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渡(わたり)教授のスマホに遠山准教授から急な連絡があったのは、4月の始め、大学の入学式が終わった直後だった。
まだ30代の新進気鋭の若手という評判の遠山の声は興奮で震えていた。
「渡先生、お力を貸して下さい。竹の花が咲いているんです!」
渡は思わずスマホを耳から少し離した。
「落ち着きなさい。そりゃ120年に一度しか咲かない竹の花とは珍しい話だが、世紀の大発見ってわけでもないだろう? それに私の専門は地震学だぞ」
「先生の専門領域と関係があるかもしれないんです。というか、そうとしか考えられない」
50代にさしかかったばかりの渡は、白髪の混じり始めたあごひげを撫でながら、まだ学生のようにも見える童顔の若手生物学者の顔を思い浮かべながら訊いた。
「地震と竹の花にどんな関係があると言うのかね?」
「今先生のメールアドレスに、その竹の花の写真を送りました。とにかくそれを見て下さい」
渡は訳が分からないままパソコンのメールボックスを開き、遠山からのメールに添付されている画像ファイルを開けた。
そこに映っている計5枚の写真を見た渡は目を疑った。
「これが竹の花だと? 馬鹿な! こんな形の竹の花があってたまるか!」
ますます興奮して甲高くなった遠山の声が渡のスマホから響いた。
「しかも、富士山周辺で一斉開花の兆候があるんです。現在開花が確認されている地点の全てが、今先生が調査している、噴火の兆候を示すデータの地点と一致するんですよ!」
山梨県側の富士山の麓に設置されたプレハブの監視本部に、筒井がやって来たのは三日後の事だった。
女性物のパンツスーツを着て、大きなバッグを肩から下げた25歳の新聞記者は、猛獣に近づくかのようなビクビクした様子で、並んでいるドアをノックし、そっと開いた。
「すみません、渡先生はこちらに?」
中には渡と遠山が安物のソファに座っていた。渡がニヤリと笑って筒井を手招きする。
「おっ、来たな。まあ入って座れ」
渡はソファから立ち上がり、机の椅子に移る。筒井は遠山に名刺を差し出した。
「帝都新聞社会部の筒井と言います。今回はよろしくお願いします」
遠山は丁寧に名刺を受け取り、ソファの空いている所を掌で指し、腰を下ろすよう勧める。
筒井は相変わらずビクビクした様子で渡に話しかけた。
「それで渡先生。どうしてあたしなんですか? 社の方からは科学部の理系の学歴の記者を送ると言ったのに、それを断って、あたしを指名なさったそうじゃないですか」
渡はニヤニヤ笑いながら答えた。
「こういうデリケートな話は文系の人間に書いてもらう方がいいからだ。理系の記者だと専門的な点にこだわり過ぎて、うまく伝わらん事が多いからな。それに君なら、私の話を記事にできたという実績がある」
遠山が少し驚いた顔で訊いた。
「お二人は顔見知りですか?」
筒井が答える。
「数年前、まだ地方支局勤務だった時に渡先生の研究発表を取材させていただいて。念のため専門的な部分だけ、事前に記事を見ていただいたんですけど、もうダメ出しの嵐で」
渡がむっとして顔になって言った。
「たかが11回書き直させたぐらいで、大げさに言うな」
「11回じゃなくて21回です! うちのパワハラデスクでもそこまでしませんよう」
苦笑しながら遠山がタブレットの画面を筒井に向けた。
「今回新聞記者さんに見てもらいたいのは、これなんです」
そこには何十枚もの写真があり、遠山が画面をスクロールする。梅の花によく似た深紅の花が竹林のあちこちにポツポツと見えている。
筒井が感心した口調で言う。
「へえ、これが竹の花ですか。あたし生まれて初めて見ました」
「いや、そうじゃないんです。こんな竹の花はあり得ない。竹の花というのは、本来こういう物です」
遠山が画面表示を切り替えた。何種類かの竹の花の写真が映る。どれも白っぽい細長い物で、下に垂れ下がっている。形は稲の穂、全体的にはしおれた百合の花の成れの果ての様にしか見えない。
筒井が訊き、遠山が答える。
「これが花なんですか? 全然花ってイメージじゃないですね」
「そうでしょう? だから赤い花びらが開いた竹の花なんてあり得ない。そして問題は、このあり得ない花が開き始めている場所が富士山を取り囲むように分布している事です。そしてその富士山は」
