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「春凪、来週末は一緒に海へ行きましょうか」
シャワーを浴びて脱衣所を出ると、すぐそこに宗親さんが待ち構えていて、にっこり微笑んで「行きたいんですよね? 海」と付け加えていらした。
さっき、ベッドで私が「嬉しい」を誤魔化すために告げた「海」という単語を拾って下さっているんだと分かるから、今更「あれは口から出まかせでしたっ!」とは言えなくて言葉に詰まる。
宗親さんとアレコレこなすために脱ぐ事を余儀なくされた、短パン代わりの男性用下着や、ブラ代わりのカップ付きキャミソールは、シャワーを浴びた際に再度ちゃんと身につけ直した。
ただひとつだけ違うのは、ショーツのクロッチ部が冷たく濡れそぼっていて履けなかったこと!
実は私、いま男性用下着の下、何も履いていなくてかなり落ち着かなかったりします。
そんな状態だったので、宗親さんの待ち伏せにかなりドキッとさせられてしまったんだけど、顔には出さずにいられたかな?
そもそも!
宗親さんが、汚れた先程の白シャツの代わりに新しく出してくださっていた黒い無地のTシャツの丈がっ。
先達て貸していただいたシャツより少し短めで、ノーパン状態でトランクスさえ履かずに着るには余りにも心許なくてっ。
黒で、下着などが透けて見えないのは有難かったけれど、長さが足りなきゃ透ける透けない以前の問題だったんだもん!
宗親さんはそんな私の出立ちにチラリと視線を流して口の端に薄く笑みを浮かべると、そこには言及せずにいてくださった。
意地悪な宗親さんのことだから、何か仰るに違いないと身構えていた私は、少し拍子抜けしてすぐそばに立つ宗親さんを呆然と見上げた。
宗親さんは惚けたままの私の頭をクシャリと撫でると、「――とりあえず僕もシャワーを浴びてきますね」と、こちらの返答も聞かずに脱衣所の扉を開けてしまう。
思わずその艶っぽい後ろ姿を目で追ったら、宗親さんってば扉を締め切る寸前になって、さも何でもない付け加えみたいに爆弾を投下していらした。
「そうそう。――ドライブついでに春凪のご実家にご挨拶へ伺おうと思っていますので、ご両親にアポを取っておいて下さいね」
思わず何も考えずに「はい」と答えてしまってから、数秒遅れて「ぴゃいっ!?」と変な声が出たの、仕方ないよね?
そもそも投げかけられた言葉が、「取っておいて頂けますか?」ですらないところに、これは決定事項ですよ、という宗親さんの明確な意思を感じさせられるようで、やられた!って思ったの。
――宗親さん! 何故いきなりそんな勝手に話を進めようと!
そう抗議したくて慌てて宗親さんに疑問をぶつけようとしたけれど、時すでに遅し。
閉ざされた扉の向こう側。
あっという間にシャワーの音が聞こえ始めて、私はひとり、中途半端に廊下で立ち尽くす羽目になった。
来週末というと、アパートの退去まであと1週間と差し迫った頃合いで。
――正直悠長にそんなことへ費やしている暇などないと思うのですよ、宗親さんっ!
そう一生懸命心の中で叫んだ私だったけれど、当然宗親さんには届かなかった。
ばかりか――。
***
「順番が色々あべこべになりましたが、そこはまぁ春凪のアパート退去期日までに時間がなさ過ぎたから、ということで。――仕方がないと割り切って、許して下さいね?」
宗親さんが、にっこり笑って私の両肩に手を乗せていらして。
至近距離。極上の腹黒スマイルを向けられた私は、半ば条件反射で「ヒッ」と声を上げて後退りたい衝動にかられる。
けれどガッツリ両肩に乗せられた手が、決して撤退を許してはくれないの。
「改めまして。今日からよろしくお願いしますね。――柴田、春凪さん」
小首を傾げるようにして告げられた、そんなセリフ。
その、格好良さと可愛さの見事な融合っぷりに、ほにゃにゃ〜んと一瞬心を奪われかけてから、ふるふると首を振る。
――い、今の仕草は反則ですっ。ずるいです、宗親さんっ!
