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【悲報】司くん今期限りでフィギュアスケートシングルを引退【悲報】
1.銀盤の名無し
なんで…どうして…なんでなの……
2.銀盤の名無し
ネットニュースのTOPになってた
3.銀盤の名無し
これ見た瞬間「いやーーーー!!!!」って叫んだ
4.銀盤の名無し
嘘だと言って
5.銀盤の名無し
復帰したばっかじゃん!!!!!!!
6.銀盤の名無し
ネット記事サーバー落ちしてる。フィギュア関係で鯖落ちしたなんてよだじゅん引退以来じゃない?
7.銀盤の名無し
やだぁ……(´;ω;`)
8.銀盤の名無し
どうして…どうして…(´;ω;`)
9.銀盤の名無し
記事も横浜のクラブのホームページも鯖落ちしてて読めてないんだけど原因は?
10.銀盤の名無し
9 こないだの全日本で4ルッツ失敗して転んで頭打ったやん?あれでイップスみたいでルッツが跳べなくなったみたい。跳べても一回転、二回転だと半々ぐらいの確率らしい。さらにそこからストレスで元から拒食症気味だったのが再発して水すらも吐いてるとか……
11.銀盤の名無し
ルッツがトラウマになったって。自分が勝手に挑戦して失敗してコーチの顔に泥を塗ってしまったって…いやいやそんなん夜鷹純気にしてないでしょ…確かにプライド高いマンだし完璧主義者だけどそれだけで司くんを見限ったりしないって。夜明師弟のファンやって浅いけどそれだけはわかるってぇ
12.銀盤の名無し
拒食症気味ってやっぱ成長痛のときの休養期間と関係している?
13.銀盤の名無し
12 みたいだね。司くん一気に背が伸びて体重も増えて極力食べないようにしてたって
14.銀盤の名無し
ホームリンクが同じ別クラブの子が言っていたけど司くん栄養失調で一度倒れたらしいよ。休養期間中に。大会に出ていたときは頬はふっくらしてたけどそのときの司くん頬が痩けていたって
15.銀盤の名無し
14 今でもふっくらとまではいかないもん…成長前のもちぽよほっぺたを返して…
16.銀盤の名無し
ジャンプってルッツだけ跳べないの?だったら別に引退じゃなくてもまた休養でいいんじゃないの
17.銀盤の名無し
16 いや、それがそうもいかないんだよな。司くんって夜鷹純の支援でスケートやってるから成長痛での休養と違ってイップス要はトラウマや精神的原因は先が見えない。なにより司くん今17でしょ。進路、将来のことがある
18.銀盤の名無し
そっか、大学に行くにしてもフィギュアスケートでの推薦じゃないと行けないし選手にもショーダンサーになるにしたってシニアでの結果がないとキツイよね。コーチになるにはまだ若いし…
19.銀盤の名無し
ジャンプダメならアイスダンス一本でいいじゃん!!アイスダンスも辞める必要ないじゃん!!
20.銀盤の名無し
19 アイスダンスも金銭面で無理なんだよ…司くんのアイスダンスの費用も夜鷹純持ちだったから
21.銀盤の名無し
親何してんだよ
22.銀盤の名無し
司くんの親って毒親であれだけ大会で金メダルとっててもずっと反対してるってマ?
23.銀盤の名無し
こういう時こそ親が応援しなきゃじゃん
24.銀盤の名無し
え!?なんで!?司くんシニアに混じっての大会はまだ取れてないけどそれでもジュニアの中ではずっとトップじゃん!?それでも辞めろって言うの!?は!?
25.銀盤の名無し
同じクラブの洸平くんとジュナくんが話しているの立ち聞きしたんだけど前に一度司くんのお母さんがクラブに乗り込んできた事があったらしいよ。休養のとき。休ませるほど悪いなら名古屋に連れて帰るって。警備員も出てきて大変だったって。
26.銀盤の名無し
25 ヤバすぎじゃねーか
27.銀盤の名無し
25はどういう立場でそれ聞いたの?
28.25です
26 去年一般滑走で横浜のリンクに行ったときに談話室でふたりがいて「わぁすげぇ!アイスダンスの洸平くんだ!サインとかもらえないかな…」って近づいて話しかけるタイミングをはかってて盗み聞きしてしまいました。これ以上は聞いたらあかんと話しかけることもなく場を去ったけどマジふたり司くんのために怒ってて司くん大事にされてんだなぁと復帰頑張ってほしいなとそれからジュナくんのファンになりました
29.銀盤の名無し
25 盗み聞きはよくないけど司くん愛されエピソードありがとう
30.銀盤の名無し
ファンになってるやん。でもなぜジュナくんだけ?
31.ジュナくん堕ちの25
30 違うんだ。洸平くんは元々ファンだったんだけどジュナくんってシングルで浮いていたし友達少ないって聞いてたからよっぽどアレなやつなのかって思ってたんだけど話ですごい怒ってて「俺たちでつーくんになにかしてあげられないかな!?俺つーくんにはずっと笑顔で楽しそうに氷の上にいてほしいんだよ!」って言ってて涙がほろりとしてしまった
32.銀盤の名無し
ジュナくん!!なんでいいやつ!!
33.銀盤の名無し
司くんジュナくんは変な絡みをしてくるから苦手意識あるって言っていたけどなんだよ普通に愛されてんじゃん
34.銀盤の名無し
真剣にコーチの話を聞いている司くんの背後にこっそりと忍び寄り着ぐるみの頭被せたり自身が白鳥の着ぐるみを着てそれで頭かじったりしてちょっかいかけてきてブチギレて司くんにデスリフトそれたって聞いていたけどなんだ可愛い弟にかまってほしかっただけか
35.銀盤の名無し
ジュナくんと司くんのほっこりエピありがとう
36.銀盤の名無し
ほっこりなのか?
37.銀盤の名無し
脱線しているな。話を戻すと息子が休養しているのに心配するんじゃなくてこれ幸いとスケート辞めさせられると乗り込んでくる程度には毒親ってことはわかった。そんなところに司くん戻って大丈夫?その親司くんを自分の管理下に置いておきたいだけで司くんの将来とか考えてなくないか?
38.銀盤の名無し
いるよね、愛してないくせに大事にしないくせに所有物として管理したがる親
39.銀盤の名無し
もう夜鷹純が司くんの親権をとったらええやん
40.銀盤の名無し
もしくは高峰先生。高峰先生のコメントでは本人は今正常な判断ができない状態だからとりあえず休ませることを優先して将来フィギュアスケートにどう関わっていくのかを共に考え支えていきたいと思っているって書いてあったもんね。もう半分以上息子だって思ってるでしょ
41.銀盤の名無し
娘の瞳ちゃんのパートナー問題だってあるしね。やっと娘が輝ける人材だもん。逃したくないだろうし。もちろんそれ抜きでも司くんを大事にしているもんね
42.銀盤の名無し
肝心の夜鷹純はどうなってるのよ
43.銀盤の名無し
公式Twitterには反応無いね。なにも表明していない
44.銀盤の名無し
うう、どうなっちゃうんだろ…本当に辞めちゃうのかな…
45.銀盤の名無し
ねぇ、司くんのアンチスレ見た?夜鷹純を神様みたいにたたえているやべーの
46.銀盤の名無し
45 見てない。一度目にしてすごい酷いから通報してそれっきり
47.銀盤の名無し
45 あいつら頭おかしいよ。10代の子供にタヒねとか呪うとかすごいもん
48.銀盤の名無し
45 どうせお祭り騒ぎで喜んでるんでしょ
49.銀盤の名無し
その逆だよ。辞めるくらいなら始めからやるなとか、夜鷹純の寄生虫とか金が欲しかっただけの売女とかひどいひどい。中には知り合いの男ら仕掛けて拉致って足折って犯すとか書いててヤバすぎ
50.銀盤の名無し
は??????カスかよ
51.銀盤の名無し
はいはい通報通報
52.銀盤の名無し
頭おかしいやろ
53.銀盤の名無し
あいつらのせいで司くん自由に行動できなくなったんだぞ?ほんと、捕まってほしい。なんだってあんなこと言うのさ
54.銀盤の名無し
夜鷹純が再三、司くんへの脅迫めいた投稿やアンチスレは止めてくれって言ってんのに。何人か弁護士通して訴えられたでしょ。それでもやめんのなんなん?
55.銀盤の名無し
54 むしろ夜鷹純が自分を見てくれたって喜んだらしいよ。ガチのキチガイ
56.銀盤の名無し
そんなヤツらがいるから司くんのプレッシャー半端ないんだって…子供の夢をなんで応援してやれないんだよ…
57.銀盤の名無し
司くんが構成変えて4ルッツ跳んだのって箱庭のバレエは夜鷹純の代名詞で完璧に再現できないと叩かれるからやったんじゃないの。じゃ無かったら司くんが大好きなコーチとの練習したこと蔑ろにするわけがないじゃん
58.銀盤の名無し
自分昔からの夜鷹純ガチ勢だったけど司くんには感謝しかない。だって昔と比べてさ夜鷹純の表情こんなにも違うんだよ?あんな幸せそうな夜鷹純初めて見たもん…自身が金メダルとるより嬉しいんだろうなってすごい伝わったもん
59.銀盤の名無し
58 それな
60.銀盤の名無し
司くんも心配だけど夜鷹純も心配だよ…
渡された紙に書かれた地図と住所。紙を見ながら慣れない神奈川の街を歩いてようやく辿り着いた高層マンション。ロビーに入るとコンシェルジュが居てそちらにまっすぐ向かう。ちょっと心臓は緊張で早くなっている。
「あの、彼に会いたいんやけど通してもらえますか?」
名前を出すなと言われていたから別に用意してもらった紙を見せる。そこには俺が会いたい人物の名前とここまでの道を教えてくれた人の名前が書かれていた。コンシェルジュと呼ばれる初老の男性は銀フレームの眼鏡の奥をこちらに向けて「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」と問いかけてきた。
「蛇崩遊大です、京都土産に君の大好きなドーナツあるでって伝えてください」
ピンポンと多分鳴っているだろうチャイムを鳴らすと足音が遠くから微かに聞こえて少しの躊躇があってドアが開いた。
「おん、久しぶり、っていうほどでもないか。元気か?」
ドアを開けた目の前の青年は目の下の隈がひどく俺の知る太陽みたいな子とは全く違う。それでも見慣れたキラキラの髪と瞳、ほっぺたの黒子は変わらない。
「司くん……やつれたな」
「……遊大くん」
金の瞳がじわりと水が滲んで零れた。たまらず抱き締めれば体の薄いこと。何年か前に抱き上げたときこんなに薄くなかった。小柄ではあったが年相応の柔らかな肉があったはずだ。ほっぺたはむちむちでお菓子の食いすぎやとつついてからかったのが懐かしい。背ばっかり大きくなって骨ばってて触れた箇所が出っ張って痛い。ああ、あの頃の可愛い子犬はこんなにも変わって、いや変えられてしまった。たくさん傷ついただろう。まだ十七の子供やぞ。こいつを傷つけたやつ全員どついてまわりたい。
「ごめ、服、濡らしちゃった」
「ええよ、なんぼでと濡らし。むちむちほっぺたないなってるやん。飯は食うてないんか」
「……たべて、も、戻しちゃって」
「ほうか。ここじゃなんや、あがってもええか?」
こくんと頷く司くんの後をついて部屋にあがらせてもらう。広いリビングに司くんお気に入りのぬいぐるみと服、それから毛布やら枕が散乱している。どうやら寝室を使わないでここで寝起きしているようだ。
「ひとり?夜鷹先生は?」
「……コーチは今名古屋。母さんたちと話してる」
「自分は行かんでええんか?」
「……」
「司くん?」
「えと、どこから話したらいいのかな」
「……とりあえずお茶しよ。ドーナツ買ってきてん。そんじょそこらのやないで?ミスドの一号店さんのドーナツや」
ほら、と定番の箱を見せれば司くんはにこりと微かに笑ってくれた。でも俺の知る向日葵のようなパッと花開く笑顔とは程遠い。痛々しい笑みだ。
「でも、俺食べれない……戻しちゃうかも」
「無理にとは言わん。もしかしたら俺が食うてんの見てたら欲しなるかもやで?とりあえず座ろ」
「んで、辞めるんは本気なん?」
「……ん、まず俺のスケートはさコーチが全額出してるんだよね。スケートの費用はもちろんこっちでの生活費と学費」
「普通は生活費と学費は親が払うもんやけど」
「そうしないと俺にスケートさせないってのが俺の親でして」
「クソやな」
そのクソと評した息子に面と向かって言うのは失礼かもしれないが司くんもそれはわかっているから「クソでしょ」と笑ってる。さっきよりはマシの笑顔や。
「俺もそれはわかってて納得、はしてないけどコーチと高峰先生がそれでいいから親から離れてスケートのことだけ考えろって言うから従ってた。実際そうしないとスケートできないってのは名古屋にいたときから痛いほどわかっていたから」
「名古屋おってたときからって始めてからってことか?」
「うん。学校が終わってリンク行って練習して終わって帰ったら家の事しろって言われて掃除も洗濯も終えてないと寝るのは許さないって言われてやってて睡眠不足で倒れたから」
「はぁ!?ちょ、待てそんころまだ小坊やったよな?小坊に寝るな家事しろ言うたん!?はぁ!?」
「そうなるよねー……コーチにそれが知られたときコーチが慎一郎さんと高峰先生にすぐ相談したんだ。『これは虐待だ』って。だからすぐに弁護士とか色々相談して保護の形でコーチと暮らすことになって、全日本ノービスで優勝して結果出したらそれを理由にジュニアになってからは横浜にすぐ引っ越し」
親と合法的に離すために使えるものは全て使ったという。夜鷹先生は元から表舞台には出る気はなかったけど司くんを保護するためにスケート連盟やらも味方につけるため夜鷹純がコーチとしてフィギュアスケート界に戻ってきたことをアピールさせた。そうすれば夜鷹純のファンが戻ってきて活気づくという計算だ。
「メディアもファンも味方につけて俺を親から離してそのうち俺を養子にする、っていうのがコーチと高峰先生の計画だったんだけど」