遠山は先をうながす様に渡の顔を向けた。筒井も釣られて渡の顔を見る。渡は長いあごひげを指でしごきながら言った。
「富士山に噴火の兆候がある。数千年、あるいは数十万年に一度の、大噴火になるかもしれんのだ」
翌日の昼下がり、渡、遠山、筒井の三人は監視本部近くの山道を歩いていた。あちこちに大規模な竹林があり、枝の葉の付け根にあの深紅の花がポツポツと見えていた。
「暑いですね」
筒井はそう言って、キャンプ用の上着の前を開いた。スマホの温度計を見ると29度。
「今は4月なのに、まるで夏。異常気象ですね」
渡も額の汗をタオルでぬぐった。
「ところが、この異常な高温は富士山の周囲だけで起きているんだ。気象ではない。これも我々が富士山の大噴火を予想している兆候のひとつだ」
しばらく竹林をながめながら歩いていると、赤い竹の花をじっと見つめて立っている和装の白髪の老人がいた。
渡が老人に近づいて、一礼して話しかけた。
「失礼ですが、地元の方ですか? 私はこういう者です」
渡から名刺を受け取った老人は、ほうっと声を上げた。
「大学の先生、いわゆる科学者でいらっしゃいますか」
「そのお召し物から見て、もしや神社関係の方では?」
「はい、あの丘の向こうにある古い神社の禰宜(ねぎ)を務めております」
「神社の一番偉い方ですね? では、この辺りに伝わる古代からの伝承をご存じありませんか? 特に赤い竹の花に関係するような」
「はい、古い神社ですから、いろいろとおとぎ話はあります。赤い竹の花に関してですか。戻ったら調べてみましょう。お時間があれば、ここへおいで下さい」
渡は禰宜から名刺を受け取りながら、いぶかしそうな表情で言った。
「あの赤い花を見ても、あまり驚いていらっしゃらないように見えます。以前にもご覧になった事が?」
「いえいえ、私もこんな物は生まれて初めてですよ。珍しい事がこの世にはあるものですな」
翌日、筒井があてがわれた寝室から渡の部屋に入ると、彼はパソコンの画面越しに戸外にいる遠山とリモート動画通話で話し込んでいた。画面の中で遠山が興奮を通り越して、茫然とした口調で告げる。
「渡先生、信じられません。これを見て下さい」
画面に赤い竹の花の中心部が映し出された。そこには爪の先ほどの大きさの丸く透明な物体がキラキラと光っていた。遠山が言う。
「採取したサンプルを調べてもらいました。これはダイヤモンドです」
筒井がえっと声を上げた。それに気づいた渡が筒井の方を向く。筒井はあわてて「おはようございます」とあいさつし、画面の中の遠山に語りかけた。
「植物が、鉱物を作り出したという事ですか?」
それには渡が代わって答えた。
「ダイヤモンドなら鉱物とは言えんかもしれんぞ。ダイヤモンドは炭素の結晶だからな。植物は大気中の二酸化炭素を吸収し、炭素と酸素を分離して、炭素を使って有機物を作る。材料、原料という意味では説明はつく。もちろん、ダイヤモンドを作る竹なんて物は、ノーベル賞級の発見だがな」
遠山のパソコンからピコーンという音がした。メールボックスを開け、2通のメールと添付された画像を見た渡は、首をひねりながら言った。
「詳しい解析結果が出た。二人とも驚け。あの花の中心にあるダイヤモンドの結晶構造だが、天然ダイヤはもちろん、工業用の人工ダイヤと比べても、はるかに整然としている事が分かった」
筒井は思わず画面から目を離して渡の顔を見つめた。
「それって、普通逆じゃないんですか?」
渡はもう一通のメールと添付データを見つめながら遠山に言った。
「もう一通は君の所にも届いているだろう。これは君の方の専門だ。どう見るかね?」
しばらく遠山の姿がパソコンの画面から消えた。数分後リモート画面に顔を見せた彼はもはや青ざめていた。
「もう驚く気にもなれない。もしやと思っていた通りです。ここらの竹の遺伝子配列は、世界中のどの種類とも一致しない、特殊なDNAパターンがある。遺伝子操作で人工的に作り出された種かもしれない」
それ以来、深紅の竹の花の数は日に日に増えていき、まるで満開の桜の木のような様相を見せ始めた。
一週間の野外のフィールド調査を終えた渡を遠山は、渡の部屋で缶ビールを飲みながら筒井の質問に答えていた。
筒井が送った一連の記事は世間ではさして関心を惹かなかった。政府からの要望で、富士山大噴火との関係はまだ公表されていなかったからだ。
