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井野匠
さくらぶ
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また、激しく泣きだした雨音を連れて京子が出て行くと、左手に座る私に、驟雨が鋭い視線を向けてくる。
「お主はどう見る?」
私も、驟雨に視線を向けながら、「あの様子では、時雨兄様は全てを知ってしまったと思います。
時雨兄様が、全ての状況を把握したと仄めかしているのは、雨音を安心させることはもとより、私達へのメッセージが含まれているのでしょう」
私の言葉に、驟雨は「そやろな…」と呟いてから、誰にともなく喋り始める。
「この世界は、全てが陰(雨)と陽(晴)で出来てる。
これは、白川流霊枢治療も例外やない。
陽(晴)とは、本業である雨を祓うという治療で、陰(雨)とは、雨雲を沸かせて罹病させるという技や。
白川流霊枢治療では、雨を祓う治療を雨祓い、雨雲を沸かせて罹病させる技を、雨乞いと呼んでる。
当然、それは黄帝内経にも記されてるから、時雨も、知識としては承知してるやろうけど、実際に白川家が、代々その技を利用して、政治的な活動を行ってきたのは知らんはずや。
知ってたのは、当主であるワシと雨雲を湧かせる役割の雨音だけやった。
代々、白川家では長男が陽(晴)である雨祓いを担当して、長女が陰(雨)である雨乞いの役割を担ってきたんや。
それがどや、優しすぎる雨音が、これ以上罪も無い人に雨乞いをするのは嫌やとぬかして、東京に逃げよった。
まあ、心の迷いは誰にでもあるさかい、時間を掛けて説得しようとしてた矢先に、アイツは、こともあろうに白川家の秘密を、白川家以外の人間にペラペラと喋りよったんや。
幸い、東京の下宿先には白川流の見張りがおったから、秘密漏洩を一早く察知できたけど…
佐々木敏晴の始末は、お前に任せるしかなかった。
しかし問題は、その秘密を時雨に知られてしまったことや」
そこで私は、疑問に思っていた事を思わず口にしてしまう。
「母様や私に、白川流の秘密を口にしなかったのは分かりますが、どうして、後継者である時雨兄様にまで、白川流の秘密を打ち明けなかったのですか?」
驟雨は、独り言を遮られて少し不機嫌な顔をしたが、私にまで、そっぽを向かれては大変だと思ったのか、素直に答えてくれる。
「時雨は、母親である京子に似て正義感が強い。
それでも、霊力がワシよりも劣ってたら力で従わせるけど、時雨は、始祖である伯雨の再来といわれるほどの天才や。
嘘ゆうて丸め込むしか方法がなかった」
私は、苦笑いと共に頷くしかなかった。
「では、時雨兄様が家を出たのも、雨祓いの邪法を使い続けたいから…というのは建前で、もしかすると、我らと事を構えるつもりなのでは?」
私の問い掛けに、「分からん…」と素気なく答えてから、「そやけど、アイツの性格からすると、白川流の秘密は昔からの伝統やと許せても、雨音の恋人やった佐々木敏晴を始末したんは、絶対に許さへんやろう」と言い切った。
「そやから、用心して雨森神社の宮司である雨森倫太郎を差し向けて、時雨を見張らせとったのに、どうやらミイラ取りがミイラになったみたいや」
驟雨の言葉に驚いた私が、「雨森倫太郎が白川流を裏切ったというのですか?」と聞くと、「そんな大袈裟なもんやない」と前置きしてから、「時雨を見張ってる内に、時雨の生き方に感化されて、時雨を守ってやらなアカンって、親心が芽生えたんやろ」と笑い飛ばした。
しかし、私は事の重大さに愕然となっていた。
代々、神祇伯であった白川家は、神社を支配する立場であるにも関わらず、その神社の宮司に裏切られるというのは、白川家の沽券に関わる問題なのだ。
「考えてもみいな、元々はしがない治療師やった白川家が、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する朝廷で出世するんは並大抵のことやない。
わざと雨雲を沸かせて、雨を降らすくらいは可愛いもんや。
ましてや、その後は雨祓いで治療までしてやるんやから、暗殺が当たり前の朝廷からしたら、子供の悪戯みたいなもんやで」
その言葉に、私は溜息を吐きながらかこう言った。
「そうは言っても、既に、暗殺にまで手を染めていますし、時雨兄様は子供の悪戯だとは思ってくれません。
もしかすると、東京に鍼灸治療院を開業したのも、我らと距離を置きながら、今回の件を色々と嗅ぎ回ることが目的だったのでは?」
驟雨は鼻で笑うように、「そうかもな」と吐き捨てる。
そして、私に向かって「そう思うんやったら、その時までに精々腕を磨いときや。
時雨は手強いで。
ワシもお前も、まだ、雨を取り込めるレベルには達してない。
そやのに時雨は、拭き取られた微量の血痕からも、様々な情報を読み取れるんや…」と悪戯っ子みたいに囁いた。
それから、話題を変えるためか、表情を改めると、「ところで、雨音から引き継いだ、遠隔で雨雲を沸かせる研究はどこまで進んでる?」
と聞いてきたので、私は、「はっ」と息を吐き出すように返事をして、状況を細かく説明する。
「まず、サイトを呪物化させる為、パソコンに護摩札を貼り、そのパソコンを使って念を込めた闇サイトを立ち上げたので、雨雲を沸かせる魂魄の痼りがページ内に発生しました。
すると、心の貧しき者達が、まるで導かれるように集まってくるので、相乗効果で、サイト内には雨が沸き返っています」
それを聞いた驟雨が苦笑いを浮かべる。
「なるほどな。雨を溢れさせた辻斬りが、呪物と化した刀を握ってるのと同じや。
互いの雨を喰らうことで、互いの痼りが大きくなっていく。
その上、人殺しは妖刀に魅了されるし、妖刀は人殺しに所有されることを望んでる。
それが、ネットを介して無限に広がっていくんやから、ホンマに良い時代になったもんやで」
「直接、雨乞いをするのとは違い、発生率も低くなりますし、時間も掛かるのですが、サイトさえ立ち上げてしまえば、後は自然に広がっていくという寸法です」
大きく頷いた驟雨は、「雨の自動販売機みたいなモンやな…」と笑ってから、「白川流も変わらなアカン。治療師が量産できんのやったら、少数の治療師で儲かる仕組みを作らなアカンのや。今のままやったらジリ貧やからな。
何よりも、この世界の雨量が増えれば、白川流の影響力も大きくなるはずや」
この言葉に私も大きく頷いた。
明治時代を迎えて大きく変わったのは、白川家が王号を返上させられただけではない。
西洋医学の波が一気に押し寄せてきたのだ。
江戸時代にも西洋医学は存在していたが、外科という限られた分野だった。
だからこそ、東洋医学の「心身一如」という考え方で、人が宿した邪気などの治療は白川流霊枢治療が市場を独占できたのだ。
しかし、その独壇場に西洋医学の精神医療という分野が侵食を始める。
それに伴い世界の上流階級も、高額でカルト的な白川流霊枢治療に頼るのではなく、時間が掛かっても、安価で科学的根拠に基づく治療に移行してしまった。
この流れにより、白川流は地位と名誉を同時に失ってしまう。
それを食い止めるには、ウイルスをばら撒いた市場にワクチンを販売するがごとく、自らの手で、巨大市場を作り出さなければならないのだ。
今は、その為の実証実験を雨音から引き継いでいるのだが、私だって、これが最善の方策だとは思っていない。
しかし、千年以上も続く白川流の地位と名誉を守るには、多少の犠牲は覚悟しなければならなかった。
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