私はなるべく、宗親さんのハンサムプリティオーラからのダメージを受けないよう、いそいそと視線をそらしながら、「よ、よろしくお願いします……」と不承不承ながらの小声で応えた。
周りを見回すと、私のアパートから運び込まれた荷物はあらかた整理整頓されて、あるべき場所に仕舞われた後。
およそ今日引っ越してきたばかりの人間がいる空間には見えないくらい整っているの。
でも、よく目を凝らせば、そこここに違和感があるのもまた事実で。
だってほらあそこ。
宗親さんチョイスのスタイリッシュな食器たちが並ぶ食器棚の中、場違いな空気をビンビンに振りまきつつも収まった、私愛用のパステル調で描かれたナマケモノ柄のマグカップが!
その絵面はとっても間抜けで異質。まるでこの高級タワーマンションにおける私そのものみたいに見えた。
(ねぇ、宗親さんっ。あれ、本当にあそこに入れたんで、いいんですかっ? 私の部屋の片隅に置き直した方がよくないですかっ?)
(使い慣れたマグで飲み物を飲みたいからって、捨てるものリストに加えなかったのは確かに私ですけれど……もっとこう、奥の方にコソッと隠しておいた方がいいと思うんですけどねっ……!?)
おろおろしながらアレやらコレやら思いつくままに〝心の中で〟言い募ってみたけれど、当然口に出しているわけじゃないから、宗親さんに届くはずはない。
実は食器棚の手前にあのほのぼのした絵柄のマグカップを入れたのは、他ならぬ宗親さんご本人で、私じゃないの。
きっとあの子は、ここのホストである宗親さんに、場の空気を乱すことを許されてあの場にあるんだ。
――ねぇ宗親さん。私も……あの子と一緒だと思っていいですか?
よろしくお願いします、と返した後、食器棚を見詰め、窺うようにコソコソと宗親さんを見上げていた私に、
「春凪。分かっていると思いますが、ここはもうキミの家でもあるんですよ? だからね、春凪が居心地の良い空間にしていくのも大事なことだと僕は思っています。今のところ僕の好みに溢れ過ぎていてキミは落ち着かないかもしれないですが、少しずつふたりでいて落ち着ける空間にしていきましょうね?」
助け舟でも出すみたいに宗親さんがそう言って下さった。
まるで迷子の子猫みたいにソワソワと落ち着かない心地でいた私は、宗親さんからのその言葉にすごく救われて。
私愛用のナマケモノマグカップが、食器棚の中、一等目立つところに置かれたのも、もしかしたら宗親さんなりの配慮なのかも……?
私にとって心地良い空間づくりの一環だと考えたら、わざわざあそこにあれが置かれたことにすんなり説明がつく気がしたの。
そうして――。
きっと私のために用意されたこの一室も、そのためのものに違いないんだ。
宗親さんから離れて、自分に当てがわれた部屋――優に20平米はありそう――の中に入って、私はほぅっと小さく吐息を落とした。
この部屋には私がアパートから持ち込んだ白と薄桃色とを組み合わせた、乙女チック全開の小さめドレッサーと。
同じような配色のパソコンデスクがポツネンと置かれている。
パソコンデスクの上には愛用のノートパソコンとプリンターが乗っかっていて、白を基調としたノートパソコンはともかくとして、プリンターはすっごく珍しいピンク色。
その、プリンターとしては珍奇な桃色が、これまたシックな色合いばかりの織田邸ではかなり違和感を醸し出していた。
プリンターを買い替えに行った家電量販店で、展示されていたこれと同じ実機を見て、「何これ可愛いっ♥」って一目惚れをして即決でお迎えしたのだけれど、この部屋に移り住むことが分かっていたら、さしもの私だって、こんな風変わりな色、選ばなかった……。
同じように、ドレッサー前に敷いたローズ色のハート型をしたフワフワもこもこラグも、アパートではあんなに可愛く見えていたのに、ここに持ってきた途端めちゃくちゃ浮いて見えるようになってしまった。
このお部屋に移り住むことを想定して、前もって白や黒を基調としたものに買い替えることも検討したけれど、ハートラグ自体、就職を機に通販で買ったばかりだったから勿体なくて。
オマケに部屋が無駄に広いから、多分どんなお色のラグを配置したって、きっと小ぢんまりまとまり過ぎて様にならなかったと思う。