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るるくらげ
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#再会
お客様の足が途絶え、遅めの昼食を食べていた。
オムライス。
メイドカフェの冷凍オムライスじゃなくて、かずちゃん特製のデミグラスソースが食欲をそそる手作りのオムライス。形はちょっと歪だけど、それがまた味わい深くて良い。卵の表面がふんわりと黄金色に焼けていて、中から熱々のご飯と鶏肉と玉ねぎが覗く。デミグラスソースは濃厚で、少し煮詰めすぎたような深いコクがあって、一口食べると、体の中までじんわり温かくなる。
スプーンで卵を切ると、中から湯気が立ち上って、商店街の昼下がりの静けさを、優しく包み込む。私は思わず両手でハートを作って、胸の前で「きゅんきゅん」と左右に振った。メイド服を着ていた頃の癖が、まだ体に残っているみたい。でも今は、エプロンの裾が軽く揺れるだけで、誰も「きゅんきゅん♡」を強要しない。ただ、自分がしたくて、自然に手が動いた。
それを見ていたかずちゃんは、カウンターの奥でコーヒーカップを拭きながら、目を細めて微笑んだ。白髪の束が、午後の陽光に透けて、柔らかく光っている。
「弥生ちゃん、まだメイドさんの血が騒ぐんだな」
かずちゃんの声は、からかうようで、でも優しくて。私はスプーンを口に運びながら、少し照れくさくなって、
「うん……なんか、あの頃の自分が、まだ体に残ってるみたいで」
かずちゃんはカップを棚に戻して、ゆっくり近づいてくる。
「一口、味見させてくれないかな」
「はい!」
私の隣の椅子に腰を下ろして、自分の分もスプーンを取る。二人でオムライスを分け合って、静かに食べる。デミグラスのコクが、舌に残って、胸の奥まで染みていく。
「昔な、一帆もよくやってたよ。お母さんのために、ハート型のオムライス作って、形は歪んでたけど、あの子なりに一生懸命で」
かずちゃんの言葉に、私はスプーンを止めた。宇佐美さんの過去を、少しだけ知っている。母親を失ったこと、コーヒーを淹れることが、彼にとっての祈りみたいなものだったこと。
かずちゃんは遠くを見るように、目を細めて続ける。
「弥生ちゃんがここに来てから、一帆の淹れるコーヒーが、また少し優しくなった。弥生ちゃんも、きっと、誰かの朝を温かくしてるよ」
私はオムライスの最後のひと口を、ゆっくり噛んで飲み込んだ。形の歪んだ卵が、なんだか愛おしくて。
「かずちゃん……ありがとう。私、ここで、ちゃんと自分の味を出せるようになりたい」
かずちゃんは小さく頷いて、
「ゆっくりでいい。コーヒーも、オムライスも、急いじゃいけない。優しく、丁寧に」
午後の陽光が、カウンターに長い影を落とす。私は空になった皿を片付けて、新しい豆を挽き始める。
コロコロ、コロコロ。
宇佐美さんが帰ってくるまで、あと少し。黒いセダンが商店街に停まる頃には、今日のコーヒーが、一番いい味になっているはず。私はハートを作った手を、そっと胸に当てる。もう、誰かに強制されるポーズじゃない。ただ、自分が感じた温かさを、形にしただけ。
まだ、男の人は怖いけれど、宇佐美さんが帰ってくるのを心待ちにしている自分がいる。
きゅんきゅん♡
黒いセダンが『喫茶うさぎ』の前でゆっくりと停まる。車のドアが開く音、チリン。「お帰りなさい!」 私はカウンターから飛び出して、玄関まで駆け寄った。宇佐美さんがセダンから降りてくる姿を、商店街の夕暮れの灯りが優しく照らしている。今日もスーツは完璧に決まっていて、ネクタイの結び目が少し緩んでいるのが、彼の「帰ってきた」サインみたい。
「ただいま帰りました」
彼は静かに微笑んで、ジャケットを脱ぎながら店内に入る。私は自然に手を伸ばして、スーツを受け取った。ハンガーに掛ける前に、そっと袖の皺を伸ばす。次に、湯気の立つ熱いおしぼりを取り出して、両手で差し出す。
「お疲れ様です。おしぼり、どうぞ」
宇佐美さんは受け取って、顔を軽く拭きながら、「ありがとう。今日もいい香りがするね」って、穏やかに言う。それは、私が淹れたコーヒーの香り。エチオピアの豆を、少し長めに蒸らして、フルーティな甘みを引き出したやつ。彼はいつも、最初の一口で味を確かめて、
「今日の弥生さんの味だ」
って、静かに呟く。そんな私の姿を、かずちゃんがカウンターの奥で腕を組んで、和やかに微笑んでいる。
「弥生ちゃん、すっかり一帆のメイドさんみたいだな」
って、からかうように言うけど、目は温かい。私は少し照れて、「おしぼり、癖が抜けなくて……」って、頰を掻く。宇佐美さんはおしぼりを返して、私の手を取った。
「癖じゃなくて、君の優しさだよ」
声は低くて、でもはっきり。
男の人は怖い。モラちゃんの影が、時々頭の隅で揺れる。でも、この人の手は、決して強く掴まない。ただ、温かく包んでくれる。それが、少しずつ、私の怖さを溶かしていく。