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仁人side
それから数日。
勇斗との距離は。
少しだけ変わった。
話しかければ。
普通に返事をする。
仕事中だって。
いつも通りだった。
大智の話に二人で笑うこともある。
勇斗に軽口を叩くこともある。
何も。
変わっていないように見える。
でも。
仁人には分かった。
楽屋で隣が空いていても。
勇斗はそこには座らない。
後ろを通るときも。
以前なら肩がぶつかるくらい近かったのに。
今は少し遠い。
何かを渡すときも。
直接手渡すことがなくなった。
全部。
自分のためだった。
仁人が身体を強張らせないように。
勇斗が。
そうしてくれている。
分かっていた。
だから。
何も言えなかった。
「じんちゃん、これ見て」
舜太が隣に座った。
「何?」
差し出されたスマホを覗き込む。
「これ」
「……何これ」
思わず笑った。
「ヤバいやろ?」
「意味分かんない」
反対側から。
柔太郎まで覗き込んでくる。
「何見てんの?」
「ちょっと、狭いって」
「俺にも見せてよ」
三人で一つの画面を見る。
肩がぶつかる。
舜太の腕が。
仁人の肩に乗った。
「重い」
すぐに払いのける。
「ひど」
「普通に重いって」
舜太が笑う。
柔太郎も笑う。
仁人も笑った。
気づけば。
肩が触れていることなんて。
忘れていた。
息も苦しくならない。
身体も強張らない。
いつも通りだった。
#そのじん
のりもちさん
361
1,897
そのことが。
嬉しかった。
ふと。
顔を上げる。
少し離れたところに。
勇斗がいた。
目が合った。
勇斗も笑う。
それだけ。
こっちへは来なかった。
「……」
隣には。
少しだけ場所がある。
以前なら。
勇斗も普通に入ってきた。
仁人が「狭い」と文句を言って。
それでも勇斗は気にせずそこにいて。
四人で画面を覗き込んでいた。
仁人は。
自分の隣を見る。
来ればいいのに。
そう思った。
その直後。
胸の奥がざわついた。
もし。
今。
勇斗がここへ来たら。
肩が触れたら。
また。
身体が強張るかもしれない。
昨日のことが。
蘇るかもしれない。
仁人は。
隣から目を逸らした。
来てほしい。
でも。
来られたら。
たぶん。
しんどい。
「……」
自分でも。
嫌になった。
撮影の合間。
「仁人」
勇斗に呼ばれた。
「ん?」
「そこに俺のイヤホンない?」
テーブルを見る。
「ああ。これ?」
「それ」
仁人はイヤホンを手に取った。
立ち上がる。
勇斗のところへ。
歩いた。
一歩。
もう一歩。
あと少し。
手を伸ばせば。
渡せる。
いつもなら。
それだけだった。
なのに。
勇斗の肩が。
視界に入った。
その瞬間。
身体が強張った。
息が浅くなる。
——掴まれた。
腕に。
あの手の感覚が蘇る。
離せ。
やめろ。
自分の声まで。
頭の奥で聞こえた気がした。
「……っ」
足が止まる。
違う。
勇斗だ。
分かっている。
目の前にいるのは。
勇斗だ。
何もしていない。
手すら伸ばしていない。
仁人が近づいてくるのを。
ただ待っているだけ。
行きたい。
あと一歩。
それだけなのに。
足が。
動かなかった。
イヤホンを握る手が震えた。
勇斗の視線が。
その手に落ちた。
一瞬。
何か言いかけたように見えた。
けれど。
「そこ置いといて」
それだけだった。
仁人は顔を上げる。
「あとで取るから」
いつもと変わらない声。
近づいてもこない。
手を伸ばすこともしない。
「……」
違う。
渡したい。
普通に。
前みたいに。
勇斗のところまで行って。
はい。
そう言って。
手渡したい。
なのに。
身体が動かない。
「……うん」
結局。
テーブルへ戻した。
勇斗は。
取りに来なかった。
仁人の代わりに距離を縮めることもしない。
ただ。
何事もなかったように。
また大智と話し始めた。
