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(――今、何て?)
ぷっ、とお兄様が隣で笑ったのをきっかけに、私は弾かれたように我に返った。
わかっていて、黙っていたお兄様の趣味の悪さと、頭を抱えつつも、ぶつぶつと何かをつぶやく殿下に挟まれて、私は再度パニックを起こす。
(どういうこと? ペチカ・アジェリットって、あのペチカ・アジェリットよね?)
ペチカ・アジェリット……ペチカ・アジェリット公爵令嬢。
「わた……僕!?」
「……っ、どうした。ベテル・アジェリット。いきなり声など出して」
「い、いえ。少し……へ、へええ。ほーん……ペチカ・アジェリット公爵令嬢とですか」
「何故、そんなにも他人行儀なのだ。貴様の姉だろう」
「姉……え、姉。いや、そうですね」
頭でもぶったのかとでも憐みの目を向けられてしまい、私はその怒りの矛先を、何も言わずにここにつれてきたお兄様に向けた。お兄様は謝るそぶりなど全く見せず。腹を抱えて笑いたいといった気持ちを抑えているようにも見えた。帰ったら問い詰めたいところだが、私は宿舎の方に帰るし……お兄様は、皇宮の側近専用の部屋に戻るだろう。まだ、私たちの間には明らかな格差があるわけで。
殿下の方に視線を戻せば、殿下も殿下で、なぜだ……とうなだれていた。
見合いをすることになった、私と……ペチカ・アジェリット公爵令嬢と。というところまでは分かった。わかりたくもないが、その言葉に嘘偽りがないのだとすれば。
(いや、めちゃくちゃ困るんですけど!?)
「ほら、ベテル。休暇貰って家に帰ることになってたじゃないか。その時、ペチカの様子見てきてくれないかな?」
「お、おに、兄上!?」
なんで勝手に? と私が顔を上げれば、サッと、殿下から距離をとって、覆いかぶさるように、しっと人差し指を立てる。
「……ということにしてあるから、上手くやって」
「う、上手くやってなんて。というか、酷くないですか!? なんで、教えてくれなかったんですか」
「え?」
と、お兄様は、私がどんと胸を叩いたときに、目を丸くした。それから、きょとんと目を丸くして、首をかしげる。
「だって、面白いから」
「お、面白いから!?」
「ふふ、まあまあ……殿下はああ見えて、かなり鈍感だから気づくはずもないよ。髪の毛とか、剣だことかのことは気にしないで。魔法でどうにかなるから」
「そういう問題ではない気がしますが?」
「何こそこそと、乳繰り合ってる。貴様ら」
殿下の声で、パッとお兄様は私からどくと、ほら、というように、私の背中を叩いた。今すぐに、お兄様の顔を確認して、笑っているだろうな、ということを確認したのちに、一発殴りたい気持ちだったが、これ以上、殿下を怒らせるわけにもいかないので、私はさっと後ろで手を組んだ。
「何でしょうか。殿下」
「何でしょうかではない……全く貴様、騎士としての自覚はあるのか?」
「はい。もちろんです」
「返事だけではあるまいな。まあ、もうそんなことはどうでもいい……ペチカ・アジェリット公爵令嬢について教えろ」
「姉についてですか? 何故?」
「見合いにいくらからに決まっているだろ!?」
そんなことも分からないのか? と耳を貫くような声で言われてしまい、私は耳を両手でふさいだ。
確かに、ペチカ・アジェリットについての情報というのは出回っていないだろう。だって、幽霊令嬢とも言われるくらい、社交の場に姿を表さないのだから。また、病弱ともうわさで流れているのだから、誰も知るはずないのだ。そう噂を流したのは、お母様だけれど……
(弟……というていの、本人の私に聞くって……お兄様に聞けばいいのに!)
