この作品はいかがでしたか?
0
この作品はいかがでしたか?
0
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
-翌日-
今日は私が1学期間通う学校に行く。 そこはママの母校でもある
「2人共行くわよ」
「「はーい」」
そう言って林崎さんと一緒に出発した
ここから学校までは20分ほどある隣町の日ノ出市ある、『青雲高等学校』(旧、日ノ出女学院高校)という所である。
青雲高等学校: スポーツ学校でこの名前を知らない人はいないらしい
そして私は、その学校で運命の人に出会う…。
「ママが通っていた学校はね、今から4年前まで女子高でね、部活が強豪高とも言われた所なのよ」
「へぇ~、ママは当時何部だったの?」
「バレー部よ。でも私達の代では全国に行けなかったのよね~」
話によると、ママは当時から背が高く1年からアタッカーとしてレギュラーをしていた。 しかしその頃強かった『鶴橋商業』という所に決勝で負けていた。 この悔しさを羽に、将来はオリンピック選手をと行き込んで、有名企業に入社したが、思ったよりは目立たず、最高でベンチに入れるくらい。
そんなある日。 SGCことSUPER GIRLS COLLECTIONがTV放送された時に『これだ!』と思ったらしく、当時通っていた会社を辞め今の道に到る。
元々小さい頃の夢が『私が作った服をみんなに着てもらいたい』だったらしく、当時雑誌など見て折り紙やチラシ、又、母親から貰った切れ端の布で、服を作ったりしていた程。その小さい頃の記憶が甦り会社をスパッと辞めれたらしい。
-軽く母の経歴-
19歳の時に美容短期専門学校に入学、ここでファッション基本を学ぶ 卒業後には、[clcl(クルクル)]というデザイン会社に就職。 3年後に大学時代から夢に描いていた『ハリウッドでデザインしたい』という願望で、学生の頃から付き合ってた、現在の夫の直文と結婚2年後に退社しロスへ旅立った。
しかしながら現実は甘くなくコンテストに出すものの、日本特有ファッションは受け入れなれなかった。 その後、私達が生まれ、子育てと両立しながらコンテスト等に出展。
そして6年後の洋と和を組み合わせたファッション「Kimoyo」を出展したところ、数ある強豪の中から唯一、一般候補からのベスト・デザインコスチューム賞を受賞。瞬く間に人気となった。
「勝利したKimoyoを始め、これからも勝利し続ける」
をコンセプトにその名前から取った「Winky(ウィンキー)」と名乗り、5年後にデザイン制作会社に設立。独特なデザイン以外にも、日本で培かった事を活かした服をそこに導入し成功。
2年後に有名なハリウッド俳優の映画用ファッション作成。最近では、流行りファッションの立役者となっている。
「着きましたよ」
そんなこんなで語っていると、一つの校舎に車が入っていく。
「懐かしいわ~」
「ここが青雲高等学校?」
どうやら敷地がそのままらしく、改装はしてるが昔の形を維持しているらしい。校外の周りには、色んな部活の結果の看板がある。
「今でも色んな部活が結果出してるのね~」
美柑は私達が戻る間、林崎さんと一緒に日ノ出市内の探索に行った。
一方で私とママはというと、入り口横の事務所へ挨拶すると、その足で会談室という所に通された。そこの室内の至る所に、大会のトロフィーや賞状が並んでいる。
「すごい」
思わず私は声が出た。
「本当に昔と変わらず、部活が盛んなんだねー」
ママも何か懐かしそうに周りを見渡す。すると扉の方からノックがし
「どうもお待たせしましだ井ノ原゙さん‥ではなくて今は前田さんでしたね。校長の住吉です」
井ノ原: ママの旧姓
「あ!住吉先生。ご無沙汰しております。ちょっと髪が薄くなっただけで全然変わってない!」
「あはは当たり前ですよ、あれから30年なりますから。それに比べてあなたはかなり美人になりましたね~」
「ありがとうございます」
「ねぇママ」
勝手に進められて取り残されている状態であった為、気を向かせた。
「あぁごめんね、私が高校の時の担任だった先生で、一度退任してから共学になる3年前に校長として戻って来た、住吉校長」
「初めまして、前田敦美といいます」
「君が次女の敦美さんだね。話には聞いてるよ。ささ、立ち話もなんですから、お座り下さい」
そう言ってお互いに座る。一息ついてママから話し出す。
「改めてですけど、無理な願いを引き受けて頂きありがとうございます。電話先が住吉先生で良かったです」
「まさか私の教え子が30年越しに娘を連れて来るなんてね」
「何か運命を感じます」
「そうですね。そそ、この後、今回君の所の担任の先生が来る予定なんですよ。一応、大体の事は説明していますが、今回は共学となって初の”短期留学生”ですからね。その担任が来てから今一度説明してくれますか?」
「はい、わかりました」
実は私の扱いは3か月間の短期留学生となる。だが私情を明かさない事を条件なので今回は特別の表上は転校生扱いとなる。
コンコンコン…
そう話していると会談室の出入り口からドアをノックする音とが聞こえた。
「はい」
校長が返事をする。
「遅くなりました、山口です」
ドアの向こうから男性の声がする。
「山口先生か、入りなさい」
先生…
「はい、失礼します」
そう言うとドアを開けて入ってくる。
うぉ!イッケメン!若い!
