喜びも束の間、妖怪の窫窳だけは火がつく前に根の拘束を斬り裂いて解いてしまった。 何がどうなっているのかよく分かんないけど、これはチャンス! 1対1なら勝ち目はある!!
体勢を立て直される前にせめて一太刀。
剣先を窫窳へ向けて駆け出した私よりも早く、その身体に剣を突き刺した者がいる。
ズブりと刺さった剣をその人が引き抜くと、赤い血飛沫が舞った。
悲鳴をあげる窫窳の首にもう一太刀。
私がやってもこうはいかない。ゴロンと転がり落ちた頭の斬り口は、もう一度くっ付けたら元に戻りそうな程に綺麗だ。
「し……師匠……?」
どくどくと勢いよく血が流れ出す死骸の横に立っていたのは颯懔だった。
返り血で赤く染った顔で、ギロりと睨みつけられた。
「何をやっておるのだお主は!! 」
「え、えっと……」
「一人で山奥に入って野宿するなんてどう言うつもりだ?! あと一歩遅ければ死んでいたかもしれぬのだぞ! 」
「あ……うぅ……ごめんなさいぃ」
ひいいーーっ! 怖いよぉ。
怒られることはこれまでにも度々あったけど、この怒り様は過去一かもしれない。
つかつかと歩み寄ってくる颯懔を前に、恐怖で体が凍った。
謝罪の為に跪きたくても体が動かない。
「……間に合って良かった」
颯懔からたち昇っていた怒気が、私の目の前まで来た瞬間に萎んで消えていった。
私の存在を確かめるようにきつく抱き寄せられて、颯懔の乱れた呼吸と速い鼓動の音が聞こえる。
「心配させるな」
「……ごめんなさい」
自分の浅はかさと未熟さと、そして安堵感でいっぱいになって、涙が頬を流れ落ちる。何度も謝る私の頭をゆっくりと撫でてくれる手が心地良い。
「ひと月近く戻って来ぬから様子を見に来たら、途中で俊豪に会った。一人でいる理由を聞いたら、お主が敖順に頼まれ事をして山へと入って行ったと聞いたが」
「はい。天然の竹酒を飲んでみたいと言われて探していたんです」
「はぁぁ? そんなくだらん理由で俺の弟子を使うとは」
「了承したのは私ですし、危険な目にあったのは私が弱いからであって。敖順様とはどうか穏便に……」
再び怒気を立ち昇らせた颯懔をなだめながら山を下りて、敖順の住む島へと向かった。
「――という訳で、竹酒は手に入りませんでした。ごめんなさい!」
謝る私に敖順が、尻尾で肩を叩いて頭を上げるように促してきた。
「いやいや明明よ、お前さんが頑張ってくれたのはその格好を見れば分かる。随分と危険な目に合わせてしもうたようだ」
敖順は目を細めて私と颯懔を見た。服はあちこち破けてボロボロだし、返り血で赤黒く染まって血なまぐさい。
「危険な目に合わせた、じゃない。実際あとほんの少しで死ぬところだったんだ。未熟な道士を一人、物騒な山に入らせるなんてどういう神経をしておるのだ。神のお主なら、明明がどの位の強さか予想がつくであろう」
「いゃあ、なに。一気に強さを底上げできる、いい修行になるかと思ったんだがなぁ。ワッハッハ」
「手荒な真似をしてくれるな、全く」
「それで敖順様。変わりと言ってはなんですが、戻ってくる途中でましら酒を見つけたので持ってきました。竹酒とは全然違うものですけど、良ければ飲んで下さい」
下山の途中、手をかけた岩のくぼみに水が溜まっていた。ぷんと酒の匂いがしたので試しに舐めてみたら、山葡萄か何かが発酵して酒になったようだった。
ましら酒の入った竹筒を渡すと、スンスンと匂いを嗅いで舌なめずりをしている。
「こりゃあいい。どれ、約束通り礼をしよう」
「あたた」と言いながら敖順は、自分の尻尾の鱗を1枚剥がして渡してきた。
「そんなっ、頂けません」
「良い良い。実を言うとさっさと諦めて帰ってくるだろうと、全く期待しておらんかった。お前さんの頑張りにはワシも満足だ。受け取ってくれ」
受け取った鱗はヒンヤリとしていてすごく硬そうだ。暗視の術を使って見ているのではっきりとした色味までは分からないが、きっと日の下で見たらキラキラとして綺麗だろう。
「ありがとうございます」
「颯懔。薬、持ってるじゃろ?」
「図々しい奴だ」
不満そうな顔をしながらも、颯懔は普段から持ち歩いている傷薬を敖順の尻尾に塗っていた。
「みんなー、ばいばーい!! 元気でねーー!」
「姉ちゃん、僕が死ぬ前にまた来てくれよなー!」
「明明ー、ありがとーー!!」
村の人達に別れを告げて金烏に捕まり、一ヶ月ぶりの桃源郷へ。
家に帰った頃には真っ暗で、みんな寝静まっている。簡単に湯を沸かして身体を拭き、服も着替えた。疲れてヘトヘトだけれどやはり行かなければならないだろう説教部屋、もとい颯懔の部屋へ。
「師匠、入ってもいいですか」
「構わぬ」
そろりと部屋へと入ると、颯懔も身なりを整え終えていた。蝋燭でぼんやりと照らされた部屋は、相変わらず色んな道具や薬やらがごちゃごちゃと棚に置かれている。
まずは卓の上に茶器を置いて、一呼吸。
「申し訳ありませんでした!」
「その事はもういい。それより茶を淹れてくれ」
なぜだか緊張した面持ちで椅子に座った颯懔が、とんとんっと茶器の乗る盆を叩いた。
長々と朝までお説教コースかと思っていたのに。
しんっと静まりかえった部屋に、湯を注ぐ音だけが響く。
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