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「はぁ。」
「どうしたんだい。ため息なんか付いて。」
鴗鳥慎一郎は目の前の男、夜鷹純とともに静かな夜の中、一つのテーブルを境に言葉を交わしていた。
「司くんを飛ばせたい。」
「またその話か。この間の即興バックフリップを見てからそればっかりじゃないか。」
そう、この男は今、現役時代以上に頭を悩ませていた。
明浦路司というルクス東山FSCのアシスタントコーチ。この間、私と純くんと彼とでスケートリンクを訪れた時だった。純くんはあまり顔に出していないようだったけど、あの時間で彼は明浦路先生に惚れ込んでしまったらしい。まったくわからなかったけど。そして、あの日から今日に至るまで何回言われたか、口を開けば「司くんが」どうとか、「なんで選手にならないのか。」「僕だったら彼を世界一の選手にできる。」とか光という教え子がいるにも関わらず明浦路先生のことばかりを口から垂れ流している。
だが、この現象は見覚えがあった。
息子の理凰も全く同じ症状が出ていた。明浦路先生に臨時で受け持っていただいた時、合宿から帰って来てからのあの子の様子は見違えていた。演技には身が入り、まるでもう成長を諦めていたかのように感じていたそれが、また熱を持ったように動き始めた。この短期間でこんなに劇的に変わるものかと驚いていたが、その決定打になったのは明浦路先生だった。帰って来た時、いや今もだが理凰は今の純くんと同じように口を開けば「明浦路先生が」「明浦路先生はどこ」「明浦路先生家に来たの?!」など、先生っ子になってしまっていた。
どうやら明浦路先生には人を寄せつける何かがあるのだろう。それも、とても強烈な何かが。
全てに飽き、何に対しても感情を動かすことのなかった純くんが例だ。そんな彼も明浦路先生の手にかかればまるで洗脳でもされているかのように頭の中を明浦路先生で埋め尽くされてしまっている。
「司くんが欲しい。」
ピクリとそのゾウっとした雰囲気に圧倒されてしまう。不意打ちで喰らったこの男の黒いオーラはいまだに慣れることはできない。小さい頃からの付き合いだっていうのに、こんな彼を見たのは初めてだった。
「…彼は、ちゃんとスケートを始めたのが20歳かららしいよ。もっとちゃんとしたコーチが最初からついていれば純くんと肩を並べるくらい強くなってたかもしれないね。」
「見つけるのが遅かった。……もし、司くんを見つけていたらーー彼の爪先から指先、呼吸から目配り全てを僕の色で染めていたのに。」
そう恐ろしいことを言う友人が怖くなってガタリと椅子を動かす。あぁ、あの夜の遊びに明浦路先生をさそったのは失敗したかもしれない。こんなに目をつけられてしまうなんて思っても見なかった。純くんがこんなにも執着してしまうなんて。
明浦路先生すいません。
今度頭を下げに行きます。と慎一郎は心の中で思い、まだ黒いオーラを放っている友人を目の前に今度は自分がため息をついた。
「はぁ。」
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