「予想以上に夜鷹純のファンが頭イカれてたちゅーことか。スレ見たであかんやんあれ。アンチの域超えとるよ」
「……実際報道自体はされてないけど刃物を持った人が横浜のリンクとか彷徨いてみたい。海外遠征でもストーカーされてて」
「ああ、だから最初の一年以降引きこもってたんやな」
海外遠征でいつからか司くんが試合後の観光をしなくなったり他所の選手たちとの交流を控えていることを何となく耳にはしていた。俺はそうそうにシニアに場を替えてジュニアの子らと交流が減っていたから気づかず同じクラブのジュニアの子にチラッと聞いただけ。夜鷹先生が厳しいんやろと不満を顕にする後輩を宥めすかしながらメディアに取り上げられる割に露出の減った司くんを心配していたのだが、もっと早くに声をかけてやればよかったと悔やんでしまう。
「つらかったやろ……」
俯く司くんの頭をぽんと撫でる。どうしてこうなのだろうか。ただこの子にフィギュアスケートの才能があって本人も好きでやりたくてただそれだけなのにどうしてこの子は邪魔だかりされてしまうのか。応援してくれるはずの親はしてくれないどころか司くんを虐待紛いなことして、応援してくれるはずのファンは司くんを精神的に追い詰める。もちろん全てのファンがじゃない。中には司くんの境遇を憂いて署名活動をしている人がでてきている。
「でも辞める必要はないやん。自分のこと応援したいって人はいっぱいおるのわかってるやろ?ネットでの過激な誹謗中傷に対しての厳罰化を求める署名活動起こってるの知ってる?他にも金銭面で司くんが大変ならって募金活動も始まって横浜のクラブに寄付だってされてる」
「うん……瞳さんが教えてくれた……すごく嬉しい、と同時に申し訳なくて」
「子供がそんなん思わんでいい。お金のことも周りからのこともほんまやったら親が守るもんや。だけど司くんの親がせぇへんのなら代わりにやったりたい。ただそれだけなんやから。君はいつものにっこにこの笑顔でありがとう!って言ってスケートしたらええ」
手を握ると酷く冷たい。体温が高くていっつもホカホカで司くんを抱っこして暖をとっていたのが懐かしい。やわっこかった手も薄く骨ばって体の細さが伝わる。
「オリンピック出たい言うてたやん。オリンピックの金メダルとりたいって。諦め切れるんか?」
「……諦めたくない」
でも、と手の下の拳に力が籠る。強く握ったらあかんよと解くと司くんは「コーチのためなんだ」と呟いた。
「夜鷹先生のため?」
「うちの親、俺がスケートすることは兄弟間に差ができるからって言って……弟たちの分だってお金、要求、してた」
「……は?それ、関係ないやん?え、なに?自分の弟くんもフィギュアスケートしたいとかか?」
「ううん。特に何がしたいとかじゃない。ただ弟は面白くないみたい。俺だけ何不自由なく好きなことやれていることが。自分は俺の代わりに末っ子の相手しなきゃいけないし好きなものだって買ってもらえないのにずるいじゃんって」
「なんやそれ」
なんとも幼稚な考えだろうか。自分の兄が、自分らスケーターがどれほど練習していると思っているのか。練習時間が限られていて夜中や早朝に寒い中やって体重やら足や腰の不調を気にしてやれることやってどんなに跳べるようになっても大会でミスしたらどんなに過去メダルを取っていようが代表には選ばれることがないこのシビアな世界。代表なんて片手ほど。スポンサーだってつけれるかわからない。たくさんの人の助けがあって自分らは芸術でありスポーツである特殊な世界に生きていける。ここでしか生きたくない生きれないのにここ以外で生きる術を考えなければいけない日がすぐやってくる。現役が短いこの世界で、どれほど痛みを抱えてそれを見せないように奇跡を見せていると思っているのか。
「なんやそれ……」
悲しくなる。自分らのことをそんなズルいの一言で否定されるのは、たまらず目の奥が熱くなるがここで俺が涙をこぼしようものなら司くんは自分を責めるだろう。上を向いて堪えて司くんを抱き寄せる。
「……つらかったなぁ、よう、そんなん言われて」
「それよりも許せないってのが強くて。そんなことでコーチからお金をせびっていたんだって。コーチもそのこと言ってくれてなくて。だから知ったからにはもう黙っていられない」
「……だからって自分が辞める必要は」
「このままじゃコーチは俺のためにって家族から搾取され続ける。そんなのはもう嫌なんだ」
そこで司くんの考えを聞いた。それは成人してから親との縁を切ること、働いてスケートの資金を貯めて自分の力だけでこの業界に戻ること。
「実は大会前から考えていたんだ。4ルッツ挑戦して成功させてから辞めて成人したら縁切ってまたスケートをする。今度はちゃんと俺が全部お金を払うんだって」
誤算はまさかの転倒によって生まれてしまったイップス。これには予想外で司くんも参っているらしい。頭でこのままじゃ例え縁切りができてお金を貯めることができてもスケートできない可能性があると。
「……確かに縁切りしたら親からの干渉はなくなるし、お金かて夜鷹先生を頼らなかったら頭イカれてるファンもやいやい言うてこんけど」
果たしてそれは何年かかる?離縁はできるだろう。書類上でできたら後はどんなに接触してきても警察でも弁護士でも使って完全に拒絶したらいい。絶対ではないが今よりマシにはなるだろう。
でもお金はかなり厳しい。司くんは貯めれるとは言うがなんせ俺たちはスケート以外を知らない。俺もだがほとんどの選手はバイトなんてしたことないだろう。司くんは家事をやっていたから自立してひとり生活することはできるだろうが衣食住すべてを自分の金で賄ってさらにそのための貯金となるとかなり無茶だ。何年かかるのか。なんせフィギュアスケートはひと月で十万百万単位で金を遣う。しかも司くんがコーチをお願いするのは夜鷹純だ。そんじょそこらのコーチ代金じゃあない。
「でもこれにはコーチが納得してくれないとできなくて」
「夜鷹先生は頷かんってわけか」
「うん……」
「司くんの考えには俺は賛成や。でも今のまんまじゃ手放せんよ。だって君、ボロボロやん。せめて飯食えるようになって体重戻し。そんなぺらっぺらで実家帰して君が無事なんかわからんやん」
「別に暴力とかはないんだけどな。普通にちゃんとしていたら優しいよ」
「小学生に寝らせんと家事せぇ言うような親に信じられるか!」
あかん。賛成なんてやっぱできない。司くんが親をちゃんと異常で優しさなんてない大切にされてないという自覚がない。これを目の当たりにしているから夜鷹先生も高峰先生も司くんを名古屋に帰さずここに住まわせているのだろう。あとはメディアとストーカー対策か。
「移籍はあかんの?うちは大歓迎やで。おっさんに聞いたろか?」
亀金谷のおっさんは前に欲しいなって言うてたから多分OKだろう。というかダメと言われたら俺が説得する。もう目を離したくない。司くんは目を離すと危ういそんな感じがするというか多分高峰先生らも同じなんだろう。司くんは目を離すときっともう。
「俺のコーチは夜鷹純だけだよ」
そう言われたらもうなんも言えんやんか。アホ。
司くんの引退宣言から半年後。夜鷹純の公式アカウントに引退後初めてツイートがされたかそれはすぐに削除されたらしい。それをたまたま見た亀金谷のおっさんいわく。
「ありゃ未練タラタラや」
なんてツイートされたのか聞けばなんやそれと呆れた。
「拗れすぎやろ」
相思相愛のくせに。
「お父さん、いいえ高峰コーチお話があります」
娘の瞳が母親似の凛とした声で俺を父ではなくコーチとして呼んだ。振り返れば覚悟を決めた表情。ああ来てしまったか。こんな日がいつか来るとわかっていたのに俺はまだあと一年もう一年と先延ばしにして決断出来ずにいた。ああ、情けない。それを本人にさせてしまうなんて。
「私、引退するわ。次のシーズンで、パートナーが見つからなければ選手を引退します」
【悲報】アイスダンスの瞳ちゃんが引退宣言【悲報】
1.銀盤の名無し
とうとう来てしまったか……
2.銀盤の名無し
次のシーズンでパートナーが見つからなければ引退…か……まだ全然選手としてできる歳なのになぁ…
3.銀盤の名無し
瞳ちゃん司くんが引退してからワンシーズンも新しいパートナーと持たないもんね…あの洸平くんすらリードできないもんなぁ…
4.銀盤の名無し
前回のオリンピック代表の兎田選手がシングルからアイスダンスに転向して瞳ちゃんと組んだけどスケーティングの実力差がありすぎて向こうからパートナー解消してくれって言われたんだっけ?
5.銀盤の名無し
すごいよねオリンピック元代表すらリードできないスケーティング。リードしちゃうと瞳ちゃんがパートナーに合わせてしまってレベルダウンしちゃうってんだから
6.銀盤の名無し
だからって瞳ちゃんが全力でやると息が合わないし詰み過ぎる
7.銀盤の名無し
すみませんうちの娘がすごいばかりに
8.銀盤の名無し
高峰先生鼻高々とは言えないんだよね…娘の凄さは自慢したいがそれ故に輝けれない…アイスダンスは二人三脚だから…どっちかが上手すぎても下手でもダメっていうね…
9.銀盤の名無し
なんていうかつらいね高峰先生
10.銀盤の名無し
ほんとそれ
11.銀盤の名無し
ノービスのときから同世代の子たちから抜きん出ていた瞳ちゃんにやっとパートナーができて海外遠征にも全日本にもメダルとっていけるオリンピックも夢じゃないってなった司くんの引退で瞳ちゃんその後はパートナーが続かず大会すら出れなくて引退か…
12.銀盤の名無し
司くん今どうしてるんだろうか…
13.銀盤の名無し
司くんお姉ちゃんのために戻ってきてくれ!!
14.銀盤の名無し
でも司くんもつらい思いいっぱいしたもんな……
15.銀盤の名無し
最後にひとつかが見たい
16.銀盤の名無し
司くんにとって夜鷹純は運命だったけど瞳ちゃんにとっても司くんは運命だったよ
17.銀盤の名無し
夜鷹純がいないとスケートができなかった司くん、司くんがいないと大会に出れなくなった瞳ちゃん……
18.銀盤の名無し
高峰先生つらいよな
19.銀盤の名無し
いちばんつらいのは瞳ちゃんだよぉ…だってぶっちゃけシングル選手としてもやれるんだよ?それでも自分がいちばん魅了されたのはアイスダンスだからってそこは譲らなかったんだよ
20.銀盤の名無し
勝つだけが大会出るだけが正解じゃない自分の美学を貫いた瞳ちゃんマジかっけぇよ
21.銀盤の名無し
武士道だよ
22.銀盤の名無し
瞳ちゃんの伸びやかなスケーティングと抜群の演技力に心を奪われて10年…子供が生まれたらアイスダンスさせたいと願って3年…今年スケートデビューしましたよ…
23.銀盤の名無し
なんていうか本当にフィギュアスケートって奇跡を見守る競技なんだなぁって思った。出会いもひとつの奇跡でその奇跡が起こらないとまた新たな奇跡を見れないんだなって
24.銀盤の名無し
24 ほんとそれ
25.銀盤の名無し
つらいなぁ、でも瞳ちゃんが決断したんだ。応援しよう
【復活!】俺らのひとつかが帰ってきた!!!!!!!【見なよ俺のひとつかを!!!!!】
1.銀盤の名無し
祭だ祭だ!!!!!!!!!
2.銀盤の名無し
ドンドコドンドコ
この祭は三日三晩続いた
3.銀盤の名無し
司くんおかえりーーー!!!!!!
4.銀盤の名無し
何年ぶり!?司くん今いくつよ!?
5.銀盤の名無し
17で引退してあれから6年経っておりますので司くんなんと23歳です。成人してるー!!大人になってる!!
6.銀盤の名無し
つぶやいたーのトレンドに司くんとひとつかの文字!!
7.銀盤の名無し
つぶやいたー不調で更新してくれない……誰か内容教えて……
8.銀盤の名無し
では僭越ながら自分が。
横浜アイスダンスクラブのアカウント
「先日引退表明をしました高峰瞳選手ですが新たにパートナーに明浦路司選手を迎えました。ひとつか復活です。皆様におかれましては暖かい目で両選手を見守っていただけたらと思います。司選手おかえり!」
瞳ちゃんのアカウント
「名古屋にいた弟を父が引っ張ってきました。久々のスケートで鈍っていたら名古屋に戻してきなさいと言ったところ変わらないスケーティングを見せてくれました。もう少し付き合いなさいね司くん。今度こそ金メダルとるわよ」
両方にひとつかと高峰先生のスリーショットと洸平くんとジュナらクラブの皆との写真が載せられていました。
9.銀盤の名無し
司くん元気になってよかった…おかえり…!(´;ω;`)
10.銀盤の名無し
男になっちゃって……前はまだ背が伸びたてのひょろひょろだったけどちょっと日に焼けた?健康そうで良かった
11.銀盤の名無し
もうおねぇちゃんの優しさが目に沁みる……
12.銀盤の名無し
高峰先生連絡は取り続けていたのかな
13.銀盤の名無し
ジャンプはどうなんだろ。シングルに戻れるかな?
14.銀盤の名無し
夜鷹純の公式アカウントは司くんの引退後のコメント以降音沙汰ないもんなぁ…
15.銀盤の名無し
司くんに余計なプレッシャー与えたくないからシングルの話はせんとこうよ。とにかくアイスダンス復帰おめでとう。ひとつかがまた輝くことを願ってる
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62.銀盤の名無し
司くんのコメントが届きました!
「お久しぶりです、明浦路司です。たくさんの人にご迷惑とご心配をおかけしました。高峰親子に少しでも恩返しができたらと恥ずかしながら帰って参りました。氷の上は冷たくて気持ちいいです。スケートがやっぱり好きなんだなぁと思いました。この世界で生きていきたいです。アイスダンス選手としての明浦路司をどうぞよろしくお願いします。瞳さんとメダルを目指します。」
63.銀盤の名無し
おかえり、おかえり司くん!!
