2年前、突然恋人が失踪した。
喧嘩したわけでも、別れたわけでもない。
それはもう、自然に失踪したんだ。
当然探し回った。
でも、どれだけ探しても、何一つ見つからなかった。
「ただいま。司くん。」
「…は?」
2年前に失踪したはずの恋人は、いとも自然にそう言ってのけた。
「類…類なのか?本当に?!」
俺は思わず掴みかかった。
「わっ!もう、どうしたの?僕は僕だよ。」
そう言って口元に手を当て、ふふっと笑った。
「類…類…!!!」
俺は力いっぱい類を抱き締めた。
「全くお前と言う奴は…!!もう一生、絶対に離さんからな!!」
そう言うと類は力強く俺を抱き締め返した。
「…うん、ごめんね。もう絶対離れないよ。」
そう言った類の声は少し震えていた。
その声を聞いて、俺は思わず涙が出そうになる。
その日は類を抱き締めながら寝た。
この2年間俺は思うように寝付けなかったが、表しきれない安心感が俺を包み、その日はぐっすり寝られた。
「何をしているんだ?」
俺は鏡の前にいる恋人に尋ねた。
類の手にはコンシーラーが握られている。
「つ、司…くん!おはよう。随分と早起きだね。」
類は少し動揺しているようだった。
何かを隠しているのか…?
「!類、腕を見せてくれ!」
「う、腕?」
俺は半ば強引に腕を掴み、確認した。
「……よかった。傷を隠そうとしてた訳じゃないんだな。」
類はたまに自傷をしていた。
1度怒ってからは辞めたようだが…
「傷…って、あぁ、自傷だと思ったの?大丈夫、もう絶対しないよ。」
類は少し安堵しているようだった。
「なら何故コンシーラーを?」
「えっと…ちょっと隈がね…」
たしかに、類の目下には隈がある。
「寝れなかったのか…?大丈夫か?」
俺は心配になり、類の顔色を伺う。
「司くんのせいじゃないよ!…ただ、少し寝覚めが悪くてね…」
もしかして、この2年間で何かあったのだろうか。
そういえば、この2年間、類はどこにいて何をしていたのだろう。
聞くなら、今だろうか……
そう思ったが、結局やめた。
何故かは分からないが、それを聞いたらもう二度と類に会えないような気がしたからだ。
「今度、アイマスクか何か買ってみるか。」
「うん、ごめんね。」
ほんの少し、類の顔色が良くなった気がした。
______________________
今日は2人で近くのカフェに来た。
久しぶりのデートだ。
「類、何頼む?あ、ラムネのパフェとかあるぞ。」
俺はメニュー表を類の方に差し出した。
「え?本当?じゃあそれにしようかな。」
類はラムネのパフェ、俺はケーキセットを注文した。
「んっ、これ美味しいね。けどちょっと甘すぎるかな。」
類はパフェを1口頬張り、水を飲んだ。
「む、甘いの苦手だったか?」
「あぁ、いや。好きなんだけど久しぶりに食べたものだからね…」
これも、2年間の出来事に関係しているのだろうか。
本当に、何をしていたんだろう。
やっぱり変だ。
恋人がおかしい。
これは本当に俺の類なのか?
何を言ってるんだと思われるだろうが、恋人だから分かる。
誰よりも近くで、ずっと類を見てきたから。
この間、ふと水族館に2人で行ったのを思い出してその話をした。
「そういえば、水族館でも類ははしゃいで大変だったなぁ…覚えてるか?イルカショーがどうしても見たくて、次の日にイルカショーだけ見に行ったんだよな。」
その日はイルカショーがたまたまない日だったらしい。
類は酷く落ち込んでいたから、俺が明日も行こうと提案したんだったか。
「え?……あぁ、そんな事もあったね。ふふ、懐かしいな。」
一瞬だけその反応に違和感を感じた。
まぁ、2年以上前の話だから、思い出すのに時間がかかるのは不自然ではないが…
俺が感じたこの違和感の正体は、後に明らかになった。
思い出話をすると、必ず答えるのに間が開く。
それと、自分からは「こんな事もあったよね」と言う話をしない。
もしや記憶喪失……?