「渡先生、遠山先生。あの竹が人工の物だとして、火山噴火とどう関係しているとお考えですか?」
渡がひげについたビールの泡をぬぐいながら言った。
「仮説というよりSFだがな。地下の火山のエネルギーを周辺の竹林が吸収していると考えている。もっとも、それであの竹が何をしようとしているのかは、想像もつかんが」
遠山が言った。
「あと、開花のペースは月齢に比例しています。一斉開花は満月の日に重なる可能性が極めて高い。月の引力が生物の行動に影響する例は他にもあるから、これも不思議はないと言えば言えるんだが」
筒井はノートにボールペンを走らせながら、考え込んだ。
「火山噴火のエネルギーを利用して生殖する竹という事ですか? でもそれなら、異形の花をつけるとか、ダイヤモンドを形成するとか、そんな必要ありますか? あまりにも突飛な話のような気が」
「突飛ついでにこう考えたらどうだ?」
渡がそう言って、ビールをぐっと一口飲んで言葉を続けた。
「富士山は平安時代に書かれた天女伝説と深い関係がある。老夫婦が天女を見つけて育て、やがて天から迎えに来た仲間と共に天女は天に帰る。その時老夫婦への礼として不死の薬を置いて行った。だがその愛しい娘がいない世界で永遠の命を得てもしかたがないと、夫婦は時の天皇に不死の薬を献上する。その天女にプロポーズして振られたその天皇も同じ様に考え、不死の薬を一番高い山の上で捨てさせた。その山こそが、富士山だ」
筒井が独り言のようにつぶやく。
「不死の薬の山……ふしのやま……ふしやま……ふじさん。だから富士という名前」
渡がさらに言葉を続ける。
「その天女が現代地球文明をはるかに超える科学力を持った宇宙人だとしたらどうだ? 千年以上後に起きる富士山の大噴火を利用するために、竹の遺伝子を操作した。その末裔があの赤い花をつける竹」
「面白い説ですが、ひとつ重大な矛盾があります」
遠山が口をはさんだ。
「仮にその宇宙人が来訪したのが今から千二百年ぐらい前だとして、それ以降も富士山は噴火しています。直近は1707年の、いわゆる宝永噴火。だったらその時も赤い竹の花が咲いたはず。江戸時代ですから、言い伝えぐらい残ってないとおかしい」
「竹の花が開花する必要があるほど大きな噴火ではなかったから。これでどうかね?」
その渡の答に筒井も遠山も悲鳴を上げそうになった。遠山が言う。
「宝永噴火が大した規模じゃなかったと? 江戸、つまり今の東京付近にまで大被害が出たんですよ」
「火山の歴史は数億年単位。人間の文明なんてたかだか数千年。分かっていない事の方が多い。筒井君、君は九州の阿蘇という火山を知っているか?」
「それぐらいあたしでも知ってます」
「どんな形の火山だ?」
「いわゆるカルデラですよね。すり鉢みたいな平べったい火口」
「これも仮説に過ぎんが、阿蘇山も富士のような円錐形の高い山だった可能性がある。何万年前かの巨大噴火で山体の大半が吹き飛び、今の形になった」
遠山が口元に運んだビール缶を離した。
「富士山もそうなると言うんですか?」
「日本は世界でも稀な火山大国だ。本州の中央にフォッサマグナという特殊な地溝帯があり、富士山はそのど真ん中に位置している。可能性としてなら、何が起きても不思議はない」
そして満月の夜、三人は自衛隊から借りた防護ジャケットにヘルメットという格好で、満開の桜のような姿になった竹林の近くで観察をしていた。
薄くかかっていた雲が晴れ、普段より大きく見える満月が姿を現す。月光を浴びた赤い竹の花が一斉に上を向き、その中央のダイヤモンドの部分から月に向かって深紅の光線が一直線に伸びた。
望遠鏡をのぞいていた筒井の体を渡が肩をつかんで引きはがした。
「見るな! あれはレーザー光線だ」
富士山の周囲の竹林の、深紅の花の全てから深紅の光が空に向けて放たれ、夜の空全体がまるで夕焼けのようにまばゆい光に満たされた。
その光の放出は一晩中続き、夜明けと共に止まり、赤い花は次々と地面に落ちた。その翌日から花をつけていた竹は、みるみる枯れ始めた。
その四日後、富士山は噴火した。南の中腹にある、宝永火口と呼ばれる江戸時代の大噴火で出来た穴から、溶岩と火山灰が噴出した。
風で飛ばされた火山灰は東は関東一帯、西は京都にまで届き、その微細な粒子が入り込んだ電子機器が多数故障した。