名古屋に向かい大須のスケートリンクへと足を運んだ。そこで懐かしい金色がひとり美しいコンパルソリーを描いていた。
「司」
かつての愛弟子はスケートを辞めてはいなかった。名城クラウンのコーチから瞳の引退表明後に連絡があり「司くんたまにリンクで見るよ」と教えてもらいやってきたわけだが。
「お久しぶりです、竜宮さん」
「や、来たね」
「連絡ありがとうございます」
「あの子は僕も気にかけていたから」
ホームリンクがルクス東山と同じことから共に練習時間を過ごしたこともあった。名城クラウンはルクスより母体が大きくまた同世代の生徒が多かったこともあって司は休憩時間によく名城の子たちと話していてコーチ陣とも顔見知りが多かった。横浜に拠点を移す際クラブが違うのにルクスの皆と一緒にお別れ会までしてくれるほどに良くして貰っていたのだ。
「久しぶりに会った時ああこの子は氷の呪縛から逃れられないんだなって思ったんだよ」
「……ここでバイトをしていたんですか、あいつは」
夜12時、日付が変わる頃でこぼこの氷の上に司はいた。
「製氷のバイトにねいたよ。夜僕らが上がって製氷が入るほんの少しの五分にも満たない時間をあの子は滑っていてね……まるでそれだけがあの子に許された場所に見えて……」
刻まれた皺に更に皺が深く刻まれる。苦々しいものが込み上げてるかのようなそんな表情で竜宮アキラは司を見つめた。
「それが悲しかった。あんなにも美しいスケートをするのに、あの子には誰も手を差し伸べられないのかって」
ここ大須スポーツセンターのアイスリンクではフィギュアスケート以外にもアイスホッケーの練習として使われていて製氷は予約した時間枠と交代するように製氷に入る。夜遅くまでフル稼働するリンクと朝早くから使用されるため製氷作業員はどうしても深夜まで仕事が続くし常に寒い中での作業のため人手不足だ。だからだろう。司のように続けてくれる者に製氷前ほんの少しだけならと滑ることを許してくれたのは。司はそのつもりではなかったのかもしれない。作業員の誰かが司がリンクを見つめる様子を見てその手を差し伸べたのかもしれない。
「何度かね声をかけたんだ。よかったらうちの枠で滑らないかって。君の美しいスケーティングは生徒たちのいい手本になるって」
「うちの司を引き抜こうとしたんですか」
「もう“君の所の子”じゃないだろ?でも断れたよ。自分にはもう資格はないんだって」
資格、そんなもの必要なんてないのに。握りしめた拳が痛い。
「彼ね、スケートしたほうがいいよ。じゃないとずっと不幸だ」
「わかってます、わかってる、あいつは氷の上にいなきゃいけない。本人だってそこにずっといたがってる」
でもどうやったらいい。どう話したらあれは手を掴んでくれる。
「あの子は奉仕欲が強いね。誰かのためならなんだってする。自分のためだけじゃ罪悪感があるんだよ」
「……ずいぶん司のことを理解したように言うんですね、そんなに貴方と交流がありましたか?」
「……そういう子を知っている。自分のために犠牲になった家族への感謝とその期待を背負いすぎて誰かのためにとやり続けて壊れた子を知っている」
フィギュアスケートはたくさんの犠牲の上に成り立っている。それは他のスポーツでもそうなのかもしれない。お金に家族の時間、己のプライベート、友人との交流、勉学、その歳に得るはずだった一般的な青春。そのどれもを捧げ短い選手生命のなかを生きる。
「僕もね、兄弟が多くてね。まぁ親が社長だからそこそこ金があってやらせてもらえたし長子じゃないから跡継ぎだって関係がなかった。運が良かったんだよ。お金もあって選ぶ道は自由で背中を押してくれる声も軽かった。だから苦労なんてもんはなかった。そんな僕でさえ学校の友人なんてものはいなくてなにひとつ共有できる思い出がなくて……それがひどく空虚に思えた」
「……それは私もです」
「だから今の子達には氷の上を降りたあとの生活も大事にさせたけどそうすると今度は別の問題が出てきた。うちの子たちがね皆で甘いものを食べに行ったんだよ。そうしたら練習をサボってるなんて言われてね……悲しかった」
竜宮アキラもだが高峰もまだフィギュアスケートというものが一般ではない時代で生きていた。今でこそシニアの大会はテレビ中継が入るが昔はそんなものは無く結果だけが良かった場合のみ報道される。そんな時代だった。理解も賞賛も少なかったがその分重みは今の子達より軽かったかもしれない。自分の失敗ひとつひとつが自分のため以外の声が大きい今の時代。関係の無い外野からの非難がこんなにもつらく苦しいものとは思わなかった。応援の声が大きいとその分できなかったときへの落胆の声も非難の声も大きい。今はむしろ非難の声が出来ていたって聞こえてくる。SNSの発展とともに秘められていた心の声がダイレクトに本人に伝わる。司の件もあって高峰のクラブでは選手らのSNSの関わり方を変えた。傷つかないように守るためにSNSの発信は全てクラブの広報が担当し学生は個人アカウントを作らないことを徹底した。また親御さんに対してもSNSの情報を選手に伝えないよう徹底しクラブでは誹謗中傷を見つけたらすぐさまに通報し悪質な場合は弁護士などへの相談を行うようにした。この事で女子に多かった隠し撮りなども減って選手たちは以前より息がしやすそうになっていった。
「選手たちの生きる道を邪魔されることがこんなにも悲しい」
「……はい」
「だからあの子に道を、明るいところをどうかもう一度手を伸ばしてやれないかな」
果たして自分にそれができるのか。いや、できるできないじゃない。するんだ。司も瞳もこのままで終わらせたくない。
「もしもし、純、俺だ。……瞳が次のシーズンで引退する。だから司を呼び戻す。シングルにも戻すかどうかはお前と司で決めろ。俺は反対も賛成もしない。シングルに関しては貞観者でいさせてもらう。お前がまた手を差し伸べるのか、その手を司が掴むかはわからん。でも、叶うなら……お前も司も氷の上から逃げられないんだ。そこで生きて死ね。それがお前も司も幸せになれる唯一だと俺は思うよ」
「うちに住めばいいでしょ!」
「そうはいかないよ。瞳さん嫁入り前でしょ。嫁入り前の女性のいるお家に成人男性がいるのはよくないよ」
「あんたは弟でしょうが!!」
「高峰家の子になった覚えは無いよ」
「こいつ……!」
瞳さんの平手打ちが背中に炸裂する。いったい!!もうそんなことして手を痛めたらどうするんだ。手を掴んでダメでしょと言うと脛を蹴られた。なんてじゃじゃ馬なのだろうか。こんなに激しい人だったか?会わずにいた数年で横暴な人になってしまった。
助けを求めようと洸平くんを見るが肩をすくめるだけで助ける気はないようだ。それどころか援護射撃を打ってきた。
「僕も高峰コーチの家で下宿できるならした方がいいと思うな。マスコミとかストーカーとか未だにあるでしょ?お金だって勿体ないし」
「ないよそんなの。当時の人達はもうとっくに鎮火して俺に興味なんてない。なんせ夜鷹純がいないんだから。お金は……ウン」
「えー?つーくんシングルはやらないの?」
話に入ってきたのはジュナくん。ジュナくんは選手は引退し今はアイスショーをメインに芸能活動をしている。元よりファンが多かったジュナくんはアイスショーに引っ張りだこらしい。また王子様みたいな見た目で変顔とかするもんだからそのコミカルさも受けてコメンテイターとして大会で呼ばれたりもしているらしい。
「……シングルは、無理。ジャンプあれから跳んでないもん」
そもそもスケーティングだって製氷バイトを始めた一年前からちょくちょく限られた時間をご好意で滑らせて貰っていただけでほとんど引退し名古屋に戻ってから滑っていなかった。きっとジャンプは跳べなくなっている。
「スケート自体すごい久々で……瞳さん追いつくにはまだまだ練習時間足りないや」
「だから!その練習時間を少しでも取りやすくする為にうちで下宿すればいいの!お父さんが私のためにあなたを引っ張ってきたんだから衣食住はうちが持つのが当然なの!そうすればバイト時間も減らせるでしょ!」
「それはダメ。そんなこと言うなら俺降りる」
「この……頑固者!!」
瞳さんの提案は却下だ。俺は散々高峰家に甘えてきた。俺は当時俺にかかったお金がどのくらいなのか匠先生から聞いている。匠先生はそんなの気にするな純からもらってると俺に言っていたが匠先生のことだ食費は俺一人分ぐらい増えても関係ないと言ってコーチに請求していない。スケートに関することと学費はコーチが全負担だったがコーチと暮らし始める前の高峰家に下宿していたときの生活費は全て匠先生持ちなのだからせめてその時のお金を返したいのだが、匠先生は受け取ってくれない。何度も渡そうとしているんだけどのらりくらりとかわされている。
「頑固者はどっちだよ……」
練習を終えてアパートに帰る。六畳一間で共用便所でキッチンは一口ガスコンロのみ。昔の設計のせいかやけに低くて長時間調理すると腰を痛めてしまいそうだからいつもお湯を沸かすぐらいにしか使わない。光熱費を抑えたいからスーパーで半額で売られていた弁当を温めずに冷たいまま半分食べる。もう半分は明日の朝食べるようにしたら食費が浮く。お腹が空いたら水道水を飲んで紛らわす。このアパートのいい所は水道代が定額で家賃込になっていることだ。足がはみ出てしまううすっぺらい布団に胎児のように丸まってすきま風がひどい部屋で目を瞑る。
「……湯船に浸かりたいな」
風呂はこのアパートにはない。近くに銭湯があって200円で入れるが毎日はとても無理だ。だから横浜アイスリンクのシャワー室で汗を流す。あそこはクラブの人間は無料なのが助かる。でもシャワーだけだと疲れは取れない。一週間に一度銭湯に行ってゆったりと浸かるのが今の俺のたのしみ。
明日は、日付は変わってるけど4時に起きて配送センターの荷物分けのバイトだ。7時までそこでバイトして1時間休憩を挟んで今度は配送の方にまわる。自転車での配達だからトレーニングにもなっていい。そこから13時まで働いて一回帰って仮眠をする。夕方からチェーン店の中華料理店で閉店の22時までバイトしたあと夜中は交通整備のバイト。この日は一日バイトの予定。明後日は夜はスケートの練習があるからそれまで配送センターのバイトがあって。
うつらうつらとやってきた睡魔のなか俺はやるべきことを頭に浮かべる。意識を手放した先にはいつも見る夢。
『司』
『コーチ!』
夢の中での俺はまだ小さくてジャンプもダブルしか跳べない。本当に始めて間もない頃だ。
『おいで、今日は一緒にコンパルソリーをしよう』
『ジャンプ練習しないんですか?』
コンパルソリーも好き。コーチと並走するのはとても楽しい。でもコーチのジャンプを見るのが好き。コーチのジャンプを真似て跳ぶのが好き。失敗もするけどできたときの達成感は何事にも変えがたい。なによりコーチが嬉しそうに笑ってくれるのだ。皆はわかんないっていつもと同じ顔って言うけど俺にはわかるよ。だから、だからねジャンプ練習したいな。ね、いいでしょコーチ。
『ダメだよ。だって司は跳べなかったじゃない』
びしゃ。と冷たい水がかけられた。
コーチと氷の上にいたのに目の前にコーチいたのに目の前にいるのは知らない人。
『夜鷹純の寄生虫。返してよ、あの人を返して』
パン、と頬が打たれて熱い。痛い。
『そんなに家族が嫌いなの、そんなにあの男がいいの』
母さん、母さんこそどうして。
ねぇ、どうして。どうして俺は。
「望まれないんだろう、ただ氷の上にいたいだけなのに。夜鷹純のように生きたいだけなのに」
ドン、と音がしてハッと目が覚めた。バクバクと心臓の音がうるさい。ああまたいや夢を見た。何度も何度も見る夢。俺が氷の上にいることを否定される夢。深呼吸をして未だに早い鼓動を落ち着かせる。するとまたドンと音がした。
「え?」
起き上がると暗い玄関からまたドンと音がした。誰かがドアを叩いている。誰、誰なの。
「司、いないの」
「え、コーチ?」
木のドアの向こうから聞こえてきたのは聞きなれた懐かしい声。俺の好きな声。慌てて布団を蹴飛ばすように飛び出てバタバタと階下の人の事なんて気に止めず玄関に走りよってドアを開けた。そこには変わらない真っ黒の人、夜鷹純がいた。
「……こ、ーち、なんで」
なんでここにいるの、なんでここを知っているの、なんで。疑問が浮かぶ。戸惑う俺をよそにコーチは舌打ちした。すごい顔顰めて。
「……なにこの家。本当にこんなところに住んでいるの」
「いや、はい、えと」
「高峰先生から聞いた。君が復帰するにあたって君が自分のところで下宿もせずひどく……貧相な粗末なところで暮らし始めたと」
やはり情報源は匠先生だった。あの人も『なんでウチで暮らさねぇんだ』とぶちぶち文句言っていたしそれを無視してもう契約したんでと押し切って黙らせたが納得してないのはわかってた。それにしても随分な物言いだ。その貧相で粗末なところに俺以外の人も暮らしているんですよ。
「こんなセキュリティもなっていないところ……何を考えているの」
「別に鍵がかかれば十分です」
「十分じゃない」
「十分です」
なんて玄関で言い合いをしていると隣から「うるせぇぞ!!」と怒鳴り声がした。いかん、時間を見るとまだ夜中だ。こんな時間に来訪してくるコーチのため息しか出ない。
「とりあえず他の住人にも迷惑なんで」
帰ってくださいという言葉はコーチが俺の顔に触れてきて言えなかった。
「……目の下の隈がひどい」
「……」
「高峰先生から聞いた。たくさんバイトしているって。お金に困ってるなら僕が」
「それがもう嫌だってなんでわからないんですか」
「……」
「今日は、もう帰って……明日、というかあと二、三時間後には俺バイトなんです」
「今すぐ辞めて。睡眠はアスリートに大事だって僕教えたよね」
「……コーチには関係ないです。もう俺のコーチじゃないんだから」
「そう言う割には僕のことをコーチって呼ぶんだね」
「──うるさいっ、帰れよ!」
バンッと乱暴にドアを閉じる。隣から壁がドンっと叩かれたがうるせぇ!と怒鳴り返した。
うるさいっ!うるさいっ!皆うるさいっ!
涙が出てくる。コーチの言う通りだ。コーチじゃないって言ってコーチって呼んでおかしい。でもだってコーチってしか呼べない。名前を昔呼んだことあるけどむずがゆくて言えなくなった。夜鷹さんなんて他人行儀みたいで嫌だし。他人なんだけど。わかっているけど。でもコーチって呼ぶのは呼べるのは俺だけだから。俺だけの特別だから。なくしたくないんだ。ああ、もう本当に情けない。未だにこんなに縋るなんて。
それから二時間後セットしていた目覚ましで起きて支度をして家を出た時ドアノブにぶら下がるなにかを見つけた。
「……コンビニの袋」
中身はなんだと開いてみればそこにはおにぎりにパン、ドーナツ、プロテインバー、バナナ、鉄分ドリンクと色々入っていた。そしてレシートの裏に書かれたメモ。
【ご飯はちゃんと食べなさい。何かあったらすぐに呼んで】
ぱつ、ぱた、と袋に涙の落ちる音が早朝の廊下に静かに聞こえる。うるさいって帰れよって追い返した俺にコーチは怒りも呆れもしない。ただ俺のことを心配しているだけ。そしてまた俺に手を差し伸べようとしている。
「……っ、うう、ああ……」
今すぐ電話したい。バイトキツイって眠いって本当はジャンプ跳びたいって言ってコーチに助けてって言いたい。
でもそれじゃあダメなんだ。たくさんたくさん俺はコーチから奪った。お金も時間もなにもかも。返したい。返したいのにそれができない。両親が俺に内緒でコーチから搾取した額はとてもじゃないがすぐには返せる額じゃないし、せめて俺に使ったものだけでもとバイト代を貯めていたがそれを受け取っては貰えなかった。匠先生にお願いして渡して貰おうとしたけど匠先生がまず受け取ってくれない。だったら関わってはいけないんだ。これ以上関わってはいけない。それがせめて俺にできること。
「おれが、まもるんだ、こんどこそ」
もう二度とあの人を傷つけさせない。
傷つくのは俺だけでいい。
【悲報】ひとつか全日本選手権台乗り成らず【瞳ちゃんお疲れ様!】
1.銀盤の名無し
瞳ちゃんお疲れ様です!台乗りできなかったのは悲しいし悔しいけどまたひとつかを見れただけでも十分な奇跡を我々は見れました。美しい演技をありがとう!
2.銀盤の名無し
本当にお疲れ様だよ瞳ちゃん。リフトが失敗して氷にふたりとも転倒したとき心臓止まるかと思ったけどその後の瞳ちゃんの笑顔の演技にハッとしたよ
3.銀盤の名無し
リフト失敗して投げ出された時悲鳴が聞こえたけどすぐに瞳ちゃん立ち上がってさ司くんの手をとって立ち上がらせたとき私は瞳ちゃん!!って泣いてしまったよ…最後まで弟分をひっぱるその姿カッコよすぎです
4.銀盤の名無し
ひとつかがリフトで失敗したところなんて初めて見たよ…
5.銀盤の名無し
インタビューでも言っていたよね。初めてリフトを失敗しましたって。練習でも一度もなかったのにって。司くんずっと泣いててさごめんなさいごめんなさいって……
6.銀盤の名無し
司くんを抱きしめて「泣かないの、こんなに大っきくなっても泣き虫でダメねぇ」って言ってる瞳ちゃんの目にも涙溜まっててでも泣いたら司くんがもっと自分を責めるからって堪えててさほんとこの二人は姉弟以上の絆があるよ…
7.銀盤の名無し
自分としてはもうワンシーズンやるのかなと思ったけど失敗しようが成功しようがこれで最後とそこは揺るがない瞳ちゃん強いよ
8.銀盤の名無し
「私はここで一度スケート人生に区切りをつけたいと思います。でも司くんはまだまだやり残したことやりたいことがあると思うので皆さんどうか私の泣き虫な弟をどんな形であれこれからも応援してください」って言う姿にもう涙腺が崩壊
9.銀盤の名無し
でも当の司くんは「たくさん迷惑をかけてたくさん心配をかけてしまった瞳さんや匠先生たちに少しでも何か返せれたらと思って戻ってきたのに俺はなにひとつできなくて本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。今はまだ次を考える気にはなれないです」だもんな……これには瞳ちゃんも抱きしめる手を強くするしかできない……
10.銀盤の名無し
アイスダンスを続けるのかなぁ…確か洸平くんも今回で引退だよね?まさかメダルとれるとは思ってなかったからどうしようかよく考えるって言ってたけど多分考えは変えないだろうな……
11.銀盤の名無し
アイスダンス界隈一気に寂しくなるね…できたら司くんには残ってほしい
12.銀盤の名無し
でも瞳ちゃんというアイスダンスで実力ありすぎるが故に大会出れなかった人と組んでたんだよ?そんじょそこらの選手じゃ瞳ちゃんの二の舞だよ。今度は司くんが相手探すのに困難になっちゃう…
13.銀盤の名無し
じゃあシングル?
