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勇斗side
それから数日。
仁人との距離は、少しだけ変わった。
話せないわけじゃない。
目が合えば普通に話すし、仕事中だっていつも通りだった。
大智の話に二人で笑うこともある。
仁人に文句を言われれば、勇斗も言い返す。
たぶん。
何も知らない人が見れば、何も変わっていない。
でも。
勇斗には分かっていた。
楽屋で仁人の隣が空いていても、そこには座らない。
後ろを通るときも、少しだけ距離を取る。
何かを渡すときも、直接手渡さない。
以前なら。
そんなこと、考えたこともなかった。
今は。
一つ一つ。
考える。
仁人が身体を強張らせないように。
あの日のことを。
思い出さなくて済むように。
「じんちゃん、これ見て」
舜太が仁人の隣へ座った。
「何?」
差し出されたスマホを、仁人が覗き込む。
「これ」
「……何これ」
仁人が笑った。
「ヤバいやろ?」
「意味分かんない」
反対側から、柔太郎まで顔を覗かせる。
「何見てんの?」
「ちょっと、狭いって」
「俺にも見せてよ」
三人で一つの画面を見る。
肩がぶつかる。
舜太の腕が仁人の肩へ乗った。
「重い」
仁人がすぐに払いのける。
「ひど」
「普通に重いって」
笑い声が上がる。
仁人も笑っていた。
勇斗は。
少し離れたところから、その様子を見ていた。
舜太に触れられても。
平気だった。
柔太郎と肩がぶつかっても。
身体を強張らせない。
何もなかった頃と同じように。
近いと文句を言って。
普通に笑っている。
よかった。
そう思った。
誰かに触れられること全部が。
駄目になったわけじゃない。
少しずつ。
仁人は。
いつもの日常へ戻っている。
「はやちゃんも見る?」
舜太が顔を上げた。
「何?」
「これ」
「いや、見えないって」
「じゃあ来れば?」
一瞬。
足が動きそうになった。
仁人の隣には。
少しだけ場所がある。
以前なら。
何も考えずそこへ行った。
狭いと言われても。
肩がぶつかっても。
気にしなかった。
仁人だって。
文句は言うけれど。
本気で離れろと言うことはなかった。
「いいよ。あとで見る」
「何やねん」
舜太が笑う。
勇斗も笑った。
そのとき。
仁人と目が合った。
ほんの一瞬。
仁人の視線が。
自分の隣へ落ちる。
けれど。
何も言わなかった。
勇斗も動かなかった。
本当は。
行きたかった。
あそこへ。
仁人の隣へ。
肩が触れるくらい近くに座って。
近い。
そう言われて。
うるさい。
そう返して。
それだけでよかった。
少し前まで。
当たり前にできていた。
勇斗は。
自分の手を見る。
仁人に触れたいと思うことなんて。
今さらだった。
好きだと気づいてからは。
余計にそうだった。
肩でも。
腕でも。
ほんの少しでいい。
触れられる距離にいるだけで。
嬉しかった。
もちろん。
仁人は知らない。
勇斗が。
そんなふうに自分を見ていることなんて。
付き合っているわけでもない。
気持ちを伝えたことだってない。
ただ。
勇斗が勝手に好きなだけだった。
だから。
今まで通り。
隣にいられれば。
それで十分だと思っていた。
でも今は。
その隣に座ることすらできない。
好きだから。
近づきたい。
好きだからこそ。
仁人が怖がることはしたくなかった。
勇斗は視線を上げる。
また笑い声が上がる。
仁人も。
その中で笑っている。
その顔を見て。
勇斗も少しだけ笑った。
よかった。
それでいい。
そう思うしかなかった。
撮影の合間。
「仁人」
「ん?」
「そこに俺のイヤホンない?」
仁人がテーブルを見る。
「ああ。これ?」
「それ」
仁人がイヤホンを手に取った。
立ち上がって。
こちらへ歩いてくる。
勇斗は動かなかった。
一歩。
もう一歩。
あと少し。
手を伸ばせば届く距離まで来たところで。
仁人の足が止まった。
「……」
視線が。
勇斗の身体へ向く。
その瞬間。
表情が変わった。
息が浅くなる。
イヤホンを握る指が。
僅かに震え始める。
勇斗は。
何もしなかった。
手も伸ばさない。
近づかない。
それでも。
分かった。
また。
思い出している。
今。