仁人は椅子へ戻る。
震えていた手を。
膝の上で握った。
少しすると。
息は戻った。
身体も。
楽になった。
それなのに。
全然。
嬉しくなかった。
仁人は。
少し離れたところにいる勇斗を見る。
行きたかった。
怖いから。
離れたかったんじゃない。
自分から。
勇斗のところへ行きたかった。
たった一歩。
それすら。
できなかった。
「……くそ」
誰にも聞こえないように。
小さく呟いた。
休憩に入って。
仁人は一人で廊下へ出た。
壁に背を預ける。
さっきまで震えていた手を見る。
もう。
震えていない。
勇斗から離れれば。
何ともない。
それが。
余計に腹が立った。
「……なんなんだよ」
勇斗は。
何もしていない。
あの日だって。
何も聞かなかった。
勝手に触れなかった。
仁人が嫌だと言えば。
すぐに止まった。
怖い人じゃない。
そんなこと。
誰より分かっている。
むしろ。
あの日。
そばにいてくれたのは。
勇斗だった。
だから。
前みたいに。
勇斗の隣に戻りたい。
それだけなのに。
近づけば。
身体が勝手に思い出す。
息が苦しくなる。
手が震える。
足が止まる。
まるで。
自分の身体だけが。
勇斗を拒絶しているみたいだった。
「……違うのに」
小さく漏れた。
嫌なのは。
勇斗じゃない。
離れたいわけでもない。
むしろ。
逆だった。
戻りたい。
勇斗の隣に。
何も考えず。
当たり前みたいにいられた場所に。
戻りたいのに。
自分の身体が。
そこまで行かせてくれない。
それが。
悔しかった。
背後で。
楽屋の扉が開いた。
仁人の肩が跳ねる。
振り返る。
勇斗だった。
目が合う。
また。
身体が強張る。
勇斗は。
すぐに気づいた。
「あ、ごめん。戻る」
扉へ手をかける。
「待って」
勇斗が止まった。
「……何?」
仁人は。
勇斗を見る。
そこにいてほしい。
でも。
近づかれたら。
また身体が反応するかもしれない。
それでも。
離れていかれる方が。
嫌だった。
「……そこにいて」
「ここ?」
「うん」
勇斗は。
扉から手を離した。
近づかない。
離れもしない。
仁人が大丈夫な場所で。
ただ立っている。
その姿を見て。
少しだけ。
息が楽になった。
「……勇斗」
「ん?」
「俺さ」
言葉を探す。
「お前に離れてほしいわけじゃないから」
一瞬。
勇斗の表情が止まった。
「むしろ……」
そこで。
少し言いづらくなった。
仁人は目を逸らす。
「前みたいにしたい」
「前みたいに?」
「隣座ったり。普通に物渡したり」
「うん」
「肩ぶつかったら、近いって言ったり」
勇斗が少し笑った。
「それ言う必要ある?」
「うるせぇな」
思わず返す。
勇斗がまた笑う。
その笑い方も。
何も変わっていない。
変わってしまったのは。
自分の方だった。
仁人は俯く。
「さっきも」
「イヤホン?」
「……うん」
「無理しなくていいよ」
「それが嫌なんだよ」
勇斗が黙った。
仁人は。
自分の手を握った。
「俺、渡したかったの」
言ってから。
少し恥ずかしくなった。
イヤホンくらいで。
何を言っているんだと思う。
でも。
仁人にとっては。
それくらい。
当たり前だった。
「普通にお前のとこ行って。渡して。それで終わりたかった」
声が少しだけ掠れる。
「なのに、近づこうとすると身体が強張る」
勇斗は何も言わない。
「お前、何もしてないのに」
仁人は唇を噛んだ。
「分かってんのに……行けない」
それが。
一番辛かった。
勇斗が怖いなら。
離れればいい。
近づきたくないなら。
この距離のままでいればいい。
でも。
違う。
仁人は。
勇斗のそばへ戻りたかった。
「……このままなのは、嫌なんだよ」
小さく言った。
「勇斗のこと避けたいわけじゃないのに」
少し。
目の奥が熱くなった。
「近づきたいのに……できないのが、嫌だ」
勇斗は。
しばらく何も言わなかった。
仁人を見たまま。
何かを堪えるように。
