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第2話「深海に終焉を《アピス・オメガブレイカー》」
黒い空は、虚無の暗さのよりも黒かった。
その下で、オメガグラナは、ひとり海を見下ろしていた。
かつては青く、
勇者たちが「守る」と叫んでいた、
あの世界の一部。
だが今、そこに広がっているのは――
「……汚いな。」
自然と、その言葉がこぼれた。
黒でもない。
青でもない。
濁った灰色とも違う。
色という概念そのものが崩れたような、
“何色かわからない汚濁”が、海全体を覆っていた。
波はある。
うねりもある。
だが、それは“水”というより、
どろりとした“液体の何か”が、惰性で揺れているだけだった。
風は吹いていない。
それでも、海面はゆっくりと蠢いている。
まるで、
この世界そのものが、まだ「死にきれていない」かのように。
オメガグラナは、ゆっくりと降下した。
世界の終わりと終わりの境目を抜けて――
静まり返った海面へと降り立つ。
足元が、ぬるりと沈んだ。
「……水、ではないな。」
靴底にまとわりつく感触は、
海水のそれとは明らかに違っていた。
粘度。
重さ。
温度。
どれも、世界がまだ“生きていた頃”の海とは違う。
オメガグラナは、指先でその液体をすくい上げた。
指の間から、どろりと垂れる。
光を反射しない。
匂いもない。
だが、確かに“汚れている”としか言いようのない感覚だけがあった。
「……この汚れ。俺でもアザトースでもないな。」
魔王は、すくい上げた液体を指先で弾き飛ばした。
飛沫が空中で形を崩し、
すぐに海面へと溶けて消える。
「おそらく――この世界の人間共だ。」
海面を見下ろすと、
そこには無数の小さな破片が浮かんでいた。
プラスチック。
ビニール。
金属片。
見覚えのある“文明の残骸”。
砕けたペットボトル。
色の抜けたレジ袋。
用途を失ったストロー。
何かの機械の部品だったもの。
それらが、海流もないはずの水面で、
ゆっくりと、だらしなく、漂っている。
魚の死骸も混じっていた。
腹を裂かれたもの。
目だけが濁っているもの。
内側から膨れ上がり、形を保てなくなったもの。
どれも、
「終焉の魔王に殺された」のではない。
もっと、
小さく、
もっと、
どうしようもない理由で、
壊れてしまった命たち。
オメガグラナは、しばらく黙ってそれを眺めていた。
世界を喰らう現象として、
数え切れないほどの星を終わらせてきた。
文明が滅びる瞬間も、
英雄が散る瞬間も、
神々が沈む瞬間も、
何度も、何度も、見てきた。
だが――
「……こういう終わり方は、あまり見ないな。」
自分でも意外な感想だった。
大地が裂け、空が黒く染まり、
勇者たちが最終奥義を放ち、
それを片手で受け止めて粉砕する。
そういう“終わり”なら、理解できる。
強者と強者がぶつかり合い、
どちらかが折れ、
どちらかが残る。
それは、
終焉の魔王としての自分にとって、
ごく自然な光景だった。
だが今、足元に広がっているのは――
「……弱さの積み重ね、か。」
誰かひとりの罪ではない。
誰かひとりの選択でもない。
小さな怠慢。
小さな妥協。
小さな「まあいいか」が、
何十年も、何百年も、積み重なった結果。
その果てに、
海は“色”を失った。
オメガグラナは、胸の奥に微かなざわつきを覚えた。
怒りでもない。
恐怖でもない。
だが確かに“異物”だった。
「……またか。」
勇者たちと戦った時にも、
一瞬だけ、似た感覚があった。
アザトースの声を聞いた時にも、
ほんのわずかに、胸の奥が揺れた。
終焉の現象であるはずの自分の中に、
本来、存在するはずのない“揺らぎ”。
「外側に出た影響か?
いや、そんなはずはない。
俺は終焉そのもの……揺らぐはずがない。」
言葉にしてみても、
ざわつきは消えなかった。
むしろ、
自分で否定すればするほど、
その違和感は輪郭を持ち始める。
(……俺は、何に反応している?)