仁人の目の前にいるのは自分なのに。
あの日の何かが。
仁人の中へ戻ってきている。
「そこ置いといて」
仁人が顔を上げる。
「あとで取るから」
「……」
仁人は動かなかった。
イヤホンを見る。
それから。
勇斗を見る。
もう一歩。
こちらへ来ようとしているように見えた。
だから。
勇斗も動かなかった。
待った。
でも。
その一歩は。
出なかった。
「……うん」
仁人がイヤホンをテーブルへ戻した。
自分の席へ戻っていく。
勇斗は。
その背中を見ていた。
渡したかったんだと思う。
前みたいに。
普通に。
イヤホン一つ。
手渡したかっただけ。
それなのに。
できない。
少ししてから。
勇斗はイヤホンを取りに行った。
手に取る。
視線を向けると。
仁人は。
さっきまで震えていた手を。
膝の上で強く握っていた。
勇斗も。
イヤホンを握る。
俺だって。
触れたいのに。
ずっと。
触れたいと思っている。
それでも。
触らない。
仁人が嫌なら。
絶対に。
触らない。
そんなの。
当たり前だった。
なのに。
あの男は。
仁人が嫌がっていると分かっていて。
その身体に触れた。
何度。
やめろと言われても。
離せと言われても。
やめなかった。
「……」
勇斗の手に。
力が入る。
許せなかった。
今も。
仁人の身体に。
あの日を残していることが。
何より。
許せなかった。
その日の撮影は。
五人一緒だった。
指定された場所へ並ぶ。
勇斗の隣は。
仁人だった。
一瞬。
目が合う。
勇斗は何も言わなかった。
仁人も前を向く。
「もう少し全体的に詰めてもらえますか?」
スタッフの声が飛んだ。
勇斗は動かなかった。
仁人がどうするか。
待つ。
少しして。
仁人が。
半歩。
こちらへ寄った。
勇斗は。
一瞬だけ目を向ける。
仁人は前を向いたままだった。
だから。
勇斗も。
ほんの少しだけ寄った。
肩までは触れない。
それでも。
近い。
以前なら。
何とも思わなかった距離。
今は。
仁人が自分から来てくれたことが。
どうしようもなく嬉しかった。
「はい、そのままでお願いします」
シャッターが切られる。
仁人がカメラへ笑う。
勇斗も笑った。
一枚。
二枚。
三枚。
ずっと。
仁人が隣にいる。
逃げない。
身体も強張っていない。
ただ。
普通に。
隣に立っている。
それだけなのに。
胸の奥が温かくなった。
戻れるかもしれない。
少しずつ。
また。
前みたいに。
そう思った。
「はい、ありがとうございます」
撮影が終わる。
スタッフが次の準備を始めた。
「仁人」
「ん?」
仁人が振り向く。
そのとき。
思っていたより。
二人の距離が近かった。
仁人の目が。
勇斗へ向く。
次の瞬間。
「……っ」
一歩。
仁人が後ろへ下がった。
勇斗は動かなかった。
仁人も。
動けなくなった。
さっきまで。
隣にいた。
何枚も写真を撮った。
普通に笑っていた。
なのに。
不意に近くなっただけで。
仁人の身体は。
自分から離れた。
「あ……」
仁人の顔に。
自分でも驚いたような表情が浮かぶ。
勇斗は。
何でもないように口を開いた。
「次、移動だって」
「……うん」
それだけ言って。
先に歩き出した。
振り返らなかった。
見たら。
仁人が謝る気がした。
だから。
見なかった。
少し前まで。
あんなに嬉しかったのに。
たった一歩。
仁人が離れただけで。
胸の奥が。
馬鹿みたいに痛かった。
でも。
仁人は悪くない。
そんなこと。
分かっている。
自分から半歩。
来てくれた。
それだって。
仁人にとっては。
簡単なことじゃなかったはずだ。
だから。
嬉しかったことだけ。
覚えておけばいい。
そう思った。
それでも。
あの男への怒りだけは。
また少し。
深くなった。
仕事が終わる頃。
「腹減った」
大智がソファへ座った。
「今日ずっと言ってない?」
柔太郎が笑う。
「ずっと言っとる」
舜太も笑う。
「だって腹減るやん」
「今日飯行こ」
「いいよ」
勇斗が答えた。
「焼肉」
「また?」
「ええやん」
スマホを出して。
店を探し始める。
いつの間にか。
三人がその画面を覗き込んでいた。
「じんちゃんも行く?」
「……うん」
仁人が答える。
勇斗は。
少しだけ安心した。