14.銀盤の名無し
シングル復帰?
15.銀盤の名無し
それはないんじゃないかな。司くんの性格だとあれだけ皆に迷惑も心配もかけてお世話になったふたりに恩返しもできなかったのにシングルに戻るとかできないって思ってそう。たとえどんなに高峰親子が言葉を尽くしても頷かない気がする
16.銀盤の名無し
15 ほんそれ
17.銀盤の名無し
15 ほんそれ
18.銀盤の名無し
15の言う通りまんまだな…つーくん復帰しないって。先生が金なら支援するって言っても頷いてくれなかった
19.銀盤の名無し
15 司くん言いそー
20.銀盤の名無し
ん?18?
21.銀盤の名無し
もしかして18は関係者?
22.銀盤の名無し
しかもつーくん呼び
23.銀盤の名無し
まさか?????いやそんな馬鹿な
24.銀盤の名無し
そんなわけ
25.18ことつーくんの尊敬する先輩その1
(*థ౪థ)
26.銀盤の名無し
ジュナくん?????
27.銀盤の名無し
おいおい関係者どころか
28.銀盤の名無し
本人?マ?
29.銀盤の名無し
本当なら司くんに言って怒られた最近の出来事言ってみろ
30.つーくんの尊敬する大好きな先輩その1
えー?最近?つーくんの足股くぐりを何度もしてたら股間に頭が当たったことかな?プロレス技かけられた
31.銀盤の名無し
本物だ…
32.銀盤の名無し
絶対本物
33.銀盤の名無し
司くんが戻ってきた時つーくん足伸びてない?って股下くぐりしていたのまだしてたの?擦りすぎやろ
34.銀盤の名無し
しれっと大好きとか足してやがる
35.つーくんの尊敬する大大大好きな先輩その1
飽きるわけないしつーくんもちょっと足広げてくぐりやすそうにしてくれてるんだよね。愛だよ愛
36.銀盤の名無し
甘やかされている
37.銀盤の名無し
司くんめんどくさい先輩もって大変だね
38.銀盤の名無し
おい誰か洸平くん呼んでこい
39.つーくんの(略)先輩その1
38 やめろよ!チクんなよ!
40.銀盤の名無し
略してやがる
41.つーくんの(略)先輩その1
40 打つのめんどうになった
つかね本当につーくんシングルには行かないつもりだよ
42.銀盤の名無し
なんで?支援するって言ってくれているのに…
43.つーくんの(略)先輩その1
お金の問題もあるけどやっぱりジャンプがまだ跳べないこと。あれからジャンプ練習はしてなくて俺が無理やり跳べ跳べ言って跳ばせたけど四回転は軒並みできなくなってた。まぁ練習重ねたらまたアクセルとルッツ以外はいけんじゃないかな。でもやっぱルッツが本当に無理。二回転もできなかった。
44.銀盤の名無し
そんなぁ…
45.銀盤の名無し
司くん(´;ω;`)
46.銀盤の名無し
そんなにできなくなるものなのか…
47.銀盤の名無し
お金に関してはどこもスポンサーつかないの?
48.銀盤の名無し
何か制度的なものとかないの???
49.つーくんの先輩
実は言うとねアイスダンス復帰してから司くんには一応支援者がついてたんだよね。学生の時からずっと名古屋で応援もしてくれてて、横浜に引っ越したあとにつーくんがこっち来て再開してさ、今度こそ支援させてくれって衣食住をまかなってくれた人。でもその人大会前に亡くなっちゃって。その人のためにも金メダル取るんだって思ってたから取れなかったことですごい罪悪感背負っててさ
50.銀盤の名無し
そうなんだ…知らなかった…
51.銀盤の名無し
その人のことは残念だけど司くんのこと応援してくれていた人がいて良かった
52.つーくんの先輩
ルッツに関してはね、多分つーくんのなかで自分にはできないってなってるだけだと思うんだ。できなかった自分を許せなくて跳べないまんまっていうか。ぶっちゃけ跳べるとは思うんだ。あの頃よりもさらにスケーティングは上手くなっているからスケーティングが上手いってことはジャンプできるってことと同じだからね。でもつーくんが自分でジャンプ封印しちゃってるから。だからいつかつーくんが前向きになれたら跳べると思うんだ。それこそ四回転ルッツも
「なんでシングルに戻ってないの」
横浜FSCの事務室にやってきた夜鷹は高峰を睨みつけるように言った。実際睨みつけている。金色の瞳が鋭く高峰を射抜く。それに高峰は怖がりも物怖じもせず「うるせぇ」と唸った。
「そんなの本人に言え」
「その本人が捕まらない。どこにいるの」
「あいつがお前に言ってねぇなら言えねぇ」
「ふざけるな」
ガンっとゴミ箱を蹴り上げた。キャッと事務員のひとりが夜鷹の暴挙に怯え声を上げる。さすがに見過ごせないと高峰が「物に当たるな!!ガキのころから変わらねぇな!!」と叱りつけるがそんなこと知らないばかりに夜鷹はフンッと顔を逸らした。
「司がお前を頼らないならそれが答えだ。あいつは自分で用意できた資金と期間で達成できなかった。それだけだ。俺だって息子同然に思っているアイツにならいくらでも支援するって言った。アイツに今必要なのは自信を取り戻すこと自分を信じることだってな」
チッと舌打ちする夜鷹に高峰は止まることなく言い放つ。
「それでもアイツはもういいって言ったんだ。選手は諦めるって。だから俺はそれならアイスダンサーを目指せと言った。俺のところにアイスショーのダンサー募集の話はいっぱい来るからな。まずはオーディションを受けろって。本当に氷の上を降りるのはそれからだって」
「……どのアイスショーです」
「長野のってお前口出す気じゃねぇだろうな?お前の口添えで受かってもアイツは喜ばねぇぞ」
「……スポンサーぐらいなら許されるでしょ」
「アイツは支援をし続けてくれてた人を亡くしたばかりなんだ。そっとしといてやれ」
「なにそれ知らない」
高峰は夜鷹に加護家のことを教えた。司が中学生のときに出会った加護芽衣子とその家族との交流。横浜に戻ってきた時に再会し衣食住の世話になっていたこと、そして加護芽衣子が大会前に病死したこと、今せめての恩返しにと家事手伝いと病弱な娘羊の世話をしていることを。
「なんで、僕以外を頼る」
「加護さんらからの支援だってそうとう話し合って折れたらしいぞ。受け取るのは衣食住だけで家事手伝いや旦那さんの会社でバイトの形で雇ってもらったりしたって」
「……その人の連絡先」
「教えねぇし調べるなよ。司にバレたらそれこそ失踪するぞ」
「……」
居場所を把握できるだけまだマシだと言う高峰だが本音は夜鷹も司のことで釣って居場所を把握できることが重要と考えていた。司と出会う前、オリンピックで金メダルをとって帰国後引退宣言してから夜鷹は短い期間だが誰にもその所在を明かしていなかった。親友である慎一郎にもその居場所は掴めなかった。それなのに急に司を連れて現れて。
『この子を僕のようにする』
そう言ったのだ。慎一郎はとにかく未成年誘拐にならないよう気をつけて司の家庭の事情に気づいてから細心の注意を払いなんとかスケートを始めさせることができた。司のために夜鷹は居を構えまた氷の世界と関わることができ人らしく生きている。
目の前の自分で蹴り倒したゴミ箱を片付ける男を見る。司と別れてからまた生きることへの執着が薄れたのか体は細くなっていた。でも服の上からでもわかる程度にはまだスケートに必要な筋肉は残しているようだ。きっといつか司が自分のところに戻って教えを乞うときに備えてだろう。でもそれももう必要なくなる。今度こそ夜鷹はどこかへ行ってしまうかもしれない。誰にも分からない場所へ。生きているのか死んでいるのかもわからなくなってしまう。それだけは司のためにも避けたい。司は本当はシングルに戻るつもりだったのだから。アイスダンスでオリンピックに行く。たくさん迷惑と心配をかけた高峰親子に最高の舞台を。それを終えたらまた自分の夢を叶えよう。そう思っていたのだ。でも結果は叶わなかった。司のせいで上位にいけなかったという周囲の声も少なくない。司の耳にまた誹謗中傷が入り込んでしまって高峰ではもうどうしようもない。司の後ろ向きの性格が頭を出してもう高峰の声も瞳やクラブメイトの声も届かない。
「……難儀だよ、お前も司も」
「お邪魔しました。司のことで何か動きがあれば連絡してください」
「お前のその司への執着は何なんだ」
「執着?」
「してるだろ。お前のことだから司が跳べなくなった時点で俺は捨てると思ってた。でもお前はずっと司に選手になれって言い続けている」
なぜだ?長年の疑問をぶつける。司と初めてであってから夜鷹はずっと司のためだけに生きていた。辞めても尚。そしてアイスダンスに復帰しまた敗れてもそれでも司を欲している。なぜだ。
「そんなの決まってます」
綺麗に元通りになったゴミ箱。片付けたし話も済んだ。ここには用はないと夜鷹はドアへと向かい振り向き答える。
「僕の心はあの子のスケートでずっと灼かれている。ずっと消えない。ずっとずっと」
「この熱に耐えるにはあの子しかいない」
あの子じゃないとダメ。
着信が入っていた。コーチ、と発信元の名前が冷たい液晶に映っている。
アイスダンスに復帰してすぐに一度だけ司が一人暮らしをしているアパートに夜鷹はやってきた。会って話したいという夜鷹の言葉を断り続けている。それから電話は月に一度必ずかかってきた。前はしつこいくらいそれこそストーカーですかやめてくださいと司が言ってしまうほどにだ。苦言を呈されてからは月に一度の安否確認だと言われて電話が来るようになった。出ないでいると出るまで電話は鳴り続けるので出て『元気?ご飯食べているの?お腹すいているならご飯に行こう。司の好きな物なんでも頼んでいい。寒い思いしていない?新しい服を買ってあげる。怪我はしてない?欲しいものは無い?』と矢継ぎ早に言う夜鷹に大丈夫と根気よく言い続けるのだ。
最初、夜鷹がこんなにも氷の上じゃないのに喋るなんてと驚いたものだ。夜鷹純という男は必要な以上に喋らない。慎一郎や高峰いわくたくさん喋るようになった方だと言うが喧しい家族に囲まれて育った司は夜鷹は寡黙な人でイメージ通りの人だと最初の頃思ったものだ。
でも氷の上にいるといっぱい喋る。喋る内容はスケートのことだがそれでもよく喋った。あとスケートの動画を見ている時もよく喋る。今のジャンプの解説、演技の解説、自分ならこうするこの人のクセはこうとかどうとか。本当にフィギュアスケートが好きなんだなと司は思った。そんなスケートの話しかしない夜鷹が大好きだ。こんなに好きだから、愛しているから彼はあんなに素晴らしい演技をするのだと。心から尊敬し自分もそうなりたいと思った。
それは変わらず心の中にある。司のせいで夜鷹はたくさん苦しい思いをした。慣れないスケート以外の事をさせて彼を摩耗させてしまった。司と出会わなければ、司以外を生徒にしていればきっと夜鷹は苦しむことはなかったのだ。全部自分のせい。自分が何も持たないから。お金も環境も親も兄弟も全て司の生きたい世界を拒む。それは司のせいなんだ。司が悪いんだ。自分が自分が。
そんなことを思うようになってしまって司はもう夜鷹を見れなくなった。信じられなくなった。求めれなくなった。助けを乞うことも迎えに来てもらうことも全部全部やめた。司は王子様を待つお姫様にはなれないし、自ら道を切り開く王子様にもなれない。
だから、もう、諦めてしまいたかった。
諦めて。
「私、今が嫌なの!」
ハッとする心からの叫び。
「わたし、スケート絶対やりたかったの!」
血を吐くような叫びだった。傷ついた心を震える体を鼓舞して勇気を振り絞ってちいさな体の少女が叫んだ。
それは司がずっと言いたかった言葉。結局司が親に言うことができなくて代わりに夜鷹や慎一郎、高峰が親を説得した。この子はスケートに向いている才能があると。でもそうじゃない。本当は才能とか向いているとかじゃない。自分が絶対にスケートをしたいという気持ちを伝えなければいけなかった。それをしなかった。そこから逃げた。怖くて勇気が出なくて言えなくて。だから。司の思いは伝わらなくて蔑ろにされて支えてくれた手を差し伸べてくれてた夜鷹たちを結果苦しめたのだ。
「わたしにも誰かに負けないくらい好きなことがあるって、上手にできることがあるって……わたしは恥ずかしくないって思いたいの!」
大きな瞳から零れる大粒の涙。丸い頬を伝ってぽとぽとと氷の上に涙が落ちていく。震えて息も乱れた少女の叫びに司は心臓がバクバクとうるさく高鳴った。
昔、瞳に言ったことがある夢のひとつ。もし、もし選手を辞めたあとは自分のようにスケートをしたくてもできない、誰にも見てもらえない子がいたら、その子に手を差し伸べたい。自分がそうしてもらったように。自分が求めていたコーチになりたい。
気づけば俺がコーチになりますと叫んでいた。
こうして明浦路司はスケーターを辞め結束いのりのコーチになった。
なったのだが。
「何考えているの」
「……なんでいるんですか」
「君がここにいるからだ。ねぇ何考えているの」
「……とりあえここでは目立つので」
何故かいる。オリンピック金メダリストの夜鷹純が大須のスケートリンクに。もうすぐ日が暮れるがまだまだ明るい時間帯、普段なら寝てるだろうに夜鷹は司に会いに来たという。全身真っ黒な日本人平均身長より高い脚長の雰囲気からしてカタギに見えない男がいることで周りからの視線が痛い。腕を掴んで併設されている喫茶店に入ると顔見知りの店員に指先で奥を頼む。連れの夜鷹に気づいて目を見開くが騒がず奥へと案内してくれた。さすがスケートリンクに併設されているお店の店員である。現役のスケート選手だって利用するから慣れているにだ。ただ表情に出たのは仕方ないだろう。
「……何か飲みますか?」
「カフェインレスのものがある?」
「ありますよ。ホットでいいですか?」
「うん」
夜鷹にはカフェインレスのホットを司はブレンドのホットを頼んだ。夜鷹の前髪の隙間から見える眉間にシワが寄る。
「カフェインを取るなら何か食べた方がいい。それかカフェインレスのを君はアスリートなんだからちゃんと気をつけて」
「俺はもう選手ではありません」
「……コーチなんて辞めて。君はまだ滑れるでしょう」
今度は司が眉を顰める番だ。夜鷹の発言に拳に力が入る。
「俺はもう選手の夢はやめたんです。今は俺が担当する子をメダルがとれる選手にとその子とも親御さんとも約束しました」
「メダル?それって金メダル?オリンピックを目指すということ?」
金色の瞳が鋭く司を睨んだ。びくりと司の肩が揺れる。あ、これ怒ってる時のコーチだ。そんな感想が生まれる。
「シニアにも行かなかった君がオリンピックへ導く?」
「……わかってます、俺には何も実績なんてないと。コーチなんて相応しくないと」