一部で震度5強におよぶ地震も起きたが、火山性地震であったため揺れが到達した範囲は狭く、それなりの被害は出たものの、恐れられていたような、首都圏が壊滅するという事態にまでは至らなかった。
噴火活動は3日で終息し、被害を受けた地域も早々と復興に向かい、日本は全体としては以前の平穏な日常を取り戻しつつあった。
富士山の噴火がもうニュースのネタにもならなくなった夏の日、渡、遠山、筒井の三人は以前竹林の近くで出会った老人が禰宜(ねぎ)を務める神社を訪ねた。
あの時の地震で受けた被害の修理が追い付いていないのか、神社の建物の屋根にはところどころブルーシートが被せられたままだった。
社務所の一室に通された三人が長机の椅子に座って待っていると、やがて扉が開き、大きな木箱を抱えたあの老人が入って来た。
「これは遠い所をよくいらっしゃいました。赤い竹の花に関係があるかもしれない古文書が見つかりましてな」
三人は立ち上がって禰宜に一礼し、机をはさんで向かい合わせに座る。禰宜が木箱の蓋を開け、中のクッション役の丸めた新聞紙を取り除きながら言った。
「富士山と天女の伝説には深い関係がある。その事はもうご存じなのですな?」
三人が大きくうなずく。禰宜は木綿の布で何重にもくるまれた細長い物を箱から取り出した。
「あの天女伝説の後日譚の部分には、いろいろ内容が異なる異本があります。この神社に伝わっているのは、世間で広く知られている物とは違う内容でしてな。天女が形見に残した物は、不死の薬ではなく、タネだったというのです」
遠山が机の上にぐっと上半身を乗り出した。
「植物の種子ですか?」
禰宜が布を取り去り、巻物を机に置き、紐をほどく。
「この神社の古文書にはカタカナでタネとしか書いてありません。ですが、そのタネであると考えるのが普通でしょう。天女は自分の育ての親である老夫婦の、遠い子孫に災いが起こらぬよう、そのタネを富士山の周りに植えよ、と言い残した」
禰宜が巻物を広げると、そこに色鮮やかな絵が現れた。中央に十二単姿の美しい若い女性が座った姿勢で描かれている。
その背後には無数の竹が生い茂っていて、枝にはびっしりと深紅の、梅の花に似た形の花が満開の桜の様に並んでいる。それは紛れもなく、三人が富士山の麓で見た、あの異形の竹の花だった。
筒井が禰宜の許可を得て、カメラでその絵を接写し始めた。渡が禰宜に尋ねる。
「これがあの伝説の天女なのですか?」
「断言はできません。この絵巻自体が、長い歴史の間に何度か失われ、その度に復元された物と伝わっております」
神社からの帰り、三人はまだ信じられないという表情を浮かべていた。筒井が渡と遠山の顔を交互に見ながら訊く。
「結局、あの異形の竹は何だったんでしょう?」
渡が歩きながら言う。
「あくまで私の解釈だが、地下の熱エネルギーを吸収し、レーザー光線に変換して宇宙空間に放出する。そのための生物マシーン。そう考えれば、噴火の直前になってマグマの温度が急低下した事の説明がつく」
遠山がハッとした表情で訊いた。
「データ解析の結果が出たんですね?」
「ああ、赤い竹の花からレーザー光線が放出された直後から、富士山の地下の熱エネルギーが急激に低下していたそうだ。解析した物理学の連中によれば、その消失したエネルギーの総量は、天文学的な数値だとさ」
筒井が少し青ざめた顔で訊いた。
「だったら、もしあの現象が起きていなかったら、富士山はもっと巨大な大爆発をしていた……そういう事ですか?」
渡は額の汗を指で払いながら答える。
「もしそうなっていたら、首都圏壊滅どころじゃすまなかっただろう。本州が二つに裂けていたかもな。あくまで仮説に過ぎんが」
「それにしても」
遠山が首をかしげながら言った。
「なぜ竹なんでしょう? 植物なら他にもいくらでも花をつける種はあるのに」
渡が立ち止まって振り返った。
「あの伝説、小さい子供向けの絵本でしか読んだ事がないようだな」
筒井が言う。
「渡先生は何かご存じなんですか?」
渡はまた歩き出しながら答える。
「その疑問に対する直接の答にはならないがね。あの天女の名前にはいくつかバリエーションがある。その一つが」
渡は道端の普通の竹の幹に手を伸ばし、その艶やかな緑の表面をなでながら、その名を口にした。
「なよ竹のかぐや姫」