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「立花、寒いでしょ。こっち」
そんな真衣香に恐る恐ると言った様子で、坪井が声を掛ける。
振り向き、よく見れば黒のダウン片手に立つ姿が目に入った。
「つ、坪井くんだって寒いでしょ。上着、ちゃんと着なきゃ風邪引くよ」
思わずおせっかいなことを口にしてしまった。
慌てて目をそらす。けれど気にする様子もなく、それどころか嬉しそうに。
「え? あ、ほんとだ。なんか寒いと思ったら。教えてくれて、ありがと」
と、無邪気に笑顔を見せて答えた。
ダウンコートに腕を通す姿。
その流れで腕時計を確認する、瞳。
吐く息の白さ。
ゆっくりと、真衣香の方に視線を戻して、眉を下げた。
困ったように微笑む表情。
少し吹いた風が、坪井の真っ直ぐな髪を揺らして。
トクン、と自分の心臓の音が聞こえた。
目が離せないことが、悔しかった。
胸が高鳴っている、そのことが悔しくてたまらなかった。
押さえ込んで。間違えだ!と、この心臓に言い聞かせたい。なんて……到底できやしないことまで考える始末だ。
「行こっか」
「……うん」
『行こっか』と言って、真衣香に触れようとした……ように見えた手はすぐにポケットの中に隠されてしまった。
(手、繋がれるのかと、思った……)
二人きりの時、どちらかというと強引に、そして遠慮なく触れてきた。
当たり前のように手を繋いで、小慣れた様子でキスをして、不慣れな真衣香を翻弄した。
坪井は真衣香に“彼氏“として、そんなふうに触れ続けた。
(でも、今は全然遠いや……。当たり前、なんだけど)
振られて、また好きだと言われて。訳がわからなかったけれど、やはりあれも本心ではなかったんだろう。
鵜呑みにしていたわけじゃない。けれど、どこかで少し期待していたかのような、この心の落胆が恥ずかしい。
歩き出した坪井の後についていく。縮まらない距離、触れ合わない手。
もう”特別”が何もなくなってしまった、関係。
改めて、そう感じた。
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