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チャイムが鳴り終わったあとも、誰もすぐには動かなかった。カーテン越しに差し込む光が、やけに白く眩しい。
遥は、教卓の脇に立たされていた。
教室の真ん中ではない。
だが、全員の視線が自然にそこへ集まる位置。
まるで──見世物の“台”だった。
「なに、今日も“恒例”やんの?」
軽く、笑い交じりの声が飛ぶ。
教室の奥で、男子が一人、窓を閉めた。
「つか、あれで泣いた? 昨日。誰か見てた?」
「泣くってより、堕ちた顔してた。あれマジやばいって」
笑い声が、教室の端から端へと、
静電気みたいにピリピリと走る。
遥は、声を出さなかった。
出せなかった。
言葉の形をしたものが喉元まで来て、
そこでぐしゃりと潰れる。
口を開くたび、鉄の味がする。
「──ねぇ。今日、アレしようよ」
女子の声だった。
教卓の前に寄ってきたのは、二人。
体育のとき、男子と一緒に悪ふざけしていた子たち。
「“これ”掃除してくれたんだって、昨日。日下部の席」
もう一人が言う。
「健気〜。けなげ。ね、健気ってさ、“見返り求めてる”って意味だったっけ?」
「あ、違うか。“同情されたい病”だっけ?」
「……ちがっ」
遥の唇から、音にならない声が漏れた。
けれど、それは誰の耳にも届かない。
いや、届いていた。
──“届いた上で、見なかったことにされる”。
「かわいそうって、言ってもらいたいの?」
「そういうの、一番“重い”って知ってる? 人の感情、踏みにじるんだよ、あんたみたいな奴って」
机が引きずられる音がした。
誰かが遥の机を横にどけて、空間を作る。
「てか、またさ。昨日の再現してよ。ほら、あの、“壁に手ついて”ってやつ」
男子が促す。
教卓の前に立っていた遥の腕を、わざとらしく引いた。
「そ。で、“お願いだからやめて”って、昨日のセリフ。アレ、マジウケた」
「ちょ、ほんとにやんの? こっわ」
「スマホ回す?」
「さすがにそれは……でも、こっそり撮ったらバズるかもね」
女子が笑う。
「“日下部のペット、開発済み”とか? タグつけよ」
遥の背中に、鋭い痛みが走る。
それは言葉ではない。
“言葉にされなかった”部分のほうが、遥を深く傷つけた。
──誰もが、日下部を知っていた。
そして、誰もが知っていて、それを使う。
それが、遥にとって何よりも痛かった。
「てか、アレだよね。
好きだったんでしょ、日下部のこと。あんなに尽くして、ベタベタして。
……バカじゃん。向こう、気づいてないし。
“なにも守れてない”し」
「ま、いっか。どうせまた来るよね、蓮司。
昨日だって、“守ってあげるフリ”してたし」
その名前が出た瞬間、遥の心臓が跳ねた。
──フリ。
そう、確かにそうだった。
手を差し伸べられて、
その手の先に待っていたのが“公開処刑”だった。
誰よりもよく知ってる。
「優しさ」の仮面をつけた、いちばん残酷な加害者。
(でも……)
(でも、日下部だけは──)
そう思いかけた瞬間、後ろから押される。
「ほら、前へ出て。“舞台”、できてんだから」
男子の手が、遥の肩を無遠慮に掴んで引いた。
無理やりに押し出された先、
教卓の前には、
“昨日と同じ光景”が再現されていた。
何も変わらない。
蓮司が言ったとおり──
「ほら、立てよ。見せてくれんだろ? “壊れた顔”」
「てか、“脱がせる前提”で着てきてんじゃね? そのシャツ。わかってるやつ〜」
誰かが笑う。
女子がスマホを構え、画面をタップする音がした。
──何も言えない。
何もできない。
自分が、“望んだ顔”をしているんじゃないかとすら思ってしまう。
叫べばよかった。
逃げればよかった。
でもそれができないのは、
「そうされるべき存在」だと、自分が自分を罰しているから。
「“ねぇ、助けて”って、昨日の日下部の前で言えばよかったのに〜」
その声が、遥の耳に刺さる。
「でも言えなかった。
あいつに見られるのが一番イヤだったんでしょ?
見られたら──おまえの汚さ、バレるもんね」
──ああ、そうだ。
(見てほしかったのに、見られたくなかった)
(助けてほしかったのに、“助けさせたく”なかった)
だから遥は、今日も笑われる。
そして何も言えず、
ただただ、「また同じことが起きる」のを待っていた。
教室の空気が濁っていく。
だがその瞬間、
扉の向こう、
足音が──