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胸に刺さったふたりの笑顔は、家に帰ってからもいっこうに消えてくれる気配はなかった。
つまらない両親とつまらない食事をして、つまらないテレビをぼんやり眺めてから風呂に入り、布団にもぐる。
いつもと変わらない、つまらない一日だった。
記憶にも残らない夢を(たぶん)見て、再びやってきた一日の始まりをスマホのアラームによって叩き起こされ知らされる。
まだ眠たい瞼を無理やり開くと、そこには見慣れたいつもの天井。
何とか上半身を起こし、大きくため息を吐く。
アラームを止め、カーテンを開く。
窓の外はどこまでも続く青空に代わり映えのない住宅街。
その光景を見ながら、俺は再びため息を吐いた。
制服に着替えてダイニングへ向かい、両親と共に食事をすませ、家を出る。
体が――心が重い――
何もない自分の何もない一日は、快晴の空のもと、やるせない思いを抱えたままで今、始まろうとしていた。
このまま学校へ向かい、授業を受けて、ただ帰る、それだけの一日。
こんなにいい天気なのに、俺の心はどこまでも暗かった。
いつも通りの人ごみの中、とぼとぼと歩いていると、数メートル先を歩く翔の背中が眼に入った。
「よう、カケ――」
声を掛けようとしたところで、俺は思わず口籠る。
翔の隣には小野寺先輩の姿があって、ふたりは仲良さそうに笑いあっていたのだ。
その姿を見ていると、声を掛けることすらためらわれた。
あぁ、俺はあの中には入れない、入りたくもない。
ただ、みじめになるだけだ。
良いよなぁ、翔は。
あんな可愛い彼女がいて、綺麗なお姉さんと一つ屋根の下で暮らせて、放課後にはその家の手伝いで古本屋のバイトをしているんだろ?
本が好きで、映画が好きで、色々なことを知っていて、いつもどこか澄ましたような顔をしてパッとしないくせに、毎日が満たされているその姿が羨ましくて仕方がなかった。
ひるがえって俺はどうだ?
――何もない。
彼女も居ない、趣味もない、部活もしてない、やる気すらない。
変わらぬ毎日に辟易しつつ、変わろうという行動すらしてこなかった。
空っぽだ。
俺は中身のない、空っぽな人間なんだ。
俺は立ち止まり、翔と小野寺先輩の姿が見えなくなるまで見送った。
通勤途中の会社員や登校中の学生たちに次々追い抜かされながら、けれど俺の足はいっこうに前へ進もうとはしてくれなかった。
真っ青な空を仰ぎ、目を細めて大きくため息を吐く。
踵を返し、俺は学校とは反対側へと足を向けた。
学校をサボったのは、生まれて初めてのことだった。
何だか心がざわざわしたけれど、後悔はない。
代り映えのない一日から外れたことに、何とも言えない昂揚を感じる。
散歩気分で歩く歩道を吹く風は気持ちよく、ビルに反射した陽はとても眩しかった。
たまに自転車で駆け抜ける川沿いの遊歩道に入り、大きなイベントホール脇に設置されたベンチに腰掛ける。
そうしていると、少しだけ心が晴れ渡ったような気がした。
道行く人たちが制服姿の俺にちらちらと視線を向けてくるけれど、誰も何も言わなかった。
すぐに前を向くか、歩きながらスマホに顔を戻すだけ。
結局他人のことなんてどうでも良いのだ。
それがとてもありがたくて、俺は暖かい陽のもと、いつしかウトウトし始めて――
「あら? 君、こんなところで何してんの?」
不意に声を掛けられて、俺は驚きながら声の主に顔を向けた。
そこには一人の若い女性が立っていて、口元に笑みを浮かべながら俺を見下ろしていた。
後ろに束ねた髪は茶色くて長く、耳にはハートのピアスがきらりと光る。白のワイシャツにぴっちりとしたデニムのジーンズがその足の長さを美しく際立たせていた。歳はたぶん、二十代かそこらだろうか。思わず見惚れてしまうほど彼女は美しく、そして可愛らしかった。
「え、いや、あの――」
口籠ってしまう俺に、彼女は、
「あ、大丈夫、別に怒るつもりはないから。その制服、基安高校だよね?」
「あぁ、はい」
頷く俺に、その女性は優し気な微笑みを浮かべながら、
「隣、座ってもいい?」
「え? えぇ?」
俺の返事も待たずに、女性は俺の隣に腰掛けた。
それから「ん~!」と唸りながら胸を逸らせて大きく伸びをして、
「いい天気だね。そりゃぁ、学校サボりたくもなるわ」
にかっと笑いながら、俺に顔を向けてくる。
漂ってくるその甘い香りに、俺の心臓は早鐘を打つ。
「どうかした? 何か、悩み事でもあるの?」
「――えっ?」
思わず目を見張る俺に、彼女は、
「なんか、そんな顔してるから。解るんだよね、仕事柄」
「仕事?」
と訊ねると、
「そ、仕事。困ってる人をちょっと手助けしてあげる、そんなお仕事してるんだ、私」
まぁ、バイトなんだけどね。そう言って、彼女はへらへらと笑って見せた。
「はぁ、そっすか……」
「だからね、ほら、言ってみ?」
「な、何をですか?」
「悩み、あるんでしょ? 特別に、おねぇさんがタダで聞いてあげよう」
「いや、いいっす」
「あれぇ?」
困ったように、首を傾げるおねぇさん。
だって、あまりにも怪しいじゃないか。
あとから大金を要求されたりなんかするんだろ、絶対。
「私、そんなに怪しい?」
「え、あ、いや、そんなことは――」
言えるはずもない。
「あ、じゃぁ、アレだ。あまりにも私が可愛いから、気後れしてんだ!」
「……それ、自分で言います?」
「だって、事実だもん」
言って、彼女はニヤリと笑い、
「私、ナユタアカネ。アカネでいいよ」
「――アカネ、さん?」
「何だい、少年?」
胸を張って口にするその姿に、俺も思わず笑みをこぼした。
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