と思った事もあったが、恐らく違うだろう。
これは証拠とか無くただの勘だが。
「そういえば、最近は演出の本を読んだりロボット作ったりはしないんだな。」
特に責め立てるわけでもなく、ただ疑問に思ったから聞いてみた。
「えっ…あぁ、それは…まぁ、色々ちょっとね。」
「それより、司くん。今度はどこへ行く?そうだ。面白そうな映画を見つけてね…」
何故、少し気まずそうな顔をしたのだろう。
いや……本当は薄々気付いている。
この違和感の正体を、俺は知っている。
なのに、認めたくないから、こうやって何も言えないんだ。
夢を見た。
懐かしい、恋人の夢だ。
夢の中の恋人は、ゆっくりとこちらに歩み寄って来た。
『何故そこから動こうとしないんだい?』
よく見ると、俺はぽつんと椅子に座っていた。
「分からない…けど、立てないんだ…」
謎の重力のようなものが働いているのか、俺はそこから動けそうになかった。
『それなら、ほら。手を出して。』
俺は言われた通りに類に手を差し出す。
類は優しく俺の手を掴み、引き上げた。
不思議と重力のような圧は無くなり、体が軽くなった。
『これでもう大丈夫。君はもう、大丈夫だから。』
類は俺を優しく抱き締めた。
ふわりといい香りが漂う。
「類……すまない、ありがとう。」
類はニコッと微笑み、少し寂しそうに歩き始めた。
俺は直感的にもう類には会えないと思った。
…それでも、追いかけることはしなかった。
だって、類は俺にもう大丈夫と言ったんだから、何も心配はいらないだろう。
俺は静かに目を覚ました。
隣で寝ているはずの恋人はいなかった。
時計の時刻を見ると、午前4時となっている。
ふと、洗面所の方で音がした。
俺は静かに洗面所に向かう。
不思議と心は穏やかだ。
「……やっぱり、そうか。」
「!!」
洗面所にいた人物は、コンシーラーで目元のほくろを隠している途中だった。
「通りで寝不足なわけだ…」
俺は静かに苦笑した。
「あ…えっと、何故…」
そう言った声はか細かった。
「冬弥、少し話そう。」
2年前、神代先輩が亡くなった。
ショーの最中に事故が起き…
…司先輩の目の前で亡くなった。
そのショーは…史上最悪と言ってもいいだろう。
到底、見ていられなかった。
草薙や鳳はもちろんの事だが、司先輩の取り乱し具合と言ったら…もう、思い出したくない。
そんな中で、俺は最低な事を考えた。
神代先輩は、ステージの上で最期を迎えた。
客席から一瞬見えた顔は、驚いて焦っているようにも見えたが…満足そうにも見えた。
ステージで最期を迎えるなんて、なんともあの人らしいと。
…我ながら最低だが、少し羨ましかった。
通夜、葬式を終えた後の約1年後、司先輩が変だと草薙達から相談を受けた。
草薙は傷心しきっていたが、神代先輩が死んだという事実は受け入れているらしい。
鳳は未だ信じられない…いや、信じたくない様だった。いつもの元気がなかった。
「司先輩が…神代先輩を探し回ってる?」
「うん……なんか、失踪したと思ってるみたいで、」
草薙は少し話しづらそうだった。
「それで…相談というのは?」
「司に…類はもういないって、言ってあげて欲しいの。本来なら、私達の役目なんだろうけど…」
草薙は申し訳なさそうに肩を竦めた。
「いや、頼ってくれて嬉しい。それに、草薙も辛いだろう。俺が引き受けよう。」
「あ、ありがとう…!」
そこから、俺は司先輩に会いに行った。
…が、どうしても神代先輩が亡くなったとは言えなかった。
いざ、こうして司先輩と向き合うと、何を言えばいいのか分からなくなった。
俺は…俺は、司先輩に何が出来るだろう。
今までお世話になった分を、今返す時だ。
でも……どうやって?
そんな時、自分でも狂った思考が頭を過ぎった。
俺が、神代先輩になればいいんだ。
幸い、身長にあまり差は無かったし、体格も似ている。
いや…無理だ。到底、あの人のようになんてなれない。
こんな最低な思考が過ぎるような俺は、あの人になんてなれない。
でも……
俺はダメ元で暁山に相談してみた。
暁山は少し驚いていたが、真剣に話を聞いてくれた。
そして、思いがけない事を言い始めた。
「ボクが、冬弥くんを類にしてあげるよ。」
「……え?」
暁山は俺の容姿を神代先輩に近付けてくれた。
髪も染めた。ウィッグでも良かったが…俺が染めると提案した。
この狂った俺を見て、彰人は離れると思った。
もう覚悟は出来ていた。
だから、開き直って全部打ち明けた。
驚きながらも俺の紫色に染まった髪や、メイクした顔をまじまじと見ていたが、やがて自分の目元を指差して言った。
「…コンシーラー貸してやる。まぁ暁山も持ってるだろうけど…その目元のほくろ、隠さなきゃダメだろ?」
「えっ?」
何故か彰人は俺に協力的な姿勢を見せた。
白石と小豆沢には、彰人から上手く言っていてくれるらしい。
「…すまない、彰人、本当に…」
申し訳なさでいっぱいの俺の気持ちを吹き飛ばすように、彰人は笑った。