すると校長が入って来た人を紹介する。
「紹介するよ。今回君のクラスに入る、担任の山口先生です」
「初めまして。普通科3年3組担当の山口慶介といいます。よろしくお願いします」
そう立って挨拶された為、私達も慌てて立って
「あ、初めまして、前田奈緒美と申します。こちらが今回お世話になる敦美です」
「前田敦美です。よろしくお願いします」
挨拶し終えると、山口先生は校長の横に座る。私達もそれに合わせて着席する。
「今回の件はある程度は校長から聞いておりますが…」
と、山口先生が校長を見る。
「あぁ。丁度その説明を改めて前田さんの方からお願いしようと思った所です」
「そうでしか。お手数ですがすみません、お願いします」
「はい」
そう言ってこれまでの経緯を話しだした。
「今回は、私企画のファッションショーを地元で開催するに当たって娘が出演するのですが、こういう業界はどうしても遅くて本番3ヵ月前には準備が必要でして、敦美もまだ高校生。学業も疎かにしたくない部分も親心としてあったので、今回は日本に留学という形で、話を私の母校でもあるの学校に相談した次第です」
すると山口先生は腕組をし
「そういう事でしたかー」
そう言って間を置くと、ママは続けて話す。
「はい。そしたら、当時私の担任だった住吉先生が現校長とお聞きしまして、これは話が早い思い、転校生という扱いで内緒で3ヵ月間居させてくれないかって無理なお願いをしたわけです。生憎、娘達を世に出してない物ですから。そしたら後日オッケーを貰って今に至ってる訳です」
そういう事。ママは言うて著名人。だが私含めた3姉妹は世間に公表していない。元々私は、両親の影響でファッションモデルと日本に対して非常に興味があり、今回、ママの地元の日本でショーあると聞いて、”ここしかない”という事で、思い切って両親に相談した。
すると、中途半端な人が嫌いな両親は大反対。特に母親は「子どもは世間に知らせてないのよ?」「やっていける自信はあるのか」「学校はどうするのか?」「そもそもファンションモデルは口で言うほど簡単ではない」とかで。
現場を知ってる分、まぁ当たり前なんですけど…。所が数日後、両親からショーに関してある提案をしてきた。それが留学だ。 前から日本で勉強したいとは言っていたので、今回ショーに参加する上の条件として持ち掛けて来た。
ファッションモデルも出来て尚且つ、日本で勉強できるとなると、私自身願ったり叶ったりだった為、快く承諾した。
「なるほど。私自身、この地元では有名なデザイナーの娘さんを3ヵ月間お願いしたいという相談は受けてたんですが、しっかりとした理由を聞いてませんでしたからね」
そう話す山口先生に対して校長が
「いゃー済まない。あまりにも内容が内容だったから、私自身も話が纏まっていなかったんでね、だから今日、改めて話をする様に言っておいたんですよ」
「内容はわかりました。周りの職員にもその旨をお伝えしときます」
「ありがとうございます。無理言ってすみません」
「いえいえ、引き受けたのは校長。私達は構わないんですよ。それでは、内容も分かった事ですから、私のクラスの事を簡単に説明しましょうか」
そう言ってクラスの事等の話を受けた。
to be continued…