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扉が閉まり、廊下を歩いていくおらふの足音が少しずつ遠ざかっていった。
おんりーはしばらく玄関に立ったまま、その音が聞こえなくなるのを待っていた。やがて完全に静かになると鍵をかけ、リビングへ戻る。
ぼんじゅうるは、さっきまで座っていた場所にそのまま残っていた。首にかけていたタオルはもう外していて、ソファの背もたれに寄りかかりながら、何とも言えない顔でこちらを見ている。
おんりーにも、何となく言いたいことは分かった。
それでも先に口を開いたのは、ぼんじゅうるだった。
「……言ってたよね。」
おんりーは隣へ座る。
「言ってたね。」
そこで一度、会話が止まった。
テレビからは、さっきと同じように小さな笑い声が流れている。誰かが派手に転んだらしく、効果音と観客の笑い声が重なったけれど、二人とも画面を見ていなかった。
ぼんじゅうるが少し身体を起こす。
「本人、気づいてないよね。」
「多分。」
「『一緒に仕事して』って言ってた。」
「言ってた。」
「『今の関係なくなるの嫌』も。」
「言ってたね。」
「あと、『たまに二人でなんかしたり』。」
おんりーが横を見る。
「よく覚えてるね。」
「いや、あそこまで言われたら覚えるでしょ。」
ぼんじゅうるは笑いを堪えるように、口元へ手を当てた。
「名前言ってないだけじゃん。」
「本人は隠せてると思ってそう。」
「めちゃくちゃ思ってそう。」
そこで二人とも、とうとう笑った。
大きな声ではないし、おらふを馬鹿にしているわけでもない。ただ、本人は一生懸命秘密にしているつもりなのに、その秘密の周りだけをほとんど全部説明して帰っていったことが可笑しかった。
ぼんじゅうるは笑いながら、ソファの上で少し姿勢を崩した。
「いや、でも誰だろうね。」
おんりーが横目で見る。
「分かってるくせに言わないで。」
「分かってるとは言ってないよ。」
「その顔で?」
「おんりーだって同じ顔してるじゃん。」
「してない。」
「してるよ。」
少しだけ睨まれて、ぼんじゅうるは楽しそうに笑った。
けれど、それ以上は名前を出さなかった。
二人とも、頭の中には同じ人物が浮かんでいるような気がしていた。それでも、おらふ自身が口にしなかった名前を、本人のいないところで勝手に決めつけるのは違うと思ったし、もし予想が外れていたら、それはそれで失礼だった。
「まあ。」
おんりーが、テーブルの上に残された空のペットボトルを手に取る。
「誰でもいいんじゃない。」
「そうだね。」
ぼんじゅうるも素直に頷いた。
「おらふが話したくなったら、その時聞けばいいし。」
「うん。」
おんりーがペットボトルを軽く握ると、ぺこ、と乾いた音がした。
少しして、ぼんじゅうるがまた口を開く。
「でもさ。」
「何。」
「もし、俺らが思ってる人だったら。」
おんりーは返事をせず、その先を待った。
ぼんじゅうるは少しだけ考えてから、困ったように笑う。
「……大変そうではあるね。」
その言葉には、さっきまでの冗談とは少し違う響きがあった。
おんりーも、すぐには否定しなかった。
おらふが誰を好きなのか、本当のところは本人にしか分からない。それでも、もし二人が想像している相手なら、おらふが告白することに迷う理由も、今の関係を失いたくないと言った理由も、少しだけ理解できる気がした。
だからこそ、余計なことは言わないほうがいい。
「でも、さっき言った通りでいいんじゃない。」
おんりーが言う。
「言うか言わないかは、おらふが決めれば。」
「うん。」
「こっちが勝手に背中押すことじゃないし。」
ぼんじゅうるは静かに頷いた。
「そうだね。」
少しだけ真面目な空気になったところで、おんりーが立ち上がる。
「髪、乾かしたら。」
「あ。」
ぼんじゅうるが自分の髪に触れる。
まだ少し湿っていた。
「忘れてた。」
「人の恋愛事情に気取られてるから。」
「いや、だって気になるじゃん。」
「気になっても聞かないんでしょ。」
「聞かないよ。」
「じゃあ乾かして。」
「はいはい。」
ぼんじゅうるが立ち上がり、洗面所のほうへ向かう。
数歩進んだところで、ふと思い出したように振り返った。
「でも、おらふさ。」
「何。」
「最後まで『誰かは言わん』って顔してたよね。」
おんりーは少しだけ口元を緩める。
「してた。」
「結構言ってたのに。」
「結構どころじゃないでしょ。」
ぼんじゅうるが吹き出す。
おんりーも、今度は笑うのを止めなかった。
「一緒に仕事してて、今の関係なくしたくなくて、たまに二人でなんかして。」
「うん。」
「それで本人は隠してるつもりなんだよね。」
「名前は言ってないから。」
「そこだけ守ったんだ。」
「多分。」
また二人で笑う。
けれど、その笑いは長くは続かなかった。おらふが真面目に悩んでいたことまで軽く扱うつもりは、どちらにもなかったからだ。
ぼんじゅうるは少しだけ表情を緩めたまま、洗面所の扉に手をかける。
「まあ、知らないふりしとこっか。」
「うん。」
「本人が言うまでは。」
「それでいいと思う。」
扉が閉まり、少ししてドライヤーの低い音が聞こえ始めた。
おんりーはテーブルの上を片づけながら、さっきのおらふの顔を思い出す。
真面目に悩んでいた。
告白するべきなのか、今の関係を守るほうがいいのか、自分の気持ちをどこへ置けばいいのか分からなくて、それでも好きな人のことを話す時には、どこか嬉しそうだった。
その表情を思い出すと、誰を好きなのかを暴くことより、本人がその気持ちをどう大切にしていくのかのほうがずっと大事なのだと思えた。
だから、まだ聞かなくていい。
次におらふが同じ話をしに来た時も、本人が「ちゃんと隠せている」と思っているなら、きっと二人とも知らない顔をするのだろう。
少なくとも、おらふ自身がその名前を口にするまでは。
コメント
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第7話、読み終わりました。 おらふが去ったあとの、おんりーとぼんじゅうるのやりとりがすごく好きです。「名前だけ言ってない」って秘密の形、本人は真面目なのに周りにはバレバレな感じが可笑しくて。でも、二人ともその気持ちを勝手に暴いたり背中を押したりせず、「本人が言うまでは知らないふり」でいようとする距離感が優しくて温かい。会話のテンポも良くて、二人の関係性が伝わってくるエピソードでした。