足元の汚れた海か。
人間たちの愚かさか。
それとも――
勇者が最後に見せた、
あの“立ち上がり続ける姿”か。
オメガグラナは、わずかに首を振った。
「くだらん。」
胸のざわつきを、
いつものように“ノイズ”として切り捨てる。
終焉の魔王に、感傷は不要だ。
世界の終わりに、感想は要らない。
そう決めて、
どれだけの星を喰ってきたか。
だからこそ、
この違和感は、なおさら許しがたかった。
「……消すか。」
オメガグラナは、手を前にかざした。
「――万物破壊手」
海が割れた。
音もなく。
抵抗もなく。
ただ、“そこにあったもの”が、
存在ごと削り取られていく。
汚濁も、
ゴミも、
死骸も、
海水そのものも。
一瞬だけ、
世界から「海」という概念が抜け落ちたかのように、
そこには何もなくなった。
風も、
匂いも、
波の音もない。
ただ、
ぽっかりと空いた“穴”のような静寂だけが残る。
やがて、
周囲から水が流れ込み、
再び海面が満たされていく。
だが、
さっきまでのような濁りは、もうなかった。
「アザトースから俺の獲物を取り返すのも大切だが……
ゴミ問題も解決しないとな。」
口が、勝手にそう言った。
自分でも、
何を言っているのか分からなかった。
オメガグラナは、眉をひそめる。
「……何を言っている?
どうせこの世界は後で喰らい尽くす。
なのになぜ俺は……?」
“守る”つもりなどない。
“救う”つもりなど、なおさらない。
世界は、
最後には自分の胃の中に収まる。
勇者たちが命を賭けて守ろうとしたものも、
神々が加護を与えたものも、
すべて、等しく、終わりへと飲み込まれる。
それが、
オメガグラナという“現象”の在り方だった。
なのに――
(なぜ、わざわざ綺麗にした?)
汚れていようが、
濁っていようが、
どうせ喰う時には関係ない。
むしろ、
汚れたままの方が、
「人間共の愚かさ」という味がついて、
面白いかもしれない。
それなのに、
自分は今、
わざわざ“海を綺麗にした”。
(……理解不能だな。)
胸のざわつきは、
さっきよりも、少しだけ大きくなっていた。
その時――
海が、低く唸った。
まるで、
魔王の独白に反応するように。
足元の水面が、
わずかに震えた。
風は吹いていない。
外的な力もない。
それでも、
海は“自分の意思で”揺れているように見えた。
オメガグラナは、視線を落とした。
「……ったく、生物どもは……
俺のことを「悪」というがな。これは確かに快感だが
本当は「使命」なんだ、終焉を与えるのは。
だから、環境破壊で自ら世界を終わらせる生物……
特に人間の方が悪なんだよ」
海面の下。
深く、暗い場所から、
何かがゆっくりと浮かび上がってくる気配があった。
冷たさ。
重さ。
圧力。
それは、
さっきまで感じていた“人間の愚かさ”とは、
まったく別種のものだった。
もっと、
古く。
もっと、
深く。
もっと、
この世界の“外側”に近い何か。
オメガグラナは、
ほんのわずかに口元を吊り上げた。
「……ようやく、外側の匂いがしてきたな。」
ゆっくりと、
海の底へ向かって歩き出す。
足元の水が割れ、
そのたびに、
世界の“海”という概念が、
一歩ずつ削られていく。
上空の黒い空は、
何も言わない。
砕けた大地も、
崩れた都市も、
勇者たちの残骸も、
ただ、黙って見下ろしているだけだった。
世界の終わりの、その先へ。
海面を割りながら、オメガグラナはゆっくりと沈んでいった。
沈む、というより――
海の方が勝手に“道を開けている”ようだった。
水圧はない。
抵抗もない。
ただ、海そのものが魔王を避けるように、左右へと割れていく。
まるで、
「触れてはならない」と言わんばかりに。
だが、魔王は気に留めなかった。
それよりも、胸の奥に残る“ざわつき”の方が気になっていた。
(……まだ消えないのか。)
勇者たちが死んだ時にも、
アザトースの声を聞いた時にも、
確かに胸の奥が揺れた。
だが、今のざわつきは、それとは違う。
もっと小さく、
もっと曖昧で、
もっと“理解不能”な感覚。
怒りでもない。
恐怖でもない。
哀れみでもない。
だが、確かに胸の奥に、
何かが“残っている”。
(……俺は、何に反応している?)
