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3話 空気みたいな女
小林はかすかに微笑むと、向かいの席に座った。
嫌な動悸が激しくなっていく。
……嘘だろ。まさか昨日の女が担当webデザイナーだなんて。
身構えた俺は相手の出方を窺ったが、小林に特に変わった素振りもなく、持ってきた資料をこちらに差し出した。
「そちらが今回担当するフリッツコーポレートの要望です。自社サイトのモデルチェンジについてですので、ざっと目を通してください」
受け取って目を通すも、内容なんてほとんど頭に入ってこない。
なんだよこいつ……なんで昨日のことなにも言わないんだ。
俺に抱かれて、泣きながら「好きだ」とまで言っておいて、仕事は仕事と割り切ってるのか?
俺の心中をよそに、小林は淡々と打ち合わせを進める。
複雑な気分だったが、小林は仕事相手として申し分なかった。
プログラミングの知識もあるらしく、こちらの作業工程を理解した上で話をするためやりやすい。
次第に脳が仕事に切り替わり、打ち合わせは滞りなく進んだ。
「では私のほうからは以上です。都築さんからなにかありますか?」
小林が顔をあげた時、不覚にも目を合わせてしまった。
ほんの少し微笑む小林を見て、なぜかベッドの上での潤んだ目を思い出す。
「いや、特にはない。これからよろしくお願いします」
忘れていた動悸がぶり返し、俺はそそくさとノートパソコンを閉じた。
小林は片付ける俺をずっと見ていて、俺は視線を振り切るように、急いでミーティングルームを後にした。
「どうしたの? ほとんど飲んでないし、食べてないけど」
となりに座る麻耶が、ふいに俺を覗き込んで言った。
午後8時の居酒屋はガヤガヤしていて、カウンター席でも顔を寄せないと声が聞こえない。
言われてテーブルに目を移すと、料理はほとんど手つかずで、ビールも半分ほど残っていた。
「あぁ、昨日飲み過ぎたんだ」
言い訳をしたけど、ぼんやりしている原因はそれじゃない。
連日の寝不足に加えて、憂鬱な相手を思い出していたからだ。
小林のことは本当に想定外だった。
同じ社内とはいえ、一切関わりがないから寝たのに、担当デザイナーになるなんてわかっていたら絶対に抱いたりしなかった。
打ち合わせでは割り切った態度だったけど、いつ昨晩のことを持ち出されるかわからない。
だいたい、俺を好きだなんて冗談、一体なんのつもりなんだよ。
俺は苛立ちをビールで押し流し、麻耶を見た。
四六時中一緒にいたくなくても、今日みたいな日は麻耶といると気がまぎれる。
外食が続くと家のものを食べたいと思うのと同じで、空気みたいな女は楽だ。
食事もそこそこに席を立つと、「帰るの?」と麻耶も立ち上がった。
眠いし、このまま帰るつもりだったけど、なんとなく気が変わった。
久々に麻耶の手を握れば、俺の意図が伝わったらしく、麻耶は照れたように小さく笑った。
パチンと短い音が鳴り、ランプシェードがぼんやりと部屋全体を照らす。
麻耶とラブホテルに来たのは久々だった。
いつもは麻耶か俺の部屋でするが、今日は気分を変えたかった。
「シャワー浴びてくるね」
麻耶は椅子に鞄を置き、バスルームに入っていく。
その間テレビでも見ていようかと思ったが、ベッドに横になれば確実に寝てしまう。
ホテルに来たのにそれだと金がもったいないと、俺も眠気覚ましにバスルームに入った。
「えっ、どうしたの? お風呂に入るの?」
先にシャワーを浴びていた麻耶が、驚いたように尋ねた。
俺は返事のかわりに、バスタブに湯をためようとした麻耶を振り向かせ、唇を塞ぐ。
「あっ……」
体に指を這わせれば、麻耶も俺に触れる。
次第に体が火照り、漏れた吐息や声をシャワーの水音がかき消した。
「んっ……はっあぁ……」
麻耶はもう十分に濡れていた。
物欲しそうな目と声が情欲を駆り立てるけど、指と唇だけで焦らして、後のお楽しみを膨らませる。
麻耶の体に力が入らなくなったところで、俺は場所をベッドに移した。
真っ白のシーツに、髪から 滴(したた)る雫。
安い石鹸の匂いも、今は場を盛り上げる最高の小道具だった。
「あっ、あぁぁあっ……!」
体を繋げた瞬間、麻耶から甘い大きな声があがった。
待ちきれなかったとわかる反応に、俺の気分も一気に高まる。
やっぱりセックスはこうでないと。
麻耶の中は思っていた以上によくて、俺の動きも自然と激しさを増した。
足の指をゆるく噛んだだけで震える麻耶に、俺はさらに奥を目指そうと、強く体を揺する。
「……たっ、か……ひろ」
途切れ途切れに名を呼ばれ、俺は埋めていた胸から顔をあげた。
だけど目を合わせた瞬間、思わず動きを止める。
……なんで。
頭をよぎったのは、昨晩抱いた相手。
麻耶の瞳と小林の瞳がだぶって、一気に昨日の記憶が甦ろうとする。
……なんでだよ。
こんな時に勝手に頭に浮かぶなんて、なんのつもりだよ。
「っ……はっ、やあぁぁぁっ!」
俺は甦ろうとする記憶を振り切りたくて、俺は麻耶の体に顔を埋め、大きく体を震わせた。
2時間の休憩を終え、部屋を出る時は体中がだるかった。
20代前半ならまだしも、寝不足で二日連続はかなりきつい。
でも麻耶は満足そうで、俺も最後に小林がよぎったのを除けば、それなりに楽しい時間を過ごせた。
フロントで精算していると、後ろで自動ドアが開く音がした。
支払いを済ませ、ホテルを出ようと、何気なくタッチパネル前のカップルに目を移す。
その時、女のほうがふいにこちらを向いた。
瞬間、俺とその相手―――小林は同時に目を開く。
えっ……嘘だろ。
俺と小林の視線が重なったのは一瞬だった。
俺は麻耶に連れられ、小林はとなりにいる男に連れられ、それぞれ反対方向へ動き出した。
つづく
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