テラーノベル
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定時で一生懸命走ってきた私より早い?
取引先から直帰したのかな、と兄のスケジュールを思い出しながら隣に靴を脱ぐ。
リビングに入ると、ソファから寝息が聞こえている。
ここからは背になっているので見えないが、だらんと伸びた手も見えた。
「お兄ちゃん、寝るならベットで寝なさいよー。そんな場所で寝ても、疲れが取れないでしょ」
テーブルの上にカバンを置いて、椅子を引くとそこに上着をかけた。
そして携帯を取り出して、冷蔵庫の方へ向かう。物色すると、きゅうりと生ハムがあった。
きゅうりの両端を切り、生ハムを巻いてそのまま切らずに手で握って一口食べる。
行儀が悪い行動だが、寝ている兄しかいない。誰も見ていないからできることだ。
うん。美味しい。冷やしていた酎ハイに合うに違いない。
冷蔵庫からチェリーの酎ハイを出していたら、ソファから『んんっ』と兄の声がした。
「お兄ちゃん、場所変わってよ。18時から私の大好きなゲームのイベントが始まってるの。クリスマスカウントイベントでね、私の推しキャラの東大寺くんと東京デートするイベントでさ」
小春が言っていたように、私は小さな頃から子供らしくない出来上がった顔をしていたらしい。
悪く言えば老け顔、よく言えば美人。二重の大きな瞳に、ぷっくりした色気のある唇、高い鼻。
ニキビなんてできたことのない真っ白な肌に、どんなに食べても太らない体型。
同年代の男の子たちには近寄りがたいらしいし、年上の男性たちからは、あの医療コンシェルジュのご令嬢だと下心をもって近づいて来られ、父や兄が散々煙に巻いた結果、誰一人男性と親しくなれないまま大学を卒業し、兄のサポートのために就職。
今でも近づいてくる男性には、警戒してしまって食事すら誘われたことがない。
大学時代、うちの会社に内定をもらいたくて私に近づいてきた人もいたので、どうしても警戒しすぎて、男友達すらできなかった。
元々積極的な性格でもない上に、内向的で、人が集まる場所でじろじろ見られている気がして飲み会にも自分から参加したい気持ちもなかった。
そんな私の唯一の趣味はゲームで、特に眼鏡キャラの知的な男の子との恋愛ゲームにハマっている。
これは小春にも話していないけど、私は兄が引くぐらいのゲームオタクなのだ。
「でね、お兄ちゃん、東大寺くんとデートするのにチケットが必要でさ、西園寺くんともゲームしたいから、ちょっとだけ課金してもいい?」
片手に生ハムきゅうり、もう一方の手には酎ハイ。脇には携帯を挟んでいる。
両手が塞がっていたので、足で冷蔵庫を締めた瞬間だった。
ソファの方から、重そうな本が床に落ちる音がした。
何冊も、何冊も。
「紗矢……」
「なに、おに……ひいいいいっ」
私も携帯を床に落としてしまった。携帯の画面には東大寺くんのドアップが映し出されている。
「おかえり。ごめん。待ってる間にちょっと寝かせてもらったんだけど」
「な、なんでいるのおお!?」
目の前にいるのは、東大寺くん――ではなく、兄が大学時代に家庭教師をしてもらっていた古舘 喬一さんだ。私のことも気にかけてくれて勉強を教えてくれたり、大学選びの相談に乗ってくれた人。
確か外科医として就職してから忙しくなって数年前に開業したときに、うちが全プロデュースしたっきりだから数年ぶりの再会だ。
ストイックな銀色のフレームの眼鏡に、軽くワックスで後ろに流れるように整えられた髪、くっきりした切れ長の瞳にスッと力強く吊り上がった眉、そして嫌みじゃない程度の爽やかな柑橘系の香水。
ああ。私がゲームキャラで眼鏡の男の人を選んでしまうのは、この人が私が今まで見た一番の美形だからかもしれない。
「その……それ」
喬一さんが私の手に持っている生ハムきゅうりを指さした。
「それが夜ご飯って言わないよね? 体に悪いよ」
「……っ」
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