海の汚れか。
人間の愚かさか。
それとも――
勇者が最後に見せた、あの“立ち上がり続ける姿”か。
魔王は、わずかに首を振った。
「くだらん。」
終焉の魔王に、感傷は不要だ。
世界の終わりに、感想は要らない。
そう言い聞かせるように、
胸のざわつきを押し込める。
だが、押し込んでも押し込んでも、
その違和感は、じわりと形を変えて浮かび上がってくる。
(……ノイズだ。気にする必要はない。)
そう思った瞬間――
海の底から、低い振動が響いた。
ドクン。
魔王の胸の奥で、何かが共鳴する。
ドクン。
「……アザトースの脈動か。」
だが、前に聞いた時よりも、
その“鼓動”はわずかに強くなっていた。
まるで、
深海の底で何かが“目覚めようとしている”かのように。
海の色が、さらに濁った。
青でも黒でもない。
灰でも緑でもない。
“色の概念そのものが崩れた色”。
視界が歪む。
音が遠のく。
水の温度が、一定ではなくなる。
冷たくなったかと思えば、
次の瞬間には生温い。
その変化に、魔王は眉をひそめた。
「……海が、生きているようだな。」
海底へ近づくほど、
世界は“海”ではなくなっていった。
水の抵抗が消える。
重力が曖昧になる。
上下の感覚が狂う。
まるで、
“海”という概念が、深海へ行くほど薄れていくようだった。
(……ここは、もう世界の内側ではない。)
勇者たちが死んだ戦場とは違う。
世界核を喰らったあの場所とも違う。
ここは――
世界の外側へと繋がる“境界”。
アザトースの脈動が響くたびに、
海底の色が変わる。
ドクン。
灰色。
ドクン。
無色。
ドクン。
黒い泡。
ドクン。
“色のない闇”。
魔王は、ゆっくりと歩みを進めた。
足元の海底が、
粘液のように盛り上がる。
「……これは、海ではないな。」
海底だったはずの場所が、
まるで“呼吸”するように膨らんだり縮んだりしている。
その動きは、
生物の鼓動とも、
地殻の揺れとも違う。
もっと、
原始的で、
もっと、
混沌とした“何か”。
魔王が足を止めた瞬間――
海底が裂けた。
音はない。
衝撃もない。
ただ、
世界の“皮膚”が破れたように、
静かに、ゆっくりと、裂けた。
裂け目の奥から、
黒い泡が噴き出す。
泡はすぐに弾け、
無数の“目”が現れた。
形のない肉塊。
触手とも腕ともつかない“何か”。
粘液に覆われた巨大な影。
ショゴス。
深海を覆う汚濁の正体が、
ゆっくりと姿を現した。
――テケリ・リ!
声ではない。
音でもない。
“圧力”だけで意思を押しつけてくる。
魔王はため息をついた。
「雑魚かと思ったが……これは少し違うな。」
ショゴスの表面が波打ち、
無数の“目”が魔王を見つめる。
その視線は、
恐怖でも怒りでもない。
“理解不能”そのもの。
魔王は、わずかに笑った。
「ようやく……外側らしい相手だ。」
ショゴスの肉塊が、ゆっくりと膨張する。
触手が伸びる。
目が増える。
肉が裂ける。
形が崩れる。
深海そのものが、
ショゴスの身体へと変わっていく。
海底が揺れた。
水が震えた。
世界が軋んだ。
――テ~ケ!
魔王は、静かに構えた。
「……来い。」
深海の闇が、
魔王を飲み込もうと蠢いた。
だが――
ショゴスはすぐには襲いかかってこなかった。
むしろ、
“観察している”ようだった。
無数の目が、
魔王の身体を舐めるように見つめる。
その視線は、
生物のそれではない。
捕食者でもない。
敵意でもない。
もっと、
冷たく、
もっと、
機械的で、
もっと、
“外側”のもの。
(……俺を測っているのか。)
魔王は、わずかに目を細めた。
ショゴスの肉塊が、
ゆっくりと震え始める。
その震えは、
深海の水を通じて、
世界全体へと広がっていく。
海底の砂が浮き上がり、
水が逆流し、
光が歪む。
ショゴスの“目”が、
一斉に開いた。
魔王は、静かに息を吐いた。
「……外側形態に移行する気か。」
ショゴスの肉塊が、
ゆっくりと、ゆっくりと、
“形を捨て始めた”。
触手が溶ける。
目が崩れる。
肉がほどける。
それは、
生物が変身する動きではない。
もっと、
根源的で、
もっと、
概念的で、
もっと、
“存在の構造そのものが書き換わる”動き。
深海の闇が、
ショゴスの身体へと吸い込まれていく。
海底の粘液が、
ショゴスの肉へと溶け込んでいく。
水の温度が、
ショゴスの鼓動に合わせて変化する。
世界が、
ショゴスの“外側形態”を受け入れようとしている。
魔王は、静かに呟いた。
……ようやく本気か。」
深海の闇が、
完全にショゴスの身体へと収束した。
そして――
ショゴスは“形を捨てた”。
肉塊が一気に沈み込み、
触手も目も、粘液の膜も、
すべてが一瞬で“平面”のように潰れた。
次の瞬間、
潰れたはずの肉が、
逆方向へ爆発するように膨張した。
ボゴォッ!!
