稜くんがいきなり現れて、数日が経った。
『リコちゃん、僕また苛められたの~』
か細い声で言い放ち、印象的な大きな瞳を潤ませ、ナヨナヨしながら私の袖口を引っ張っていた小さな男の子が、すごくカッコよくなって、目の前に現れるなんて驚きしかない。
会社にいる間は仕事に集中できるけど、疲れて気が抜けちゃうと、つい稜くんのことをぼんやりと考えてしまう。
そんな複雑な心境を抱えたまま、何とか仕事を終え、時間になったので、いつものように皆に声をかけてから、会社の外に出た。
何かあっても困るだろうと、心配した克巳さんが毎日、送り迎えをしてくれたので、安心して帰ることができる。
会社の前にあるカフェの店先を待ち合わせ場所にしていたので、待ってまーすのメッセをしようと、スマホをカバンから取り出したとき。
「ラブラブなメッセージを、今から送信しちゃうのかな?」
耳元にふわりとかかる吐息と一緒に、背後からかけられた、艶のある低い声が聞こえてきたせいで、心臓が止まりそうなほどにビックリした。
思わず躰が、ビクンと跳ねてしまったくらいに。
「――!!」
「あはは、リコちゃんってば驚きすぎだよ。てか、俺にドキドキしてくれたとか?」
この間と同じように、色の濃いサングラスをかけ、白いシャツにジーパンという、ラフな格好で現れた稜くん。身の危険をひしひしと感じ、恐るおそる躰を退かせた。
「やだなぁ、もう。そんな顔してたら、彼氏に嫌われちゃうって」
ワザとらしく肩を揺すって笑いながら、通りの向こうを指を差す。振り返ってそこを見ると、信号待ちをしている克巳さんが心配そうな顔で、こっちをじっと見ていた。
「大好きな彼女の一大事に、必死になって走ってきました! ぎりぎりセーフで、息を切らしながらご到着♪」
稜くんは、楽しげに克巳さんのことを実況中継をしながらサングラスを外し、私たちふたりに向かって拍手をする。
「葩御さんっ――」
「稜って呼んでください、相田克巳さん。俺よりも年上なんですから、遠慮せずに」
「どうして、名前を知って……」
克巳さんが青ざめながら、素早く私を背中に隠した。稜くんはその様子を実におかしそうに見やり、肩にかかる黒髪を優雅に揺らす。
「だって敵のことを知っておかないと、戦略が立てられないじゃないですか。恋は戦争なんですよ。攻め落とした方が勝ちなんだから、ね。そうして大好きな彼女を守ってばかりいると、その鉄壁をぶっ壊して、リコちゃんをさらいますけど」
克巳さんよりも少しだけ背の低い稜くんが瞳を細めて、不敵に微笑んだ。まるで、勝利宣言をしているみたいに見える。
――悔しいけど、すっごくカッコイイ――
見惚れてしまいそうになる自分を何とか律して、克巳さんのスーツの袖をぎゅっと握りしめる。それに気がついて、私の手を強く握り返してくれた。重なり合った視線から、大丈夫だよという想いが伝わってくる。
その気持ちに応えるべく私が頷くと、克巳さんは顔をキリッと引き締め、稜くんにしっかりと向き直った。
(克巳さんは、ただ優しいだけじゃない。芯の強さをひしひしと感じる。やっぱり、心強いな――)
「悪いけど君に、理子さんを渡すつもりはない。諦めてくれないか?」
「はい、そーですかと簡単に諦めるワケないでしょ。あのさなんだか、雲行きが怪しくなってきたから、場所を変えてもいーい?」
稜くんは手にしていたサングラスを素早くかけて、顎で何かを指し示す。何だろうと思いながらその場所を見たら、通りすがりの女子高生がこっちを見て、ヒソヒソ喋っているようだった。
「駆け出しだけど一応、芸能人だからさ。外でトンパチしたら、目立っちゃうでしょ。相田さんと一対一の、男の話し合いをしたいんだけど、リコちゃん、彼氏をお借りしてもいいかな?」
その言葉で、一気に不安に駆られてしまう。
「克巳さん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。しっかり話をつけて、何とかしてあげる」
克巳さんは握っていた私の手を、更に握りしめた。
「じゃあ話は決まりだね。相田さん、俺ンちに行こう。リコちゃんバイバイ、気をつけて帰ってね」
立ちすくむ私を残し、背の高い二人は並んで、通りの向こう側に消えて行く。
克巳さんのことを信用していたものの、私自身どうしても不安に苛まれ、夜遅くに何度もスマホに電話をした。だけど無常にもコール音だけが鳴り響き、一向に繋がることはなかったのだった。
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