きっと、お兄様は面白がって私に聞くよう仕向けてきたんだろう。もう怒るような余裕もなかった。
腐っても皇太子……私に対しての質問なのだから、私が答えなければならない。
心を落ち着かせて、スッと殿下の方を見る。殿下は眉間にしわを寄せて、やはりこの見合いというのも面倒で、意味のないものだと思っているのだろう。不機嫌なオーラは変わらず、こちらもため息が出る。
最も、今、ではなく、この後、なのだが。
「姉は病弱です。それに、男性が嫌いです」
「病弱なのは知っている。だが、男が嫌いというのは、なぜだ?」
「……」
「ベテル・アジェリット?」
聞かれても困る。
なぜなら、それはお母様が作った虚像のペチカ・アジェリットなのだから。
強くなった今でも、私はお母様のことが嫌いで、怖い。ベテルが死んでから、狂ってしまったお母様。大好きだった、長い髪の毛をいきなり切られるほどのショックはもう二度と味わいたくない。
今の生活に不満があるわけでもなければ、ベテル・アジェリットという私が作り上げた、築き上げた騎士というのも嫌いではない。ただ、それゆえに――ベテル・アジェリットが表舞台に立てばたつほど、ペチカ・アジェリットの居場所はなくなり、本当に存在しないものとして扱われてしまう気がして怖かった。本当の私のはずなのに、名前だけが浮いているそんな気さえするのだ。
だから、殿下の見合い相手に、もっと言えば、婚約者候補として挙がったのかはよく分からなかった。お母様がそれを許すのか……いや、皇族からの決定であれば、貴族である私たちが逆らえるはずもない。
最も、嫌だというオーラは出しつつも、ここ一番、殿下も乗り気な感じもする。
(ペチカ・アジェリットのことなんて、私が一番知りたい……)
ペチカ・アジェリットは何が好きなのか。どんな子なのか。ベテルとして生きている私としては、自分で自分が分からなかった。答えられることなどあまりない。
「何でもありません。殿下は、乗り気のようですが、女性嫌いではありませんでしたか?」
「ああ……だが、第二皇子のやつに皇位を譲るぐらいなら、俺が皇帝になる。もともとの決定事項を覆そうとしているやつの気持ちも分からない」
「それは、殿下に婚約者がいない話で……」
「だから、今回で最後だ。嫌と言っても、今回で俺は婚約者を作る」
(ええ……)
どんなやる気だろうか。
元からそのやる気があれば、誰でもよかったのではないかと思うけれど。殿下なりの譲れないポイントはあるのだろう。
「まあ、その、当日は頑張ってください」
「本当に他人行儀だな。いいのか? 病弱な姉に、俺が何かしないかと、心配ではないのか?」
「殿下ですから」
「ほう、俺のことをよく知っているみたいに言うが。貴様は俺の何を知っているというのだ?」
「少なくとも、長いことおそばにいれば、それなりには……」
私が反論したことは、面白く思っていないらしく、眉をひそめ睨む。
お兄様が同じことをいったら、笑いで済まされたかもしれないが、私はまだ、殿下にとってはひよっこ騎士なのだろう。実際、殿下にかなう気がしない。だからといって、初めから負けと認めるわけはなく、勝てないかもしれないが、勝てるかもしれない、という自信を胸に抱いている。
(それに、実際近くにいるっていうのは、その通りなんだけどね……)
我が公爵家と、皇族の仲は長いこと続いている。だから、頻繁に皇宮にいけるような間柄であり、そのたび、殿下を見てきた。近くで見守ってきたわけではないが、幼いころの殿下のことも知っている。全部は知り得ないというのは、全くその通りではあるが。
「まあ、いい……当日なるようになるだろう」
「殿下、くれぐれも姉の気に障るようなことは言わないようにお願いしますね」
「ハッ、結局心配しているではないか。だが、こちらも時間がないからな。少し手荒くしても、許せ」
「困りますけど?」
「貴様には関係ないだろう。先程まで、無関心だったくせに」
(いや、手荒くするって意味が分からないんですけど? お見合いに行くんですよね? 婚約を結びに?)
いつもの物騒な物言いだ、と言えばいいが、その殿下と対峙するのは、ペチカに戻った私なのだ。休暇といえど、一人二役なわけで。心身の負担は休暇がいくらあっても足りないくらいだろう。
私との婚約を進める、みたいな話を聞いた今でも、それが嘘だと、夢だと言ってほしかったが、どうやら、覆すことが出来ない決定事項らしい。
ならば、やることは一つである。
(婚約が結ばれるとして、殿下に違う人間に興味を持ってもらって、婚約破棄……男装していることがバレるのは阻止しなきゃ)
この暴君様は、信頼していた人間に裏切られることが大の苦手であり、その人間を切り殺すくらいには不快だと思っている。だからこそ、バレる前に手を打たなければならないのだ。
隣で、頑張って、みたいな感じでウィンクしているお兄様の横腹をどつきつつ、私は失礼します、と部屋を出て息を吐いた。
「……もう、最悪」
今までに感じたことのない精神的苦痛を味わい、尚且つ、それ以上の苦痛が待っていると思うと息が詰まる。いったいどうしてこうなったのか、誰かに説明してほしかった。