「わかってるなら実績を作りなよ。高峰先生が司がショーダンサーになるというから見守っていたけど何一つ受かってない。なんで?」
「……そんなの俺が知りたいよ」
「君のことだ。ちゃんと経歴も書かなかったんだろう。ノービスから取り続けた金メダルの数をちゃんと書いた?高峰の令嬢とパートナーを務めて全日本に行ったことは?」
「……」
無言の司にはぁ、と呆れ果てたと言わんばかりのため息をつく夜鷹に司の頭は重く垂れていく。司だって書きたいと思う。けれど司自身の力で得たものとは思えなくて書けなかった。夜鷹の教え子だとわかれば夜鷹に口利きしてもらえると勘違いされたかられるから書けない。瞳と行った全日本は瞳のおかげだしその瞳に台落ちさせてしまったのにその肩書きを使って受かろうなんてそんな烏滸がましいことはできない。結果、司が履歴に書けたのはバッジテスト七級とアイスダンスのプレシルバーの資格だけだ。だが資格だけでは誰も司を見てはくれなかった。
「司、僕がコーチするのが嫌なら慎一郎くんのところはどう?実は今」
「俺のっコーチは……」
夜鷹の言葉に反射的に言い返そうとしてその言葉を司は詰まらせた。自分が言っていい言葉では無い。だってそうだろう。言えば夜鷹は喜んで司をまた表舞台に立たせる。またそうやって自身も表に立ってしまうのに。またたくさんの無理を夜鷹に課してしまう。
口をつぐんでしまった司に夜鷹はため息をつく。司はどうでもいい他人の事はよく喋るのに自分のことになると途端に押し黙ってしまう。これは司が育った環境のせいだろう。自分の意見なんて通らない家でいい子であろうとし続けた結果だ。夜鷹はそれを変えたかった。自分の口でちゃんとどうしたいか、どうしてほしいか言って欲しかった。でも結局司はなにひとつ言えなかった。それは大人になっても続いている。
「……もう、放っておいてください」
消え入りそうな声でぽたぽたと涙を零す司にこれ以上言っても無駄だ。そう判断したのか夜鷹は適当にモバイルオーダーをし始めた。急な夜鷹の行動に司は涙を引っ込ませて「へ?」と呆気にとられた。オーダーし終わったのか財布から一万円取り出しテーブルの上に置いて届いていたコーヒーは口をつけずに立ち上がる。
「君が好きそうなものを頼んだからとりあえず食べて。また連絡する」
「は!?いらないっ……ちょっと!!」
そう言って店から出て行ったあと司のいた席にカツサンドとサラダとシロノワールが届いた。
「頼みすぎ……!あの人ここの量知らないくせに……!」
鼻水啜りながら文句を呟き食べていく。お残しだけは許せない司を分かっての作戦だろう。おかげで久々おなかいっぱい食べた司だった。
それから再会はすぐに意図せず起こった。邦和のスケートリンクでのいのりのフィギュアスケートの名港杯初級の大会へ出向いた時だ。ノービスBの演技まで終わったあといのりが観覧席から居なくなったと聞いて探していたらいのりが階段下で寝ている人に麦茶をかけていた。慌てて「麦茶はポーションじゃないよ!」と止めに入ったらその麦茶に滑って転んで頭を打って気絶。デジャブのように麦茶をかけられ起きてみればいのりと一緒に司を覗き込んでいたのは夜鷹だった。
「な、んであなたがここに」
「……」
答えない夜鷹と司の間の不穏な空気にいのりがハッと本来の目的を思い出した。いのりは光に会いに来たのだという。それに答えたのは夜鷹だった。
「光ならもう帰したよ、夜中にレッスンがあるから」
「……夜鷹さんが光ちゃんのコーチなんですか?」
いのりの言葉に司はああそうかと納得がいった。慎一郎がコーチをして振り付け構成までしているにしては慎一郎らしくないと思っていた。それはどちらかと言うと夜鷹の振り付けと構成だ。なんですぐに気づかなかったのだろう。夜鷹の考えたプログラムで司はずっとやっていたというのに。
それはきっと夜鷹が自分以外のコーチをするなんて思っていなかったからだ。そうか、夜鷹はもう自分以外の人間を見つけたのか。自分だけがまだ夜鷹じゃないとと思っていたのか。
ズキリと胸の痛みを感じているといのりが夜鷹に光への言伝を頼んでいた。いのりにとってのライバルは光なのだ。そのことを知っている司は彼女の決意にまた自分の知らないところで成長していることに喜びが溢れた。ああ、この子は本当にすごいな。その勇気に強さに司は眩しくて仕方ない。
司にライバルはいなかった。ライバルだと言えなかった。そんな烏滸がましいこと言えなかった。いつだって夜鷹に見捨てられないようにスケートを続けられるようにそれしか頭になかった。蛇崩ぐらいだった自分から話しかける選手は。本当は同年代の選手と話したかった。でも引け目を感じていた。だって他のみんなはちゃんと自分の口でスケートがしたいと言ってやっていたのだから。司はいつだって夜鷹や高峰に代弁してもらってばかりで自分の口で言ったことなんてなかった。
それなのに。
「勝つ?君は何級?」
「え、あ、初級……です」
「一生かけようが君が光に勝てることはないよ。そんな戯言を僕に言伝させる気?」
「……」
「よく考えてごらん、君自身のこともこの世界のことも。何にも知らなすぎる」
「……なん、だよそれ」
怒りで目の前が真っ赤になる。こんな感情を夜鷹に抱いたのは初めてだ。いつだって司に手を差し伸べてくれていた夜鷹。誰よりもスケートをしたいという思いを理解していると思っていた。
「撤回しろよ、してください」
「……せんせ?」
「何も知らないのは貴方の方だ。今のは簡単に投げかけていい言葉じゃない。貴方が可能性を否定することがどんな呪いになるのか……メダリストの言葉の重さを理解してください」
夜鷹は司の言葉に顔をしかめる。怖い。こんな風に夜鷹に向かって言ったことはあっただろうか。すこしばかりの反抗期と成長痛で思う通りにいかなかった時逆らったことはあるがそれでも夜鷹は優しかった。こんな冷たい凍りつくような言葉を言うような人じゃなかった。なんでいのりにそんなことを言うのか。いのりだって司と同じ立場なのに。どうして。何も知らないからか。知らなかったら何を言ってもいいのか。ぐるぐるとぐちゃぐちゃと感情が蠢く。
「それは君もだよ、司」
金の瞳が怒りを乗せて司を貫く。それだけで司の心臓はドクンと大きく鳴って体を強ばらせる。
「僕は狼嵜光のコーチで……かつて君のコーチだった」
「……っ」
過去形の言葉に胸が痛む。自分から手を離して逃げたくせに。夜鷹からそれをつきつけられると悲しくなる。
「君は何者?」
「え」
「光に勝つって言うことは僕に勝つっていうことだよ。僕の手から離れた君に何ができるの。何も持たない子供とで」
心臓がうるさい。怖くて震える。でも、俯くことはない。親が否定するなか何も言えず俯いて夜鷹が代わりに紡いでくれる言葉を申し訳ない気持ちで聞いていた子供はここにいない。
ああこれが。そうかこれが。
人生ふたつ分の勇気の力なのか。
「俺たちは勝ちます。貴方が誰でだろうが関係ない、自分が何もかなんて関係ない」
──いのりさんが必要としてくれている間は。
「俺の分の一生を使ってこの子を勝利まで連れて行く。貴方に未来は決められない」
実は少しだけ、持っていた夢。諦めきれなかった夢。でももういい。決めたのだ。できるできないじゃない、するんだと。
「俺はこの子のコーチです。もう貴方の手に縋る子供じゃない」
なんて啖呵を切ったのに。
「ねぇ、いつコーチを辞めるの」
「やめ!ない!」
「ジャンプできなくなったって言ってたけど出来るようになっているじゃない。ほら、見本見せてあげるから次はルッツだよ」
「うおお、相変わらず綺麗に跳びやがる……!お手本有難いです、いのりさんの糧にします!」
「なんであの子供のためになるの。ふざけないで。君が跳ぶんだよ」
「俺はコーチなんで必要ありません!!」
深夜の邦和のスケートリンク。慎一郎はにこにこと思わず頬が緩んだ。目の前で大事な友人たちが仲良く一緒にスケートしているからである。実際は大の男が喧嘩腰に言い合いながらジャンプを跳んでいるだけなのだが慎一郎からしたら仲良くなのだ。
「ふふ、純くん嬉しそうだね。司くんに会えて」
「俺はちっとも嬉しくないですけどね!」
「なんでそんな事言うの。司は僕のものなのに」
「なんでそうなるんですか!俺はもうあなたの教え子じゃないです!」
あの名港杯でのやり取り後一年、いのりと級をあげることをメインに頑張ってきてなんとかギリギリだがノービスAの最後の大会に間に合った。中部ブロックで大会後慎一郎に呼び止められて夜鷹が光のコーチをしていることを知っていることがバレた。その後自宅に呼ばれ事の経緯を話してもらいその時ロシアに行っていた夜鷹がやって来たのだ。そこからなぜかスケートリンクに移動して三人で滑ってまた啖呵切って。そうやって今度こそ司は夜鷹に宣戦布告してかつての師弟関係を絶ったはずだったのに。だったのに。
「んもう!鴗鳥先生も俺をもう呼ばないでください!誘われたら立場的に断れないですよ」
「そんな……今ここには私たちしかいないんだから昔のように慎一郎さんって呼んでください。ね?」
「いやいやダメですって……」
「公私を分けていたほうが楽ですよ。司くんは気を張りすぎです」
「それは鴗鳥先生に返します。ただでさえヘッドコーチとしてたくさんの生徒を抱えて尚且つオリンピック特別強化選手である鯱城選手やこの人の代わりに狼嵜選手の帯同にサポートって大変でしょう?休める時に休まないと」
「ふふ、ありがとうございます。でも選手たちの傍にいる方が落ち着くんですよ。それに純くんと司くんとするスケートは楽しいですし。司くんは私と滑っても楽しくないですか?」
「そんなわけないでしょ……楽しいから断れないんじゃないですか……」
まだ司がノービスになる前バッジテストを受けまくっていた頃。夜の貸し切り練習では慎一郎も混ざっていた。ダイナミックな四回転。カッコイイ振り付け滑らかなスケーティング。そのどれも憧れで司はすごいすごいとはしゃいだものだ。でもそうやって司がはしゃいで慎一郎に懐くと決まって──。
「ねぇ、ちゃんと見て」
「ふえっなに──」
ビュオッと風が起こる。司の目の前で四回転フリップを跳んでみせた夜鷹。公式大会では跳んだことのないため滅多に見れるものでない夜鷹の四回転フリップ。美しい着氷を決めて夜鷹は司を見つめる。
「ほら、跳んで、はやく」
「ううー!!跳べません!!」
「なんで。ていうかなんで怒るの。君好きでしょ、僕のジャンプ」
「すき、ですけどぉ!!」
「ふふっ、純くんったら相変わらずだね」
そう慎一郎と話し込んでいると夜鷹は司の気を引こうと司の大好きなジャンプを跳んで見せるのだ。幼い司は『コーチしゅごい!カッコイイ!好き!』と簡単にメロついて夜鷹にべったりになってそれをフフンと慎一郎にドヤ顔してみせた。司の一番は自分なんだと可愛い独占欲である。それを慎一郎は微笑ましく見ていた。別に司をとったりしないよと。それが大人になってもやるなんて。
賑やかに司が夜鷹に何かを言っている。煩わしくなったのかそれともからかっているのか夜鷹が逃げると司が追いかける。懐かしい氷上鬼ごっこが始まった。昔はよくこうやって鬼ごっこをして司の体力向上をさせたものだ。顔を真っ赤にしてはひはふ言いながら夜鷹を捕まえようとする司を慎一郎が応援するのが三人の貸し切り練習のいつもの風景だった。
でも横浜に夜鷹と司が拠点を移してからはそれはなくなり、またいつかやりたいねと話していたが司が現役を辞めてそれは叶わなくなった。
当時、現役を辞めて戻ってきた司に会いに行ったことがある。夜鷹といるのが辛いと言うなら自分のいる名港でどうだと誘おうと。司はスケートを辞めてはいけないと思っていたからだ。でも昏い表情の司を見て何も言えなかった。この状態で氷の上に居続けるのは司にとってよくないと直感したからだ。どうか嫌いにならないで欲しい。スケートを夜鷹を置いていかないでほしい。だから慎一郎は何かあればすぐに連絡してと邦和のスケートリンクでは司は顔パスにしておくようお願いしてその時は別れた。
でも受付に毎日司はやってきたかと聞いても一度も司が現れることはなく大須のスケートリンクをホームリンクにしている知り合いのクラブのコーチに司の姿を見たら教えてくれと伝えたがそれも音沙汰なくどうしたらいいのか。夜鷹は夜鷹で引きこもってしまって慎一郎にも会ってくれなかった。
そしてある日連れてきた。ひとりの少女を。
「鴗鳥先生?」
「あ、ごめん、なんだい?」
「顔色あまりよくないですよ。大丈夫ですか」
「うん、大丈夫ですよ。今日はここまでにしましょうか。明後日は全日本ですから」
「はい、そうですね」
くるりと司は夜鷹に向いてキッと険しい顔をする。
「負けません、俺といのりさんが勝ちます」
「……いいよ。見せてね」
バチと火花が散る。ふたりの鬱屈とした日々を知っている慎一郎はいい形で収まってよかったと嬉しそうに眺めた。それはそうとして。
「明浦路先生、うちの夕凪くんもりんなくんも今度こそ負けませんよ」
「はい!もちろんです!」
【本日】フィギュアスケートテーマソングでのPV公開【19:00】
1.銀盤の名無し
四年後の冬季オリンピックへの盛り上がらせるためにこれから四年間国内開催のフィギュアスケートの大会のテーマソングのPVが本日YouTubeで公開です!楽しみ!
2.銀盤の名無し
この曲なにがすごいってSPの曲の時間ぴったりに作られているところなんだよな…
3.銀盤の名無し
楽しみー!!噂では歌手のヨネさんがスケートするのではと言われているけど……
4.銀盤の名無し
この曲歌詞がめっちゃいいよね。コーチから目線で選手を応援しているかんじがもうどの推し選手にも刺さって刺さって…
5.銀盤の名無し
3 歌い手本人がアクセルジャンプするか誰かプロスケーターが滑るかと色々憶測が飛んでるよね。個人的にはプロスケーターの方に滑ってもらいたいなぁ
6.銀盤の名無し
でもこれ最初CMで流れてた短いのに比べるとフルだと結構曲の印象ちがうよね。なんていうか最初のは練習風景でフルはまさに本番ってかんじがする
7.銀盤の名無し
選手たちもこの曲好きな子が多くてやっぱそこはコーチとの日々を歌詞と重ねているみたい。うちの子が入っているクラブのノービスの子達もSP作る時はこの曲がいい〜!ってコーチたちに言ってて困らせてたわ。うちの子も同じく
8.銀盤の名無し
5 自分名港ウィンドウの雉多輝也くんにやってもらいたい!アシスタントコーチでもあり現役でアイスショーにも出ている輝也くんにぴったりだと思う!
9.銀盤の名無し
7 なんでコーチたち困らせているの?曲被りしそうだから?