深海の水が押しのけられ、
世界が震えた。
ショゴスは、
もはや“生物”ではなかった。
黒い球体。
いや、球体ですらない。
“空間の穴”のような、
深海にぽっかりと開いた“外側の窓”。
その中心に、
ひとつの“目”が開いた。
目と呼ぶには形が曖昧すぎる。
瞳孔も虹彩もない。
ただ、
“見ている”という事実だけが存在している。
魔王は、
胸の奥でわずかに笑った。
ショゴスの“目”が、
さらに大きく開いた。
ショゴスの観測は“見る”のではない。
“存在を確定させ、削り取る”攻撃だ。
深海の色が消える。
温度が消える。
距離が消える。
世界が、
ショゴスの観測に“書き換えられていく”。
――デゲリンゴ!
ショゴスの意思が、
深海全体に響いた。
魔王の身体が、
一瞬だけ“透明”になる。
(……存在を削りにきたか。)
魔王は、
ゆっくりと右手を上げた。
「なら――」
深海が震えた。
「俺も、外側に合わせてやる。」
魔王の輪郭が、
ショゴスの観測に合わせて“ずれた”。
存在位相の調整。
世界の内側の存在では、
本来あり得ない動き。
だが、
オメガグラナは“終焉の現象”。
世界の外側へ踏み出すことも、
不可能ではない。
ショゴスの目が、
わずかに揺れた。
――デゲッ?
魔王は笑った。
「理解しなくていい。
お前はただ――」
深海が裂ける。
「俺に喰われろ。」
ショゴスの外側形態が、
完全に姿を現した。
黒い球体が裂け、
無数の“目”が開く。
その目が、
一斉に魔王を観測した。
――観測強度上昇。
深海の水が、
一瞬で“無”になった。
海底が消えた。
光が消えた。
音が消えた。
世界が、
ショゴスの観測に“書き換えられていく”。
魔王の身体が、
半分だけ“存在を失った”。
(……片側だけ削られたか。)
右半身が透明になり、
左半身だけが残っている。
普通の存在なら、
この時点で死んでいる。
だが――
「終焉を削るとは、いい度胸だ。」
魔王の声は、
深海全体に響いた。
ショゴスの目が、
さらに開く。
――ファイ……ナル……
観測の強度が跳ね上がる。
魔王の身体が、
完全に“透明”になった。
存在が、
深海から消えた。
ショゴスは、
それを“排除完了”と判断した。
だが――
次の瞬間、
深海の闇が裂けた。
「……遅い。」
魔王の声が、
ショゴスの背後から響いた。
ショゴスの目が、
一斉に振り向く。
だが、
そこには“何もない”。
魔王の姿は見えない。
存在が、
観測できない。
――デゲゲ、ゲゲゲッケ?
