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【side宗親】
「あの子。……お前がどれだけ知ってるかは分かんねぇけど……結構うちの店、贔屓にしてくれてんのよ。だからさ、変なことが起こったりして、来てくれなくなったりしたら俺だって悲しいんだわ。――そこら辺、どう考えてんのよ?」
溜め息まじりに言われて、「だからこれ、迷惑料も兼ねて織田の奢りな?」と、僕が飲んでいるのと同じものを自分にも作り始めた明智を無言で眺める。
カラン……と、氷がグラスに落とされる乾いた音と、トクトクトク……という琥珀色のトロリとした液体が注がれる音。
その液体を浴びた途端、グラスの中の氷が微かに軋むような音を立てた。
僕と明智のふたりしかいないからだろう。
店内はしんと静まり返っていて、日頃聞こえないような微かな音までみんな拾ってしまうんだ。
まぁ、店をやってない日に無理矢理連絡して開けさせて……こんな風に図々しくも飲ませてもらってる身だ。ウィスキーを1杯奢るのなんてお安い御用だ。
「別に全部僕の奢りで構わないから、遠慮せず何杯でも飲めばいいですよ」
言いながら、
「まぁ、迷惑料とか店に来てくれなくなるかも知れないとか……。全くの杞憂だと思いますけどね。僕の勘ですけど、ああいうタイプの子は、あまり冒険をしないものです。だから滅多なことじゃ、行きつけの店、変えたりしないと思います」
うだうだ言う明智に、不安要素なんてひとつもないでしょう?と反論を試みた。
そもそも僕はあの子をバーで口説く気はないし、恐らくそれは場所をどこに移しても変える気のないスタンスだ。
恋愛には駆け引きが重要。
先に好きだと告げた方が、その色恋沙汰に於いては立場が弱くなると僕は思っている。
だから彼女のことを好きな気持ちは微塵も感じさせずにあちらに僕を意識させて……ゆくゆくは彼女の方から好きだと言わせたい。
どんなに好きな相手であろうとも、そこは引きたくないし、それが出来ないようでは父の会社を継ぐなんて無理だとすら、僕は思っているんだ。
それに、きっと彼女はここからそう遠くない範囲に住んでいる。
タクシーなんかを拾って来店するのを見掛けたことがないし、当たり前だけど飲酒運転をするような子にも思えない。
徒歩圏内に住んでいる気安さから、ここの常連になっていると考えるのが妥当な筋だろう。
実際、この辺りは近くに大きな大学があって、そこの学生があちこちに住んでいるような地域だ。
僕が目を付けた子も、どうやらそこの学生みたいだし。
何かをきっかけにあの子の家でも分かれば、偶然を装って「こんにちは」なんて言うのも出来るんだが。
そんなことを思いながら、まぁそう都合よく物事が運ぶこともないか、と思い直して。
とりあえず『Misoka』での接点を保ち続けられるようにしておくのが大事だ。
そう思った僕は、学生の身分の彼女がここへ足繁く通い続けることが出来るよう、料金面でのお膳立てを明智に頼んで随分前に手配済みだ。
学生というのは〝学割〟と言えば、ある程度裏から金額に関して都合よくアレコレ手を回しても不自然にならないのとか、本当に有り難い。
「問題はどう声を掛けるか、なんですが」
あの子のことはこの店で幾度となく見掛けているけれど、ひとりで来ているのは見たことがない。
明智が言う彼氏連れの時もさることながら、それ以外でもショートカットのお姉さん気質な友人と飲んでいる風で。
どこかでひとりになってくれたら話しかけやすいけれど、さすがに連れがいるとなるとタイミングが計りづらい。
こちらも2人連れとかならともかく……1対2では分が悪いんですよね。
いざとなったら明智を巻き込むのもありだろうか。
一瞬そんなことを思ってしまってから、でも場所を提供してもらう手前、出来れば男らしく独力で何とかしたいところだな、と思い直す。
そう思っていた矢先だった。
勤め先の建設会社の就職試験を彼女が受け、最終候補者の中の1人として残っていると知ったのは。
***
履歴書の中、リクルートスーツに身を包み、いつものほんわりした雰囲気とは違った硬い表情で写った彼女の写真。
それに記載された名前を見た瞬間、僕の妹――夏凪と対になったようなその名に、運命的なものを感じたと言ったら言い過ぎだろうか。
確かにバーで彼女が「ハナ」と呼ばれていたことは知っていた。
だけどそれが、あんな風変わりな字を当てて読ませるだなんて、誰が想像出来ただろう?
妹の名が同じ様に変わった字面で構成されているのを棚に上げて、僕は今までその可能性に微塵も思い至っていなかった。
――こんなの、運命の相手としか考えられないじゃないですか。
そう信じた僕が、すぐさま社長に掛け合って、彼女のことをどうしても自分の部署に引き抜きたいと話したのは、ここだけの話だ。
うちの父の会社と懇意にしている雇われ先の社長が、彼の息子で……ゆくゆくは大手取引先の跡取りになることが分かっている僕の提案を無下にすることはないだろうと知った上で、僕は権力を行使した。
それ程までしてでも、手中に収めたいと思ったのだ。
――柴田春凪という名の女の子のことを。
いつか正直にそんなアレコレを話すような日が来たならば、キミはどんな反応をするんだろう?
契約で縛るような真似をしてまで自分のことを妻に娶ろうとする男なんて、気持ちが悪いと思うかな?
だから……。
やはり諸々の経緯を含めて、この気持ちは、絶対に春凪に知られてはいけない。
僕が彼女のことを本気で愛しているということは、僕の中で春凪に対してのトップシークレットになった。