教師は厳しかった。田舎の小学校では、みんなが家族のように支え合い、助け合っていたが、競争が激しく、成績が全てだった。特にテストの点数が低いと教師から叱られ、周囲からの視線も冷たく感じられた。
一人暮らしの生活も決して楽ではなかった。自炊をしなければならず、ご飯を炊くことすら上手くできなかった。部屋は狭く、夜になると騒音が絶えず耳に入ってきた。眠れない夜には、窓の外をぼんやりと眺めながら、田舎の静かな夜空と満天の星々を思い出した。田舎では星空が当たり前だったが、都会では光が強すぎて、ほとんど星が見えないことに気づいたとき、何とも言えない寂しさを感じた。
しかし、そんな孤独の中にも、都会での生活には少しずつ魅力を見出し始めた。週末に一人で町を探検することが、私の小さな楽しみになっていた。地下鉄に乗って、行ったことのない場所へ足を運んでみると、異国に来たような新鮮な気持ちになった。都会の喧騒や混雑にも次第に慣れ、時折カフェで本を読みながら過ごす時間が私にとっての贅沢となった。
都会の大きな本屋では、田舎では手に入らなかったさまざまな本が揃っていた。私は哲学書や心理学の本に興味を持つようになった。人間とは何か、人生の意味とは何か、といった抽象的な問いに惹かれるようになったのだ。それは幼少期に抱いた「なにか」を探求する気持ちと通じるものがあった。この頃から、私は次第に自分自身の内面に深く潜り込むようになり、外の世界よりも、頭の中で展開される考えの世界に没頭することが増えていった。
学校でも、一人でいる時間が多くなった。クラスメートたちが話している最新の音楽やファッションに興味を持つことはできなかったが、私は居場所を見つけようとしていた。放課後には図書室に足を運び、図書館の片隅で黙々と本を読みふけった。友達は少なかったが、読書の中で出会った言葉や思想が、私の孤独を埋める大切な存在になっていた。
そんなある日、哲学の本の中で「自我」について書かれた章を読んでいたとき、ふと、自分がこれまで抱いてきた漠然とした問いが形を持ち始めた気がした。「自分とは何か」という問いが、具体的な形で私の中に芽生えた瞬間だった。
自分は何者なのか。田舎から出てきた自分と、都会で新しい生活を送る自分。それぞれの自分はどのように関わり合い、どちらが自分なのか。その答えはすぐに見つかるものではなかったが、私は問いを追いかけることを、自分の生きる意味の一つにするようになった。
都会の生活は、厳しいものでありながら、私にとって大きな成長の時期でもあった。周囲から少し離れた場所で、一人黙々と考える時間が増えたことで、私は自分自身と向き合い、「なにか」を追い求める旅が本格的に始まったのだった。