一度だけ。
ゆっくり息を吐いた。
それから。
「じゃあ、ゆっくり戻ろうよ」
仁人は顔を上げた。
「戻れるかな」
「戻れるよ」
今度は。
迷わなかった。
「……何、その自信」
「だって仁人、戻りたいんでしょ」
「そうだけど」
「じゃあ大丈夫」
簡単に言う。
仁人は少し眉を寄せた。
「適当だな」
「適当じゃないよ」
勇斗が笑う。
「急がなくていいじゃん」
「……うん」
「仁人が大丈夫なところまででいいよ」
その言葉に。
胸の奥が少し緩んだ。
勇斗は。
一度も。
自分から近づこうとはしなかった。
前なら。
そんなこと。
考えたこともなかった。
肩が触れるくらい近くにいることも。
後ろから覗き込まれることも。
全部。
当たり前だった。
今は。
仁人がいいと言うまで。
勇斗はそこから動かない。
「……一歩」
「ん?」
仁人は。
勇斗を見る。
「一歩だけ、こっち来てみて」
勇斗の表情が。
ほんの少しだけ変わった。
「……いいの?」
「分かんない」
「分かんないの?」
「だから試したいんだよ」
「そっか」
勇斗が。
一歩。
近づいた。
その瞬間。
身体に力が入った。
胸がざわつく。
指先が。
少し震えた。
仁人は。
逃げなかった。
勇斗を見る。
見慣れた顔。
勇斗だ。
手は。
身体の横にある。
仁人へ伸びてこない。
一歩。
仁人が頼んだ分だけ。
近づいて。
そこで止まっている。
ゆっくり。
息を吐く。
一度。
もう一度。
少しずつ。
身体から力が抜けていった。
「……」
怖くない。
とは。
まだ言えなかった。
でも。
ここにいたかった。
勇斗も。
何もしない。
ただ。
仁人を見ていた。
「もう一歩、行ってもいい?」
聞かれて。
仁人は少し迷った。
「……待って」
「分かった」
すぐに返ってきた。
「今は……そこがいい」
「うん」
勇斗は動かなかった。
近づきもしない。
離れもしない。
仁人が決めた場所に。
ただいてくれる。
一歩。
たった。
それだけ。
それでも。
さっきは自分から行けなかった距離に。
今は。
勇斗がいる。
しばらくして。
仁人は小さく息を吐いた。
「……ここなら平気かも」
「そっか」
勇斗が笑った。
それだけなのに。
少しだけ。
嬉しそうに見えた。
「じゃあ今日はここまでね」
「何その言い方」
「無理する必要ないでしょ」
「まあ、そうだけど」
「次は仁人が決めて」
「……うん」
勇斗は。
最後まで。
自分から距離を縮めなかった。
楽屋へ戻る。
大智たちは。
まだ話していた。
仁人は。
いつもの席へ座る。
少しして。
勇斗も戻ってきた。
隣の椅子は。
空いている。
勇斗の視線が。
一度だけ。
そこへ落ちた。
けれど。
座らなかった。
そのまま通り過ぎて。
少し離れたところに座る。
仁人は。
その背中を目で追った。
本当は。
隣に来てほしい。
前みたいに。
何も考えず。
そこへ座ってほしい。
でも。
今はまだ。
身体が追いつかない。
だから。
今日は。
これでいい。
一歩。
近づけた。
それだけで。
昨日までとは。
少し違う。
仁人は。
少し離れたところにいる勇斗を見る。
勇斗も。
一度だけ。
こちらを見た。
目が合う。
すぐに。
いつものように笑った。
仁人も。
少しだけ笑い返す。
いつか。
自分の気持ちに。
身体が追いつく日が来たら。
また。
勇斗の隣で。
「近いって」
そう言える。
そんな日まで。
あと何歩なのか。
仁人には。
まだ分からなかった。
コメント
1件
第4話読み終えたよ〜。仁人の「戻りたいのに身体がついてこない」もどかしさがめっちゃ伝わってきた。イヤホン渡せなかったシーン、ただの動作なのにすごく切なかった。勇斗が「無理しなくていいよ」って言いながらも、仁人のペースに合わせて一歩だけ近づいてくれる優しさ、泣ける。最後の「近いって言える日まで」に希望が見えた気がする。2人の距離がどう変わっていくか、すごく気になる!