今日は。
一緒に行ける。
そう思った。
けれど。
少しして。
「ごめん。俺、今日帰る」
仁人が鞄を持った。
勇斗は顔を上げる。
「え?」
「行かんの?」
「うん。ちょっと疲れた」
「大丈夫?」
「大丈夫。眠いだけ」
仁人は笑った。
いつもの顔で。
「また今度行こうよ」
「うん」
「行こ」
「じゃ、お疲れ」
「お疲れー」
仁人が楽屋を出ていく。
扉が閉まった。
勇斗は。
しばらくそこを見ていた。
眠いだけ。
そうかもしれない。
本当に。
疲れているだけかもしれない。
でも。
さっき。
自分から一歩離れた仁人の顔が。
頭から離れなかった。
「はやちゃん、ここどう?」
呼ばれて。
スマホを見る。
「……いいんじゃない?」
「じゃ、予約する?」
勇斗は。
一度。
閉じた扉を見る。
「ごめん」
立ち上がった。
「俺も今日やめとく」
「え、はやちゃんも?」
「うん。また行こ」
鞄を持つ。
仁人を追うとは。
言わなかった。
廊下へ出る。
少し歩いたところで。
仁人を見つけた。
壁に背を預けて。
俯いている。
まだ。
帰っていなかった。
勇斗は。
声をかけようとして。
止まった。
鞄を持ったまま。
ただ。
そこに立っている。
動かない。
さっきまで。
楽屋で見せていた笑顔は。
もうなかった。
「……」
眠いだけ。
そう言っていた。
何でもないみたいに笑って。
また今度行こうと。
普通に答えていた。
でも。
一人になった途端。
帰ることすらできずに。
ここで。
立ち止まっている。
勇斗の胸の奥が。
重く沈んだ。
もしかしたら。
ずっと。
こうだったのかもしれない。
自分たちの前では。
普通にして。
笑って。
一人になったところで。
ようやく。
力を抜く。
「……」
勇斗の拳に。
ゆっくり力が入った。
また。
あの怒りが戻ってくる。
何日経っても。
終わっていない。
仁人の中では。
まだ。
あの日が続いている。
勇斗は。
一度。
強く握った拳を。
ゆっくり開いた。
今。
考えるべきなのは。
あの男じゃない。
仁人だった。
「仁人」
仁人が顔を上げる。
一瞬。
身体に力が入った。
勇斗は。
そこで止まった。
それ以上。
近づかない。
「……何してんの?」
「一緒に帰ろうと思って」
「みんなは?」
「焼肉行った」
「勇斗も行けばよかったじゃん」
「また行けるし」
「……」
仁人は。
少し離れたところにいる勇斗を見る。
「俺、一人で帰れるよ」
「知ってる」
「じゃあ……」
言葉が止まる。
勇斗は待った。
帰ってほしいなら。
帰る。
そこにいてほしいなら。
いる。
今は。
仁人に決めてもらえばいい。
少しして。
仁人が息を吐いた。
「……昨日くらい」
「ん?」
「昨日くらいなら、平気」
勇斗は。
一歩だけ近づいた。
仁人の身体に。
少しだけ力が入る。
でも。
逃げなかった。
もう一歩。
行きたい。
隣まで。
行きたい。
でも。
行かない。
「ここ?」
「……うん」
「分かった」
そこで止まる。
仁人が。
少しだけ息を吐いた。
勇斗は。
その顔を見る。
抱きしめたいと思った。
何も心配しなくていいくらい。
抱きしめてやりたいと思った。
でも。
それは。
勇斗がしたいことだった。
仁人が。
してほしいことじゃない。
だから。
手は身体の横に置いたまま。
何もしなかった。
好きだから。
触れたい。
でも。
好きだから。
触れない。
今は。
それでよかった。
「帰ろ」
仁人が言った。
「うん」
二人で歩き出す。
隣ではない。
仁人は。
少し後ろ。
それでも。
足音は。
ちゃんとついてくる。
勇斗は。
振り返らなかった。
ただ。
仁人が無理をしなくても離れすぎないように。
いつもより。
少しだけゆっくり歩いた。
コメント
1件
第5話、読みました。勇斗の「好きだから触れたい、でも好きだから触れない」っていう心の葛藤が、細かい動作の一つひとつから伝わってきて切なかったです。仁人が自分から半歩寄ってくれた場面、嬉しかっただろうなと思う反面、距離が近づいただけで離れられてしまうもどかしさが刺さりました。二人の間にある見えない距離感が、とても丁寧に描かれていて、続きが気になります。
#snjn
nanana

3,884
#3skm