10.銀盤の名無し
9 いや、単純にこの曲難しいだからだよ。普通フィギュアに使う曲ってクラシックとかが多くてそれに比べると曲のテンポがめっちゃ早い。だからテンポを崩させないためにもすごいスピード感のある振り付け構成にしないと音ズレが大変。ジュニアでも上の方とかシニアならアップテンポはできるけどノービス卒業したばかりの子がやるには体力きついと思う
11.銀盤の名無し
たしかにむずそう
12.銀盤の名無し
シングルもいいけどペアとかもありじゃない?激しめの曲にペア独自のリフトとジャンプは合う気がする
13.銀盤の名無し
自分的にはひとりが踊るんじゃなくて歴代のスケーターたちの切り抜きでMADをつくるかんじとかもいいんじゃないかなと思ったり。よだじゅんと慎一郎くんと司くんを同じ動画で見たい
14.銀盤の名無し
13 欲張りセットやん
15.銀盤の名無し
これさぁ自分の中では夜明け師弟の曲だって思っているんだよね…歌詞のさ蹲る君を見つけるためってまんま夜鷹と司くんの出会いじゃんって…
16.銀盤の名無し
15 わかる
17.銀盤の名無し
15 わかる
18.銀盤の名無し
15 わかりみが深い
19.銀盤の名無し
夜明信者がいるなぁ…でもわかるよ…
20.銀盤の名無し
司くんって今何しているの?アイスダンス復帰後辞めてから音沙汰ないよね…
21.銀盤の名無し
20 名古屋のルクス東山でアシスタントコーチをしているよ!瞳ちゃんと一緒!しかも司くんの初めての生徒である結束いのりちゃんはなんと四回転ジャンパーでJFGPで去年世界女王になりました!
22.銀盤の名無し
は??????
23.銀盤の名無し
マ??????
24.銀盤の名無し
マ
【JGPFのキスクラでいのりちゃんが自己最高ベスト出した時の司くんの喜びのギャルピースの画像】
「みなさん、食事中に失礼します。食べながらでいいので聞いてください」
スケート連盟の職員のひとりの声が食堂に響き渡った。それまで雑談をしながら食事をしていた選手たちの声が少しだけ密やかになり職員へと注視される。
「本日19時からフィギュアスケートのテーマソングのPVが公開されます。メインロビーのテレビでその動画を視聴できるように設定しましたのでよかったらロビーにお集まりください」
「ああ、あれ今日か」
「あの曲使いたいっていう選手多いよな」
コーチや選手たちの声を聞きながら司は背中に冷たいものが伝う感覚がした。ぎゅうと大きな体を縮こまらせると隣にいた瞳がバチンと背中を叩く。
「痛いよ、なんで叩くの」
「でっかい体を縮こまらせているからでしょ」
「だってぇ」
めしょ、と琥珀の瞳を潤ませ凛々しい太い眉をへにょりと下げる司にこの子は本当にアラサーなのかと疑いたくなる。いつまで経っても子犬のような仕草をしてか弱い弟ですって面で瞳を見るのだから。しゃんとしな、胸張りな、すぐ泣くなと何度でかくなった背中とおしりを叩いたか。筋肉をムキムキにつけておいてウエストは現役時代と変わらないという弟分を睨みつける。けっして瞳は現役の頃と比べてウエストが若干増えたことをうらんでいるわけではない。うらめしいわけではない。
「司先生!私もロビーでPV見たいんですけどいいですか?」
「え、あ、うん、もちろん!いのりさんもこの歌好きだもんね」
食事を終えたいのりが涼佳らと司たちのところにやってくる。いのりを始めとして選手のなかでこのテーマソングはすごい人気だ。歌っている歌手が日本を代表し若い世代に人気なのもあるが歌詞が選手たちそしてコーチたちの共感を得ているのが要因である。
まだ何者でもない選手を見つけ手を差し伸べ切磋琢磨し大舞台でその背中を押すコーチが選手を鼓舞するような歌詞は司も初めて聴いた時涙したものだ。こんなに自分の心にリンクする歌があるなんてと。
食事を終えロビーへと行くと殆どの選手がそこに居た。皆どうせPVを見るならスマホでなく大画面で見たいと思ったのだろう。そこには鴗鳥慎一郎に理凰を始めとした名港ウィンドウの選手とコーチ、蛇崩遊大と鹿本すず、大和絵馬ら蓮華茶FSC、五里誠二に岡崎いるかなど司といのり師弟共々がよくしてもらっている面々もいた。
「お、やっぱ司先生も来たんや」
「蛇崩先生、ほとんどの生徒とコーチが来てますね」
「せやな。滅多にないもんなぁ、スケート連盟主導でイメージソングとか」
放送利権もあってか選手にとっては大会は全て連なって同じものだが主催側や放送局にとっては別々の主体でやっているためか共通のテーマソングというのはあまりなかった。それこそオリンピック全体のテーマソングならあるのだがフィギュアスケートだけというのが珍しくまた有名な歌手へのオーダーということもあってか曲はスケートファンに限らず耳に届いて話題によく上っていた。
大画面に映し出された待機画面の横には待ちわびる人達のコメントが目まぐるしく流れている。そこにはスケートファンはもちろん歌手のファンだったりこれを機にスケートを見るようになった人や海外の人と多岐にわたっていまかと待ち望んでいた。
「司先生は誰が滑ると思う?」
「え!?何がです!?」
「何がてPVや。噂ではプロスケーターの誰かがSPやるんやないかって」
「ああ、言われてますね」
「曲がぴったりSPやもんなぁ」
「ちなみに遊くんはどうなの?西の方でやりそうな人いる?」
質問したのは雉多だ。司はあまり仲良くしているプロスケーターはいないが蛇崩や雉多は未だにアイスショーに呼ばれたり企画に参加していたりするため顔が広い。
「いや、それとなくプロの大輔くんとか聞いてみたけど少なくとも自分にはオファーは来てへんて」
「大輔くんって蛇崩先生のふたつ上の牛尾大輔選手!?カルメンがすごくカッコいいよね〜俺会ったことなくていいな〜いいな〜」
歳が四つ違うためシニアに上がることのなかった司とは交流が無かった選手でジャンプよりも演技力で人々を魅了する選手で彼の代表するカルメンは世界でも有名で日本でカルメンといえばこの選手で今はアイスショーを精力的に行っている。
「一般人が知っているメジャーなプロだとあと誰だろ」
「プロが踊るとは限らないんじゃないか?」
「誠二先生」
「それって現役選手ってことですか?」
振り向けば先程まで岡崎いるかたちと一緒にいた五里がいた。共に梟木豊も柔和な笑顔で佇んでいた。
「でもシーズン前に選手がやりますかね」
「そうですね……でも連盟主導なら有り得なくは無いかもしれませんね。スポンサーの件もありますし。まぁ僕のところに話が来たら選手次第ではありますが基本はお断りしますね。怪我が怖いですし」
だからと言って簡単に断れるような話でもないと先輩コーチたち会話に司は冷や汗が出る。ああこの場に居たくない。これから流れる映像に司はどう思われるのだろうか、と。
「あ、始まる」
そうして画面にカウントダウンが開始された。コメント欄は待っていましたと盛り上がりコメントが加速する。
『3、2、1』
0、──
夜明けが近い空の中映し出されるシルエット。風の音が響き、カメラはぐるぐると回る。シルエットの人物が空を見上げた。そして曲が始まると画面が変わる。青いライトに照らされて蹲るようなポーズから曲に合わせてゆっくりと氷の上を──青年が立ち上がる。青いライトでもわかる金色の髪。キラキラと光るライトの中滑らかなそれでいて速いスピードでブレードが氷の上を滑っていく。ライトに反射する銀のブレード。暗いリンクに青いライトが煌びやかな衣装とブレードを輝かせ美しい高速のシットツイヅル。顔は見えない。長い手足が氷上を舞う姿に息を飲んだ。
「え」
いのりはちいさく呟いた。ロビーに集まる人々が画面に釘付けになる中いのりは驚き声を漏らし視線を画面から一瞬だけ逸らす。そんなまさか。でも。あの美しいツイヅルをいのりは知っている。間近で何度も何度も見た。それはいのりの糧となりいのりの美しいツイヅルと評される自慢のものだから。
そしてそれに気づいたのはいのりだけではない。隣でさっきまでじゃれていた理凰も目を見開き青い瞳をきらめつかせている。
歌詞とリズムにリンクした振り付け。長い手足が優雅に動く。青いライトがきらめくだけの暗い氷上はいつか見たエキシビションのよう。カメラの画角のせいか暗いからか誰だと確証できる顔がいまいちわからない。それでも目に残る指先、深く倒れるブレード。
──跳ぶ。でもその踏み切り方は。
「すげぇ!!四回転ルッツだ!!」
映像を見ていた誰かが叫ぶ。
そして、歌詞に合わせて叫ぶように、まるで彼の言葉のように。
ずっと隠れて見えなかった顔がアップで映される。それはいのりが誰よりも尊敬し美しいスケートをする人。
「司先生だ!!」
「明浦路先生だ!!」
@sukeota-00 きたきた
@yoake12300904 え
@movesono1 かっけー!
@ydtkskktn 跳んだ!
@mimizu-mimizu だれ
@htuk-love つかさくん?
@yumejya-neyona え、うそ
@pugyaaaa 四回転!?
@yoakega-kuruyo ルッツ!?
@yonefan だれ?
@oreno-tukasa 司くんだ!!!!!!
@skeotadesuga-nanika つかさくんだよ!!!!!!
@Ishiyamada00 司くんが4ルッツ跳んだ!!!!!!!!
高速で流れていくコメント欄に滑っているのが司だと言う声があがる。いのりと理凰の叫びでロビーにいる全員がルクス東山FSCのアシスタントコーチであり結束いのりの師匠である明浦路司だと気づいた。隣にいた蛇崩はぽかんと口を開けたまま司を見る。そんな蛇崩をちらりと視線を寄越しへにゃりと笑った司に蛇崩は堪らず後輩の腕を叩いた。
「いって」
「アホ、なんやねんやお前」
そう言って前を向いた蛇崩の両目には涙が滲んでいて司は腕をさすりながら前を向いた。
難しいカウンターからの入りのトリプルアクセル。美しいブレのない着氷後曲のきらめくような音に合わせて着氷した足でツイヅルを合わせていく。完璧なまでの音合わせ。司の演技の素晴らしさのひとつは曲との音合わせだ。ここまで音のハマりと演技と技が重なるのは司だからできる。それは司のコーチである夜鷹純の得意とするところだから。
そしてフライングシットスピン。美しく速いスピンはブロークンレッグ。いのりが得意とするスピンだ。師弟揃ってスピンは最高基準で見ているものはため息と拍手を送ってしまう。けれど司はそこからから更にシットバックという難しいポジションに替えている。これはさすがのいのりも肌が粟立った。
──さすが司先生。
ジャンプもスピンもなにひとつ妥協がない高難易度。なにより速いテンポの曲に合わせたスピードはそう簡単に続けられるものではない。四回転と三回転を跳んで足はパンパンになっているだろうにスピードは失速するどころか加速する。
また曲に合わせ体を上下にステップを刻む。寸違わず滑ることができる司だからできる。いのりは無意識に合わせていた両の手のひらを強く握り尊敬する司の演技をひとつも見逃すまいと瞬きすら忘れて見入っていた。
──見なよ、私のコーチは、司先生はこんなにも美しいスケートをするんだ。
いのりは許せないことがある。それは司を馬鹿にされること。そして司のスケートを非難した人。このふたつがどうしても許せない。だから司のスケートがなによりも素晴らしく美しいことを証明するためにいのりはメダルをとる。いのりの金メダルは司の金メダルだ。ふたりでとりにいく。誰にも邪魔はさせない。誰にも否定させない。動画の同接数は十万を超えている。流れるコメントには日本語以外の言語も見えた。世界が見ている。世界がいのりの太陽を見ている。
ああ、なんて幸せなことだろうか!!
「明浦路先生だ!」
映像のスケーターが誰なのかわかると名前を叫んでいた。いのりと一番弟子の座を競い合って司に会えばたくさん話しかける日々。もっと彼を知りたいと思った。父慎一郎が持っていた司のジュニア時代の演技を見せてもらったこともある。こんなにすごいのにどうして辞めたのか。その時のことを父に聞いたが慎一郎は悲しく寂しそうな顔をしてその理由を教えてくれた。そして自分がいかに恵まれている環境にいるかわかった。でも司はそんな恵まれた環境にいることが悲劇のように言う自分をけっして怒ったりしなかった。もし逆の立場なら理凰は甘えんなと叱咤していただろう。でも司は理凰の気持ちに寄り添ってくれた。
『挑戦は気軽に』
司のこの言葉はずっと理凰の支えになっている。ふとした瞬間コンプレックスが顔を出して後ろ向きになりそうなとき司の言葉を思い出す。そうもし転んでも挑戦なんだ。司は挑戦した理凰を見てくれた。失敗したとは一度も言わなかった。マイナスな言葉を絶対投げかけない優しい人。そんな人に応えたい。貴方が応援してくれたから、挑戦が怖くなくなったのだと。
だから、ずっと願っていた。またいつか司が司自身のために滑ることを。叶うならその姿を見たいと。
「ハハッ……すげぇ……」
岡崎いるかは唸った。可愛がっている妹分の結束いのりのコーチ明浦路司がこんなにすごいスケーターだったのかと。
司のことは知っていた。選手時代あの夜鷹純が惚れ込んでコーチをしていた才能。自身のコーチで毒親の代わりに親のようにいるかを大事にしてくれる五里が男子の選手だが見ていた方がいいと見せてくれた十年前のプログラム映像。美しいスケーティングはアイスダンスを齧っていたからというだけでは説明がつかないほどに美しい。
いるかの持ち味は男子さながらのジャンプと激しいスピンだ。頭を揺らしガンガン降ってそれでもいるかは自分の位置を失わずにいられる特性。これと司の特性は似ていると五里は言っていた。たしかにそうだと思った。それと同時に違うとも思った。いるかのこの特性は五里と共に鍛え上げ積み上げてきたものだ。足を怪我をして半年以上休養を余儀なくされ、培ってきたものはゼロに近いスタートとなった。それでも絶対戻るんだここが私の居場所なんだと泣きながらみっともなく縋ったいるかに五里も五里の妻である泰子もカッコイイよみっともないわけがないと泣きながら抱きしめてくれた。でも司はまるっと一年以上のブランクがありながらも成長痛を乗り越えそれ以上となった。そしてまたアイスダンスに戻ってきた時美しいスケーティングはより鮮烈になっていた。
それほどまでなのに運は彼に味方しない。大一番の舞台で失敗をしてしまう。たとえどんなに練習でできてもたとえどんなに他の大会でメダルがとれても、今跳べなければ今メダルを取れなければ意味が無い。それができてこその一流の選手だと言える。司はそうじゃなかった。でも、それでも、今目の前で流れる映像の美しさにすごさに、いるかはただただ心が震えた。
「本当に、もう……」
四回転ルッツだった。あんなに跳べなかった四回転ルッツ。いつも跳ぶところを見ていた。氷に伸びた手足が叩きつけられ削れた氷が黒い体に黄色の髪の毛に降りかかる。それでも彼は悔しそうに顔を歪めて何度も立ち上がった。立ち上がり続けて疲れてしまったのか彼は跳ぶのをやめてしまった。ちらりと司を見れば隣にいた蛇崩に小突かれていた。その気持ちわかる。瞳は腕を抱くようにして握りしめ零れそうになる涙を上を向いて堪えた。
司は弟のような存在だ。初めて会った時はおめめくりくりで背も自分よりなくてほそっこい普通の男の子だった。でも氷の上に乗るとその姿はテレビで何度も見たスケートの魔王と呼ばれた夜鷹純を彷彿とさせ恐ろしく輝いたの覚えている。この子が成長したらどうなるんだろう。どこまで夜鷹純に近づくのか、いやもしかしたら夜鷹純を超える存在になるんじゃないか。司と夜鷹のことを世間は夜明師弟と名付けたがまさに太陽が全てを照らし見る人の心を焼き尽くすのだと思った。
でもスケートの神様はなぜか司を愛してはくれなかった。スケートがしたい氷の上に生きることをこんなにも切望する司を悉く拒絶した。まず彼の親は彼を認めなかった。今でもずっと認めていない。どうしてなのか。わからないほどに。司の両親は司のスケートを認めてくれなかった。そして夜鷹純と同じスケートをする司をよく思わない人が瞳が思っていたよりも多くその刃は鋭く司の心を傷つけ続けた。極めつけは司を認め司の心のやわいところを守ってくれた加護芽衣子の死。守ってくれていた優しい手は司の手の届かない所へ行ってしまった。そのときが限界だったのだろう。運命に見放され掴んだものも蔑まされて大事な人を失って。司の心はそこで完全に折れてしまった。何度も何度も瞳も瞳の父高峰匠もクラブメイトも加護芽衣子の家族も、司の神様の夜鷹純も司にスケートを辞めるなと言ったが傷ついた心に届くことはなかった。
でもそれでも氷の上を完全に離れるなと腕を引っ張りコーチに呼んだ。自分の実力じゃないとかふざけたことを抜かしていた司だったがいのりと出会い昔の自分と重なったのか、いのりという司にとっての光を見つけたのか。司は昔のように明るく元気でよく笑いよく泣く手のかかる弟に戻っていた。それでもまだ自己肯定の低さが残っていていつかこれを払拭できればと思っていたのだ。
そんな中いのりの3ルッツへの克服を考えている際に司から提案されたルッツ勝負。いのりは3ルッツをクリーンに降りること、司は2ルッツを跳べるようになること。この早さを競うことで正しい練習への塗り替えを計るものだ。最初聞いた時にはルッツだよ?大丈夫?と心配だったが司はあれだけ跳べなくなっていた2ルッツを一回であっさりと跳んでみせたのだ。これにはいのりは大喜びで瞳もやればできるじゃないと喜んだ。司は少しばかり戸惑っていたが。
そしてルクス東山FSCへスケート連盟からひとつのメールが届いた。司宛てでオリンピックに向けてフィギュアスケート活性化を狙うためのテーマソングのPVを司に滑って貰えないかというものだった。司は渋るかと思ったが意外とすんなりと司は請け負ったのだ。聞けば事前に慎一郎から言われていたらしい。そしてひとつの条件をつけて司は請け負った。そこ条件がクリア出来なければ他の方へと司は相手方に言ったのだ。
その条件に今のところ知っているのは瞳と鴗鳥慎一郎だ。けれど気づいたの者もいる。
あの場に歌手と司、その撮影クルーを除いてもうひとりいることに。
助走からして最後のジャンプ、コンビネーションを跳ぶのがわかる。まるで本当の大会での滑りのように画面を見守る人々は胸の前で手を組んで祈る。
飛べ!