ショゴスの意思が乱れた。
魔王の声が、
深海全体に響いた。
「観測で削るなら――
観測できない場所に移動すればいい。」
存在位相の完全ずらし。
魔王は、
ショゴスの観測範囲の“外側”に立っていた。
ショゴスの目が、
焦ったように揺れる。
――ス、ゴイ
魔王は、
ゆっくりと姿を現した。
深海の闇から、
黒い影が浮かび上がる。
「終焉を観測できると思うなよ。」
魔王の右手が、
ショゴスへ向けて伸びた。
「次は――俺の番だ。」
魔王の指先が、
わずかに動いた。
「隕石十連弾」
深海の天井が、
音もなく“割れた”。
いや、割れたのではない。
“上空の宇宙が直接つながった”。
黒い海の上に、
星々が瞬く。
その星々の間から――
十本の光が落ちてきた。
隕石。
だが、ただの隕石ではない。
魔王が呼び寄せたのは、
“終焉の質量”を持つ隕石。
一つ落ちれば大陸が消える。
十個落ちれば世界が沈む。
それが、
深海へ向けて一直線に落下してくる。
ショゴスの目が、
恐怖に似た揺らぎを見せた。
魔王は、
静かに言った。
「観測で削れるものなら――削ってみろ。」
隕石が、
深海へ突入した。
ドゴォォォォォォォン!!!
深海が反転し、
海底が吹き飛び、
世界が震えた。
ショゴスの外側形態が、
隕石の衝撃で“形”を失う。
観測が乱れ、
目が閉じ、
肉が崩れ、
闇が散る。
だが、魔王は止めない。
「二発目。」
二つ目の隕石が落ちる。
「三発目。」
「四発目。」
「五発目。」
深海が、
隕石の衝撃で“蒸発”していく。
ショゴスの外側形態は、
もはや形を保てない。
――存在崩壊。
ショゴスの意思が乱れた。
魔王は、
最後の一撃を放つ。
「十発目――終焉。」
最後の隕石が落ちた。
深海が白く染まり、
世界が震え、
ショゴスの外側形態が――
完全に消滅した。
肉も、
目も、
闇も、
観測も。
すべてが、
“無”へと還った。
魔王は、
静かに深海を見下ろした。
「……雑魚が。」
その瞬間――
深海の底に、黒い“残滓”が揺れた。
ショゴスの肉でも、目でも、触手でもない。
もっと根源的な、
“外側の力の欠片”。
魔王は、ゆっくりと手を伸ばした。
「……残りカスか。
だが、使えるものは使う。」
黒い残滓が、魔王の掌へ吸い込まれる。
触れた瞬間、
魔王の身体がわずかに震えた。
(……これは、観測の力か。)
ショゴスが使っていた“存在を削る視線”。
その原理の一部が、魔王の中へ流れ込んでくる。
魔王の視界が、
一瞬だけ“二重”になった。
深海の闇が、
輪郭を持って見える。
存在の境界が、
薄く透けて見える。
「……なるほど。
観測で削る力か。」
魔王は、ゆっくりと拳を握った。
「悪くない。」
ショゴスの力は、
魔王の中で静かに馴染んでいく。
終焉の魔王は、
外側の力すら“喰って”自分のものにする。
深海の底が、
わずかに震えた。
ショゴスの死で空いた“穴”が、
ゆっくりと閉じていく。
だが――
その奥から、別の脈動が響いた。
ドクン。
魔王の胸の奥で、何かが共鳴する。
ドクン。
ショゴスとは比べ物にならない、
もっと巨大で、
もっと深く、
もっと古い脈動。
「……来たか。」
魔王は、深海の奥を見つめた。
そこには、
まだ姿を見せていない“何か”がいる。
ショゴスよりも深い階層。
外側の海の、さらに奥。
アザトースの脈動に近い領域。
魔王は、ゆっくりと歩き出した。
深海の闇が、
魔王の足元で割れていく。
「ショゴスでこの程度なら――
次は、もっと楽しませてくれよ。」
深海の奥から、
巨大な影が揺れた。
触手のような、
鱗のような、
牙のような、
“海の王”の気配。
ダゴン。
ハイドラ。
そして――
そのさらに奥で眠る、
巨大な“脳髄の鼓動”。
クトゥルフ。
魔王は、わずかに笑った。
「……だが、譲れないものがある。
俺の獲物は俺が喰う。
どんな相手でも必ず倒す――それが魔王として……終焉としての俺のプライドであり宿命だ。」
深海の闇が、
魔王の背後で閉じた。
世界の底へ向かう階段のように、
深海はさらに深く、暗く、静かになっていく。
魔王は、
ショゴスの力を手に入れたまま、
次の階層へと進んでいった。
その背中に、
アザトースの脈動が響く。
ドクン。
ドクン。
深海の奥で、
“何か”が目を覚まそうとしていた。
深海の奥は、もはや海ではなかった。
色も、形も、時間すらも崩れた“外側の海”。
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