「何言ってんだ。相棒だろ。」
暁山から、神代先輩について色々教えてもらった。
神代先輩の癖や仕草、語尾のイントネーションや表情。
そして大まかな過去や出来事についても教えてくれた。
全部聞くと、本当に俺なんかには到底なれない人だ。
暁山は俺が完璧に神代先輩になれるように練習してくれた。
こう聞かれたらこう答える…この時の仕草はこうする…
ラムネが好きで野菜は食べない、人の笑顔が好き、そして、少しメルヘンなものも好き…
何度も、何度も練習した。
それから、俺なりに研究して神代先輩への理解を深めていった。
準備に約1年かかってしまったが、ようやく完璧に神代先輩を演じられるようになっていた。
暁山にも、本当に神代先輩と話しているようだと喜んでもらえた。
俺は少し緊張しながらも、司先輩の家へと向かった。
青柳冬弥ではなく、神代類として。
「本当に……ごめんなさい…いや、謝って許されることでは無いと分かっていますが…」
ここまで冬弥の話を聞いて、申し訳なさでいっぱいになった。
俺のせいで、冬弥はもちろん、寧々やえむ、暁山や彰人にも迷惑をかけてしまった。
「冬弥……まずは、礼を言わせてくれ。ありがとう。」
俺はそう言って頭を深く下げた。
「え?!いえ!あの、顔を上げてください!」
冬弥は汗汗と動揺している。
「俺は…お礼を言われることなんて何も…むしろ、罵倒されてもおかしくないような事を…」
「そんなことは無い!!」
俺は冬弥の目を真っ直ぐ見つめた。
「俺は……本当に感謝しているんだ。嘘でも、本物じゃなくても、本当に類が帰ってきたみたいだった。」
俺は少し目を伏せ、涙をこらえる。
「本当に、もう一度俺に類を会わせてくれてありがとう。」
「司…先輩…」
「それと…本当にすまない。お前に、こんな事をさせてしまって…」
「そ、そんな!これは俺の意思であって、司先輩が謝る事じゃありません!」
俺は必死にそう訴える冬弥を見つめた。
容姿は本当に類にそっくりだ。
でも、目の前にいるのは紛れもない、冬弥だ。
「……すまない。本当に。」
俺はしばらく間を置いてから、口を開いた。
「なぁ、類の墓参りに行かないか?不甲斐ないが…場所が分からんのだ。連れて行って欲しい。」
冬弥は酷く驚いた顔を見せたが、すぐにその目から涙がこぼれ落ちた。
「はい…!!俺で、良ければ、もちろん、!」
冬弥の目から涙はとめどなく溢れ続け、俺は冬弥の頭を撫でた。
しばらく、静かで優しい泣き声が響き続けた。
「ここが…中々いい眺めじゃないか。」
着いたのは丘の上の墓地だった。
色とりどりの花が咲き乱れている。
「神代先輩が…植物が好きだったからと、草薙や鳳がこの場所を提案したんです。」
冬弥はもう目元をコンシーラーで隠すことも、ない。
「ははっ、流石だな。類も喜んでるだろう。」
俺はスターチスの花束を手向け、手を合わせた。
冬弥も俺に続いて花を手向け、手を合わせた。
……本当にありがとう。
夢の中の類は、本物だった。
きっと、あの時の俺を見兼ねて出てきてくれたのだろう。
世界一優しい俺の恋人。
俺はもう大丈夫だ。
次会う時は、約束通りスターになっているだろうな。
“随分と老けたねぇ”とか言って、笑ってくれよ。
そしたら俺は、”どんな俺でもカッコイイだろ”って、笑ってみせるから。
「……冬弥?」
何やら熱心に祈っているようだった。
「類に何て言ったんだ?」
俺は冬弥の髪についた花弁を取った。
「…謝罪と、感謝を。」
そう言って笑った冬弥は心做しか、柔らかかった。
類の墓には、スターチスの花束とホワイトレースフラワーの花束が添えられている。
と、少し強めの風が吹いた。
「…ありがとう、類。また来るからな!」
俺は類に向かって手を振った。
1輪の花が煌めいた気がした。
「…?」
「司先輩?どうかしましたか?」
急に足を止めた俺に冬弥はそう尋ねた。
俺はしばらくそれを見つめていたが、我に返ったように前を向いた。
「何でもない!さぁ、帰ろう。」
足元には、アストランティアが咲いている。
これは、寧々達が僕のために植えてくれたものだ。
「また来るからな!」
その声が嬉しくて、見えないと分かりつつも手を振り返す。
司くんが来てくれた嬉しさと、寂しさで思わず涙が零れる。
その涙は静かに下に落ち、アストランティアを濡らした。
まぁ、濡れたと言っても誰にも見えないんだけど…
「…?」
司くんは突然振り返り、ぼーっと僕の方を見つめていた。
見えるわけが無い。分かるはずがない。
そう思っていても、やっぱり嬉しくなってしまう。
僕は1歩踏み出そうとし…やっぱりやめた。
司くんには、これからスターになってもらわなきゃダメだからね。
僕は2人に背を向け、また星が見えるのを待つことにした。
コメント
8件
ヤバい!泣いてママに変な目で見られてる!
冬弥くんの司くんのためにって感じが泣けた🥹 ノベルまでこんなに上手く書けるなんて…凄すぎる🙄
うわあぁ...悲しいなぁ.. 冬弥くん優しすぎだよぉぉ