叫ぶような、願うような、鼓舞するような。
それに応えるように司が四回転サルコウ+三回転トゥループのコンビネーションを跳んだ。
そこからの足替えキャメルスピン。カメラの画角から司の脚の長さがより際立つ。そして司といえばのステップシークエンス。審査員の資格を取ったばかりの蛇崩は自然と映る範囲ではあるがステップシークエンスのカウントを取っていく。司のプログラムの醍醐味でもあることをわかっているのか映像は自然と繋がるように編集されていて充分にそのレベルの高さが分かるものだった。
そして最後のスピンはコンビネーションスピン。そこでも司の特徴でもあった体の柔軟性を活かしたスピン。ビールマンスピン。現役の頃と変わらず、いやその時以上に美しく洗練されていた。
@sukeota-00 ステップシークエンスが相変わらず美しい
@yoake12300904 すごい
@movesono1 すごすぎる
@ydtkskktn つかさくんすごい
@mimizu-mimizu え?
@htuk-love 最後のスピン!
@yumejya-neyona ビールマンスピン!?
@pugyaaaa うそでしょ
@yoakega-kuruyo え、男子がやる!?
@yonefan すご
@oreno-tukasa また見れるなんて
@skeotadesuga-nanika からだやわらか
@Ishiyamada00 もうこれ金メダルだ
「へ?」
スピンが終わると曲も静かに終わりを告げ、天に向け手を伸ばすポーズで演技を終えた。そして晴れ渡った青空の下に黒色のシルエット。けれどそれはこの歌の歌手でも司でもない。顔は見えないのにでもその佇まいからわかる。そしてこのPVに関わった人達のクレジットの中に振り付け構成に彼の名前。
@ydtk-1230 え
@broccoli-mukimuki え
@yodakano-hoshi え
@komewo-kue え
@znsewa-pan え
@yumi-to-ya よだかじゅん
@shinitiro-love 夜鷹純!?
@oshiri-suki 夜鷹純だ!
@nnnnnnn 夜明けだ!!夜明師弟だ!!
「出るとは聞いてないよ……」
いのりと一緒に帰国して大須ではすごい盛り上がりだった。まさかジュニア一年目でJGPFで優勝、女王となって帰ってくるとは信じてはいたけど実現するまでどこか夢のように思っていたのだろう。出迎える同クラブの人達と同じホームリンクにしている他クラブの皆からもおめでとうの言葉を浴びながら司といのりは次のシーズンに向けてちょっとずつ日常に戻って行った。
そんな中慎一郎に呼び出された司は邦和のスケートリンクではなく鴗鳥家に来ていた。
「お招きありがとうございます。これつまらないものですが……」
「これはこれはありがとうございます。ふふ、なんだか不思議ですね。司くんに手土産をもらうなんて」
「もう三十のおじさんですよ?いつまでも小学生扱いなんですから……」
平日の昼間。理凰と妹の汐恩は学校に行っていて不在だ。司が来ることは理凰に言ってない。言えば学校休むと言いかねないからだ。
「お身体大丈夫ですか?退院して間もないのに鯱城選手の引率で中国に来ていたから俺心配で」
話しかけたかったが日程が違うことといのりのサポートで司もいっぱいいっぱいだった。全日本ジュニアのあとも話したくても話せずにいたこともあって積もる話は山のようにある。
「大丈夫ですよ。仕事もアシスタントコーチの皆に振る量を増やしてカバーをしてもらってます。今私が直接受け持つのは理依奈くんと夕凪くん、理凰だけとなってます。選手と親御さんには申し訳ないことをした……自分の力不足が悔やまれます」
「そんなこと!どの選手の成長は全部慎一郎さんのおかげですよ!力不足なんて言わないでください!」
「……はい。ふふ、久しぶりに司くんから名前を呼んでもらえて嬉しいです」
「あ……すみません、つい」
「いえ、ここからは古いよしみだからこそ話せることです。純くんが全日本ジュニアの後、光のコーチを降りました」
「え」
──全日本?全日本って去年の十二月のことか?
あの時確かに光の様子はおかしかった。SPでは珍しく転倒。それは演技と構成が噛み合っていないことからだろう。いのりは直前の岡崎いるかの怪我の影響でジャンプが跳べなくなってショート落ちしてしまった。そんないのりに光はわざわざ残って会いに来て逃げるいのりを追いかけてそこからは司は知らない。探してやっと戻ってきたふたりを見てなにかを話したのはわかったが深くは追求しなかった。そして次の日のあの演技である。ノービスの頃と違う振り付けに無茶とも言える四回転を四本。結果大差をつけて長く語り継がれるだろう結果となった。
自分とは違ってまさに夜鷹純を超えた、そう思わせまた夜鷹純のように燃え尽きるその演技に司はもちろんいのりは心を激しく揺さぶられた。
そういえばあれから連絡はない。夜の貸し切りスケートは夜鷹が東京を住まいに替えてしまったからというのもあってなくなったがだとしてもあれから一度も連絡がないのはおかしい。なんで気づかなかったのか。
「……純くんは光には自分と同じ道を辿らせると言いました」
「それは、俺も聞きました。でもそれとどんな」
「同じ道、そして司くんとは違う道」
「……っ、コーチを変えさせる、ですか」
「はい。表向きは私からライリー先生ですが本当のところは変わらず純くんだった。それでは意味がない。純くんは光に自分を捨てさせた。同じように生きると光は決めたから。そうすることで今度こそ成功させると思ったんです」
慎一郎は聞いていた。いつか夜鷹が光のコーチを降りることを。そして今度こそスケートを辞めると。
「俺はあの人と同じ道を歩まなかったから……狼嵜選手には同じ道を歩ませるということですか?」
光を引き取り夜鷹のレッスンが始まった頃慎一郎は夜鷹に言われた。この先の確定の未来の話を。
『コーチを変えるかどうかは本人の意思だよ、純くんが強制することは』
『僕はね間違えた。司が選手を辞めてしまったのは僕が間違えたからだ。あの子にも僕を捨てさせなきゃいけなかった。コーチなんてどれも同じで最後は自分自身が決めるんだってあの子にそれを示してあげれなかった』
『そんなことないよ、司くんは君だからこそスケートをしたいって』
『そう執着した。僕も司もお互いに。本当は氷の上に立つだけでいいのに。それ以上を望んだ。だから司がどんなに泣いて嫌がっても僕を捨てさせなければいけなかったし、僕は手を離さなきゃいけなかった。あの子が、きらきら眩しいあたたかなあの子が僕を見つめ続けることに僕は喜んでしまった……僕は司を犠牲にできなかったし司に僕を犠牲にさせれなかった』
夜鷹の寂しそうな顔を今でも覚えている。こんな顔をさせたくはなかった。きっとそうなってしまったのは結局自分の言う犠牲が正しいのだと確信してしまったからだ。慎一郎は犠牲なんてしなくても金メダルをとってみせると言ってできなかった。孤独な親友に絶望を結果としてつきつけてしまった。
「司くん、お願いがあります」
「……なんでしょうか」
「どうか、純くんに会ってくれませんか」
「俺が会っても……」
全日本ノービスではコーチとして負けた。その後全日本ジュニアで見ててくださいよ!と言ったが夜鷹からはもう興味ないよ負けたでしょと釣れない言葉だけしか返ってこなかった。そしてあの全日本ジュニアである。きっともう呆れて何も言えないのだろう。啖呵を切りまくったくせになにひとつ証明できていない。JGPFをとったけど夜鷹からは何も言われなかった。つまりはそういう事なのだ。もう夜鷹は。
「もう、コーチは俺の事なんて興味ないんです」
「それがなんだって言うんです」
「へ?」
「全く純くんも司くんも相手が相手がって……ちゃんと自分の意志を言わなすぎです」
「慎一郎さん?」
やれやれと呆れ果てたとため息をつく慎一郎に司は戸惑う。
「いいかな、相手がどう思っても譲れないものがお互いあるなら貫きなさい。君たちはお互いを思いすぎてコミュニケーションが取れてない」
「……譲れないものって」
「司くんの譲れないものはなんですか?」
「俺の譲れないもの……」
それは。
「君はシングルの選手に戻ろうと思えばいつだって戻れた。今だってコーチではなく十分に現役になれる。違いますか?」
「……」
「去年の強化合宿。君は結束選手のためにルッツを跳びましたね。あれだけできないと言っていたのに」
「あ……」
そうだ。いのりがルッツへの苦手意識を引きずって跳べずにいて練習も司の指導とうまく噛み合わなかった時コーチ陣からのアドバイスで指導方法を変えたくてルッツジャンプ勝負をした。指導の書き換えが上手くいったのかいのりはすぐに着氷できるようになって功を奏した。そして司もまたあれだけもう跳べないと思っていた二回転ルッツを一発で跳べるようになったのだ。
そのときに気づいていた。もしかしたら自分はもうジャンプを跳べるのではないかと。
「僕が思うに君はジャンプを跳べないように自己暗示して夢を諦めるようにした。そうする理由は?」
「……夜鷹さんと、コーチと、離れるためです」
「どうして?」
「……だって、俺がいるとあの人を苦しめてしまうから。あんなにスケートが大好きなあの人をスケートで傷つけたくなかった……俺のことを」
諦めて欲しかった。
──できない子だと見限ってほしかった。じゃないとまた手を掴みそうだから。ここから連れ出してって縋ってしまいそうだったから。他の人じゃ嫌だから。俺のことを一番近くで見てくれるのはコーチじゃなきゃ嫌だった。だって俺はあなたのスケートでこの身を、この心を灼かれたのだから。
「俺は夜鷹純以外のコーチは嫌だから、俺のスケートはあの人だから」
たったひとり。たったひとりだけなのだ。
冷たい氷の上で心を燃やすのはたったひとりの人。
「……実は連盟から兼ねてひとつ頼まれごとをされているんです」
「え?」
「スケート連盟は次のオリンピックまでにスケート界隈をより盛り上げたいと思っていてその一環としてフィギュアスケートのテーマソングを人気歌手の方にオファーをしたそうです」
「ああ、それは聞いてます。放送局の垣根を超えて全大会で使われるようになると。発表ももうすぐですよね?」
まだまだコーチとしては新米ではあるが連盟の何人かと仲良くさせてもらっている。いのりの短期間での躍進もあるのだろう。支えるコーチの司に好意的な人は多くシーズンオフには連盟のノービスの子達の強化合宿にスケーティングの指導をしてくれないかと言われている。これはまだ瞳とクラブで調整があるが司としては是非と思っていてそのときに実はね、と教えてもらったのだ。
「ええ。それでその曲のPVでスケーターに滑って貰いたいと言うことでして」
「え!?それって慎一郎さんがですか!?」
慎一郎の新しい演技が見れる!?そう喜色に染まる司に慎一郎は照れ笑いしながら「いえいえ」と否定をする。夜鷹が好きだ一番だと言いながら慎一郎のスケートに目をキラキラと子供のように輝かせる司にむずむずとしてしまう。こんなに喜んで待ち望まれるなら自分でもいいかと思ってしまったのは許して欲しいとここにはいないこと司のことに関してはヤキモチを妬いてしまう親友にそっと謝る。
「私ではなく理依奈くんです。彼女に是非滑ってほしいと」
「なるほど……確かに今鯱城選手が日本を代表する選手ですもんね。演技力はもちろん知名度も彼女が抜きん出てます」
「とはいえ常に怪我と体力を考えながらの練習のなかこれ以上滑らせることはできません」
「そうですね。いのりさんもアイスショーの話がいくつか来ていたのですがほとんど断りましたし……選手にはいい気分転換や経験になるとは思っても怪我やメンタルを考慮すると大会とは関係ないものはそう簡単には受けれないです」
昨今、色んなアイスショーが行われている。そのショーにはプロスケーターだけでなくノービスやジュニアの子も誘いがあるのだ。いのりも名が知れてオファーがいくつか来たが成長痛が出始めたこともあってその殆どを断った。ひとつだけノービスの子達と名古屋市主催のアイスショーに出たのだが振り付けを覚えるのが苦手ないのりはちょっと大変だった。大人数での練習期間は限られていることもあっていのりへの振り付けの覚え方の新たな方法も考えなければいけないと課題が見つかったわけで。
「そこで他に話題になりそうなスケーターはいないかと言われまして」
「はぁ」
「司くんやりませんか?」
「……え!?俺!?」
「はい。かつて夜明師弟と呼ばれジュニアにも関わらず周知されていた司くんならいいと思いまして連盟の推しておきました」
「え!?もう話済み!?」
「はい」
にっこりと笑って言い切る慎一郎にまさか今日呼び出されたのはこれが一番の理由だったと知る。夜鷹のことも理由だったのだろうがそれを引き合いにこの事を受けさせる腹つもりだったのだ。
「無理です!無理です!!俺ジャンプは」
「跳べますね」
「……あ、う、………さ、策士だ」
「ふふ、こういう駆け引きを司くんは学びましょう」
「わ、悪い大人だ……慎一郎さんが悪いおとなになった……」
「それで受けてくれますか?」
「……わかりました。でもひとつだけ条件があります。そのPVがどんな物になるかによってなんですが、もしプログラムを作るということになったら、そのときは」
「それで僕を呼んだの」
「はい。お願いします。俺にプログラムを作ってください」
「……自分で作りなよ。君はコーチでしょ」
「嫌です!」
「……」
「これはコーチとしての俺のスケートじゃないので。スケーターとしての俺へ頼まれたことです」
「……はぁ」
選手を辞めたあと日から今まで一度も自分からかけることの無かった夜鷹へ電話をした。出てくれるだろうか、そもそも壊さずに携帯を持っていてくれているのだろうか。光のコーチを降りた後所在不明となっていた夜鷹の現状を知る人はいない。そのためどうか電話に出てくれとオファー云々の前に安否確認をしたかった。
『…………もしもし』
『で、出た!!!!』
『うるさ……なに?司』
『何じゃねーよ!あんた今どこにいるんだよ!?』
出て欲しいとは思ったがまさか一発で出るとは思ってなかった司はクソでかい声で出たことに驚いた。長い長い呼び出しのコール音がこんなに心臓に悪いとは思わなかったのだから許して欲しい。そしてどこにいるのかと聞けばロシアと返ってきた。相変わらず寒いところが好きな人である。ロシアならレオニードが知ってそうだが彼は光の新しい振り付けのためロシアと日本を行き来しているため所在までは掴めていなかったのだろう。わざわざ会いに行くなんてことを夜鷹がするわけもないから。後日夜鷹がロシアにいたと聞いたレオニードはロシア語で罵っていた。綺麗な言葉では無いので子供には聞かせられないが生憎、光はロシア語の習得をしていなかったので「なんて言っていたのか」の問いにライリーは「夜鷹さんの心配凄くしてたって!」と嘘をついたが許されるだろう。
そんなこんなで司が会いたいと懇願すると夜鷹は渋々日本に帰ってきた。ほんの数ヶ月会っていなかっただけで夜鷹はまた痩せていて会った瞬間減ってしまっていた夜鷹の面積に司は泣いたし慎一郎は胃をまた痛めた。
「そうだとしてどうして僕が作るの」
「え?」
「は?」
「当然でしょ?それとも何ですか俺のプログラムを慎一郎さんが作ってもいいんですか?」
「……曲は」
「これです!」
ワイヤレスのイヤホンを渡し曲を聴かせた。最初眉を顰めていた夜鷹だが曲が進むに連れ険しい顔ではなくなっていく。二分五十秒、聞き終えると夜鷹はもう一度曲を流した。そして繰り返して三回目を聴き終えると「紙とペン」と一言。
「曲が速い」
「まぁ、クラシックとかに比べちゃうと」
「でも歌詞はいいね……理解できる」
「俺、この曲を聴いた時まるで俺とコーチ、それから俺といのりさんのことのようだと思ったんです」
「……」
「俺、コーチになってわかったことがたくさんあります。事前にどんなに尽くしても準備しても氷の上に乗った途端選手は終わるまでひとりで戦わなきゃいけないことを。それがどんなに歯がゆいのかを。あなたもそう思っていた?」
「……そうだよ、君を送り出したあと何も出来ない自分が歯がゆかった。だからコーチなんていらないんだ。なんの力にもなれない。最後は選手ひとりで戦うのだから」
「それは違います。俺はだからこそコーチがいると思いました。成功しても失敗してもコーチが待っている、そこに信じていてくれると思って」
「……」
夜鷹の手に手を重ねる。いつの間にか夜鷹より大きくなった手。幼い頃はこの手に繋がれて導かれて孤独な氷の上に立った。それまで怖かったのにコーチがいるのだと思うと恐怖はどこかへ飛んで行ってしまっていた。
「お願いします、また俺を氷の上に連れて行って」
「……どうせこの一度きりなんだろう。君はあの子供のために戻ることはないんだろう」
「はい。いのりさんは金メダルをとって俺を世界一幸せなコーチにしてくれるらしいです。だから」
思えば司は夜鷹に幸せになってほしいと滑ったことはなかった。それなのに司といると夜鷹を苦しめてしまっていた。それが嫌だった。そう嫌だったんだ。
「たった一度ですけど、これが最後かもしれないですけど、あなたを一瞬でも世界一幸せなコーチにしたい」
じわりと司の体温が溶け込んでくる。最初の頃はこの熱に驚いた。他人と触れ合うことなんてなかった夜鷹だから。触れ合って溶け合った体温は夜鷹の心の拠り所にいつの間にかなっていた。このぬくもりのためならどんなに煩わしいことも耐えれると思ったのだ。
「随分と自惚れているね。僕が君の演技で幸せになるって思っているなんて」
「え?だってコーチ俺の事大好きじゃないですか」
何言ってるんです?ときょとんと首を傾げる司に夜鷹は目を見開く。随分と自信満々だ。いやでもそうかそう思ってくれているのか。
「ハハッ」
「ふぁ!?」
「うるさい」
「だって!急に笑うから!!」
「笑わせたのは君だよ、司。どうしていつも自信が無さげだったのにそこだけ自信があるの」
「えーだって……コーチが言ってたから……え、もしかしてリップサービス?もう俺の事好きじゃない?」
顔を青くして慌て出す司に重ねていた手を変え指を絡ませるように強く握る。もう夜鷹の手は冷たくない。
「好きだよ、ずっとずっと君だけだ」
夜鷹が出来上がったSPを滑る。最初のジャンプは司の代名詞でもあるクワドフリップ。次にトリプルアクセル。最後にクワドサルコウ+トリプルトウループのコンビネーションである。
「うううカッコイイ!!本当にアラフォーですか!?相変わらずジャンプは高くて幅があるし着氷も綺麗!GOE+100ですよ!しかもビールマンスピン!?」と褒めているかと思ったら「難易度高っ!!これオリンピックレベルじゃないですか!!俺流石にもうビールマンスピンは無理ですよ!?」と不平不満が出た。目まぐるしい司の感情に夜鷹は気にすることなくフンと鼻であしらった。
「当然でしょ。君が言ったんだ。僕を世界一幸せなコーチにするって。あの子供の言う金メダルはオリンピックのということでしょ?それなら君のプログラム構成もそうあるべきだ。できないとは言わせない。その肉削ぎとっておいで」
「それはそうですけど、その前にいのりさんのことあの子供って呼ぶのやめてください!いのりさんです!とても素敵な名前でしょ?はい!言って!あと肉って言わないで!」
「言わない。あの子供で十分。それとも僕の司を盗みとったんだ。泥棒猫でもいいよ。あとそれは肉だよ、肉」
「猫みたいに愛くるしいのは合ってるけどそれはダメ!ていうか盗みとったって何!?肉肉言うな!」
「そのまんまだよ、この浮気者。筋肉達磨」
「……それを言うなら自分だってそうだろ。なんだよ、勝手に次の教え子とかとってさ……あんただって司以外はとりませんって言っておいてさ……あと筋肉だるまはひどい」
「なにヤキモチ?可愛いね。酷くない。」
「ちがいますー!それより覚えたんで見てください!ムキムキっ!」
ぎゃあぎゃあと喧しく練習は進む。その様子をニコニコと嬉しそうに見守る慎一郎と呆れて見つめる高峰、そして睨みつける光の姿がリンクにあった。
「なんでたって野郎のイチャつきを見せられなきゃいけないんだ」
「ふふ、純くんが元気そうでよかったね光」
「……」
「光?」
静かに氷の上のふたりを見つめる光に慎一郎は心配そうに顔を覗き込む。その顔は険しく何を思っているのか、少なくとも嬉しそうではない。
それもそうだろうと高峰は心の中でため息をつく。もうコーチは必要ないと言われスケート靴を置いて出て行った夜鷹の心配をずっとしていたのは光だ。光にとって夜鷹は特別な存在。人生の半分は夜鷹と共にあったのだ。それなのに元兄弟子が急にまた掻っ攫った。それも光のライバルであるいのりのためではなく自身の一度きりの演技のために。司は自らの手で夜鷹の手を振り払ったのに、光はまだ夜鷹の手を掴んでいたかったのに、夜鷹が選んだのは司だったのだから。内心煮えくり返っているだろう。
どうしたものかと高峰は今度は隠すことなくため息を落とす。するとリンクサイドに夜鷹が戻ってきた。
「慎一郎くん、曲お願い」
「うん。司くん跳べそうかい?」
「振り付けはあの子のことだもう完璧だろう。あとはジャンプだ」
「それにしてもだいぶ絞ったな?現役の頃までにはなっているんじゃないか?」
「それでもまだ無駄肉があるよ。もっと絞らせないと」
「……コーチ、あの」
「僕はもう君のコーチじゃないよ」
「……でもあの人はコーチって言ってます」
「……好きに呼べばいい」
ぎゅうと握りしめる小さな手を夜鷹は見ないふりをして前を向く。膝をつきスタートのポーズをとる司だけを見据える。
「なに?」
「え?」
「何か言いかけたじゃないか。何?」
曲が始まり司が音に合わせて立ち上がる。見ながら光の話を聞くということなのだろう。光も同じように司を見据えて声が震えないようにと話を続ける。
「どうしてもう一度戻ってきたのですか……置いて行ったスケート靴を取りに来てまで」
光のコーチを辞めると言ったそのとき滑り終わったあと煙草を吸いに出たのかと思ったらそのまま夜鷹は帰ってくることはなかった。置いていかれた黒のスケート靴。光の憧れの靴。彼をとびきり美しく魅せるための魔法の靴。それを夜鷹は置いて行った。それはスケートをもうしないと同義だ。だけど光はそんなことを認めたくなかった。だから大事に大事に預かった。いつか戻ってきた時のために。夜鷹純にはこれが必要でしょうと差し出すために。
それなのに約半年ぶりに光の元へ現れた夜鷹は少しだけ細くなった腕を光へと伸ばして一言「僕の靴」と言っただけ。他にも言うことがあるだろうと怒りで泣き出した光に後ろにいたライリーが「あー!じゅんぽよがぴかるん泣かした!!」と騒いだから光は余計に泣いた。泣いて夜鷹の胸を叩いて「生きててよかった」と零すと夜鷹は優しく抱きしめてちいさく「ごめん」と謝った。初めて謝罪されて涙がひっこんで見上げると困った顔をしていたので光は笑った。
なんてそこまではよかったのだが何故戻ってきたのか、何故スケート靴が必要になったのか聞くと光の大嫌いな司のためだと言うのだ。ふざけんなである。
「……精算かな」
「精算?」
「僕があの子のコーチでいた間……正直幸せではない時の方が多かった。でもそれは司のせいじゃない。あの子に捨てさせられなかった、心配をかけた僕の落ち度だ。だからそれを精算させる」
司の両親や夜鷹の狂信者。それらに夜鷹は悩まされていた。せめての救いは司が演技をしている間だったがそれさえも夜鷹にとって苦痛に変わってしまった。でもそれらはどうにかできた問題でもある。だができなかった。周りは仕方ないと言うかもしれないが夜鷹はそれは自分の落ち度だと思っている。
もっと自分が社会というものを知っていれば。処世術を身につけていれば。司をあの家から離して夜鷹の意思にそぐわないファンを平然と黙らせてしまえればよかった。
でも夜鷹は氷の外ではひどく不器用で司が引いてしまった。夜鷹を守ろうとしてしまった。もっと自分が強くあれば司は夜鷹に頼ったのだと気づいときには司は手から離れてしまっていた。
だから今度は間違えないと光を引き受けた時自身を隠した。そのために慎一郎に協力してもらいはしたがうまくいっていたと思う。光は夜鷹に近づきそして超えていく。これは司にはできなかったことだ。今思えば夜鷹は自分を越えようとする存在が欲しかったのかもしれない。自分に食らいつこうとする同年代のライバルというものが。
「……では私コーチをしていたときは幸せでしたか」
「そうだね……平穏だったよ……君は心配のタネが少ない。慎一郎くんのおかげで健やかに育った」
慎一郎くんに感謝だと言う夜鷹に慎一郎は鼻の奥がツンとした。夜鷹の言うことに光はわかる。光も慎一郎に、鴗鳥家に引き取られてよかったと心から思う。慎一郎が理凰が、エイヴァが汐恩がいたからあのあたたかな家庭があったからスケートも自分自身も愛せたのだ。ひとりではないと思えたのだ。
「だったらなおさら私はあの人が嫌いです。あなたの心を掻き乱し続けるあの人が」
同じ生き物である司と光。共に夜の一番星に魅了され刹那を生きた。司は焼き尽くす太陽に光は全てを照らし闇も飲み込む輝きに。
「ほんとうに嫌い」
美しいほどに滑る兄弟子が。嫌いで嫌いで羨ましくてしょうがない。
「だからこそ、負けません。コーチ、一つお願いがあります」
「……なに?」
「私がオリンピックに出場する歳になったらまたコーチを引き受けてください。そのときあなたを私の隣にオリンピックのキスクラに座ってあなたに金メダリストのコーチという素晴らしい場所へ連れていきたい」
「……」
「お願いします。私はいのりちゃんにもそして兄弟子であるあの人にも負けたくない」
「……わかった。待ってるよ」
「……っ、はい!!」
──だから今だけは譲ってあげますよ、明浦路先生。
目の前で完璧に滑る兄弟子を見つめ光は決意する。いつかそんな遠くない未来、司が連れて行けなかった場所へ光が夜鷹を連れて行くのだ。
「行っておいで……全部灼き尽くして」
そう行って氷の上へと送り出される。懐かしい。またこうやって送り出さしてもらえるとは司は思わなかった。
用意されたプログラム構成を見たとき苦笑いしてしまった。
本当に優しい人だと。
だから、今度こそと。跳んでみせる。
だってこれを跳べなきゃあなたを幸せにできない。
「あなたを幸せにするのは俺」
だから跳べ。跳んでみせろ。あの人を愛しているなら。
着氷したとき嬉しくて演技も忘れて飛び跳ねたかった。でもそれじゃあダメ。曲が終わるまで司は戦い続けなければいけない。戦うってなんだろうね。これは大会じゃない。ここで演技が出来たってメダルが貰えるわけじゃない。ただの自己満足。やり直しにすらならない。それでも。それでもと自分のために用意されたプログラムを踊る。
最後、曲がおわって撮影クルーと歌手しかいないこのリンクだがお辞儀をしてリンクサイドに戻る。夜鷹は顔を下に向けていた。
「……怒りました?勝手にまた変えて」
「…………ちがう」
息を深く吸い込む音がする。顔を上げた夜鷹の瞳は潤んで大粒の涙がひとつ零れた。なんて美しい涙だろうか。
「全く……司」
「はい」
「君、わかってる?」
「なにがですか?」
「この後まだ何本もプログラムをしなきゃいけないのに。全部四回転ルッツでいけるの?」
今は定点カメラのみ撮影でこの後カメラマンと並走による撮影、ドローンによる撮影、そして歌手を混じえての撮影がある。初めてのクワドルッツのクリーンな着氷。これをあと最低三回はしないといけない。あくまで最低数だ。
「……がんばり、ます」
「そこは自信を持って言いなよ。仕方ない子だ」
冷たい体が司を包む。演技を終えたこの体は燃えるように熱い。生きてる熱だ。それが夜鷹に移ればいい。
「そうなんです、仕方ない奴なんです。だから」
今度こそ一緒に。
お互いが燃え尽きるまで。
だって司は夜鷹じゃないと、夜鷹は司じゃないといけないのだから。
おわり